王様と平民 2

谷地は振り返って声をかける。
「いってきます」
「大丈夫? 顔色悪いわよ?」
玄関まで送りにきた母は心配してくる。マグカップを買いに行くくらいなら、後日でもと言ってきたが、友達ということにした牛島が待っているのだ。
無理をしてでも行かなくては。約束を破れば、どんな罰が待っているか分からない。
「大丈夫……だから」
昨日はお店のリストアップをし、ベッドに横たわったが、全然、眠れなかった。
召使いのような働きができるか、王の機嫌を損なうことはしないだろうかと、不安が入り乱れ、思考が収まらなかった。
それでも、意識を失うように三時間は寝た。目覚ましにすぐに起こされ、寝た気はしなかったが。
「気をつけるのよ」
「うん」
待ち合わせの駅までは、徒歩で行ける。時間も余裕がある。忘れ物がないことを確認し、靴をはき、家を出た。

谷地が待ち合わせに着いたのは少し早い時間だったが、その場所にはもう牛島が立っていた。白鳥沢のジャージではなく、私服だったがすぐに分かった。
背が高い彼は目立つ。腕組をし、仁王立ちで自分を待っている。周りも彼の周囲に漂う威圧感で彼から距離を離しているように見える。
「牛島さん……!」
待たせてしまったのだと彼に駆け寄る。
「ああ、来たか。おはよう」
こちらを見下ろす彼は無表情なのは相変わらずだが、腕組をやめる。
「お、おはようございます……! 遅れて申し訳ありませんッ!!」
挨拶を返し、深々と頭を下げる。
「ど、土下座した方がいいでしょうか!?」
顔を上げ、膝をつけようとすると止められた。
「いや、いい。なんで、謝る? 時間通りだろう」
彼は時計を見上げる。同じように見ると丁度、待ち合わせをした時間だった。
「牛島さんを……お待たせしてしまったので……」
自分のような平民が、彼を待たせてしまうなど無礼極まりない。
「早く来るのは癖なんだ。気にするな」
無表情の顔が幾ばくか和らいだように思えたが、錯覚かもしれない。そう自分が思い込んでいるだけだろう。
「さて、行くか。最初はどこに行くんだ?」
「ま、待ってください」
鞄からお店の位置を書いた地図を取り出し、広げる。
「用意周到だな」
「はい! 召使いの……」
思っていることが口に出てしまい、言葉を切る。彼を見れば、怪訝そうに眉を潜めていた。
「いえ、なんでもないです」
ここから一番、近いお店を指し示し辿るルートを説明すると彼は分かったと頷いた。
「行こうか」
「はい!」
地図をたたみ、歩き出した彼についていく。

「ありがとうございましたー」
店員の挨拶を背に受け、谷地と牛島は店を出た。
「なかったな」
「……はい」
これで、回った店は五つ目だ。お目当てのマグカップは見つからない。人気があったという店員の説明は本当らしい。
「次は?」
「ここをまっすぐいったところです……」
控えめに行く方向を指し示す。
「そこで、最後です」
徒歩で行ける範囲は次の店で最後だ。交通機関を使えば、範囲は広がるだろうが、そこまで彼が付き合ってくれるはずがない。
「なかなか、同じものは見つからんな」
歩き出した彼の横を歩く。彼は歩くのが早く、最初はついていくのに必死だったが、今はそれにもついていけるような早さで歩いている。
「牛島さんのためにあってほしいな……」
祈るような気持ちだ。このまま、見つからなかったら無駄足だ。彼の休日を無駄に消費させた罰を受けることになるだろう。
「なぜだ。お前のためだろう」
自分の呟きに反応し、こちらを向いた。
「え、なんでですか? 牛島さん、あのマグカップが欲しいんですよね……?」
彼が歩みを止めたため、自分もそれにならう。
「何を言っている。俺がお前のマグカップを割ったから、弁償しようとしているだけだ。同じものがいいんだろう?」
「え!?」
自分はてっきり、彼が同じものが欲しいのだと思っていた。自分の反応を妙に思ったのだろう。彼は何かを考えているようだった。
「……弁償すると、俺は言っていなかったか?」
昨日のやり取りを必死に思い出す。自分がちゃんと聞いていなかっただけかもしれないと。
「い、言ってなかったと……思います……」
自分が思い出す、電話越しの言葉にそんな単語はなかったが、自分の思い違いかもしれないので、言い切ることはできなかった。
「では、今、言おう。マグカップを弁償する」
「そ、それなら、いいですよ! 気にしないでください!!」
新しいマグカップを買えばいいだけだ。あれは事故なのだから。彼だけが悪いわけではない。
「……俺が気にするんだ」
彼は先に歩いていってしまう。
「え……あ、待ってくださいー!」
置いていかれてしまうと、彼を追いかける。

最後の店に行くと、同じマグカップはなかったが、谷地は牛島に違うマグカップを買ってもらうことになった。
棚に陳列されているマグカップを見て、悩んでいた。
あれもいいが、その横のものもいいと、目移りしていた。
上に置いてあるものが、高いところにあまり見えないと、背伸びをする。
「うー……」
気になるものがあり、手を伸ばすと、横から大きな手がそれを取る。
「これか」
「す、すみません!!」
彼を使ってしまったと謝る。
「いちいち、謝らなくていい」
「はい、す、すみ」
出てきそうになった言葉を口を塞ぐことで、止めた。
彼が取ってくれたマグカップを受け取る。デフォルメされた動物たちが描かれているものだった。その中には、牛もいて、その文字が入っている、目の前の彼とは大違いで、可愛らしく描かれている。
「なんだ?」
いつの間にか、彼を見つめていた。
「あ、あの……これ、元のところ、に……すっ……お、お願いします……」
頭を少し下げて、差し出したマグカップは自分の手から離れていった。頭を上げると、いちいち、頭も下げなくていいと言われた。
「普通に接しろ」
「は、はい!」
彼が言う普通とはどういうものを言うのかは知らないが、先輩たちと同じでいいのだろうか。あまり変わりはないのだが。
「あの、じゃあ、それを取ってください!」
彼は差した指の先にあるマグカップを取ってくれた。
それを受け取る。羽ばたいた鳥のシルエットに背景には青空が描かれている。日向のようだと思った。彼は背に羽があるかのようにコートの中で軽やかに飛ぶのだ。
「ヒナタショウヨウがどうした?」
「へっ……」
日向のフルネームを言われ、思っていることを見透かされたのかと、彼を見上げて驚くしかなかった。
「ヒナタみたいだと言っていたぞ」
どうやら、思ったことがそのまま口を出てしまったらしい。顔を赤くするしかない。
「飛んでる鳥が日向みたいだなって、思いまして……」
そう言うと、彼の眉間のしわが深くなった気がした。
「……あいつの身体能力は侮れないな」
「凄いですよね! ピョーンって頭がネットの上に出るくらい跳ぶんです! 影山くんとの……ハッ!」
彼は後々、日向たちの前に立ちはだかるはずだ。敵側となる人に、情報を与えていいのだろうか。日向の身体能力の高さは知っているらしいが、影山とのコンビネーションは知らないはずだ。
「こ、この先は教えられませんッ!」
「……? まあ、いい。それにするのか?」
怪訝な顔をされたが、それはすぐに無表情に戻り、マグカップを指で差す。
「あっ……うーん……」
これもいいデザインだけれど。また棚にあるマグカップを見る。
「……ゆっくり悩め」
「は、はい、ありがとうございます」
またマグカップは元の位置に戻してもらい、気になるものを取ってもらった。

散々に悩んだ末、買ってもらったのは、カラフルな星が散りばめられたマグカップ。
お店を出て、谷地は牛島に頭を下げてお礼を言う。
「こちらこそ、すまなかったな」
「謝らないでください! 私、嬉しいです!大切にします!!」
「割らないようにしろよ」
「はい!」
元気よく返事をし、一歩、踏み出せば、いきなり、腕を引っ張られ、そのまま彼に体を預けることになった。目の前を自転車が通っていく。
「周りをよく見ろ」
「は、い」
その時、腹の虫が鳴いた。自分の腹から。目的を達成できたからか、緊張をして余計な体力を使ったからか。
顔を赤くしている自分を気にしていないようで、自分の腕を離した彼は腕時計を見ていた。ゆっくりと彼から離れた。
「もう昼時だな。どこかで食べるか食べたいものや、好きなものはあるか?」
突然、問われて戸惑う。
「え、ふがしが好きです!」
好物を答えたが、彼は呆れたようだ。
「それは、飯ではないだろう」
「ああっ!! え、えーと……えっと、グラタンが、食べたいです!」
とっさに思いついたものだった。苦手なものは特にないし、言葉にした途端に、それが食べたくもなってきた。
「グラタンか。レストランがあったな。そこでいいか?」
「はい、大丈夫です! 牛島さんはいいんですか? 苦手ものとか……」
彼は洋食より和食を好みそうだ。和食の前に座る彼を想像する。とても似合っている。
「苦手なものはない」
きっぱりと言った彼は歩き出す。
それなら大丈夫だと彼についていく。


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2015/03/04


BacK