王様と平民 1
谷地仁花は家に続く道を歩いていた。少し遠出をして、マグカップを買いにいっていたのだ。
お気に入りのマグカップにひびが入っており、長年、使っていたそれにお別れをし、新調したのだ。
白にオレンジ色のリボンが巻かれているデザインのそれは、取手がリボンのが一回転したもので、可愛らしいデザインに一目惚れしたのだ。
箱に包まれ、白い袋に入っているそれを揺らしながら、帰ったらそれに、紅茶でも入れておやつを食べようと思っている。
クッキー、チョコのパイ、ドーナツもあったかと家にあるお菓子を思い出しながら、角を曲がる。
曲がった瞬間、何かにぶつかり、奇声を発する。突然きた衝撃に目を白黒するしかなかった。
気づけば、自分は道に尻餅をついていた。目の前には電信柱が。いや、電信柱にしては色が変だ。普通、灰色ではないだろうか。こんな明るい色はしていない。
「おい」
上から降ってきた声に体を跳ねさせる。目の前の電信柱だと思ったものは人の脚だ。自分は人とぶつかったのだと自覚し、見上げれば。
「大丈夫か」
「あっ……!白鳥沢の……!」
自分がマネージャーをしているバレー部の部員である、日向翔陽が彼のことをジャパン、絶対王者のウシワカと呼んでいた。
テストの勉強を教えた帰り、フィールドワークをしていた彼に同じ部員である影山飛雄と共についていったのだ。
たしか、名前は牛島若利。白鳥沢のエースであり、現役の高校生であるが、バレー日本代表まで選ばれる実力あるプレイヤー。
自分と歳が二つしか変わらないはずだが、見上げる巨体と妙な威圧感に自分は動けなかった。蛇に睨まれた蛙とはこのことだろう。
「おい」
「ハ、ハイッッ!!」
また声をかけられ、体をまた跳ねさせる。彼は屈み、手を差し出してくる。
「すまん、怪我はしていないか?」
「だ……」
そう言われれば、なんだか額が痛い気がする。後、言いにくいが臀部も。
「どこか痛むのか」
「い、いえ、ダイジョーブですッ!」
大した痛みではない。差し伸ばされていた手をおそるおそる握ると物凄い力で引き寄せられた。
「わッ」
そのことに体がついていかず、彼の体にもたれかかることになってしまった。
「ス、スミマセン!!」
彼の体を突き放したが、びくともせずにその力は全て自分に返ってきて、後ろに倒れそうになったが、それは途中で止まり、なぜか彼の顔を真正面から見上げることになった。
「何をしている」
不機嫌そうに言われ、これは殺されるのではと思った。彼が王なら自分は平民だ。昨日、歴史の授業で習ったことを思い出していた。
王に無礼を働いた民は次々と捕まり、殺されていった。そこまでいかなくとも、暗くてじめじめとした牢屋に放り入れられ、ろくにご飯も与えられずに――そんなことが頭を巡る。
「頭をうったか?」
手が頭をなでる。その手が予想に反し優しく、混乱する。また引き寄せられ、彼に密着する形で立つことになった。今度は体を任せる。後ろに回る腕の力をひしひしと感じていたからだ。
「病院に……」
出された単語に焦りを覚える。
「ダイジョーブ! ホントーにダイジョーブです!!」
焦って彼を見上げ、首を横に振った。見下げる顔が無表情なのは変わらない。
「なら、いいが」
ようやく、彼の腕が離れ、一歩後ろにさがる。生きている心地がしない。
視線を下げると地に落ちている袋が見え、横たわっているそれに声をあげて拾いあげる。
袋を開け、箱に入ったマグカップを取り出すとリボンの取ってが取れていた。本体にもひびが入っている。今日、買ったばかりなのにと落ち込んでいると、目の前に迫る巨体。
「割れたのか」
見上げる彼の眉間にしわが寄っている。こんなところで開けたのが間違いだと気づく。彼のせいだと主張しているも同じだ。謝ろうとしたが彼の言葉に遮られた。
「何か書くものはあるか?」
「あ、あります!」
マグカップを素早くしまい、鞄からメモ帳とペンを取り出し、彼に渡す。それを受け取り、何かを書いていく。
なんだろうと見ていると書き終えたのか、ペンとメモ帳が自分に差し出された。
「そうだな……夜になったら電話しろ。分かったな」
「は、はい」
返事をし、それを受け取る。ちらりと見たメモ帳には何か数字が書かれている。
「名前は?」
「や、谷地仁花デスっ! 烏野高校でマネージャーをしております!!」
なぜか、自分は敬礼のポーズをして自己紹介をしていた。
「烏野……ヒナタショウヨウとカゲヤマトビオと同じか」
あの二人は彼に覚えてもらったらしい。あの時に自分も、いたのだけれどと思いつつ、おこがましいとも思った。こんな小さいみすぼらしい平民が、彼の目に入るわけがない。
「ヤチヒトカか。俺は」
「牛島さんですよね! 白鳥沢のエースで日本代表になるくらい凄い選手で……」
そこまで言って、言葉を切る。
「スミマセン! ゴメンナサイ! こんな私が牛島さんの名前を……今から死んでお詫びを……」
コンクリートにでも、頭を打ちつければいいのだろうかと考える。
「いや、しなくていい」
淡々としている声に許しをもらい、一安心する。
「では、またな」
「は、はい! また、です!」
繰り返した言葉に違和感を覚える。彼は背を向け、走っていく彼に手を振る。
彼はロードワーク中だったのだ。貴重な時間を奪ってしまい、やはり死んで詫びた方がいいのかもしれないと再び、思っていた。
手に持ったままのメモ帳に目を通す。
「あれ」
数字の羅列は電話番号だ。しかも携帯の。彼の電話をしろ、またなという言葉を思い出す。
内心、奇声を発する。自分が大変なものを手に入れてしまったことを自覚したからだ。彼の電話番号を知っていていいのだろうか。
しかも、彼の言葉に従うなら、夜になったら電話をしなければならない。ロードワークを邪魔したことを怒られるのだろうか。数々の非礼を責められるのだろうか。
「どーしよ……」
持っていたペンとメモ帳を鞄にしまい、とりあえずは家に帰ろうとフラフラと歩き出す。袋の中からマグカップが音を出した。
谷地はベッドの上で正座し、牛島の携帯番号が書かれたメモ帳と自分のスマートフォンを前に並べ、向かいあっていた。
あの後、牛島に電話をしなければならないというプレッシャーから、おやつを食べる気にはなれずに、すぐに部屋にこもった。
日はあっという間に沈み、牛島が電話をしてこいと言った夜になってしまった。
なかなか電話はできずに晩御飯も食べ、風呂も入り、やることはやってしまい、後は電話をかけるだけ。
やはり、ロードワークを邪魔したことを怒られるのだろう。心当たりは他にはあるが、それが一番、彼が電話をしてこいという理由な気がするからだ。
怒られるために電話するのは気がひける。行動に移せない。
しかし、待たせている方が、なぜ、遅くなったのだともっと怒られるかもしれない。
ぶつけられる怒りは小さい方がいいと、勇気を振り絞ってスマートフォンを手に取り、牛島の番号を入れていくが、手が震え、違う数字ばかり入ってしまう。
やっと電話番号を入れ、通話のボタンを押す。スマートフォンを耳にあてれば、呼び出し音が聞こえる。
ドキドキしながら、彼が出てくるのを待っていると呼び出し音が切れた。
「もしもし」
牛島の声が聞こえ、心臓が跳ねたのが分かった。
「ア、アノ……ヤチヒトカデス。ウシジマサンデスカ?」
片言になりつつ、尋ねる。聞こえたのは彼の声だが、万が一があるかもしれないと確認する。
「ああ、そうだ。遅かったな。」
その言葉にやはり怒られるのだと、誰もいない空間に向かって頭を下げる。
「遅くなってスミマセン……!! あの、ロードワークを邪魔をしたことも、先に謝ります! ごめんなさいッ!」
「別に謝らなくてもいい」
聞こえた言葉に安心して頭を上げる。
「あ、ありがとうございます〜」
怒られることもなかった。とても寛大な人なのだ。彼は案外、懐が深いのかもしれない。用事はそれくらいだろうと思った時。
「あの時に割れていたやつだが、どこで買ったんだ?」
続いた彼の発言に首を傾げる。
「え、マグカップですか?」
なぜ、彼があれのことを聞いてくるのだろう。一緒の物がほしいのだろうか。男性が欲しがるものにしては、可愛らしく、彼にはあまり似合わないと思うが。
「マグカップか。同じものを買ってくる。店はどこだ?」
「え、あれ、最後の一つで……」
購入する時に店員が教えてくれたのだが、人気商品で、残り一つだったのだと。
「他に売っている店は?」
こんなに熱心に聞いてくるということは、やはり、彼も欲しかったのか。かわいいもの好きでも、何もおかしなことはない。
人を見た目で判断しては駄目だ。それは最近、日向で学んだことだ。
「たぶん、他のお店に行けば、あるかも……しれません」
「そういう店には詳しいか?」
「ま、まあ、一応」
休日にはそういうお店をよく回っている。様々な物を見るのはデザインの勉強にもなるからだ。
「明日は暇か?」
「ひ、暇です」
明日は部活もない。
「店はどこに近い? お前の家か?」
「い、いえ、駅の方が」
最寄りの駅名を伝えると彼は分かっているようだった。
「では、駅前に十時くらいでいいか?」
「え、あ、はい」
「では、明日」
「はい……」
プツリと通話が切れた。スマートフォンを耳から離し、声と共に息を吐き、ベッドに倒れ込む。
喋っていただけなのに、こんなに疲れるとは。怒られなかったのはよかったが、彼と一緒に買い物に行くことになるとは――。
「一緒に、買い物?」
頭に浮かんだ言葉を口に運ぶ。
「え、ええええ!?」
ベッドに手を付き、起き上がる。
あまり深く考えずに、返事をしていたが、一緒にということは、彼が隣にいる状態で買い物をするということで。
一緒にいるところを彼のファンに見られれば、後ろから刺されることもあり得るかもしれない。
日本代表でエースの彼だ。ファンクラブがあってもおかしくない。
いきなり、部屋のドアがノックされ、体を跳ねさせた。もう彼のファンがやってきて、刺されるのだろうかと、ベッドの上で構える。
「仁花?」
ドアを開け、入ってきたのは母だった。自分を見て、何をしているのかと首を傾げる。
「奇声が聞こえたから……ゴキブリでも出たの?」
構えるのをやめ、首を横に振る。
「べ、ベッドから落ちそうになって……! ゴキブリも出てないよ!」
「そう。夜なんだから、静かにしなさいよ」
「はーい」
ドアが閉められ、またベッドに倒れ込む。
どうしようかと悩んだ結果、約束したものは、しかたないと。明日は、彼の付き人として付いていけばいいだろう。
主人に使える召使いのように。王の下僕なら、ファンにも刺されることはないだろう。
「リストアップしとこ!」
備えあれば、憂いなしだ。パソコンに向かい、目的のマグカップを売っていそうな店の名前や場所を調べていった。
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