交換条件
1
普段、携帯が鳴ることはあまりない。
仕事関係で鳴ることはあるが、それは極たまにだ。ヒーローたちから連絡があることもあるが、トレーニング室で会うので、ないに等しい。
ヒーロー関係だと、通信機から連絡がくることがほとんどだからだ。
しかし、あの日から携帯を気にしていた。いつ連絡がくるのだろうかと。
そして、今日、ようやく携帯がなった。
キースはそわそわしつつ、目的の人物が来るであろう方を見つめる。すぐに気がつけるように。
服を返してもらうために、待ち合わせをした。その後、暇だということを確認し、前にした約束、料理を教えてもらうことに。
病み上がりで仕事に行ったようだが、また体調を崩していないだろうか。自分に会ってくれるということは、大丈夫というなによりの証なのかもしれないが。
見えたユーリの姿。走りよっていくと、こちらに気づいたようだ。
「お仕事、お疲れさま!」
「お疲れさまです」
頭を下げる彼を見る。顔の痕はなかった。普段は出ないと言っていたから、当たり前か。出ていたら、ここにはいないだろうから。何もおかしいところはなく、安心する。
「なにか?」
頭を上げた彼は、冷たくこちらを見返す。
「体調はどうかな?」
「いいですよ」
無表情で返される言葉。彼はあまり表情が変わらない。初対面の時に、無愛想かもしれないがと、先に謝ってきたことがあった。感情を表に出すことが、得意でないのだろう。
「それは、良かった」
「それより、服、ありがとうございました。洗濯しましたので」
差し出される袋。それを受け取る。
「ああ、ありがとう!そし」
「料理ですが、何を作るんですか?」
言葉を遮られ、落ち込む。
「あなたは暇ではないでしょう?」
ため息をつく彼。ヒーローは事件が起きれば、否応なく呼び出されてしまう。
ヒーローのことをよく分かっている彼だからこそ、そのことを心配してくれているのだろう。
「いや、何も考えてないんだ。買い物しながら、考えようと思って」
最近、外食ばかりで冷蔵庫には何もない。
「じゃあ、さっさと行きましょう」
そう言うと、ユーリは先に歩き出す。
自分もそれに続いた。
買い物を終え、家に着くと、ジョンが出迎えてくれる。
「ただいま!そして、ただいま!」
「お邪魔します」
ジョンは自分の方に来たが、一撫ですると、ユーリの方へと行ってしまう。
「元気でしたか?」
元気な返事。撫でられると、嬉しそうに尻尾を振っている。
少し感情がざわつく。
「羨ましい……」
口から溢れた言葉に、ユーリは怪訝な顔をする。
「な、なんでもないよ」
逃げるように、キッチンへと入る。荷物を置き、ジャケットと返してもらった服を置こうと、リビングに行くと、ユーリは上着を脱ぎ、リボンを解いていた。
あの日の彼を思い出す。
あの時は、ずっと髪を下ろしていた。それは、顔を隠すためだったけれど。肩に流れる銀髪が綺麗だ。
上着をソファーにかけ、髪を結わえると、彼は振り向いた。
「さあ、作りましょうか」
「よろしく!そして、よろしくおねがいします!」
深々と頭を下げた。
彼が教えてくれたのは、パエリアだった。
海鮮をふんだんに使い、作ったそれは、とてもいい匂いを漂わせている。
「いただきます!そして、いただきます!」
「……いただきます」
目の前に座る彼は、少し疲れたような顔をしていた。
作っている最中に、彼を何回、怒らせただろうか。その度に謝ったが、謝る暇があるなら、手を動かし、人の話を聞けと、また怒られた。
苦笑いを浮かべながら、一口、食べる。
「おいしい!」
「あたり前でしょう。そうなるように作っています」
ユーリが教えてくれたのだ。まずいはずかない。あの時のスープだっておいしかった。
「しかし、料理というのは疲れるものなんだね」
手の込んだ料理は作らない。食べたい時は、外食すればいいし、なにより一人だ。体に気をつけて、自分が食べたいものを食べればいい。
そうなると、作るものも、食べるものも、一定になってくる。
「手際が悪いからでしょう。塩と砂糖を間違えるなんて、ベタなことをするとは、思いませんでした」
間違えた時から、塩と砂糖は別々の場所に置いた。甘いパエリアができあがるところだった。彼が、調整してくれたため、普通のものができたが。
「ハハ……すま」
「謝らないでください。もう聞き飽きました」
そう言って、彼はパエリアを一口、食べる。
目の前に彼がいることが、どうしようもなく、嬉しい。家で誰かと食べるのは、あの時が初めてだった。彼がいるこの光景をずっと、望んでいた。
だから、最近は外食ばかりだった。家で食べれば、寂しさに押し潰されてしまいそうだったから。
「次、教えてくれるのは、いつだい?」
これで、終わらすつもりはない。
約束を取りつければ、彼と食事ができる。一人ではなくなる。
「また連絡します」
彼は無表情でそう答えた。
ユーリとの約束は毎日とはいかないが、結構な頻度で会っていた。
彼も忙しい身なので、断られることもある。自分も仕事で都合がつかないこともあった。
料理を作っている途中で、呼び出しということもあり、その時は、ユーリが完成させ、料理とメモだけが残されていた。
彼はいつも、帰ってしまっている。事件も、解決まで、どれほど時間がかかるか分からないので、正しい判断だと言える。
もしかしたら、自分といるのは不本意なことなのかもしれないという不安はある。それを聞いてはいけない立場だ。
しかし、一人で食べるのは、寂しい。彼と食べることが楽しみなのだ。せっかく作ってくれた料理なので、食べるけれども。
おいしいけれど、彼と一緒に食べる時よりは、味は落ちている。
気休めに、彼が残したメモを眺めるが、やはり彼自身がいいと思ってしまう。
メモには、綺麗な字で料理のレシピと共に、お疲れさまという一言が残されていた。
ユーリから言ってもらいたい。あわよくば、彼が家にいて、おかえりと迎えてくれればいい。そんなわがままは、口が裂けても言えないけれど。
今でも無理矢理、付き合わせていることは理解している。
彼から、おかえりなさいと言われた時、どれだけ嬉しかったか。その一言が、自分がどれだけ求めていたのかも、思い知らされた。
だが、約束も自分から誘わなければ、彼が言ってくることもない。
ましてや、彼からそのこと以外で連絡が来ることもない。
交換条件で成り立ったこの関係。彼と自分の間には、まだ壁があった。
それがなければ、もっといい関係を築けたのだろうか。
ユーリにメールを送ってみた。
今日、折紙サイクロンがおやつに、みたらし団子というものをくれたのだ。
タレがとても甘く、おいしかった。彼にも食べさせたいと思い、実物は送られないけれど、せめてもと、写真を送った。
彼は甘いものは、好きな方だと言っていた。
少し期待したが、やはり返信は来なかった。分かりきっていたことだ。仕事中に携帯など彼は見ないだろう。
しかし、後日、彼が食事中に珍しく、提案してきたのだ。
「今度は和食にしましょうか」
驚いた。彼は何を作りたいかは聞いてくるが、自分から言うことはない。
呆けていると、呆れたようにユーリは言う。
「あなたが、前に和菓子の写真を送ってきたからですよ。和食ならヘルシーですし、私も少しは……」
見ていてくれていたのだと、喜んだ。
返信がなかったのは、その必要性が感じられなかったと言われた。
それでも、良かった。無視されている訳でもないということが、分かっただけで。
折紙サイクロンに、どんな和食があるか、その材料が手に入るお店を聞かなければ。
そう言うと、折紙サイクロンから聞いた料理を二人で作ることになった。
2
トレーニング室で折紙サイクロンを捕まえる。
「家で作れる和食、ですか?」
「ああ!それと、材料が手に入るお店を教えてほしい!」
そう言うと、彼は喜びながら、色々と教えてくれた。天ぷらに蕎麦、うどんに魚の煮付け、肉じゃがなど様々。携帯で写真も見せてくれた。どれもおいしそうだ。
「スシは?」
スシは和食でも人気が高い。何回か食べに行ったこともあるが、店はいつも賑わっていた。
「作れますが、材料が……」
どうやら、手に入れにくいものらしい。お店があるのだ。機会があれば、ユーリと食べに行けばいい。
「あ、でも、今さっきあげた料理の材料は、大きいスーパーに行けば手に入りますよ!」
とりあえず料理を選び、レシピを書いてもらい、折紙サイクロンにお礼を言った。
ユーリにレシピを渡す。
「海老の天ぷら蕎麦ですか」
選んだのが、蕎麦だったのだが、トッピングに天ぷらをのせることもあると教えてもらった。
豪華な方がいいと、天ぷらのレシピも追加でもらったのだ。何をのせるかオススメを折紙サイクロンに聞いたところ、海老をすすめられたので、海老の天ぷらになった。
「写真もあるんだ」
携帯に送ってもらった写真を見せる。
「おいしそうですね」
反応がよく、安心する。油物でカロリーが高いと言われると思ったが、そんなことはなく。
「それほど、気にしなくていいと思いますよ。あなたはそれ以上のカロリーを消費してると思いますし」
しかし、明日はヘルシーな料理を食べろと忠告されてしまった。
海老を油に入れようとしたところ、油が弾けた。
「熱い!そして、熱い!」
飛んできた油にたじろぐ。
「大丈夫ですか」
彼の言葉に大丈夫と返すが、また油が飛んできた。今度は顔に。
彼は鍋の火を止め、名を呼ぶ。
なにかと顔を向ければ、顔が近づいてきた。
至近距離で見る彼に鼓動が早くなる。よく見れば、彼の目は綺麗な碧。
「……大丈夫ですね。私がやりますから、あなたはこちらを」
顔を離すと、引っ張られ、横に退かされる。手に持っていた物も奪われてしまった。
「分量を間違えないでくださいね。あと、あまり煮詰めないでください」
そう言うと、彼はまた火を付け、海老を油の中に投入させた。
「……っ」
油が飛んだのか、彼は顔をしかめ、右手を胸へと寄せる。
「ユーリ、見せて」
「別にたいしたことは……」
手を掴み、目の前に持ってくる。手の甲に少し、赤くなっているところがあった。彼の白い肌では目立ってしまう。
そのまま、手の甲に唇を押し当てた。
「ちょ、ちょっと……!」
離れていった手には、しっかりと赤いキスマークが付いていた。
「なにするんですか!」
手の甲を見て、わなわなとふるえる彼。
「目立たないようにと思って」
笑ってそう言うと、ユーリは言葉を詰まらし、呆れ返ってしまった。
「逆に目立ちますよ……」
目立てばいい。それを見るたびに自分を思い出してくれれば。それが数日だけだとしても。
「海老が……!」
ユーリは慌てて、海老を油の中から取り出した。それをキッチンペーパーへと置く。
焦げてはいないようだ。写真のようにはならなかったが、充分おいしそうだ。
「ダシを早く作ってください!」
今は料理中だ。
「そうだった!」
掴んだ醤油を分量を計らず、そのまま入れ、またユーリに怒られてしまった。
最後は慌ただしかったが、無事に海老の天ぷら蕎麦ができた。
食べる前に、彼に箸の使い方を教えてもらう。スシを食べに行った時は、まともに箸を使えず、フォークで食べていた。
ユーリは何度か和食を食べる機会があり、その時に覚えたらしい。
「えーと」
「だから、そちらの指をそえて……」
向かい側に座っていた彼は、痺れを切らしたのか、箸を置くと立ち上がり、横に立つと、直接、手の形を作ってくれた。
「こうです」
動かしても、交差しない。彼が持っていた形だ。
「ありがとう!そして、ありがとう!」
「蕎麦がのびますから」
ため息をついて、席に戻っていく。
ようやくいただいた海老の天ぷら蕎麦はとてもおいしく。
「おいしいよ!ユーリ」
笑顔で言えば、睨み付けられ、肩をすくませる。前にも見たような光景。
「絆創膏、ありますよね?」
「なぜ?」
右の手の甲を見せられる。赤いアザ。
「隠さなくてもいいとおもうけど」
言わなければ、キスマークだとは分からない。
「勘ぐられても面倒です」
蕎麦を食べ終わった後に、救急箱を出し、彼の右手に絆創膏をはった。
その痕も少ししか彼に残らないなら、寂しいと思った。
彼の隠されている顔の痕は、ずっと彼を苦しませているのに。
執務室に部下がやってくると、お願いしますと、書類を渡される。
ユーリは書類を確認し、判を押す。
「右手、どうされたのですか?」
絆創膏を指され、顔が強ばっていく。
あの時のことが、嫌でも思い出される。
「紙で、切っただけです」
男にキスマークを付けられたなど、口が裂けても言えない。
「ああ、痛いですよね」
書類を渡すと、部下は笑顔で受け取り、頭を下げた。
「ありがとうございます。失礼します」
足早に部屋を出ていく。扉が閉められ、部屋が静かになる。
手を重ね、その上に額を置き、項垂れる。
なぜ、彼があんなことをしてきたのか。スキンシップは普通のことだろうが、これはどう考えても、過ぎている。
目立たないようにと言っていたが、火傷など料理していれば。
顔を上げた。
「火傷……」
もしかしたら、彼は顔の痕を見てしまったから、過剰反応しているのかもしれない。
そういえば、彼から痕については、あれから聞かれていない。
普通なら、気味悪がり離れていくだろうに、逆に寄ってきた。
それをちらつかせ、何かをしてくるかと思ったが、彼が求めてきたのは、料理教室。それも仕事が忙しいと断れば、無理強いしてくることはない。
それが、逆になにか裏があるのではないかと勘ぐってしまう。
まだ、仕事に関しては何も影響は出ていない。本当はヒーローにプライベートで会うのは、立場を考えて、問題があるとは思うが、公私混同はしていない。
バレてしまえば、批判がくることは間違いないが。
ズルズルとこの関係を続けていいものかと、思い悩む。
彼はヒーローで。自分は犯罪者、ルナティックだ。
こんな近くに捕まえたい人物がいるとは、夢にも思っていないだろう。
離れなければ。正体に気がつかれる前に。
右手の絆創膏に爪を立てた。
トレーニング室に行くと、ファイヤーエンブレムが目の前で仁王立ちしてきた。
「スカイハイ、料理を教えてもらってるんですって?」
なぜ、知っているのだろう。
「折紙に聞いたの」
にっこり笑って答えられる。
顔が近づいてきた。なにか聞きたそうな目。離れようとする前に肩を掴まれる。
「な、なんだい?」
「白状なさい!教えてもらってるのは女でしょ!」
首をかしげた。
「いや、違う……」
「嘘おっしゃい!あんたが、トレーニングを切り上げてまで帰る相手だもの……!あの時もデートの約束でもしてたんでしょ!」
一人盛り上がるファイヤーエンブレムにおいてけぼりをくらいつつ、揺さぶられる。
「ち、違う!ただの友達だし、彼は……」
そう言うと、ファイヤーエンブレムは揺さぶるのを止めた。
「彼?本当に女じゃないの?」
何度も首を立てに振ったが、肩は掴まれたまま。
「じゃ、その彼は本当に友達なの?」
「……そうだよ」
違う意味で聞かれたのだろう。彼には性別は関係ないのだから。
しかし、相手は友達とも思っていないかもしれない。こちらから強要した関係だ。自分は友達だと思っていても、一方的なものなのだろう。
それ以上など、ないのだ。
「そ、そんな悲しそうな顔をしないでちょうだい」
肩から手が離れていき、ファイヤーエンブレムを見れば、困っていた。
「すまない。彼は友達だよ、ただのね」
ただ、という言葉を強調し、笑顔を浮かべる。
「そう……最近、楽しそうだったから、もしかしてと思ったんだけど」
「楽しそうだったかい?」
「ええ、ソワソワしているもの。妙に携帯も気にしているし」
言われてみれば、携帯を見る機会が増えたかもしれない。彼からの連絡が来ない限り、彼には会えない。同じ場所にいるが、彼に会うことがなかった。避けられているのかもしれないが。
「喧嘩でもしてるの?」
「いいや。でも、よく怒られてるよ」
「関係がうまくいってないなら、プレゼントでも贈ってみたら?」
「プレゼント……」
彼には迷惑をかけているが、何もしていない。料理の材料費を払っているくらいだ。
「そうだね!そうしてみるよ!」
そうは言ったものの。
「なにを贈れば、いいのだろう?」
ファイヤーエンブレムはそれくらい自分で考えろと呆れていた。
料理を食べ終えた後、ユーリにプレゼントをした。
誕生日でしたかと言う彼に、首を横に振る。誕生日なんて教えてもらっていない。
迷惑をかけているので、お礼だと言うと、突き返されそうになる。
「大層なことはしていません」
「いや、でも……」
「迷惑とも思っていませんから」
その言葉に顔がほころぶ。お世辞で言われているのかもしれないが、言われると嬉しいものだ。
「いきなり、ニヤニヤしてどうしたんですか」
彼は顔をしかめた。
「い、いや。でも、ユーリにはお世話になっているし、せっかく君の為に蜂蜜を……」
好きだと聞いたから、わざわざ買ってきたのだ。
その言葉に、ユーリの行動が止まった。
「蜂蜜なんですか?」
「ああ」
ユーリは袋から蜂蜜を取り出し、見つめる。
「これ、最高級の……!」
食い入るよう見つめる姿は、少し興奮しているように見えた。
珍しい姿を焼き付けようと、彼を見ていると、こちらに気づき、恥ずかしそうに咳払い。
「でも、受け取れません」
妙なところで彼は頑固だ。折れてくれれば、万事解決なのに。
「私は、どうしても受け取ってほしい。どうしてもだ」
繰り返される押し問答。
それを終わらせたのは、彼の提案。
「では、これを使ったお菓子でも作りましょう」
笑顔で頷く。蜂蜜も勿体なくない。これでまた、彼に会えるのだ。
二人とも休日の日に集まり、作ったのは、パウンドケーキ。
しかし、作ったのはいいが、結構な量が残ってしまった。蜂蜜を無理矢理、使いきろうとして、作った量は二人分にしては多かった。
彼にも自分にも食べれる量には限界がある。
「皆に分けてもいいかい?」
文句なしにおいしいこれを皆に分けてあげたかった。
「ヒーローの皆さんにですか?」
「ああ!」
彼は何か考えていたが、頷いた。
「お粗末なものですが、どうぞ」
彼も家族にと、少量、持って帰っていた。
「まあ、お菓子?」
紅茶と共に出すと、顔をほころばせる母親。
「友達と一緒に作ったんだ」
「そうなの。パパを呼んできてちょうだい、ユーリ。一緒に食べましょう」
横の席を見ながら、笑顔の母。
「パパは……後で食べるって」
言いたい言葉を飲み込んだ。
この家には、自分と母しかいないのに。
「そうなの?じゃあ、先に食べちゃうわね」
ケーキを食べながら、幸せそうな母。胸の奥が痛む。
幻と戯れている時だけ母は幸せなのだ。父がいて、幼い自分がいる。母の中では、自分はまだ学校に通っている。とっくの昔に卒業し、社会人になっているのに。
現実を見せれば、浴びせてくるのは、罵声と畏怖。
母を壊したのは、自分だ。
「お友達、家に連れてきてね。ユーリの学校の様子を聞くんだから」
「……うん」
そして、自分はあの頃から、変われずにいるのだ。
「おいしい!」
「うめえな!」
休憩室で、テーブルを囲み、ヒーロー達は、スカイハイが持ってきたパウンドケーキを食べていた。
絶賛の嵐にスカイハイは笑顔だ。
「あれ、バーナビーさん、食べないの?」
バーナビーはパウンドケーキを見たままだ。その表情が少し悲しそうなのは気のせいだろうか。
「誕生日に知り合いが、パウンドケーキを作って贈ってくれるんです。それを思い出して」
一口食べ、笑顔になる。
「おいしいです」
「本当に、スカイハイが作ったのかー?」
ワイルドタイガーにつっこまれ、肩をすくませる。
「友達に手伝ってもらってね」
自分一人では、こんなにおいしいものを作れなかっただろう。
「ね、ね、他にもお菓子作ったの?」
ドラゴンキッドが、目を輝かせて聞いてくる。
「これが始めてだよ。そうだね、色々、お菓子も作ってみよう」
「その時は、持ってきてよ!」
「ドラゴンキッド、そういうものは催促するものじゃないわよ」
ブルーローズに戒められ、肩を落とすドラゴンキッド。
「作る時は、みんなの分も作ることにするよ」
「本当!?ありがとう、スカイハイさん!」
その眩しいくらいの笑顔は彼に向けてほしいものだ。感謝の言葉と共に。
後はどんな料理を作っているのかと、パウンドケーキを片手に皆と談笑した。
ユーリと買い物をしながら、パウンドケーキは皆に好評だったことを伝えると、彼は心なしか嬉しそうに見えた。
「これからは、お菓子も作ってみたい」
「では、簡単なクッキーぐらいでも」
どんなクッキーが好きか話しながら、買い物を続けた。
この関係がずっと続くと思っていた。
平和が永遠には続かないように。
終わりは突然やってくるのだ。
前作
← →
次へ