かぜがよんできたかぜ

1

体が重い。
引きずるように体を動かし、裏路地に入った。
触る肌が熱い。体温が上がっている。無理に仕事に出てくるべきではなかった。
食欲がないのはいつものことで、顔色が悪いのはいつものことだ。体がだるいのは、仕事のし過ぎだと思っていた。
視界が揺れる。
立っているのが、辛い。
壁に寄りかかると、頬に触れる、壁の冷たさが気持ちがいい。
「大丈夫ですか?」
後ろから声をかけられ、心臓がはねる。振り返ろうとしたが、体温が上がっているせいで、火傷の痕が浮かびあがっているはずだ。振り向けない。
声をかけてきたのは男性とは分かる。
「大丈夫、です……」
言葉を発するのも、煩わしい。
そのまま、離れようとすると、肩に手を置かれる。
「ふらついてますし、休んだ方が……」
「放っておいてください……!」
心配しているのは分かるが、今はありがた迷惑だ。
その手を振り払い、歩き出そうとするが、ふらつき、膝から崩れ落ちる。
地に着く寸前に、体に腕が回り、支えられた。
「管理官!」
なぜ、それを。
どこかで、この声を聞いたことがあるような気がする。記憶をたぐり寄せようにも、回らない頭。
「誰ですか……?」
「スカイハイ、そしてキース・グッドマンだ」
なぜ、キング・オブ・ヒーローがこんな所にいるのだ。
考えようにも無意味。それより、彼から逃げる方が先決だ。腕を押し退け、歩き出す。この痕は誰にも見られたくはない。
しかし、数歩で膝をついてしまった。思い通りに体が動かない。
「くっ……」
「無理しないで!」
前に来たスカイハイに顔を見られないように、うつむく。
「病院に行こう!」
立ち上がらせようとするスカイハイの腕を掴む。
「病院、だけは……!」
他人に見られるのは、それだけは避けなければ。
「なぜ?」
ずっと、うつむいているからだろうか、覗き込もうとしてくる。
「だ……」
「大丈夫ではないだろう?」
頬に触れられ、顔を上げられた。
「……っ!」
「それは……!?」
手を振り払い、とっさに隠したが、遅い。
「あ……あ……」
隙間から見える、驚いた表情。

見られてしまった。この醜い顔を。

「見ないで……見ないでくれ……!」
素に戻ってしまうほど、取り乱す。想定されていなかった事態に頭が混乱する。
もう限界だ。視界も霞み、体が倒れていく。
温かいものに包まれる。久しぶりの感覚に瞼を閉じた。
暗闇に優しかった父と母の笑顔が見えた。

その姿に見覚えがあった。
グレーのスーツに、波打つプラチナブランドを結わえる黒いリボン。
少しふらついているのが気になり、見ていると裏路地に入っていった。
壁に寄りかかり、動かないのを不審に思い、声をかけた。
しかし、彼はこちらを向かず、逃げようとする。
声を聞いて、ようやく顔と名前を思い出した。
ユーリ・ペトロフ管理官だ。あまり会う機会はないが、賠償金絡みでワイルドタイガーは、よくお世話になっていたはずだ。
交流といえば、パーティーで挨拶を。事件の関係で少し言葉を交わす程度だ。
あまり親しいとは言えないが、様子がおかしい彼を放っておけない。体が倒れそうになるのを、支えるが、それすら嫌がられてしまう。
膝から崩れ落ちる彼の前に行き、病院に行こうとすすめるが、それは拒否された。
ずっとうつむいているのが気になり、顔を見ようとするが、髪が邪魔で見えない。
怪我でもしているのかと、頬に手を添え、顔がよく見えるようにこちらに向けた。
触った頬の熱さも、飛んでいきそうなくらい驚いた。
右半分を覆うように変色した肌。それは、手形の形をしていた。
記憶の中の彼には、こんな痕はなかった。綺麗な白い肌をしていたはずだ。今、付いたとは考えにくい。それはどう見ても、時間が経っている。
目を見開き、手や腕で痕を隠す。見ないでくれと懇願する声色で叫ぶと、彼の体が倒れていく。
それを受け止め、呼びかけたが、返答はなく。
密着する体は熱かった。
苦しそうに息をする彼を休ませようと、抱きかかえ、能力を発動させた。

目をゆっくりと開けた。
見たことがない天井。
「こ……こは……」
体は重く、酷く暑い。
見知らぬ部屋に寝ている。周りを見るためにも、起き上がろうとしたが、力が入らない。
時間をかけて起き上がると、額のタオルが落ちた。それを持つと、温くなっていた。
誰かが看病してくれていたのだろう。考えられるのは一人。部屋を見渡すが、その人物はいない。
カーテンを閉めているため、部屋は薄暗い。
大きなベッドに、質素な家具だけ。いったいここはどこなのだろうか。
自分の服装はスーツだったはずだが、今は寝間着のような格好になっている。少しサイズは大きいようだ。スーツはハンガーにかけて、壁にかけてあった。
スタンドに置かれている鞄と携帯。タオルをそこに置き、携帯を手に取る。
仕事は、この状態ではできそうにもない。仕事場に戻ることもままならないのだから。
携帯から上司へと、連絡する。
今日は、熱のために早退することと、大事をとって明日も休むことを謝罪と共に伝える。
上司は驚いていたが、心配され、よく休むように言われた。
最近は、残業に休日出勤が続いていた為か、過度な労働を強いてしまったという負い目を感じたのかもしれない。
携帯を閉じると、扉の方から何かをこする音が聞こえてきた。
向こうに何かいる。
扉を見つめていたが、開く気配はない。
やまない音がとても気になり、ふらつく足で近づいていく。気配を探るが、悪意は感じられない。
ゆっくりと扉を開くと、何かに飛びかかられ、後ろへと倒れ込む。
「!」
「ワン!」
飛びかかってきたのは犬だった。大きいゴールデンレトリバー。興味津々にこちらを見つめている。
その時、違う扉が開く音がした。その足音は、慌てているようだ。何かにぶつかる音もした。
こちらに向かって走ってくる。
近くの扉が開いた音のすぐ後に、半開きになっていた扉が凄い勢いで、開いた。
「ジョン!」
スカイハイが肩で息をしつつ、部屋に入ってきた。彼は犬を見ると、抱きかかえる。
「入ってはいけないと言ったのに……!」
ジョンとは犬のことらしい。ジョンは、下ろせと言わんばかりに吠えていたが、部屋の外へと出された。
「管理官、大丈夫かい?」
扉を閉めると、倒れている自分を起こしてくれる。扉越しから、抗議の声と音が聞こえていた。
「あ、あの……怒らないで、あげてください」
扉を開けて部屋に入れたのは、自分だ。そう説明すると、スカイハイは首を横に振る。
「飛びかかれたのだろう?怪我は?」
軽く背中を打っただけで、怪我はない。
そう返答すると、スカイハイは胸を撫で下ろす。
「よかった。ジョンは客人が嬉しいんだよ。なんせ、初めてだからね」
「え?」
耳を疑う。彼はキング・オブ・ヒーローであり、仲間からの信頼もあついと聞いている。友人も多いだろうに。
「私が、初めての客人?」
「ああ、そうだよ。家に呼ぶほど親しい人はいないんだ」
女性の一人や二人、連れ込んでいても不思議ではないが、それすらないとは。彼が本当のことを言っているとは限らないが。
「他のヒーロー達は?」
「皆とは飲みに行ったり、食事に行くぐらいだよ。まあ、ライバルでもあるからね」
そう話すスカイハイは、背中と膝裏に手を回すと、軽々しく持ち上げ、ベッドまで運ばれる。
「ありがとう、ございます」
「いや、一人にして、すまないね。事件があって」
笑いつつ、窓の方に行き、カーテンを開ける。薄暗かった部屋が、明るくなる。少し眩しく、手で光を遮った。
「ここは、あなたの家?」
「ああ、君が病院は嫌だと言ったからね」
意識を失う前のことを思い出す。
上げていた手で顔を覆う。
「まだ……出ていますか?」
こちらを向いたスカイハイは、困ったような顔で頷く。
状況を把握しようと、自分のことをおろそかにしていた。
もう見られてしまったため、隠しても意味はないが、見たいものではないだろう。
「看病と運んでくれたことには、礼を言います。あの、顔のことはご内密に」
彼は何か考え込んでしまう。が、すぐにこちらを向いた。
「分かった。けど、条件がある」
向けられる笑顔が怖い。何を要求してくるのだろう。ヒーロー管理官の立場上、ヒーロー達には公平でなければならない。

「……は?」
出された条件に、すぐに言葉が出てこず、ようやく出た言葉がこれだ。
「そうしてくれるなら、秘密にするよ」
「分かりました」
どんなことでも、こちらは首を横には振れないのだから。
「ありがとう、そして、ありがとう!」
礼を言うのは間違いだと思う。そんなことでいいのなら、こちらが礼を言いたい程だ。
彼が、何を考えているのか分からない。
しかし、この顔のことを秘密にしてくれるなら、なんでもよかった。

ベッドに横にされ、また水で濡らしたタオルを額に当てられ、彼はご飯を作ってくるよと、部屋を出ていった。
少しの間だが、彼が戻ってくるまで、眠ることにした。

扉が開く音で、目を覚ました。
近くに来た、スカイハイが顔を覗き込んできた。
「食欲はないだろうが、食べた方がいい」
すぐ近くにあった棚に、持っている食器を置くと、起き上がらせてくれる。
「ありがとうご……」
食事を受け取ろうと、手を出したが、なぜかスカイハイが持っていた。
「あ……の……?」
「火傷したら大変だ」
スプーンで中のものをすくうと、息を吹きかけ、冷ましたものを口の前へと持ってくる。
「食べないといけないよ、管理官」
さあ、口を開けてと言う。
「自分で、それくらい」
「条件を忘れたわけではないだろう?」
下ろした手でシーツを握りしめる。
スカイハイが出してきた条件の一つ。
それは、ここでスカイハイに看病させること。これも、その一環だと言いたいのだろう。了承したのは自分だ。拒否はできない。
「さあ!」
大人になってから、こんな扱いを受けることになるとは。
目を閉じて、口を開けた。

薬を飲み、一息つく。
もう陽は傾いていた。
食器を持ち、スカイハイは部屋を出ていく。
最後まで、彼は自分で食べさせてはくれなかった。妙な疲労感を感じる。
いきなり、手に柔らかいものが当たり、驚いて視線をそちらに向けると、ジョンがいた。
「ジョン」
名を呼ぶと、嬉しそうに鳴いた。撫でてやると、気持ちよさそうだった。
部屋に入ったことに気づいたのか、すぐにスカイハイが戻ってきた。
「ジョン、この人は病人なんだ。無理をさせてはいけないよ」
また、ジョンは抱えられ、暴れていた。
「元気になったら、遊んでもらおう」
スカイハイが諭すようにそう言うと、諦めたのか大人しくなった。
ジョンを部屋の外へと出すと、スカイハイが戻ってくる。
「ジョンは君が好きみたいだね」
困ったように笑いつつ、側にある椅子に座る。
「気分はどうだい?」
「だいぶ、良くなっていますよ」
少し頭が重いけれども。
倒れた時よりはマシにはなっている。
「あの……それのことを聞いてもいいかい?」
それとは、火傷の痕のことか。
「嫌ならいいんだ」
顔に出ていたのだろうか、彼は謝る。
しかし、こちらを見る目は、それを諦めていない。
「……どうぞ」
あまり言いたくはないが、当たり障りないところまでは、答えられる。
スカイハイは礼を二回繰り返すと、真剣な目。
「それは、普段出ていないけれど……熱が出れば、出てしまうのかい?」
「体温が上がれば……。普通にしていれば出ません。普段から努めていますし」
普通の生活で、これが出るのは、入浴時ぐらいだ。
「それを知っているのは、私だけ?」
「身内以外は知りませんよ」
他人には見られないようにしていたのだ。
あの事件直後、火傷の痕を見る他人の目は忘れられない。
同情や汚らわしいというあの視線。目は口より物を言うのだ。
自分で見ても、醜いと思うのだから、仕方ないと割り切るしかない。
スカイハイの視線からはそういうものはない。逆にそのことには戸惑いを感じてしまう。現に彼はなぜか嬉しそうで。
「……知らないのか」
「?」
聞こえてきた言葉を不思議に思っていると、彼はなんでもないと笑う。
「教えてくれて、ありがとう。もう横になるかい?」
まだ、眠気は来ない。首を横に振る。
「そういえば、今日の事件で……」
そこからは他愛もない話が始まった。
楽しそうに喋る彼は、水を得た魚のようだった。

時計を見たスカイハイは話を切り上げ、突然、立ち上がった。
「すまない、パトロールに行ってくるよ。その間、一人になってしまうけど……」
申し訳なさそうな表情をしている。
「パトロール?」
「日課なんだ。今日は早めに終わらせるよ」
「それは、仕事ですか?」
「いや、私が勝手にしていることだ。本当にすまない、行ってくる!」
慌ただしく部屋を出ていく。隣からは、色々な音が聞こえた。玄関の方から扉が閉まる音がした。
初めて知った。スカイハイが町のパトロールをしているなど。しかも、彼の善意で。
努力を惜しまず、市民を守りたいという気持ちは本物だ。
彼がキング・オブ・ヒーローに輝くのも当然か。
しかし、一日中ヒーローで疲れはしないのだろうか。
それすらも、当たり前のこととして、受け止めているのだろうか。
キース・グッドマンとしての彼は、どこにいるのだろう。

意識だけ、覚ました。
部屋に水音が響く。
濡れた手が右頬を触る。手の冷たさが心地いいが、火傷の痕を触られていると思うと、振り払いたかった。
手が離れていき、水音。
また、濡れた手が右頬に。
もしかして、冷やしているのか。そんなことをしても意味がないのだが。
しかし、それを言おうにも口は開かず、そのまま睡魔に負けた。



2

目を覚ますと、鳥の鳴き声。カーテンの隙間から、光が射している。
朝らしい。
額にあるタオルを取り、起き上がると、体はだるい。肌を触ると、まだ熱く、熱はひいていないようだ。
タオルをスタンドに置き、辺りを見回しても、看病していたはずの人物がいない。
ふらつきながらも、部屋に出ていく。
ソファーに人が。近づいて見ると、スカイハイが寝ていた。ソファーの傍でジョンも寝ている。
毛布が床に落ちて、彼はなにもかぶっていない。
寝床は自分が奪ってしまっているのだ。ここで寝るしかない。
申し訳ないと思いつつ、毛布を拾い、彼にかける。
部屋に戻ろうとしたところ、腕が掴まれた。
体ごと振り向くと、スカイハイがこちらを見ていた。起こしてしまったようだ。
じっと見つめたまま、動かない。寝ぼけているのか。
「……ユーリ」
名を呼ばれ、驚く。彼は、ずっと管理官と呼んでいたはずだ。
「……起こしてすみません。あと、ベッドも独占してしまって」
彼はヒーロー業や自分の看病で疲れているだろうに。
「気にしないで。まだ、熱は下がっていないようだね」
その言葉で気づき、うつむく。まだ痕は出ているらしい。
「隠さなくていいよ」
覗きこんでくる彼は、笑っていた。
「見たいものではないでしょう」
こんな顔を。
「いいや」
手が伸びてくる。
「私は君の顔を見たい」
その手を叩き落とし、腕を掴んでいた手も振り払った。
「ふざけないで……」
部屋に戻ろうと歩き出すと、足がもつれる。
「ユーリ!」
受け身も取れず、そのまま倒れこんでしまった。
スカイハイと起きたジョンが寄ってくる。
「だ、大丈夫かい?」
「大丈夫、です」
スカイハイの手を借りて、起き上がると、抱き抱えられた。軽々しく。体重もそれなりにあるはずだが。
「まだ寝ていた方がいい。今日は、休みかい?」
頷くと、彼は嬉しそうだった。
「じゃあ、今日も看病しなくてはね!」
なぜ、嬉しそうなのか分からない。普通なら、迷惑だと思うはずだ。
「夜には帰らせてもらいますよ。明日は、熱があろうと仕事に出なくてはなりません」
母の様子も気になる。これ以上、仕事を休めば、ヒーロー達にも迷惑がかかるかもしれない。いや、もうすでにかかってはいるが。
「分かった。それまでには、なにがなんでも治さないとね」
そう言うと、部屋へと歩き出す。下ろすように言ったが、駄目だと一蹴された。肩を貸してくれるだけでいいのだが。
ベッドにまで戻され、タオルと水を交換しようと回収するスカイハイ。
「あの、スカイハイ」
呼ぶと、少し不機嫌な顔でこちらを見てきた。やはり、迷惑をかけてしまっているのか。
「名前を呼んでほしい」
言葉が理解ができずに首を傾げる。
「私たちは、友達だろう?」
理解した。
それは、条件の二つ目。スカイハイと友達になるということだ。なぜ、彼がそのことを条件に出してきたかよく分からない。
「だから、名前を呼んでいたのですか?」
今度はスカイハイが首を傾げた。
「……呼んでいたかい?」
どうらや、無自覚だったようだ。
「あ……嫌だったかい?」
落ち込む彼。
「いいえ」
名前一つでどうこう言うことはない。
「そう、ならば!」
とたんに笑顔になって、こちらを見ている。
呼べということか。
「キースさん」
笑顔がなくなる。呼び方に少し不満そうだ。呼び捨てはどうかと思ったのが、逆だったようだ。
「……キース」
抵抗があるものの、呼ぶと、キースに笑顔が戻る。彼を眺めていると、無邪気な子供のようだと思う。
名前だけでこれだけ喜ぶなど。
「なんだい?ユーリ」
「呼んだだけですから」
身内以外に名前を呼ばれるなど、久しぶりだ。
キースは、水とタオルを持って、朝食を作ってくると、部屋を出ていった。

着替えもし、朝食を食べ終え、薬も飲んだ。
しかし、寝ようにも、まだ睡魔は襲ってこない。
副作用で眠たくはなってくるだろうが、今は暇でしょうがない。
キースは付きっきりで看病をしようとしていたが、ジョンが散歩に行きたがっていた為、散歩に行っている。
妙に心配していたが、こちらも寝ているだけなので、行ってこいと勧めた。
子供ではないのだ。しかも、昨日よりは熱は下がっている。急に体調が悪化するということはないはずだ。
そういえば、体温計はないのだろうか。戻ってきたら聞かなければ。
鍵が開く音がした。この部屋は静かなので、音がすればよく聞こえる。散歩から帰ってきたのだろう。
起き上がると、同時に部屋の扉が開いた。
「おかえりなさい」
彼は言葉に詰まって固まっていたが、満面の笑みを見せる。
「ただいま、そして、ただいま!」
近づいてくると、手を取られ、強く握られる。
「おかえりなさいと言われるのは、何年ぶりだろう!」
キースの声が上ずっていた。
「ジョンが応えてくれていたが、やはり人の方がいいね!もう一回、言ってくれないかい?お願いだ、そして、お願いします!」
「お……おかえりなさい……」
握る手の方が熱いとはどういうことだ。興奮しているのがありありとわかる。
「だだいま、ユーリ!」
大きな声に、顔をしかめる。嬉しいのはわかるが、もう少し声量を抑えてほしい。
握られている手を見つめると、彼は気づいたようだ。
「あ」
手を離すと、謝られる。
「あの、ユーリ、横になっていた方が」
それには首を横に振ると、キースはベッドの近くの椅子に座る。
「キース、体温計はないのですか?」
「すまない、壊れていてね」
散歩ついでに買ってくればよかったと言う。
「まあ、だいぶ下がっているので」
そう言うと、いきなり、髪をかき上げられ、顔が迫ってきた。避けられず、額がぶつかる。目をつぶる彼の顔が至近距離にあり、目をうろつかせてしまう。
「本当だ。昨日よりは下がっているようだね」
笑顔で離れていく。
「昨日といえば、夜に冷やしてましたよね?」
痕に触れると、キースは理解したようだ。
「それがあると、君が顔を隠してしまうから、気休めにね」
現に今、髪で右半分は隠れるようにしている。それでも、全てを隠せているわけではない。
隠さなくていいと言うが、人に見せびらかしても、良いものではないし、自分にとっては見てほしくないものである。
「私は君の顔を見たいんだ。痕があろうが、なかろうが」
手が頬に添えられ、キースの方へと顔が向けられる。
「君は、綺麗だ」
「からかっているのですか?」
吐き出された、自分には縁がない言葉。何を思って言ったのか。手を引き剥がそうとしたが、力を込められ、引き剥がせない。
「そんなつもりはない。本当のことだよ」
真剣な目に困惑してしまう。
醜いはずなのだ。この痕を見るたびに、あの時のことを思い出す。消えることのない、罪の証。隠されてしまった真実を忘れるなと。頭に響く父親の声。
「どうしたんだい?苦しいのかい?」
焦る声。いつのまにか、胸の辺りを掴んでいた。苦しいわけではないが、胸を締めつけられている感じがする。
添えられていた手が離れ、そっと背に回る。
昨日、感じたものだった。意識を失う前に。
頭が理解する前に、彼は離れた。
「もう寝た方がいい。夜には帰るのだろう?」
背に手を添えられ、ゆっくり横にされる。
「おやすみ、ユーリ」
冷たくしたタオルを額にのせると、彼は部屋を出ていってしまった。
キースに抱きしめられたのだろうか。すぐに離れたので、そう言っていいものかは、分からないが。
考えてもしょうがない。
今は、この病を治すことが最優先だ。
目をゆっくりと閉じた。

目を覚ますと、部屋は薄暗い。
起き上がり、時計を見れば、夕方だった。
寝たのは朝だ。今日は、寝て過ごしてしまったらしい。
枕の傍に落ちていたタオルを畳み、スタンドに置く。
メモが置いてある。見ると、散歩と買い物に行ってくると書いてあった。
頭も重くなく、気分もいい。どうやら、熱はひいたようだ。
メモを置くと、部屋を出る。汗をかいたため、体がべたついていた。
脱衣所に重ねられているタオルを一つ拝借する。近くにある鏡に映る自分の顔には、火傷の跡はなく、元通りになっていた。もう顔を隠さなくていいと、安心した。もう彼にも見られない。
部屋に戻り、服を脱ごうとすると、扉が開く音が聞こえた。
帰ってきたかと思いつつ、体を拭くために服を脱いだ。
部屋の扉が開き、振り向く。
「おかえりなさい、キース」
「た、ただいま、ユーリ」
自分の姿を見た彼は、慌てる。
「すまない、そして、すまない!」
そう言うと、扉が閉められた。同性同士だ。気にはしないのだが。そういえば、着替えの時も部屋を出ていっていた。
タオルを手に取り、体を拭きながら、扉の向こうにいるだろうキースに話しかける。
「勝手にタオルを拝借してますよ。キース、すみませんが着替えを。私は気にしてませんから」
勝手に人のクローゼットを漁るわけにもいかない。それは失礼だろう。
遠慮がちに扉が開き、キースが入ってくる。
「き、着替えだね。えーと……」
クローゼットに向かい、服を探し始めた。

渡された服を着て、髪をまとめ、部屋を出た。
すると、ジョンが一直線に走ってきた。
目が遊んでほしいと言っている。返答の代わりに撫でてやる。
「やっぱり、少し大きいみたいだね」
キースは自分の姿を見つめる。布がところどころ余ってはいるが、見た目はあまりおかしくないはずだ。
「ジョンの相手をしていてくれないかい?すぐに晩御飯を作るよ」
そう言うと、キッチンに入っていく。
「お手伝いします」
「病み上がりの人に無理はさせれないよ。でも、味見はしてくれるかい?」
その時は呼ぶからと、キッチンからは出されてしまった。
目の前には、尻尾を振るジョン。
「ソファーに座りましょうか」
返事が元気よく返ってきた。

暇つぶしのブラッシングが終えた頃に、キースに呼ばれた。
付いてこようとするジョンを待たせ、キッチンに入っていく。
「どうだろう?」
鍋を見てみると、野菜が入ったスープ。小皿に移されたスープを渡され、一口飲む。
「少し濃いですね……」
熱が出ていたため、ちゃんと舌が機能してるかは定かではないが、自分にとっては濃い。
「君に任せるよ」
調味料を出してもらい、自分好みの味付けにしていく。

「おいしい!そして、おいしい!」
目の前でスープを飲むキースは、満面の笑みだ。
「素材の味を生かすことも大切ですよ」
彼の口にもあったみたいだと安心する。
キースの味付けは、はっきりし過ぎていた。それはそれで美味しいのだが、食材の味を殺してしまい、どれを食べても同じになってしまう。
「人に作るという機会がないからね。もう少し勉強しようかな……あ!」
何か思いつき、食事の手を止め、こちらを見る。
「良ければ、料理を教えてくれないかい?」
「……暇な時になら、いいですよ」
あまりにも、期待された目で見られ、断れなかった。そして、彼には弱味を握られている。
断れば、それを洩らされる可能性がある。キング・オブ・ヒーローがそんな卑怯なことはしないだろうが、考えが読めない相手だ。近くにいれば、何か見えてくるだろう。
「ありがとう、そして、ありがとう!」
このお礼も今日、何回聞いただろうか。
「後で連絡先を交換しよう」
頷き、食事を再開した。

玄関の扉を開ける。
「忘れ物はないかい?」
後ろにいる彼は、荷物を持ち、確認し終わると頷いた。
「大丈夫です」
彼に付いて歩く、自分の飼い犬。主人よりなついているのではないだろうか。
下に待っているタクシーの所まで、付いていく。
「タクシーまで、ありがとうございます」
ジョンは撫でられ、嬉しそうだ。
「いや、では気をつけて。またね、ユーリ」
「はい、本当にありがとうございました」
タクシーに乗り込むと、扉が閉められる。頭を下げたのが窓越しに見えた。
遠くなっていくタクシーが見えなくなるまで、手を振る。
「戻ろうか、ジョン」
ジョンと共に家に戻ると、妙に部屋が広く感じた。
ついさっきまで、ここにいた彼を思い出す。
寂しいと思うのは、久しぶりだ。ジョンといれば、そんなことは思わなかったのに。
いきなり、呼び出し音が部屋に響き、それに応えた。

犯人を警察に引き渡し、撤収していく。
「スカイハーイ」
後ろからいきなり、肩に腕が回ってきた。
それをやってきたのはワイルドタイガーだ。
「今日は、急いで帰らなくていいのか?」
首を傾げると、ため息をつき、腕が離れていく。
「愛しい彼女を待たせていいのかよ!この色男!」
角にも置けないなと、肘で小突かれた。
「恋人なんていないよ、ワイルド君」
昨日は、まともな理由も言わずに急いで帰ってしまったからか、色々な憶測をされているようだ。
「じゃあ、なんで昨日はあんなに急いでたんだよ。隠してるんじゃないのか〜?」
昨日のことを正直に話す気もない。話してしまえば、彼との秘密がばれてしまうかもしれない。お茶を濁すことにした。
「とても大切な用事があっただけだよ」
ユーリが心配だったのもあるが、彼が自分の家からいなくなってしまってはいないかと不安だったのだ。彼はまともに動けなかったけれども、最初は逃げようとしていた。
帰ったら、彼がジョンに押し倒されていて驚いたが。
「ワイルド君が期待しているようなものではないけどね」
笑顔でそう言うと、ワイルドタイガーはそうかよと言って、それ以上、聞いてこなかった。

スーツを着たついでにパトロールもし、それを終え、家に帰る。
一息つき、携帯を見るとメールが届いていた。
開けると、ユーリからだった。
丁寧なお礼と、借りた服は後日、返すという内容だった。
返すメールの内容に長い時間を費やしたが、送ったものは短いものになった。
彼にまた会えるということに、なぜか小躍りしそうな程、喜ぶ自分がいた。


 →続き



2012/01/13


BacK