君は空を 貴方は月を
1
ユーリは、恋人になってからは、キースに会う機会は増えた。専ら、食事に行くかキースの家だが。
今は、ジョンの散歩に付き合っている。ついでに買い物をするためだ。
公園に立ち寄り、ジョンとキースは遊び始めた。最初は、一緒にまざって遊んでいたが、疲れて、ベンチで楽しそうなジョンとキースを眺めることにした。
何事にも全力の彼は、ジョンの遊びにも手は抜かない。とても、ジョンも楽しそうだ。
「ユーリ!」
ジョンとキースがこちらにやってくる。遊びはもう終わりらしい。
「お疲れさまです」
疲れたのか、キースは自分のそばに座る。ジョンが足元に来たので、撫でてやる。
「少し休憩してから、いきましょうか」
キースの息が少し上がっていた。
「そうだね」
しばしの間の沈黙。ただ、ジョンの頭を撫でていた。
「……あの」
ジョンを撫でるのをやめ、キースを見る。
「なんだい?」
笑顔でこちらを見るキース。
「私は、恥ずかしながら、今まで恋人がいなくて……」
他人に気を許すことがなかった。友人と呼べる人もいなかった。人との関係は、付かず離れずという距離を保っていたため、すぐに離れていった。
恋愛も興味はなかった。冷たいという印象を持たれることは、分かっていたため、女性が寄ってくることもなく。
「人の愛し方と言いましょうか……それが、よく分からないんです」
自分がされて嬉しいことをすればいいと、いうのが一般論だが、それは自分にはあてはまらない。
自分なら、放っておいてほしい。それは、キースは望んではいないことぐらい、分かっている。
「私は、何をすればいいのでしょう?」
そう問えば、キースは笑う。
「そばにいてくれたら。それだけで、私は嬉しいよ」
そういうものなのだろうか。
「ユーリは、今まで通りでいいんだ」
キースは立ち上がると、手を差し出す。
「さあ、行こう。そして、行こう」
ジョンのリードを握り、彼の手を取り、立ち上がる。
ゆっくりと歩き出す。手は繋がれたまま。
「今日の晩御飯は、何にしようか」
「そうですね……」
晩御飯の献立を決めながら、店へと向かった。
キースはトレーニングをしながら、そんなことを思い出していた。
人付き合いというのが得意そうではない彼だが、今まで、恋人がいなかったということに、驚きだ。かくいう自分も、初めての恋人なのだが。
ヒーローになってから、全てをヒーローに注いできた。正確には、恋愛をする暇がなかったと言える。
女性との出会いはあったが、それはスカイハイとしてだ。キースとしてなら、問題はないのだろうが、キースとしての女性の出会いは、ないに等しかった。
ヒーロー関係者にも女性はいるが、そういう対象としては、見れなかった。
今、ユーリという恋人がいるだけで幸せだ。
しかし、彼は抱きしめていると、時々、震えているのだ。顔は胸に埋められているため、見えないが、彼は何かに怯えるように。
名前を呼び、上げた顔を見れば、彼は笑っている。少し悲しそうな表情で。
大丈夫と言葉には出さず、抱きしめる力を強くすれば、震えは収まる。
遠慮がちに背に回る手。
その理由を知りたいが、知ってしまえば、関係が壊れてしまうような気がした。
「……ハイ!スカイハイ!」
「な、なんだい?」
我に返れば、目の前には、前屈みになり、顔を覗き込むブルーローズがいた。
ため息をつくと、屈むのをやめ、チケットを差し出してくる。
「私が出演した映画のチケットなんだけど……いる?」
その映画は、今、話題の映画。
ブルーローズも出演し、有名監督がてがけているのもあり、注目されている。
「ラブストーリーなんだけど」
上司から、友達や家族にと、チケットをもらったらしいのだが、余っているという。
「ありがたく、もらうよ。ありがとう、そして、ありがとう。ブルーローズ君」
チケットを二枚もらった。ユーリも誘おう。
「あの、タイガー!……み、見に行かない……?」
ブルーローズが顔を真っ赤にして、ワイルドタイガーを誘っている。周りのヒーローは、それを見ない振りをしつつ、気にしていた。
「あ〜、俺、そういうの、苦手なんだわ」
納得してしまう。彼はそういうものに興味はなさそうだ。
「てか、お前、友達と行けばいいじゃねーか」
正論だが、ブルーローズはワイルドタイガーと行きたいわけで。
その言葉に、もういいとブルーローズは拗ねてしまった。
ワイルドタイガーは意味が分からず、首を傾げるだけ。
「ドラゴンキッドさん、僕と見に行きませんか?」
チケットをもらったバーナビーは、ドラゴンキッドを誘っていた。
「面白いのかなあ?僕、こういうの見たことないんだ」
彼女もチケットをもらったようで、それを眺めている。
「いい刺激だと思いますよ。初めてなら尚更です」
「せっかくだし、行ってみようかな!」
二人は顔を見合わせ、笑う。
こちらは、一緒に行くことになったようだ。
正反対の二人組。
この差はどこから来るのだろうか。
キースに映画に誘われ、ユーリは行くことにした。
内容的に、男二人で見るものかと、考えたが、ブルーローズ目当てで、見ている男性のファンもいる。そう納得させた。
映画など、行くのは久しい。もう、記憶にないほどだ。
ほんの少しだけ、楽しみにしている自分がいた。
こんな気持ちも、久しぶりだ。
映画に行き、見終わった後、ユーリは何もなく、隣のキースは号泣していた。ハンカチが足りないようで、自分のハンカチを差し出すと、お礼を言いつつ、彼は受け取った。
いつまでも、座席に座っているわけにもいかず、通路のベンチまで、移動した。その間も、彼は泣いていた。
「お、面白くなかったかい……?私は最後の最後で、堪えきれ……うっ……」
そのシーンを思い出したのか、また、涙を流し始めた。
「いえ、面白かったですよ」
ひかれていく男女。しかし、周りがそれを許さず、二人に壁がはばかる。それを超えた二人が、選んだのは、死。もう離れないようにと、心中したのである。
そこまでしてから、周りはようやく、分かったのだ。どれだけ、二人が愛し合っていたか。
死の境界線を超える二人は、とても滑稽に見えた。
まだ、泣いているキースの頭をなでる。
「泣き止むまで、待ってます」
「すまない……すまない」
自分の分まで、泣いてくれればいい。
2
翌日。
トレーニング室で、ブルーローズにお礼を言う。
「ユーリも面白いって言っていたよ!」
「え……男二人で行ったの?」
ブルーローズの顔がひきつっている。
「ああ!」
「……どういたしまして」
何か言いたげな彼女だったが、何も言ってはこなかった。首を傾げる。
そういえば、彼女の演技の感想を言っていない。
「そうだ、ブルーローズ君の登場の、あの……」
「あー!!だめ、スカイハイさん!僕、まだ見てない!楽しみなんだから」
彼女の演技の感想は、ドラゴンキッドの声によって言う前で止まってしまった。
「僕の前で言わないで!お願い!」
走り寄ってきた彼女に釘を刺される。
「分かった、分かったよ」
ドラゴンキッドと一緒にブルーローズに伝えれば、いいだろう。
「楽しみにするほどじゃ、ないんだけど」
ブルーローズがポツリと呟いた。
彼女は、ヒロインを助けたヒーロー役だ。少しだけしか出てこないが、役的にそういうものだろう。
「ねえ、スカイハイ」
いきなり、首に腕が回り、引っ張られば、真横にファイヤーエンブレムの顔が。
「あんただけ、管理官と仲良いなんて、ずるいわ」
「僕たち、あんまり会わないもんね」
ヒーロー管理官、兼裁判官の彼と会うのは、ヒーローと言えど、数えるくらいしかない。
一番、彼に会っているのは、仕事では、ワイルドタイガーだろう。
「管理官と会う機会なんて……」
「だから、食事会しましょ?」
そう言うと、ファイヤーエンブレムに解放された。
「さあ、電話しなさい!」
「出てくれるか、どうか……」
仕事中だと、彼は携帯を見ないと言っていたが。
「いいから、連絡なさい」
笑って、肩を掴まれる。その力強さに、首を縦に振るしかなかった。
珍しく携帯が鳴り、取り出す。画面に表示されている名前に、ユーリは、顔をしかめた。
仕事中だと分かっているはずなのだが。
注意しようと、電話に出る。
「もしもし」
「よかった!出てくれて、よかった!えっ、ちょっとま」
何かしている音と、複数の人が喋っている声。内容までは聞き取れない。
「もしもし?」
不審に思い、声をかける。
「ハァイ、管理官」
聞こえたのは、恋人ではない声。この声は確か。
「ファイヤーエンブレム?」
「ウフフ、お久しぶり」
後ろで何やら聞こえる。
「あの……スカイハイは」
「愛しの恋人なら、ちょっと用事よ」
後ろから聞こえる声は、無視した方がいいのだろうか。
「管理官、私たちと食事会しない?」
突然の提案に、驚いて、すぐに反応できてなかった。
「え……?」
「だって、スカイハイとだけ仲良いなんてずるいわ!」
それには、何も言えない。付き合っているのは、ヒーロー全員が知っている。皆、一様に黙ってくれている。普通なら、非難がくるものだ。それには、感謝している。
「だから、この機会に、他のヒーローとも仲良くしない?」
ヒーローとの交流も仕事の一環だと言われ、反論もできない。
「そう、ですね……」
「じゃあ、決まりね」
その食事会は、他の者の予定も聞く必要があるため、後日、スカイハイから連絡させると、電話が切れた。
携帯をしまい、仕事に取りかかる。
最後まで、キースは戻ってこなかったが、どうしたのだろうか。
会った時に、聞けばいいか。
黙々と、キーボードを叩く。
その日の夜に、キースの家で、電話してきた後の様子を聞かされた。
自分に繋がった時に、ファイヤーエンブレムに携帯を奪われ、なかなか返してくれなかったと。
ブルーローズとドラゴンキッドに両腕を掴まれ、女性を手荒にする訳にもいかず、何もできなかったらしい。
ソファーに彼と座れば、携帯を取り出すキース。
「あ、食事会の日にちは、どの日がいい?絶対、聞いてこいって」
次々と、上げられる候補。予定表を確認しつつ、都合がいい時を、上げていく。
「皆、楽しみにしてたよ。あまりない機会だからって」
予定を上げ終わった時に、キースは笑いながら言う。
「もちろん、私もね」
「あなたは、毎日のように、会っているじゃないですか」
「ユーリには、何回、会っても嬉しいよ」
携帯を置くと、引き寄せられ、抱きしめられる。
「ずっと、こうしてたいくらいだ」
額に唇が触れる。
その言葉に、何も返せない自分がいた。
優しさに甘えて、言い訳をして、騙し続ける。
この関係を選んだ自分だ。後悔はしない。
終わりが来ることは、知っているからこそ、この時間は大切なもの。
「ユーリ?」
彼の背に手を回す。
そう、今はただの、彼の恋人なのだから。
3
食事会の予定がキースより伝えられ、その日はすぐに来た。
仕事を終わらせ、ジャスティスタワーの入口の集合場所には、なぜかいたのは、キースだけで。
「お疲れさま、ユーリ!」
「お疲れさまです。あの、皆さんは?」
ここで、全員集まってから、行くと伝えられていたのだが。
「先にお店に行ってしまったよ」
自分は遅れたのかと、時間を確かめたが、集合時間より少し早いくらいだ。
「ゆっくり来なさいって言われて……」
配慮されたのか。二人きりの時間を。
「ゆっくり行きましょうか」
「ああ、そうだね!」
肩を並べて、歩いていく。ゆっくりとした足取りで。
お店に着けば、店員にテーブルへと案内された。
他に客はいないらしく、貸し切り状態だった。
「あら、いらっしゃい」
「案外、早かったな」
テーブルに行けば、メニューを見ながら、盛り上がっているヒーローたち。
「管理官はこっちです」
「こっちー」
声をかけてきたカリーナとホァンの方へと行くと、そこは真ん中に一人分の席。カリーナとホァンの間。
正面は空いていた。一緒に付いてきたキースは、こっちだと言われ、素早く反対側にいった。
「失礼します」
席に座れば、キースも座る。正面にいる彼は笑顔だ。
「メニューどうぞ」
カリーナから渡されたメニューを、お礼を言い、受け取る。
メニューを開き、飲み物を頼む。
すぐに、注文したものは、運ばれてきた。
「じゃあ、さっさと、乾杯しちゃいましょ!」
乾杯とネイサンが言うと、乾杯と声が上がる。自分も、乾杯と言い、皆とグラスをぶつける。
「で、何、頼むんですか?」
「どんどん、頼もうぜ。俺は……」
「ちょっと、皆で食べれるもの、頼みなさいよ」
「僕、これがいいー!」
「僕、そっちの……」
「悩むなあ」
メニューを開き、覗き込む皆。
運ばれてきたものを、適当につまもうと、その様子を眺めていた。この騒がしさが、少し心地いいと思ってしまう。
「ユーリは見ないのかい?」
気づいたキースがメニューを差し出してくる。
いいですと、手で制した。
「皆さんが頼むのを、適当に」
これだけの人がいるのだ。結構な量が運ばれてくるはず。
「遠慮しなくてもいいのよ?」
遠慮はしていないと首を横に振る。食は細いため、あまり食べない。
「決まりましたか?」
返事が返ってきて、バーナビーが店員に声をかける。
次々と注文していき、注文が終わると。
「ねえ、管理官。スカイハイとはどうなの?」
ネイサンのいきなりの質問に、グラスに伸ばした手を止める。
「私も知りたいです」
横にいるカリーナが、目を輝かせてこちらを見ている。
「どう、とは?」
「恋人として進展してるの?スカイハイ、全然、教えてくれないのよ」
「そうだったかな?」
首を傾げるキース。そういう話題になると、逃げられるのだという。
「で、どうなの?」
「あの……」
キースを見ても、ただ笑顔。ヒーローたちがこちらに注目していた。
その時、タイミングよく料理が運ばれてきた。テーブルに並べられていく料理。そちらに皆の意識が向き、安心する。
小皿に分けたりと、忙しそうで。自分の皿にも、様々な料理が盛られていった。一人では、食べきれない量だ。
「で、どうなの?」
横からの元気な、いただきますを聞きながら、諦めていないことに、顔がこわばる。
「まあ……デートなるものはしてますよ」
そう答え、皿にある料理を一口。おいしい。
「それだけ?」
「ええ」
何が聞きたいか知らないが、それが事実。付き合って、数ヵ月。それくらいが妥当だろう。
「キスは?」
いきなりの質問に、料理が気管に入り、むせる。
隣のカリーナが心配して、自分のグラスを取ってくれた。
「頬とか額には、するね!」
答えれない自分の代わりに、キースが答えた。
「え、口は?」
それには、キースは真っ赤になってしまい、頭をかいて、黙ってしまう。
飲み物を飲み、料理を流し込み、ようやく、つっかえていたものが流れた。
「全然、進展してないじゃない!」
ネイサンがテーブルを叩く。隣にいたホァンが驚いたのが分かった。
「僕と席、変わります?こっちはまだ、料理、残ってますよ」
「うん……」
横目で、バーナビーとホァンが席を変わるのを見ていた。
「いい大人が……」
「え、そういうものじゃないの?」
カリーナがそう言うと、あんたの歳だったらねと、笑うネイサン。
「恋愛なんて、人それぞれだろ。あんまり、言うもんじゃないぜ」
アントニオの言葉を受け、彼に標的を移す。
「あら、そういうアンタは、アニエスはどうしたの?」
「あー!!い、言うな!!」
そこから、二人の言い争い。
仲裁に入ろうとしている、イワンと虎徹。キースは楽しそうに笑っている。
「あの、管理官……」
カリーナがおずおずと呼ぶ。
「なんでしょう?」
「スカイハイのどこが好きなんですか?」
大胆な質問をしてくる。
「二人って正反対だから……」
静と動。彼が光なら自分は闇。あまりにも、真逆だと自分は思う。
「秘密……と言っておきましょう。ブルーローズはどうなのですか?片想いだと聞きましたが」
しつこく聞かれる前に、話題を転換すると、彼女は顔を真っ赤にして、スカイハイを睨みつける。
「スカイハイ……あんた、管理官に話したの!?」
「いけなかったかい?」
「当たり前よ!」
年頃の女性だ。恋愛の一つや二つするだろう。その相手が少し厄介そうだが。
「ブルーローズ、やっぱ、お前、普通の女の子なんだなあ」
聞こえていたのか、虎徹が会話に入ってくる。
「で、どんなヤツなんだよ?」
笑いながら、聞いている彼自身なのだが。
「あ、あ、あんたには関係ないでしょ!てゆーか、顎にマヨネーズ付いてるわよ!」
「え、マジ?」
手で取ろうとしているが、見当違いのところを触っている。
「ああ!もう、ここよ!子供みたいねっ!」
カリーナはナフキンを掴むと、怒りながら、付いているマヨネーズを拭う。
「ちょ、痛いって!」
力を込めすぎているのか、拭ったあとは、赤くなっていた。
「ヒリヒリする……」
顎をさすりながら、虎徹が呟く。
「ブルーローズに冷やしてもらってはいかがですか?」
「はい!?」
自分の発言に、彼女は目を丸くする。
「裁判官、ナイスアイデア!お前の能力で……」
彼が手を掴み、顎に持っていく。
「あの……ちょっと……!」
戸惑っている彼女は、嫌がる素振りをみせない。成されるがまま、手は顎に。
「おー、冷たい」
ちゃんと能力は使っているらしい。恥ずかしさから、うつむいてしまった彼女を眺めながら、微笑ましく思う。
「楽しそうだね、ユーリ」
キースの方を見る。
「ええ」
人をからかうなど、初めてのような気がする。
「管理官が、そんな性格だとは……思いませんでした……」
手をようやく離してもらえたブルーローズに、少し恨みがましく言われてしまった。
謝罪の言葉を述べて、皿にある料理の消費にかかった。
「で、キース。ずっと見てますが、なにか?」
彼は料理を食べながら、飲み物を飲んでいても、ずっとこちらを見ていた。その視線には気づいていた。
正面にいるので、当たり前といえば、そうなのだが、キースの方を見ると、絶対、目が合うのだ。
「ユーリは綺麗だなと思って、見ていただけだよ」
彼の発言に、ヒーローたちが一斉に吹き出した。
もう慣れてしまった自分にしては、いつもどおりの言葉。
「ゴホッ……いつもそんな感じなんですか?」
「はい」
妙な沈黙がおりる。
が、それを切り裂いたのもキースで。
「本当は隣がいいけどね」
その言葉に反応したのは、両隣の二人。
「譲らないわよ」
「譲りませんよ」
片想いの相手の隣にいるカリーナの言葉は分かるのだが、バーナビーも反応したのを、内心、驚いていた。
「バーナビーさん?」
不思議そうにホァンは、バーナビーを眺める。
「また、付いてます」
バーナビーは、彼女の口のところに付いていたソースを、指で拭うと、その指を舐める。
「ありがとう」
「どういたしまして」
とても、その行為は手慣れていた。初めてではない。
その関係は、他のヒーローも知っているのか、はやしたてたり、言及することはなかった。
「うわあああ!」
叫び声が聞こえた方を見ると、イワンがネイサンに襲われていた。
「あたし、相手がいなくて寂しいわ〜」
助けを求める視線と、伸ばされる手。
「折紙!」
「折紙君!」
「先輩!」
イワンを救出するために、男性ヒーローたちが総出でかかった。
「だってー、これ見よがしにイチャイチャしてるんだもの!アタシも相手が欲しいわぁ」
自分の席に戻されたネイサンの言葉に、反応したのは三人。
「してないわよ!」
「普通です」
「普段通りだよ!」
返ってきた言葉に、彼は呆れ返っていた。
イワンの方を見ると、机に突っ伏している。顔を上げると、泣きそうな顔をしていた。しかし、その頬にキスマーク。
呼びかけ、付いていると教えると、彼は慌ててナフキンで拭う。
「ユーリ、もう食べないのかい?」
キース言われ、気づく。食事の手はもう止まっていた。
もう、食べれないので、キースに食べたいならと、言えば。
「食べさせてほしい!ぜひ!」
「……ファイヤーエンブレム、食べさせてほしいみたいですよ」
彼に皿を渡す。
「あら、やだぁ!それなら、さっさと言いなさいな」
「私はユーリに……!」
フォークを握り、キースに迫る。
「はい、アーン」
無理矢理、口をこじ開けられ、料理を詰め込まれているのを、他の人と喋ることで、無視をした。
料理もなくなり、そろそろ帰ることになった。
楽しい時間はあっという間だ。
「お二人は、先に」
「思う存分、イチャイチャするんだろ!」
お礼や挨拶する前に、キース共々、店から出されてしまった。
タクシーも呼んでいない。呼ぼうと、携帯を出せば、その携帯が奪われた。
「必要ないよ」
強い風が吹き付け、嫌な予感がする。
やはり、抱き上げられ、空を飛ばれた。そうなると、自分には何もできない。
「キース!目撃されれば、あなたが……!」
「ユーリには意地悪されたからね。仕返しだよ。ユーリの意見は聞かない」
それに、こっちの方が断然、早いと彼は笑った。
もう、何を言っても無駄だろう。
「ペナルティーを受けても知りませんから」
「別にいいさ!」
ため息をつくしかなかった。
キースの家に着いてから、ようやく携帯を返された。
家に入れば、走ってくるジョン。一撫でし、ソファーに向かった。
あまりないことに、体が慣れていないのか、疲労感が襲ってきていた。
深くソファーに座れば、その横にキースが座る。
「疲れたかい?」
「はい……」
腰に手が回り、彼の方へと引き寄せられた。彼の方に体重を預ける。
「楽しそうで良かった」
「はい」
仕事以外の交流は、パーティーの時の、少しの会話くらいだ。
会話してみれば、ヒーローではない彼らが、垣間見えた。
交流すれば、するほど情が出てくるもの。それは、こちらの方だけでいい。ルナティックとなれば、全てを切り捨てればいいだけ。
「ユーリ。君は私のどこが好きなんだい?」
顔を見合わせる。
「……突然、どうしたんですか」
「ブルーローズ君に聞かれていただろう?気になってね」
あそこでは、話題転換をし、逃げられたが、この狭いところで、二人きりの状態では、八方塞がり。
「私はユーリの全てが好きだよ!その緑の目も、白い肌も、プラチナブロンドの豊かな髪も、その声も、体も、少し意地悪な性格も……」
なぜか、言われて笑いたくなった。本当は、この顔には、醜い痕があるのだ。それを見ても、彼は好きだと言ってくれるのだろうか。
「そう言ってくれるところが……好き、です」
本心だ。彼は、自分が望んでいるものをくれる。無償の愛、優しい言葉。いつかは、自らの手で燃やし尽くしてしまうものでも。
少し照れて、そう言えば、力強く抱きしめられた。
「ユーリ」
顔を上げれば、間近に彼の顔が。
「え……」
ゆっくりと近づいてくる。この光景は、見たことがある。あの告白を受けた後の。
「キース……!」
彼の口を両手で塞ぎ、押し止めた。
頬や額はまだ、いいが、口は抵抗があった。嫌な訳ではない。
してしまえば、彼は必ず、その上を求めてくる。
これ以上、深くまじあってはいけないのだ。お互い、傷が浅くなるように。
「すみません……」
手を退けた。
「いいや。こちらこそ、すまない」
悲しそうなキースを見て、自分も悲しくなってくる。
自分は、与えられてばかりだ。
一つくらい自分からと、頬に接吻をする。
「今は、これで」
彼を見れば、驚いて固まっていたが、顔がみるみる赤くなっていく。
「さ、されると、嬉しいけれど、恥ずかしいものなんだね……!」
手で顔を覆ってしまった。
その反応から、喜んでいるのが分かる。
しかし、どうしても、罪悪感が沸き上がってくる。
それを笑顔で押し隠した。
4
トレーニング室で、トレーニングを終えたブルーローズは休憩するため、長椅子に座った。
「ん?」
いきなり、目の前のペットボトルが倒れ、彼女はそのペットボトルに手を伸ばす。当たってもいないのに、と不思議に思いながら。
「きゃ……!」
いきなり、後ろから風が。髪が広がるのを手で押さえた。
ここは、窓がなかったはずだと、振り返れば、スカイハイが背を向けて、立っていた。
「ちょっと……」
また、風が。室内で彼の能力は、迷惑だ。
「スカイハイ、お前、能力使うのやめろよ!」
自分が近づく前に、ワイルドタイガーが、スカイハイに近づく。
「え?なんだい?」
「うわっ」
彼が振り向くと、突然、襲ってきた強風。ブルーローズは目を瞑る。たじろぐまでの強さに背もたれを掴んだ。
「スカイハイさん!能力、使わないでください!」
バーナビーの怒る声が聞こえる。
「ブルーローズ、危ない!」
ドラゴンキッドの言葉に、目を開けると、トレーニングシャツの柄。
腰に回る腕に引っ張られ、体が密着する。そのまま、部屋の角へと、移動していく。
自分がいたところに、観葉植物が転がった。
「間一髪……!」
自分を助けてくれたのは、ワイルドタイガーだった。触れ合う体温が、熱い。
「は、離して!」
押し返そうと、胸に手を当てたが、より一層、抱きしめられ、自分が壁側に。逃げられない。
心の中で、叫び声をあげた。
「おい!何やってんだスカイハイ!」
彼越しに、飛び交う物が見えた。
「僕の後ろにいてくださいね」
「うん!」
頷いたドラゴンキッドは、服を掴む。
飛び交う物から彼女を守れるが、スカイハイには近づけない。
「スカイハイさん!」
名を呼んでも、反応がない。立っているだけで、何も変わらない。
「バニー、大丈夫か!?」
「心配には及びませんよ!」
反対側にいる相棒は、飛んできたペットボトルを、叩き落としていた。
「スカイハイ!」
向こうの呼びかけにも、何も応えない。
「どうしちゃったんだろ……」
ドラゴンキッドが心配そうに呟く。
彼が能力を暴走させたことはなかった。自身の能力は、よく理解して、管理もできていたはずだ。
管理官誘拐事件の時のことを思い出す。あの時も、このような感じだった。
その時、トレーニング室の扉が開いた。
転がるように出ていく、折紙サイクロン。
「誰か、呼んできます!」
「頼んだ!」
「お願いします!」
閉まった扉に、小さな椅子が叩きつけられた。
あの部屋から脱出できたのはいいが、誰に助けを求めようかと、考えながら、折紙サイクロンは走る。
ファイヤーエンブレムとロックバイソンはいない。もし、あの二人がいたなら、どうにかできたかもしれない。
中にいる二人も、女性を守っていなければ、能力でどうにかできたのだろうが。
誰でもいい。あの状況を打破してくれる人は。
こちらに向かってくる人がいた。
「あ!」
それは、ユーリだった。
この人なら、スカイハイをどうにかできる。
あの事件の時も、彼の一声で、スカイハイは大人しくなったのだ。
「管理官!」
すがるような思いで、彼の腕を掴んだ。
「折紙サイクロン?」
こちらを見る目は、いぶかしんでいたが、それを気にする暇もない。
「今は急いで来てください!」
彼の腕を引っ張り、来た道を戻る。
「何があったのですか?」
「スカイハイさんが、能力を暴走させています!」
後ろの空気が変わるのが分かった。
彼に頼るしかない。
トレーニング室の前まで来ると、中から物がぶつかる音や、壊れる音が。
ユーリは、腕を離した折紙サイクロンに書類を預け、ここで待っているように言い、扉に近づく。
扉が開けば、風が吹きつけ、目に入ってきたのは、散乱している部屋。
「はあああ!」
声が聞こえ、見てみれば、角にいるワイルドタイガーとバーナビーが能力を発動させていた。
力ずくで抑えるつもりなのか。
「待ってください!」
身構えていた二人がこちらを見た。
「裁判官!こいつ、どうにかしてくださいよ!」
部屋の中心に立っているだけのキース。
少し考え、名を呼んだ。
「キース!」
彼が反応し、こちらを振り向く。
「ユーリ」
笑顔でこちらに向かってくるが、能力は収まらず、逆に強くなったような。
「キース、能力を使うのをやめなさい!」
子供を叱るように言えば、彼はようやく気づいたようで。
「あ……えっと、どうだったかな」
首を傾げる彼。
「こう、かな」
だんだん、風が弱くなっていく。
風が完全に止まり、彼に近づいていく。
「何をしているんですか!もし、皆さんに怪我など……」
キースに近づくと、違和感を覚える。
笑顔のままだ。こちらを見る目は、少し潤んでいる。
「もしかして……!」
首を絞めるように、首を掴めば、回りから、焦るような声が上がった。
そこから徐々に上へと、手を持っていく。
触る肌が熱い。
「風邪、ひいてますね」
そう言えば、キースの体が揺れ、こちらに倒れてきた。
必死に受け止めるが、重い。後ろに倒れそうになるのを、バーナビーと折紙サイクロンが支えてくれた。
「すみません、皆さん」
「管理官が謝ることではないですよ」
二人に彼を預け、運んでもらうことにする。自分の手はいらないだろう。
「おい!ブルーローズ!?」
「ブルーローズ!」
部屋の隅でワイルドタイガーとドラゴンキッドが騒いでいた。
何事かと近づけば、倒れているブルーローズ。その彼女を抱き起こし、声をかけるワイルドタイガーと、同じように声をかけるドラゴンキッド。
「物が当たりましたか……!」
彼女を見てみるが、見えるころには外傷がないが、頭に当たったのかもしれない。
「俺が盾になって、守ってたんで、それはないと思うんですけど、いきなり倒れて……」
困った顔をしている彼。
「たぶん、あの、のぼせちゃったの……かも……?」
ドラゴンキッドが呟いた言葉で、納得する。
手が握られ、触れていただけで、顔を真っ赤にしていた彼女だ。
好きな人に守られ、のぼせ上がったのかもしれない。
「彼女も運んだ方が」
「そうですね」
ワイルドタイガーは彼女をお姫様抱っこすると、トレーニング室を出ていく。
それに一緒にドラゴンキッドと付いていった。
救護室に運ばれた二人。
そこで、折紙サイクロンに書類を返してもらったが、そのままワイルドタイガーに渡した。彼宛の書類だからだ。
いい内容ではないので、彼は暗い表情で、それを見ていた。
落ち込みながら、バーナビーに怒られながら、部屋を出ていく彼を、見送った。
「ユーリ……」
名を呼ばれ、ベッドに横になる彼を見れば、目を開けて、こちらを見ていた。
「風邪なら無理しないでください」
「ああ、だから……」
何か納得したような彼。
「皆さんに迷惑をかけたのですから、謝ってくださいよ」
「何かしたかい……?」
どうやら、記憶がないらしい。
説明すると、謝ってくる。
「私に謝らないでください。ヒーローの皆さんに」
「あの……すみません」
折紙サイクロンが、申し訳なさそうに話しかけてきた。
その手には、冷却シートが。わざわざ、持ってきてくれたのだろう。
「ありがとうございます」
ありがたく受け取り、キースの額に貼った。
「そっちもいります?」
「一応、もらっとく」
隣からドラゴンキッドと折紙サイクロンの会話が聞こえる。
手が掴まれた。その手が熱い。
「ありがとう……」
「いいえ。迎えにくるまで大人しく寝ていてください」
キースの顔が悲しそうな表情になり、手を掴む力が強くなる。
「いて、くれないのかい」
今は仕事中たのだ。彼は心配だが、仕事を放り出すわけにはいかない。
「必ず、迎えにきますから。一緒に家に帰りましょう」
安心させるために、笑みを浮かべれば、手を離された。
「約束、だ。約束だよ」
「はい」
隣にいる折紙サイクロンに、キースをみてくれるように頼めば、快諾してくれた。
ドラゴンキッドも、一緒にみてくれると、言ってくれた。
お願いしますと、頭を下げて、執務室に戻った。
戻る最中に、トレーニング室は滅茶苦茶だったことを思い出し、早々に業者を呼ばなければならない。
仕事が増えたが、しょうがない。
5
仕事を定時で終わらせ、彼を迎えにいった。
救護室にいたのは、折紙サイクロンと寝ているキース。
ブルーローズは、あの後、目覚めたが、夢見心地だったという。
ワイルドタイガーに抱きしめられ、守られたのは、夢だったのではないかと、一人落ち込む彼女に、ドラゴンキッドと共に、現実だと伝えると、顔を赤くし、部屋から慌てて出ていったという。
ドラゴンキッドは残っていたが、帰る時間になり、スカイハイを心配して様子を見に来たバーナビーと一緒に帰ったという。バーナビーの目的が怪しいところだが。
「じゃあ、僕はこれで」
部屋を出ていく彼に、お礼を言う。彼にも用事があったろうに。
折紙サイクロンを見送り、キースを起こす。
「キース、起きてください」
寝ている彼を起こすのは可哀想だが、家に帰らなければ。
体を揺さぶると、目を開ける。
「帰りましょう」
「ああ……うん」
彼を起き上がらせ、肩を貸すが、服がトレーニングウェアのままだ。ロッカーに寄り、私服に着替えさせなければならない。
とりあえず、ロッカー室に寄り、私服へと着替えさせる。
ジャスティスタワーの下で、タクシーをつかまえ、ようやく彼の家へ。
家に入ると、すぐに寝室に向かい、彼をベッドに座らせ、寝間着へと着替えさせた。
「何か作ってきますから、寝ていてください」
頷くと、ゆっくりとベッドに横になる。
軽食を作り、彼に食べさせ、薬を飲ますと、また寝かせた。
額に冷やしたタオルを置いて、空になった食器を持ち、部屋を出る。
台所にそれを置いて、リビングに戻れば、寝室の扉の前で座るジョン。主人を待っているのか。
近寄れば、こちらを見上げる。
「ご主人はおやすみ中だ」
ただの風邪だ。寝れば治る。大丈夫と、頭を撫でる。
病人の彼を一人にする訳にもいかず、今日は泊まることにした。
キースは目を覚ました。
風邪をひいていたのだと、額のタオルを取り、ゆっくり起き上がれば、汗をかいていた。部屋は暗く、時計を見れば、まだ真夜中。
スタンドの所に置いてあるタオル。掴んでいたタオルをスタンドに置き、置いていたタオルを取る。
ベッドのすみには、服も置いてあった。
体をタオルで拭き、着替え終わり、水を飲もうと、立ち上がる。
リビングに行けば、ソファーでユーリがシーツをかぶり、寝ていた。
心配で、いてくれたのだろうか。小さくお礼を言い、台所に向かう。
蛇口を開け、コップに水を注ぎ、一気に煽った。久しぶりの水を飲んだ気がする。
「あ……ぅ……な……」
声が聞こえ、コップを置き、リビングへと戻る。
「ごめんなさい……あ……」
起きているのかと、彼を見れば、うなされているようで。
「ごめんなさい……パパ……ママ……ごめんなさい……」
謝罪を繰り返す、彼の顔に違和感を覚える。暗くて、よく見えない。よく近づいて見てみれば。
「!」
痕があった。それは、まるで手で顔を覆ったような形をしている。
ユーリには、そんな痕はなかった。しかし、それは、どう見ても古いものだ。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
まだ、同じ言葉を繰り返している。
「ユーリ……」
「パパ……ママ……ゆる、して……」
両親に何を謝っているのだろうか。そういえば、彼の家族について、何も知らない。
「ユーリ」
「ごめん、なさい……」
苦しそうに、謝っている。救いを求めるかのように、宙へと手が伸びてきた。
「ゆるして……」
シーツが音もなく落ちる。
「……ユーリ」
彼を覆い被さるように、抱きしめる。腕が背に回ってくる。まだ、彼は謝罪を繰り返す。
何を彼が抱えているのかは、知らないけれど。その重みが少しでも減ってくれるならと、抱きしめる力を強くした。
少し経つと静かになり、抱きしめるのをやめ、ユーリを見ると、もううなされてはいなかったが、痕は消えていなかった。
頬に接吻し、そのまま、彼を抱えて、自分のベッドへと向かう。あんな場所で一人で寝ているから、悪い夢を見るのだ。
一緒に、ベッドに横になる。
「おやすみ、ユーリ」
彼を力強く抱きしめ、目を閉じる。
ユーリが、今度は良い夢を見れるようにと、願いながら。
「ただいま!」
帰ってきた父を、ユーリは、母と二人で迎える。
「ユーリ!今日はお父さん、大活躍だったぞ!」
笑顔の父。今日は、一人で犯人を全員、捕まえたのだ。
「すごかったね!ママと見てたよ!パパ、かっこよかった」
「お疲れさま、あなた。本当にかっこよかったわ」
母に荷物を渡すと、父は自分を抱き上げてくれた。
「パパは、ユーリ達のために頑張るぞー!」
「頑張ってね、パパ!」
そう言うと、父は嬉しいのか、力強く抱きしめてくる。
ずっとこんな、生活が続くと思っていた。
父がヒーローで活躍し、優しい母がいつも笑っている生活。
小さく幼い自分は、何も知らずに笑っていたのだ。
久しぶりに、幸せな時の夢を見た。
しかし、あの頃には、戻れない。
悲しくなりながらも、ユーリは目を開けた。キースの風邪は治ったのだろうか。
「え」
見えたのは、キースの寝顔。周りを見てみれば、ここは寝室で、なぜか、ベッドに寝ていた。
自分はソファーで寝ていたはず。寝惚けてこちらに来たのだろうか。
起き上がろうとすれば、体に回る腕のせいで、起き上がれない。起きるのを待つしかないか。
熱がないか、そっと彼の額に手を当てる。昨日のように熱くはない。どうやら、下がったようだ。
手を離すと、キースがうっすらと目を開けた。
「ユーリ……」
「すみません、寝ていても……」
まだ、目覚まし時計も鳴っていないのだ。
目をちゃんと開けた、彼は見つめてくる。穴があくのではないかと思うほど。
「……?キース……?」
顔が近づいてきて、焦る。この状態では、逃げられない。
至近距離まで顔が近づいて、止まった。
「痕が……ない」
その言葉に目を見開くしかなかった。
あれを、見たのか。見られてしまったのか。
彼の手が右頬に触れる。
「離してくれ……!」
手を振り払い、彼の拘束からも逃れ、ベッドから転がり落ちる。
「ユーリ!」
体が痛かったが、そんなことは気にしていられない。
起き上がれば、彼が腕を掴んできた。
「だい……」
「離せ!」
それすらも、振り払う。
「ユーリ!落ち着いて!」
そう言われ、少し冷静になる。
しかし、頭に回るのは、あれをキースに見られたということだけ。
顔を覆い、そこにうずくまる。
前に彼が来たのが、気配で分かった。
「本当は、醜いんだ……」
そう呟けば、黙って彼は抱きしめてきた。
彼が何も言ってこないのが、逆に辛かった。
あの日から、キースはユーリには、会えなかった。あの朝も、逃げるように、自分の家を出ていった。
会おうにも、仕事を理由に全てを断られていた。
あの痕は、彼は絶対、見られたくはなかったのだろう。
そのことを、聞けなかった。悪夢にうなされ、両親に謝っていたことも。
携帯を見ても、彼からの連絡はない。
元通りになったトレーニング室に行き、やってくるヒーローの皆に、頭を下げた。
トレーニング室を滅茶苦茶にしたのは、自分だ。能力を暴走させて、危険な目にあわせたのも。
「もういいけど……管理官にもちゃんとお礼、言いなさいよ」
ブルーローズに言われた言葉が胸に刺さる。
今は、伝えられないのだ。
「どうした?」
「管理官と喧嘩でもしたのか?」
「あれが原因で……!?」
騒ぎ始めるヒーローたちに、なにもないと、首を横に降る。
「仕事が忙しいみたいで、会えないんだ」
その言葉に、皆の視線がワイルドタイガーへ。
「え?お、俺、最近は壊してねーよ!」
弁解を始めた彼。
自分は、仕事の時間が差し迫っていたため、そこから抜けた。
後で、彼に謝罪のメールでも送ろう。無視されても、別にいい。
6
その夜。
連続殺人犯が脱獄し、捕まえるため、ヒーローたちが収集された。
ルナティックが現れる前に捕まえろと、上からの指示らしいが、アニエスは納得していない様子だ。
ルナティックが出てくれば、視聴率が取れるのだ。
一部の市民からダークヒーローともてはやされて、ヒーローの存在を脅かす存在。
犯罪者しか殺めていないが、やっていることは、人殺しに違いない。このシュテルンビルドは死刑制度は認めておらず、深刻な問題となっているのだ。
彼を捕まえて、その行為を止めなければ。
バーナビーが犯人に追いつき、捕まえようと手を伸ばした瞬間、犯人が炎に包まれた。
その熱さにたじろぐ。目の前で燃え盛るのは、青い炎。叫び声が炎となくなっていく。足元に転がるのは、動かなくった犯人の死体。
「ルナティック……!」
悔しげに名を呼び、その姿を探せば、ビルの屋上の看板の上に立っていた。その背には、赤い月。
「このヤロオオオ!!」
自分が飛び出す前に、ワイルドタイガーが飛び出していた。
「待ってください!」
彼は、自分より先に能力を発動させていたはずだ。
そして、そろそろ切れる時間が迫っている。
一直線に向かう彼を追いかけた。
炎の矢をかわし、近づいていっていたが、宙に飛んだ瞬間。
「うわああああ!」
落ちていく。どうやら、能力が切れたらしい。
敵は容赦なく、炎の矢を落ちていく彼へと、飛ばす。
「させるか!」
彼の所へ飛び、彼をまた、お姫様抱っこで助け、間一髪で炎の矢も避けた。
ビルの屋上に着地し、彼をおろした。
「時間も考えないで、突っ込まないでください!」
「ちくしょう!」
自分の説教も聞こえていない様子だ。ただ、ルナティックを見上げる。遠くで表情など見えないはずだが、笑っている気がした。
「くっ……!」
向かおうとしたが、能力が切れるアナウンスが。
ルナティックが空へと逃げる。
「待て!逃がさない!そして、逃がさない!」
そのあとを、スカイハイが追いかけていた。
空を飛ばれると、あとは彼ぐらいしか、追いつける者はいない。
悔しいが、彼に任せるしかない。
ルナティックは、追ってくるスカイハイをどう振り切ろうか、考えていたが、彼は制限なく飛べるため、どこまでも追ってくるだろう。
戦った方が懸命か。
少しずつ彼との距離を縮めていく。
「観念したまえ!」
スカイハイがスピードを上げたのを確認し、炎を反対に噴出さた。
反転し、そのまま蹴りを喰らわした。それは見事に彼のみぞおちに。防御もできず、まともに攻撃を食らった彼は、ビルの屋上へと激突した。
追い討ちをかけるため、自分もそこに向かった。
ビルの屋上へと、降り立てば、、瓦礫の上で倒れていた。階段へ続く建物にぶつかったらしい。
スカイハイへと、ボウガンを向ける。
いきなり、頭にキースの顔が浮かんだ。
あの時から、会っていない。
「……」
今は、ルナティックとスカイハイだ。恋人ではないと言い聞かせる。何をためらうことがあるのだ。邪魔者は消すのみ。
彼の笑顔と呼ぶ声が頭を過り、また、引き金が引けなかった。
意識を取り戻し、手を付いて起き上がれば、こちらに向けられているボウガン。自分を狙っている青い炎の矢。
無意味なことだが、目を閉じ、腕を前にして自分を守った。なぜか、ヒーローたちに、恋人に、謝罪を述べながら。
ボウガンが発射される音が耳に届く。
しかし、自分を包むはずの熱さが来ない。それは、横から感じる。
目を開けて、横を見れば、炎に包まれ、消し炭になっている瓦礫。自分がそうなっていたのかと思うと、ゾッとする。
目の前のルナティックは、ボウガンを構えたまま動かない。
「捕まえる……!」
手加減などできずに、攻撃を繰り出せば、起きるのはかまいたち。
それは、上に飛ばれることで避けられ、ルナティックのスーツの裾を切っただけだった。
彼は、柵に降り立つ。
「次は、ない」
そう言うと、彼は後ろへと飛び降りた。
その姿を追いかけようと、下を見たが、もう影もなかった。
逃がしたかと落胆していると、視界に何か見えた。それを目で追えば、ルナティックのスーツの切れ端。
それを掴み、見つめる。
「大丈夫か!?」
「スカイハイ!」
「スカイハイさん!」
ヒーローの皆が、心配して駆けつけてくれた。手に持つスーツの一部は、握って隠した。
「なんとか、大丈夫だよ」
「あの至近距離で、攻撃を反らすなんて、さすがでござる!」
折紙サイクロンの言葉に続く、仲間からの賞賛。何も言えない。自分は何もしていない。あれは、わざと外されたのだ。
なぜ、彼は自分を見逃したのだろう。
消すには絶好の機会だった。
ワイルドタイガーは、彼に負傷させられていたのに。
ヒーローと対峙するのは、本意ではないと言っていたが。
「どこか怪我でも?」
黙っていたのを不審に思ったのか、皆が再度、心配してくる。
「大丈夫だよ」
スーツのおかげで、大きな怪我はしていない。少々、蹴りが入った腹は痛むが。
病院には行けと、念をおされ、そのまま、撤収となった。
病院に行くと、軽い打撲らしく、湿布を貼ってもらっただけだった。
家に帰り、ずっとルナティックのスーツの切れ端を眺めていた。
様々な考えが頭の中を、回る。
しかし、その考えを遮るように、ジョンがじゃれてきた。
「ど、どうしたんだい?」
その目が見つめるのは、スーツの切れ端。
それを奪おうとしてきた。
「これは、だ、駄目だ!ジョン!」
ルナティックへの唯一の手がかり。黙って持ってきてしまったが、大事なものだ。
しかし、奪われ、ジョンにボロボロにされてしまった。
この光景は見たことがある。
「ユーリのリボン……」
前にも、ジョンはリボンをボロボロにしたのだ。
「もしかして……」
頭に出てきた考え。それを否定し続ける。しかし、このジョンの反応は。
「彼の……ユーリの匂いがするのかい?」
元気な返事が返ってきた。
真実は、時には残酷なものだ。
7
ユーリは会議が長引き、残業をしていた。
会議が長引いた理由は、ルナティックだ。自分が原因なので、文句も言えない。
仕事をしていれば、携帯が鳴った。画面に表示される恋人の名前。
このまま、会わずにいれば、自然消滅で別れられるだろうか。
駄目だろう。彼は、諦めない。
会ってはいないものの、彼の着信やメールは毎日のようにあるのだ。
あの痕を見ても、まだ。
携帯は鳴り続けている。いつもなら、少し経てば、静かになるのだが。
携帯が静かになった。しかし、再度、鳴り始める。
別れるなら、直接、言った方がいい。
電話に出た。
「もしもし」
「久しぶり、ユーリ。今は執務室かい?」
案外、彼が冷静で驚く。まくしたてられるものかと思っていたが。
「ええ」
「分かった」
本題を切り出す前に、切られた。仕事中だから、諦めたのか。
後日、言えばいいと、携帯を仕舞うと、窓から音が聞こえ、不審に思う。ここは、地上より遥か上だ。外から窓を叩くことはできない。
嫌な予感がし、窓に向かえば。
そこに浮いている自分の恋人。
「なにを……!」
見つかれば、大問題だ。しかも、ジャスティスタワーで、素顔。
窓を開ければ、いきなり腕を引っ張られ、自分も空中へと。
落ちないように、彼に抱きつく形となる。彼も、自分を抱く形に。
「今日はね、月が綺麗なんだ」
そう言って、彼が見上げる。夜空には三日月が浮かんでいた。
口を開こうとすると、いきなり上昇され、ジャスティスタワーの上へと。女神の頭を見下ろすところまで。
「なぜ、こんなことを……」
「二人きりで話そうと思ってね。君は会ってくれないし」
会うことを拒否していたのは自分だ。何も言い返せないが、もっと違う場所があるはず。
「執務室に戻ってください……そこで、話を」
「逃がさないよ、ユーリ」
もう逃げる気は、さらさらない。
「なら、能力を使えばいい」
その言葉に、思考が止まった。
こちらを見る目は真剣だ。彼は確信しているようだった。
あの時に、逃したことが仇になってしまったのか。しかし、自分に繋がるものを、あそこには残していないはずだが。
「飛べるのだろう?私から逃げていたみたいに」
今回は、逃げられない。
「ルナティックのスーツの切れ端から、君の匂いがするって、ジョンがね」
スーツの一部が切り裂かれていたのを思い出す。それを彼が拾ったのだろう。犬の鼻までは誤魔化せなかったらしい。
全身の力が抜けていく。
このまま、落ちて、死ねばいいだのろうか。
掴む力が弱まったので、キースは彼を支える。
その沈黙は、肯定の意だろう。彼は、違うなら違うとはっきり言う。
「君が、ルナティックなんだね」
無表情の彼の目から、青い炎が揺らめいた。
紛れもなく、彼がルナティックという証だった。
ユーリは迷っていた。キースを殺すべきかを。
正体を知られたからには、消すべきだ。
しかし、彼は罪人ではない。この青い炎が包むのは、罪人だけ。
捕まるなら、いっそ。
「もう、終わりか……」
ため息をつく。そう、終わりだ。自分のしてきたことも、彼との関係も。
炎を消した。
「あなたといた時間は、とても幸せでした」
短くも、長くも感じた、あの時間は、自分にとっては大切なものだった。
「ありがとう、キース」
彼には、どれだけ礼を述べても足りない。
「警察に連れていけば、あなたの手柄です」
そう言って笑う。最後に彼の役に立つ。これで、スカイハイは、伝説的なヒーローになるだろう。凶悪犯、ルナティックを捕まえたヒーローとして。
「そんなことはしないよ」
予想外の言葉に、困惑する。なぜだ。ここに犯罪者が、人殺しがいるのに。
「ヒーローでしょう!」
みすみす、見逃すのか。
「今の私は、ただのキースだよ?しかも、ここにいるのは、ユーリ・ペトロフ。私の恋人だ」
キースが笑顔で何を言っているか、理解ができなかった。
今は、彼はスカイハイではないから。
今は、自分はルナティックではないから。
そんなもの言い訳にすぎない。
「私が……私が、ルナティックなんです!早く捕まえてください……!」
彼に捕まえられるなら、本望だ。
ユーリは、なぜか、捕まりたがっている。
ルナティックの時は、攻撃までし、逃げた彼が、だ。
「今の君を捕まえても、意味がない」
今の彼はユーリ・ペトロフだ。ルナティックではないし、彼を今の自分が、捕まえることは、フェアではない。
スカイハイとして、ルナティックと対峙した時に、捕まえてこそ、意味がある。
ルナティックが掲げる正義。犯罪者を殺める理由。ヒーローを支える立場でありながら、正反対の行動をする理由。
その全てを知るには、ルナティックに全力でぶつかり、捕まえた時に明らかになるのだろう。
彼から聞いても、何も解決しない。自分も、納得ができない。
ルナティックとしての行為なのだから。
「君は、ルナティックが捕まることを望んでいるのかい?」
「だから……私を、早く……!」
捕まえてくれと、項垂れる彼。
「じゃあ、ルナティックはスカイハイが捕まえるよ。だから……」
いつかは、別れが来る。それは、堪らなく悲しいけれど。
「お願いだから、その時までは……一緒にいてほしいんだ」
ユーリが覚悟するように、自分も覚悟をするから。
ルナティックと知っても尚、そう言われるとは思っていなかった。
いつか、その日が来たらと、覚悟は決めていた。
しかし、キースの言葉と行動は自分を裏切るばかり。
辛かった。彼の優しさが針のむしろのようで。
彼が静かなのを不審に思い、顔を上げれば、月明かりに照された、頬を流れる涙。
なぜ、彼が泣くのだ。泣きたいのは、こちらだというのに。
そっと頬に添えられるユーリの手。
その手さえも、濡らしていく涙。
彼と別れるということを考えるだけで、止まらない涙。本当に別れる時は、もっと酷い状態になるのだろうか。
本当は、そんなことなんて、起きなければいいのだけれど。
「一緒にいて……ほしい……」
「こんな私と?」
何度も首を縦に振った。
彼の手が頬から、離れる。
頷くのに、疲れたのか、キースはやめた。しかし、涙は流れたまま。
「私は醜い人殺しです、一緒には……」
手形の痕を仮面で隠した、殺人者。
彼に触れる手も、見えないだけで、汚れきっている。
綺麗な彼さえも、汚していってしまう。
「君は、私が嫌いなのかい……?」
口を開けば、嬉しくない言葉ばかりを発するユーリ。
もしかしたら、自分を嫌っているのではないかと思う。それか、自分に嫌われようとしているのか。
だから、そんな言葉を繰り返すのだと。
「愛しているからこそ……言うんです」
首を横に振り、そう言う彼は苦しそうだ。
「じゃあ、愛してると言って。私はそんな言葉を望んでいない」
「私にそんな資格は……」
手で口を塞ぎ、言葉を遮る。まただ。彼自身を否定する言葉はいらない。
「愛してるなら、愛してると言って、お願いだから……」
また、涙が溢れる。目を閉じても、止まらない。
頬に触れた布の感触。それに目を開けると、彼がハンカチで涙を拭いていた。
拭い終わると、口を塞ぐ手を叩かれた。
聞きたくない言葉なら、また塞げばいいと、手を退かす。
「愛してます、キース」
ようやく、聞けた自分が望む言葉。
「私も愛してる。ねえ、ユーリ、私が君を愛すのは、罪かい?」
少し時間を置いて、彼は首を横に振る。
罪だと言われようが、無視をするが。
「愛させて。私は、君を愛したい」
彼の全てを。体、心、背負っているものさえも。
今さら、離れることなんて、できやしないから。
前に見たあの映画の二人のように、今は邪魔する者なんていない。こうやって触れあっている。壁で隔たれても、自分が彼の元へと飛んでいくだけだ。
あの二人は何もできなくて、引き裂かれ、手を離してしまっていたけれど。
自分は離しはしない。決して。
誘惑に負けて、付き合い始めた時から、自分はキースに甘え続けた。
問題を先伸ばしにし、目を背けて。
しかし、壁にぶつかると、彼はその壁を容易く飛び越えてきた。
そして、いつもの笑顔で手を差し伸ばしてくる。
手を取ることを渋っていれば、彼から手を握ってきた。
そして、抱きしめてくるのだ。
「私も……あなたを愛したい、です」
本音だった。自分も彼を愛したい。それが、許されないことだとしても。
「じゃあ、帰ろう、私の家に」
抱きしめる力が強くなる。
「待ってください、キース。執務室に戻してください」
このまま、帰るつもりだろう。
執務室の戸締まりもしなくてはいけないし、荷物があるのだ。
「早く帰りたい」
不満そうな彼。
「荷物と戸締まりだけです。下で待っていてください」
そう説明すると、彼は納得したようだ。
しかし、執務室まで着いてこようとする彼を説得するのに、骨が折れた。
8
執務室に戻され、彼は待ってるよと、下に向かっていった。
窓を閉めると、急いで帰る準備をする。
急ぎのは仕事はなかった。明日に回しても大丈夫だ。
荷物を持って、部屋を出た。
ユーリが下にいるキースと合流すれば、すぐにお姫様抱っこされ、空から家へと。
その間、二人とも無言。
ただ、風の音が聞こえていた。
家に着き、おろされると、手を握られ、いつものリビングではなく、寝室へと連れ込まれた。
ジョンが入ってくる前に、扉が閉められ、入れてくれと、ジョンが扉を叩く。
可哀想だが、今はキースと二人となりたい。邪魔はされたくない。
キースが上着を脱ぎ、ハンガーにかけるのを、ベッドに座り、それを見ていた。
隣に彼が座る。
沈黙。ジョンも諦めたのか、静かだ。
「ユーリ」
名を呼ばれ、彼の方を見れば、真っ赤な目で、こちらを見つめていた。
「キス、したい」
どこに、と聞かずとも、分かる。自分が一番、渋っていた口だ。
「後悔しませんか?」
してしまえば、彼は止まってくれはしないだろう。
場所が場所だけに。
「しないよ。絶対にしない」
頬に添えられる手。
目を閉じ、その時を待つ。
ゆっくりと、唇が重なる。すぐに離れていったが、また重なった。
長い口づけが終われば、彼の息づかいが荒く、自分も少し息が上がっていた。
「ユー、リ」
少し潤んだ目。手がネクタイを緩め、もう一方の手がリボンを解いていく。
色濃く匂う、夜の香り。
「あの……」
「ためらっている時間なんて、私たちにはないよ」
この関係の終わりが来るのは、いつか分からない。早ければ、明日だ。
彼の手が止まる。
「君が嫌なら、やめよう」
名残惜しそうに、手が離れていくのを、掴んで止めた。
「シャワーを浴びたいです」
あれを見れば、彼の気持ちが変わるかもしれないと。
シャワーを浴びて、部屋に戻ってきた彼は、下は自分が貸したズボン、シャツを着ていたが、ボタンは止められていなく、素肌が見えていた。
こちらに向けられた顔には、痕がくっきりと浮かび上がっていた。
「醜いでしょう」
隣に座った彼は嘲笑を浮かべる。
「これが、私の罪の証です」
「それは、なぜ、ついたんだい?」
そう問わずにはいられなかった。普段は、隠されているその痕は、彼を苦しめているのは、確かだ。
「母を助けるために……父を……殺した時に……」
その告白に、何も言葉が出てこなかった。
彼は続ける。そのことが、当時の自分が幼く、事故として処理されたこと。母親も、その時から壊れてしまったと。
あの夜、うなされて、両親に謝っていたのは、このことが原因なのだろう。
罪の意識に苛まれ続け、彼は生きている。
ルナティックの行為は、それからきているのだろうか。
犯罪者を死で裁く理由。犯罪者に、自分を重ねて自分を裁いているのかもしれない。
虚しい、行為だ。
「……」
彼はまっすぐこちらを見ていた。
前にされた、愛し方が分からないと、どうすればいいのかという質問を思い出す。
彼は、忘れてしまったのだろう。愛すということ、愛されるということを。
罪を独りで背負い、長い間、誰にも打ち明けられず、苦しんで。
その痕に触れる。彼は嫌がったり、手を払いのけるということはなかった。
少しでも、傷を癒せないだろうか。その深い深い傷を。治せないとしても、痛みを和らげることは。
「ユーリ、君はどうしたら、笑ってくれる?」
自分の傍では笑っていてほしかった。それが、表面上だけでも。
「あなたと、同じです」
頬に触れている手に、ユーリの手が触れる。
「そばにいてくれるだけで、充分です」
彼は、笑顔でそう言った。
キースの気持ちが変わることはなかった。この痕を見ても、過去を知っても、ルナティックだと明かしても。
彼には、別れるという選択義は、ないのだと思い知らされた。
嬉しいが、素直には喜べない。
全てが明るみに出た時、彼は非難されるのだろう。
なぜ、犯罪者を野放しにしていたと。ヒーローとして、あるまじき行動だと。
「……何を考えているんだい?」
「あなたのことです」
頬に触れる手が、抜けていく。まだ、触られている感覚と、残る体温。
手持ちぶさたになった手を下ろすと、その手が握られる。
「私の心配は、いらないよ」
なぜ、分かるのだろう。
「険しい顔をしていたからね」
彼は手を離すと、力強く抱きしめられた。
「一緒にいよう、最後まで」
「ありがとう、キース……ありがとう」
目を閉じ、彼に体を預ける。
キースの愛情に捕らわれて、もう逃げることなんてできないのだから。
抱擁を解き、彼をゆっくりと押し倒した。
「我慢、できないですか?」
おかしそうに笑うユーリ。
「無理だ!そして、無理だよ!」
今のユーリは、とても扇情的だ。
シャツの前は開き、胸から腹が見えていて、無駄のない筋肉と細い腰。病的にまで白い素肌。ベッドに広がる、波打つプラチナブロンド。
理性が飛んでいきそうなのを、必死に堪えている状態だ。
すぐにでも、彼を襲いたい。
「私たちに、ためらっている時間は、ないんでしょう?」
それは、了承の言葉と受け取ることにした。
目を覚ませば、気だるさが襲ってきた。
あそこまで、していれば当たり前かと、近くにある温もりに身を寄せれば、笑い声。
顔を上げれば、笑顔のキース。
「起きてたんですか……?」
気づけば、自分は、頭を彼の腕にのせ、手が頭を撫でていた。
「夢じゃないかと思ってね」
彼の顔が曇る。
「寝てしまったら、君が消えてしまうじゃないかって……」
「夢じゃ、ありません」
片腕を付き、起き上がると、彼の唇に自分の唇を重ねた。
「大丈夫ですよ、キース」
唇を離し、そう言えば、呆気に取られている彼。
笑いながら、彼の腕枕へと戻り、彼の背に手を回し、体を密着させた。裸だが、気にしない。
「そうだね」
自分の背にも、手が回ってくる。
額に口づけされ、そのまま、動かなくなった。すぐに聞こえてきた寝息。安心して、睡魔に負けたらしい。
笑って目を閉じた。
もう、自分は全てを彼に捕まえられてしまった。
スカイハイがルナティックを捕まえるのは、いつになるのか。
遠い日に背負った十字架ごと、裁いてくれる日を願わずにはいられない。
その日が来るまでは、愛情に溺れて。
空は浮かぶ月を手に入れ、どこまでも澄み渡り、月は浮かぶ場所の空を手に入れ、その美しさを増す。
同じ場所にいるものが、ひかれあったのは、必然だったのかもしれない。
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