君への距離 貴方との距離

1

横を通った二人組が、嬉しそうに帰りに何を食べるかと話していた。次に通った人は、今から帰ると携帯で話していた。
普通なら、帰宅する時間だ。そんな時間だが、ユーリ・ペトロフは職場であるジャスティスタワーに向かっていた。
向こうの不手際で、提出期限が迫った書類が届かなかった為、自分の足で回収してきたのだ。
これがなければ、今頃、仕事が一段落していたはずなのに。
早足で歩いていた為か、少し息が上がっている。
体を少し休めようと、公園に入り、ベンチに座る。
職場に戻れば、仕事をしなければならない。ここで少し休憩してもバチはあたらないだろう。
頭の中で、残っている仕事を思い出し、優先順序を決めていく。
ユーリ自身にしかできない仕事も多く、滞ってしまえばヒーロー達に迷惑が、かかってしまう。
「今日の晩御飯は何がいいー?」
「ロールキャベツがいい!」
前を通った親子の会話を、微笑ましく思いながら、今日は食事をしていないことを思い出した。
仕事に追われることも多く、気にしなければ、昼食の時間などあっという間に過ぎ去っているのだ。
糖分は取っているので問題ないだろう。いつのまにか閉じていた目を開ける。
「ワン!」
驚いて、最初はそれが何か認識できなかった。
目の前いるのは大きなゴールデンレトリバー。
よく見てみれば、首輪に繋がるリードを引きずっている。飼い犬のようだが、辺りを見回しても飼い主のような人物はいない。
「!」
膝に重さを感じ、見ると、その犬は膝に頭を乗せていた。撫でろと言わんばかりに。
「主人はどうした?」
撫でてやると、嬉しそうな声を出す。動物に触れるのは久しぶりだ。あまりなつかれたことがない。
毛並みもいい。怪我をしている様子もない。大切にされているのだろう。
逃げてきた訳ではなさそうだが。
「おーい、ジョン!」
その声に反応し、犬が吠える。
ようやく飼い主が来たかと、走ってくる人物を見た。
「ジョン!なぜ、待っていないんだ?」
ジョンと呼ばれたその犬は、飼い主へと走り寄っていく。
紙袋を持ったその人物は、見覚えがある。
「スカイハイ……」
ポセイドンライン所属のキング・オブ・ヒーロー。本名、キース・グッドマン。
その名前を呼ばれたことに驚いたのか、こちらを見る。
「管理官!奇遇だね!」
爽やかな笑顔をこちらに向けてくる。
「そう、ですね」
少し頭を下げる。とっさに笑顔などできない。
「ジョンが迷惑をかけなかっただろうか?」
「いいえ」
ジョンが人懐っこいのは、飼い主に似たのだろう。よくペットは飼い主に似るという。
また、膝に頭を乗せてくる。
「ああ、やめないかジョン」
スカイハイがリードを引っ張るが、頑として動かない。
「別にいいですよ」
あまりに引っ張っては可哀想だ。
それを牽制すると、リードを引っ張るのをやめる。
「すまない、本当にすまない……」
ここにいる許可をもらったジョンは、こちらを見つめる。撫でてやると、はちきれんばかりに尻尾をふる。
「あの……」
「なんですか?」
顔を上げ、見ると、スカイハイは隣を指していた。
「座ってもいいかな?」
「どうぞ」
ジョンが動かないのでしょうがない。
「ありがとう、そして、ありがとう!」
隣に座った彼は、笑顔でジョンを見つめている。
「どうやら、リードの結びが甘かったようでね。無事でよかった」
「危ないですよ」
「次からは気をつけよう!」
そう言い、彼は笑う。
「ジョンは、君を気に入ったようだね」
ここまでなつくのは、珍しいと言われた。
「管理官はよくここに来るのかい?私は散歩でよく来るのだけど」
この公園は散歩コースとして人気の為、ペットを連れて歩いている人も多い。
「いいえ、少し休憩を」
「気分でも優れないのかい?」
心配そうに見てくる。
「いや、歩き回ったせいで少し疲れただけです。職場に戻ってしまったら、休憩ができませんし」
「まだ仕事なのかい!?」
目を見開き、顔を近づけくる。
「え、ええ」
顔を離していくが、彼の視線は違うところに移る。それを追いかけると、時計を見ていた。
「管理官も大変なんだね」
時間が、だいぶ経っている。これは急いで戻らなければ。
「すみませんが、そろそろ失礼します」
ジョンを退かし、立ち上がる。
「ああ……」
歩こうとすると、ジョンが名残惜しそうに、前を行ったり来たりしていた。
「ジョン、邪魔をしてはいけない」
「また機会があれば、撫でてあげますよ」
撫でてやると、一つ鳴き、退いてくれた。
「では」
「仕事、頑張って!」
頭を下げ、会社へと急ぐ。

彼の後ろ姿を見送る。
時計を再度見れば、パトロールの時間が差し迫っていた。
こちらも急いで帰らなければ。
リードが手が抜けていく。
見ると、ジョンがユーリが行った方向へ走っていっていた。もう彼の姿はなかったが、まだ、撫でてもらいたいのか。
「ジョン!」
追いかけると、ジョンは何かに興味を示し、口にくわえ込んだ。
「それは、なんだい?」
手を差し出すと、それを渡してくれた。
それは黒いリボン。見たことがあるような。ジョンが返してくれと言わんばかりに鳴く。
「あ!」
今さっき見たばかりではないか。今まで、すぐ傍で。
「管理官の……」
急いでいたために、落としたのに気づかなかったのだろう。
しかし、もう今はパトロールの時間が。
明日、届けることにしよう。

執務室に行こうと、エレベーターに乗り込むと、部下が足早に乗り込んできた。
「良かった……帰られたのかと……」
ずっと探していたのか、息が上がっている。
「すみません、書類を……」
差し出された書類を受け取り、確かめる。
「髪を下ろしているなんて珍しいですね」
リボンがあった場所を触ると、リボンがない。
「どこかに落としたみたいですね」
他人事のように言い、書類を読み進める。
書類の確認が終わると同時に、エレベーターが着いたことを告げる。
「こちらから提出しておきますので、帰っていいですよ」
「あ、ありがとうございます!お先に失礼します」
頭を下げる部下に、ご苦労さまと声をかけ、エレベーターを出た。
執務室に入り、荷物を下ろし、書類を机に置く。
引き出しを開け、予備のリボンを取り出す。いったい、どこで落としたのだろう。リボンの一つや二つなくしても、どうということはないが。
椅子に座り、髪をまとめる。
ため息をつき、机に置かれた書類の束に、手を伸ばした。

それから、数日。
キースはジャスティスタワーの入口である人物を待った。
仕事が忙しいため、ずっとという訳にはいかないが、時間がある時はここにいた。
そして、ようやく見つけた。
「管理官!」
こちらの顔を見ると、無表情のまま立ち止まる。
「スカイハイ」
「よかった!ようやく会えた」
いつ帰るか分からないため、ここで待ってるしかない。仕事でもないのに、呼び出すのはどうかと思った。彼は忙しい身なのだから。
「どうして、あなたがここに?」
「リボンを届けようと思ってね」
「そういえば、なくしました」
差し出すのは紙袋。それをユーリは不思議そうに見つめている。
「実は、君のリボンはジョンがボロボロにしてしまって、すまないがこれで……」
机に置いていたら、ジョンが遊んで、見るも無惨なものになってしまった。それを届ける訳にはいかない。
「もしかして、あのリボンはお気に入りだったかい?それなら、本当にすまないことをした」
紙袋を受け取ってもらえないことに焦りを感じる。
「予備ならいくらでも……しかし、わざわざ、ありがとうございます」
頭を下げ、袋を受け取ってくれた。ちゃんとリボンで結ばれた髪が揺れる。
「あの、お礼をさせてください。ここまでしてもらい、なにもしないのは」
「じゃあ、食事にでも」
「分かりました」
今日は用事があるので、後日ということになった。
連絡先を交換し、そこで別れた。



2

仕事を終えたユーリが、仕事場を出たのは、定時をとっくに過ぎていた。
帰る準備をしている時に、仕事が滑り込んできたのだ。
翌日に回せば、よかったのかもしれないが、明日は会議があり、拘束される時間が長い。あまり、仕事は増やしたくなかった。
明日は、定時で帰るようにしたかった。
それは、スカイハイとの食事の約束。
連絡をしなければと思っていると。
「!」
暗闇に響く悲鳴。前方から聞こえ、何事かと走っていくと、同じように女性が走ってきた。後方を気にしながら。
「た、助けて!」
こちらを見ると、怯えた目ですがり付いてきた。
「何が……」
聞こうとすると、足音が聞こえてきた。
前から現れたのは、刃物を手に持った怪しい人物。
相手の目元はフードで隠れており、見えない。しかし、口だけが見えている。それが、つり上がっていくのが見えた。笑っている。
危険だと本能で感じ取り、女性の盾となるように前に立つ。
通り魔なのだろうか。最近はそんな事件は起こっていなかったはずだが。
ゆっくりと、近づいてくる。
人前で能力を使うわけにはいかない。手に持っているのは鞄くらいだ。
逃げた方が得策か、女性だけでも逃がした方がいいか。
そう考えていると、スーツが引っ張られた。背中に当たる感触。伝わる体の震え。
一人では逃げれそうにない。
視界の端に何かが光った。
振り上げられている刃。
とっさに鞄を盾にする。
その時、後ろから、たじろぐ程の風が吹いた。寄りかかってきた女性を支える。
目の前の人物が吹き飛び、道に転がり、刃物も音をたてて地に落ちた。
「大丈夫かい!?」
風と共に来たのは、スカイハイだった。宙に浮かぶ彼に、大丈夫だと返す。
「え、スカイハイ?」
後ろで震えていた女性も、突然のヒーローの登場に驚いていた。
スカイハイは、目の前に降り立つ。
「怪我は?何もないかい!?」
「私は、何も」
「そちらの女性は?」
女性はスカイハイを見て、呆けていた。
「あの、怪我はないですか?」
女性にそう聞くと、我に返り、持っていた裾を離し、首を縦に振る。
「は、はい!すみません……!」
「いいえ」
スカイハイはそれを聞くと、通信機で警察を呼んでいた。
「すぐ来るよ」
「ありがとうございます」
通り魔らしい人物は、倒れたまま動かない。倒れた時に、頭でも打ったのだろうか。
スカイハイが落ちた刃物だけ回収していた。

すぐに警察が来た。
女性を警察に任せ、自分は聴取を受けることになった。
ヒーロー管理官という立場もあり、状況を説明すると、すぐに解放された。
何かあれば、また召喚されることだろう。
警察署から出ると、こちらに寄ってくる彼。
「お疲れさま」
「スカイハイ」
スーツを脱いでいた。ずっと、待っていたのだろうか。
「物騒みたいだから、家まで送ろうと思って」
「ありがたいですが、タクシーで帰りますから、大丈夫ですよ」
律儀に警察署の人がタクシーを呼んでくれていた。
しかも、女性ならまだしも、自分は男性だ。そこまで心配しなくていいように思う。
「そう……」
なぜか落ち込むスカイハイ。
「明日、夜はお暇ですか?」
会ったのだから、伝えるべきだ。
「ああ、仕事は入っていないよ」
「お食事の件、明日でいかがでしょう?」
そう言うと、彼はたちまち笑顔になる。
「問題ないよ!」
タクシーが来るまでの間に待ち合わせ場所と時間を決め、そこで彼と別れた。
こちらの姿が見えなくなるまで、彼は手を降っていた。

次の日、仕事が終わり、スカイハイと合流し、レストランで食事をした。
その後に、バーで飲んだのだが。
自分は酒には強く、結構な量を飲んでも、あまり酔わないのだが、自分のペースで飲んでいたら、彼が潰れてしまった。
酒に強くはなかったらしい。
彼の家の住所をなんとか聞きだし、タクシーを呼んだ。
しかし、タクシーから家まで運ぶのは自分な訳で。
覚束ない足どりの彼に、肩を貸しているが、体重がこちらにかかっている。
自分よりも重い人を運ぶとなると、重労働だ。
扉の前まで行き、彼のポケットを探り、鍵を取り出し、開けた。
部屋の奥から走ってきたのはジョン。
自分に近寄り見上げてきた。目を輝かせている。今は相手にできない。
「スカイハイ、寝室は?」
「う、ん……」
いい返事は期待していなかったが、これまでとは。
玄関の扉を閉めるためにも、リビングにあったソファーに彼を横にさせ、扉を閉めに玄関に向かう。
扉を閉め、寝室を見つけ、彼をベッドに横にさせようと、また肩を貸した。
スカイハイをベッドに転がす。
「う……」
寝にくいのか、ジャケットを脱ごうとしていた。それを手伝い、ジャケットを脱がせ、ハンガーにかける。
ベッドに座り、一息つく。
「管理……官……」
振り返ると、彼がこちらを見ていた。
「ここ……は……?」
「あなたの家ですから、寝ても大丈夫ですよ」
「すまない……」
「いいえ。私も止めるべきでした」
久しぶりに飲んだため、少々ハメを外してしまった。
酒を次々とすすめたのは自分だ。こちらにも非はある。
「そろそろ、帰ります」
自分がいては、眠ろうにも眠れないだろうと、立ち上がろうとしたところ、腕を掴まれた。
「スカイハイ?」
掴む手が力強く、立てない。
「いてほしい」
はっきりとした言葉。
「いつも一人で寂しいんだ」
「あの……」
目をゆっくりと閉じていく。
「お願いだ……お……ね……」
聞こえてくる寝息。
腕を掴む手の力強さはそのままだ。待っていれば、弱まってくれるはず。
しかし、待っている間は暇で。
少し酔っているのと、スカイハイを運んだ疲労のせいで、睡魔が襲ってくる。
心地よい微睡み。負けたのはすぐだった。

目が覚め、手を動かすと何かにあたる。
不思議に思い、横を見ると、目の前に銀髪。
「……!?」
起き上がり、誰かと確認すると、ユーリ・ペトロフ管理官。こちらに背を向け、寝ている。
なぜ、彼がここに。
昨日のことを必死に思い出す。
レストランで食事をし、その後はバーで飲み。
「えと……」
酔っていい気分になったのは覚えているが、肝心の家に帰った記憶がない。
たぶん、彼がここまで送ってくれたのだろう。疲れて眠ってしまったのかもしれない。
広がっている銀髪。何かが足りないと思っていたが、リボンがない。
枕の下から見える黒いリボン。それを取り、見てみると。
光を当てれば、紫になるそれは、自分が贈った物。
使ってくれたのだと嬉しくなり、彼の銀髪に触れる。
「ぅ……」
声が聞こえ、とっさに手を引っ込めたが、寝返りをうち、彼の瞼がゆっくりと開いた。
動かずにじっとしていたが、いきなり起き上がる。
せわしなく辺りを見ると、こちらを見てきた。
「何時ですか?」
少し焦っているようだ。
「まだ、そんな時間じゃないよ」
目覚まし時計も鳴っていない。
時間を確認した彼は、安心していた。
「あ、おはよう。そして、おはようございます!」
「おはよう、ございます」
戸惑いながらも、挨拶を返してくれる。
「昨日はすまなかったね。ここまで連れて帰ってくれたのだろう?」
「骨が折れましたよ」
細い彼には、大変なことだったろう。
「疲れて寝てしまうほどに?」
そう言うと、冷たい目で見られる。
「あなたが腕を掴んで、帰してくれなかったのですよ」
掴まれた場所なのだろうか、彼は腕をさする。
「私が……」
昨日のことは、途中からは彼しか知らないのだ。彼がそんな冗談を言う人間ではないはず。ならば、本当のことなのだろう。
「すまない、そして、すまない」
昨日は大変な迷惑をかけてしまったらしい。
「私が潰してしまいましたから」
そう言いながら、辺りをまた見回していた。何かを探しているようで。
「探し物はこれ?」
リボンを差し出すと、彼は頷いて受け取る。慣れた手つきで髪を結んだ。
「使ってくれているんだね」
「使わないのも、もったいないですから」
その時、目覚ましが鳴った。止めると同時に、少し開いた扉を押して、ジョンが部屋に入ってきた。
「おはよう、ジョン」
いきなりベッドに飛び込んできた。混ぜろと言わんばかりだ。
頭を撫でると、元気な返事。
ジョンは彼の方を向く。
「……おはよう、ジョン」
彼は、自分と同じように頭を撫でる。
ジョンは彼に近寄ると、顔を舐めた。驚いて固まっている。
おかしくて笑うと、彼もつられて、笑った。



3

朝食を食べ終え、スカイハイの家から、そのまま会社に行くことにした。
今日は早出。昨日の仕事が残っているためだ。
出社するには早い時間だが、なぜか彼も一緒に家を出ると言う。付き合わなくてもいいと言うと、トレーニングしてから出社するからと。
「だから、一緒に行こう」
目的地は同じだ。ジャスティスタワーに司法局はあり、ヒーローのトレーニング室もそこにある。
ジョンに見送くられ、家を出た。
他愛もない話をしながら、ジャスティスタワーに向かっていると、朝からファンサービスに勤しむバーナビーを見つけた。
まだ新人のヒーローだが、人気は高い。素顔を晒し、その整った顔立ち。活躍も目を見張るものがある。
甘いマスクで微笑まれているファンは、頬を赤くし、礼を言って立ち去っていった。
笑顔で手を振るのを止めると、こちらに気づき、歩み寄ってくる。
「スカイハイさんに、管理官じゃないですか。おはようございます」
「バーナビー君、おはよう!そして、おはよう!」
「おはようございます、バーナビー」
珍しいものを見るようにバーナビーは見てくる。実際、珍しい組み合わせだと、自分でも思う。
「朝から大変だね」
「まあ、ヒーロー業の一環ですから」
ついさっきまで、振りまいていた愛想はない。仕事と割りきっているのだろう。
「あの、なぜ、お二人が?」
「実は……」
スカイハイが昨日のことを話すと、バーナビーが驚いていた。
そんなイメージなど、ないのだろう。実際、プライベートでヒーローと食事したのはこれが初めてだ。
「僕もジャスティスタワーに用があるんです。一緒に行きましょう」
バーナビーとも一緒に行くことになった。

午前の仕事を終え、バーナビーがトレーニング室に入ると、ワイルドタイガーとブルーローズがいた。
「あの」
「よお、バニーちゃん」
「バニーじゃないです、バーナビーです」
いつものやりとりにうんざりする。その呼び方を幾度となく注意しているが、なおらない。
「何か用?」
そのやりとりを冷ややかに見ていたブルーローズが声をかけてくる。
言い争うために声をかけた訳ではない。
「ああ、スカイハイさんって管理官と親しいんですか?」
「裁判官とかぁ?そんな話聞いたことねーぞ」
「物、壊さないもの。誰かと違って」
納得し、ワイルドタイガーを見る。
ヒーローの中で彼に一番、会っているのは、ワイルドタイガーだ。損害賠償の件で司法局への召喚率はナンバーワン。ヒーローランキングと違って。
「俺は、市民を助けることを第一に考えてだな……!」
「ポイント、稼げてませんよね」
助けてもポイントは入るのだ。
それも、ほとんど稼げていない。
「うっせー!助けられたら、それでいいんだよ!」
「もう、うるさいわよ。スカイハイと管理官が親しいって私も聞いたことないわ」
「そうですか」
今朝見た二人は、とても親しい間柄に見えたのだが。
「スカイハイと管理官がどうかしたの?」
「あいつ、なんかやらかしたのか?」
二人が心配そうに聞いてくる。管理官柄みと言えば、何か問題を起こした時くらいなのだろうか。彼に会うことは、そうあることではないのかもしれない。
「いいえ、別に何も」
自分の中で浮かんでいたモノを消し去る。思い過ごしだろう。
「おじさん、トレーニングしてくださいよ」
そうワイルドタイガーに言い、トレーニング器機に向かう。

残された二人は、顔を見合わせ首を傾げた。

キースは携帯を眺めていた。
その画面には、メール制作画面。宛先はユーリのメールアドレス。
連絡先を交換したが、一度も使っていない。
あの時、一緒にジャスティスタワーに行った時から、彼には会っていない。
仕事で会う機会は乏しく、会う用事もないので仕方ないのだが。
別に用がある訳ではないのだが、使わないのも、もったいない気がして。
メールくらいなら迷惑はかからないだろう。別に返信の義務はないのだから。
しかし、いい話題が見つからない。思いついた言葉を文面にしてみると、とてもつまらなく思い、消す。その繰り返し。
今日もため息をついて、携帯をしまった。



4

仕事が終わり、ジャスティスタワーを出ようとしたところ、土砂降りの雨が。
今日の天気予報では晴れのはずなのだが。
厚い雲が空を覆っている。すぐにはやまないようだ。
突然、降りだした雨に、人々は鞄や上着を傘代わりにしながら走り、雨宿りの場所を探す。
そんな光景をぼんやりと眺めていると、いきなり肩を叩かれた。
驚いて振り返ると。
「管理官」
スカイハイが心配そうな顔で立っていた。会うのは、あの時以来か。
「どうしたんだい?呼びかけても反応がなかったから」
心配している理由が分かり、納得する。
「……すみません、ぼーっとしてました」
そう言いつつ、外を見た。雨はやはり、やむ気配がない。
「よかったら、入っていくといい」
スカイハイの手には傘があった。
大きな傘のようだが、男二人では狭いだろう。
断る前に、スカイハイは傘を広げ、腕を引っ張られ、外に出る形に。
さされた傘から腕が出ているが、雨が当たらない。服にあたる前に弾かれるのが見えた。
彼の能力か。
「途中まで送ろう」
やむのを待っていても時間の無駄だ。
その言葉に甘えることにした。

「ジョンが君に会いたがっているよ。帰ると、君がいないことを残念がっているんだ」
スカイハイの家にいたあの朝を思い出す。
ジョンはずっと自分の横にいた。客人を珍しがっているのだと思っていたが、それだけなつかれていたのか。
「暇な時になら、会いに行きますよ」
「本当かい?ジョンも喜ぶよ!」
そう言いつつ、とてもいい笑顔のスカイハイ。
こんな自分に、これだけの笑顔を向けてくるのは、彼ぐらいだろう。
無表情が多いため、相手も緊張しているのか、強ばった表情がほとんどだ。
作り笑いならできる。それも、あまり使わない。
彼みたいに笑えたら、さぞかし気持ちいいだろう。
「!」
考え事をしながらだったため、小さな段差に足が取られた。
「管理官!」
腰に回った腕に引き寄せられ、転倒はしなかったが、スカイハイに密着する形となる。
「すみっ……」
突然の突風に口を閉じ、目を閉じた。
冷たい。そう感じて、顔を上げると、傘が見るも無惨な姿になっていた。
降りかかる大粒の雨。顔に張りつく髪を手で払う。
「け、怪我はないかい?」
腕が離れ、彼から離れる。
「大丈夫です」
スカイハイは壊れた傘をこちらに渡すと、ジャケットを脱ぎ、屋根にする。
また、雨にぬれなくなったが、あの短い間に、髪も服もすぶ濡れになってしまっていた。
「私の家に行こう。着替えた方がいいよ。風邪をひいてしまう」
濡れた場所は冷たく、風が吹けば寒い。
幸いにもいる場所は、彼の家の近く。
こんな状態では、タクシーにも嫌な顔をされる。
「走ろう」
頷き、彼の家に向かった。

家に着き、ジョンの大歓迎を受けた。
いきなり、飛びかかられるとは思わず、また、スカイハイに支えられた。
ジョンは怒られ、落ち込んでいたが、あまり気にするなと撫でてやれば、嬉しそうだった。
「シャワーを使うかい?」
それは、断った。顔の痕が浮かび上がってしまうし、そこまでする必要はないだろう。
タオルと着替えを受け取り、彼は壊れた傘を代わりに引き取るとゴミ袋に入れ、浴室に向かっていった。
服を着替え、濡れた服を干し、ソファーに座り、濡れた髪を拭いていく。
横にジョンがやってきた。頭を肩にこすりつけてくる。あたたかそうだと、タオルを置き、ジョンを抱きしめるとやはりあたたかい。
触れる毛はやわらかく、良い毛並みだ。
いきなり、後ろから髪を触られ、閉じていた目を開け、振り向く。
「なんですか?」
スカイハイが立っていた。いつの間に、いたのだろう。
「いや、ジョンがうらやましくてね」
言葉の意味を理解しかねていると、スカイハイは手に持ったドライヤーのプラグをコンセントに差し込むと、戻ってくる。
「かわかしても?」
まだ、髪は湿っている。了承の意に、彼に背を向け、ジョンに少し寄ってもらい、座るスペースを作った。
「では、失礼」
恐る恐る手が頭に触れる。あまりにも慎重な手つきが、おかしい。もう少し雑でも大丈夫なのだが。
「綺麗、だね」
「とくに手入れはしてませんが」
だいぶ、かわいた頃に、後ろから大きなくしゃみ。
彼の方へと向き、手を伸ばす。
「な、なんだい?」
妙に動揺する彼を気にせず、髪を触ると湿っていた。自分のことは後回しにしていたらしい。
「あなたが風邪をひきます」
「だっ……」
大丈夫と言おうとしたのだろうが、くしゃみでかき消された。
彼の手からドライヤーを奪い、後ろを向くように言う。
素直に従ったスカイハイの髪をかわかしていく。
「終わりましたよ」
「ありがとう!そして、ありがとう!」
そう言うと、立ち上がり、歩き出す。
しかし、ドライヤーのコードに足を引っかけ、体制が崩れた。
「スカイハイ!」
腕を引っ張り、こちらに引き寄せると、彼が覆い被さる形となり、ソファーに横になってしまった。ドライヤーも落とし、驚いたジョンは、ソファーを飛び降りていた。
重い。早く起き上がってくれと、名前を呼んだが、反応がない。
どこか打ったのだろうかと、心配になる。
少し彼が動き、手が背中に回る。手のひらが背にあたった瞬間、それが離れ、彼は起き上がった。
見える顔は赤いような。
「本当に、大丈夫ですか?」
頬に触れようした手が、途中で掴まれた。
「だ、大丈夫だと思うよ。でも、うつしても悪いから、今日は……帰ってくれないだろうか?」
見上げるスカイハイの笑顔がぎこちない。こんな表情は初めて見た。
手が離され、ゆっくりと起き上がり、服を回収する。まだ湿っていたが、ここに残すわけにもいかない。
窓から見える空には、雲の隙間から光が。外にいる人も傘をさしていない。どうやら、雨もやんでいるようだ。
「すまないね」
彼から、袋を渡され、そこに服を入れる。
「こちらもお邪魔しました」
髪をまだ湿っているリボンで結び、荷物を抱える。
「お大事に、スカイハイ」
「ああ、君も」
見送られ、外に出る。
なにかしら、無意識に失礼に値することをしてしまったのだろうか。
いきなり、態度が変わった。
嫌われてしまったとしたら、それは好都合なのかもしれない。
彼との距離は少々、近すぎた。この機会に離れよう。そうすれば、もう近寄ってはこないはずだ。
ふと湧き出た感情をかき消し、歩き出した。

ジョンが悲しげに鳴いている。
彼と会えることを楽しみにしていたのは、ジョンだ。
しかし、ジョンより楽しみにしていたのは自分自身で。
ジャスティスタワーの前で彼を見たときは、ここしかチャンスはないと思った。
無理矢理、傘の内に招き入れ、家に来るように画策していた。
口実は色々と考えていたが、彼と密着した途端、動揺し、使っていた能力を暴走させてしまった。そのおかげて彼が家に来てくれたが、怪我がなくて本当によかったと思う。
彼と一緒にいると、安心する。居心地がいいのだ。
しかし、あの、覆い被さった時。
自分はいったい、何をしようとしたのか。
密着し、鼻をくすぐる彼の香りと肌から伝わる体温。
全てを手に入れればと、思ってしまった。
初めて抱く同性への感情に、胸が締めつけられた。



5

あれから、彼に会うことはなく。
ただ、時間が過ぎ去り、あの想いはなんだろうかという自問自答も疲れてきた。
また彼に会えば、はっきりするだろうが、それを確かにしてしまうのは、少し躊躇いがあった。
知りたいような、知りたくないような。
気持ち悪い矛盾を抱えて、過ごしていた。

トレーニング室で各々、トレーニングをしていると、血相を変えて、アニエスが入ってきた。
珍しい。いつもなら通信機で連絡をしてくるのだが。
「皆、集まって!」
その声に、皆が何かが起きたのだと感じ取ったのだろう。トレーニングを切り上げて、アニエスの周りに集まる。
「ユーリ・ペトロフ管理官が、拐かされたわ」
「なんだって!?」
自分の声に皆が驚いていた。そんなことは気にしていられない。
なぜ、彼が。
「出社の時間になっても来ないから、不審に思っていたら、これが届いたの」
見せられるのは、彼の社員証とそこに巻き付けられているリボン。アニエスから受け取り、よく見る。
光を受けて紫になる。間違いなく、自分があげたものだ。
「犯人の要求は、スーツを着ないでバーナビーが来ること……」
その発言で、バーナビーに視線が集まる。
「え、僕なんですか?」
「バーナビー君、何か心当たりはあるかい!?」
バーナビーに詰め寄ると、ないと首を横に振った。しかし、この職業柄、一方的に恨みを持たれることは多い。
「司法局からの要請よ。放映できないことが、悔しいわ……!」
アニエスは苛立ちを隠せないようだった。
司法局から、止めるように言われたらしい。犯人を刺激しないようにと。それだけの理由ではないだろうが。
司法局の許しを得て、ヒーローは仕事をしている。そこの機嫌を損なうことをすれば、今後に響いてくる。
しかし、ヒーローTVに全力を注ぎ、視聴率を取ることに固執しているアニエスにとっては、腹立たしいことだろう。
ヒーローが誘拐された人質を救う。とてもいいシチュエーションだと思う。
だが、人質を救えなければ、本末転倒だ。
バーナビー以外、スーツを着て、休憩室に集まることになった。

犯人が指定した時間にはまだ、余裕がある為、作戦をたてることに。
スーツを着ていないバーナビーが行くのだ。彼なら、能力だけで犯人を捕まえ、人質を救出することも不可能ではないだろうが、それは厳しい。万が一のこともある。
皆が様々な意見を出し、作戦が練られた。

犯人が指定した時間が、差し迫る中、事件が発生した。
犯人の要求のバーナビー、相棒であるワイルドタイガー、作戦の要である折紙サイクロン、そして、懇願するスカイハイが管理官の救出組になった。
その他のヒーローは、できるだけ早く終わらすと、出動していった。

目を覚ますと、腹が痛む。
「……う」
ぼやける視界。目の前を見れば、人がいた。
「ようやく起きたか」
椅子に座り、こちらを見ていた。
視界が元に戻り、その人物の後ろに広がる知らない景色。薄暗く、荒れ果てている。朽ちたドラム缶とボロボロの木箱、足が折れ、傾いている棚。どこかの倉庫だろうか。
「ちょっと薬を使ったけど、こんなに寝るとはね」
体を動かそうとすれば、椅子に縛り付けられており、足も手も縛られていた。
「暇だったなあ」
やれやれと上げた手には、ナイフが握られていた。
意識を失う前のことを思い出す。帰宅時に襲われたのだ。いきなり、みぞおちに一発喰らって。不意討ちに何もできず、そのまま意識を飛ばしてしまった。
「あんた、ヒーロー管理官なんだろ」
やってきたのは、こいつだろう。意識を失う前に見た服装と同じだ。
「なぜ、知っている」
「社員証見たんだよ。バーナビーとも親しそうだったし」
バーナビーと特に親しく覚えはない。スカイハイとなら。
そこまで考え、あの朝を思い出す。途中でバーナビーと合流し、ジャスティスタワーに向かった。
そこを見られたのだろう。
「ヒーロー管理官が人質なら、バーナビーも来るだろ」
この男、妙にバーナビーに執着している。
それに勘づいたのか、男は説明しだした。
「ん?ああ、バーナビーが、俺の兄貴捕まえちゃって。捕まるのはあいつが上手くやらないのが悪いんだけど、癪でさー」
バーナビーに捕まったということは、何か犯罪を起こしたということだ。
「ちょっとばかし、お礼に殴ってやろうかと思ってさ。で、あんたは誘き出す餌」
その後もずっと一人で喋っていた。聞き流し、頭には何も入ってこない。
よく喋る奴だ。しかし、そんなくだらない理由で、自分はこんな状態になり、ヒーローまで巻き込んで。
「馬鹿馬鹿しい」
本音が漏れた。
男は、口を閉じ、立ち上がると、座っていた椅子を横へと蹴り飛ばし、こちらに近寄ってきた。
「あんた、立場分かってる?」
頬を殴られる。能力で消し炭にしてやろうかと、睨みつける。
「気に食わないな」
ナイフが首へと突き付けられたが、犯人の向こうに見える人影。
犯人はその視線に気づいたらしい。
「来たか」
男は笑い、振り返る。

倉庫の入口に立つ、バーナビー。スーツを着ていない。生身だが大丈夫だろうか。募る心配は杞憂に消え去って欲しいが。
ナイフが首に突き付けられたまま、男は横へと移動する。
バーナビーはまっすぐ、こちらに向かってくる。
ある程度、近寄ってくると男は止まれと言った。
男が発光している。ネクストの能力者か。
空気が変わる。その時、目の前のバーナビーが、折紙サイクロンに変わった。
「なっ……」
動揺する折紙サイクロン。確か彼の能力は擬態だ。その能力が切れたことになる。時間制限などはなかったはずだが。
「アハハハッ!」
いきなり男が笑いだし、二の腕に痛みが走る。液体が腕を伝っていくのを感じ、腕が切られたのだと理解した。
「管理官!」
「俺はバーナビーを要求したんだよ!」
いきなり、折紙サイクロンの動きが止まった。次にした行動は宙を叩いている。透明な箱にでも入れられているように。
近くに落ちていた鉄パイプを拾うと、男は近寄っていく。
目の前まで行くと鉄パイプを振りかぶった。

「折紙!」
「折紙君!」
「先輩!」
いきなり、折紙サイクロンの通信機が切れ、待機していたヒーロー達は焦っていた。
それは、作戦が失敗したことを示していた。
「すぐ向かって!」
アニエスが指示を出したが、三人はもう倉庫へと走り出していた。
倉庫の入口に着くと、中では倒れている折紙サイクロンを踏んでいる犯人らしき男と、椅子に縛り付けられている人質の管理官。
「折紙!」
ワイルドタイガーが、入ろうとしたが、何かにはばかれた。
「壁?」
能力を発動し、見えない壁を殴るが、何も変化はない。
これは、犯人の能力だろう。現に犯人の男は発光している。
「折紙君!管理官!」
壁を叩き、スカイハイは二人を呼ぶが、何も反応がない。
人質の管理官の腕からは血が滴っていた。要求がのまれなかった為に傷つけられたのだろう。
ゆっくりとした動作で、犯人が近づいてくる。
バーナビーを見て、口を開く。
声は聞こえないが、大体は理解できた。
バーナビーだけが残れと。
「二人は遠くで待機していてください」
その言葉に従うしかなかった。
「気を付けて、バーナビー君」
「ええ」
その場から、ヒーローが悔しげに離れるのを、犯人は笑って見ていた。

犯人が戻ってくると、折紙サイクロンを蹴り、横に転がす。小さくうめき声が聞こえる。
また、ナイフが突き立てられる。
また、空気が変わり、バーナビーが壁がないのを確認すると、中に入ってくる。
それと同時に能力を発動し、突っ込んできた。
いきなり、バーナビーの能力が切れた。その代わり、男が発光していた。
勢いのせいで体制が崩れ、男の前に倒れる形となる。
「バーナビー!」
男が蹴ろうと、足を振り上げた。

「バニー!」
バーナビーとの通信も切れてしまった。
「相手の能力内に入ると、何もかも遮断されてしまうようね」
通信機から流れるアニエスの冷静な解析もあまり頭に入っていなかった。
自分の頭に浮かんでいるのは、血を流していた管理官の姿。彼が傷つく理由などないのに。
いてもたってもいられなく、能力を使い、倉庫に向かおうと飛び立とうとした瞬間、腕を掴まれた。
「おい!」
「あのままだと……!」
バーナビーも折紙サイクロンも心配だったが、彼のことが一番心配だった。
「管理官が死んでしまったら、どうするんだい!?」
「折紙の通信、聞いただろ!」
折紙サイクロンの通信が少しだけ繋がったのだ。
その言葉を信じれば、人質は助けられ、犯人も捕まえられるかもしれないが。
「今、俺らが行って犯人に気取られたら、面倒になるぞ!」
その言葉は正しいが、イライラが募るばかりだった。

眼鏡が床に落ちる。
間一髪でバーナビーは犯人の蹴りをかわしていた。
「ちっ……動くなよ?」
ナイフが自分に向けられ、バーナビーは膝をついたまま、犯人を見据えていた。
後ろから、走ってくる音が聞こえ、振り向く暇もなく、男が前に吹っ飛んだ。
折紙サイクロンが横にいた。いつの間にか後ろに移動し、体当たりするタイミングを伺っていたのだろう。
バーナビーが捕まえようと、手を伸ばしたが、透明の壁に阻まれた。
「くっ……!」
そのまま、犯人は入口へと走り出したが、出ようとした瞬間に風に巻き上げられ、宙へと舞う。
「スカイハイさん!」
スカイハイが倉庫へと突っ込んできた。
落ちてきたいた犯人を、また宙へと巻き上げ、首を掴んでそのまま、静止する。
倉庫内が風のせいで、色々な物が、巻き上げられ、飛び交っていた。
二人が名を呼ぶが、何も反応がない。犯人が苦しいのか、暴れている。
「うおっ」
遅れてワイルドタイガーが入ってきたが、中の状況に戸惑っていた。
「あいつ、なんか様子がおかしいんだよ!おい、スカイハイ!」
犯人の体が力なくダラリと垂れ下がっている。気絶したのか、あの状態なら、最悪のことも考えられる。
「スカイハイ!」
ありったけの声量で叫ぶ。
「スカイハイ!やめなさい!」
その言葉が届いたのか、風がやむ。
彼がこちらを見ていた。
「スカイ、ハイ……」
視界がぼやけ、体から力が抜けるのが分かった。
頭が重い。

がくりと彼が項垂れた。
「管理官……?」
犯人を捨て、彼に近寄る。呼んでも何も反応がない。
折紙サイクロンが縄を切り、椅子から彼を解放すると、彼を抱き抱え、倉庫から飛び出す。
後ろから、通信機から何か聞こえていたが、彼を病院に連れていくことしか、頭になく、それを聞いている暇などなかった。

犯人はバーナビーが受け止めていた。
ワイルドタイガーと折紙サイクロンがスカイハイを追いかけた。



6

「そっちも解決したみたいね」
「一応、な」
皆、シーツを脱ぎ、休憩室に集まっていた。
違う所で起きていた事件も無事に解決したようだ。そちらで、ヒーローTVの視聴率は稼げたらしい。
「スカイハイは?」
「アニエスさんのところです」
スカイハイが管理官を運んだ病院は、現場に近い一般病院で、大騒ぎになってしまった。
その後、ヒーロー専用病院へと運ばれたが、その収拾をつけるのに骨が折られるはめに。
そのことで、アニエスにスカイハイは説教されているらしい。
休憩室の扉が開き、入ってきたのは、アニエスだけだった。
「みんな、お疲れさま」
労いの言葉をかけるが、笑顔が少しひきつっていた。
「あれ、スカイハイを怒ってたんじゃないの?」
「逃げられたわよ!」
笑顔が消え失せ、怒りを露にする。
明日、聞くからと窓から飛び出して行ったらしい。
「バーナビー、タイガー、折紙。明日、ペトロフ管理官のところに行くわよ」
スカイハイもと付け加える。
人質を傷つけてしまったのは、こちらのミスだと、アニエスは眉間にしわを寄せた。

アニエスから逃げ出し、向かったのは管理官がいる病室。
不安で彼の手を握っていた。
寝ている彼の頬には、ガーゼが貼られていた。
近くで見た殴られた跡を思い出し、怒りがわいてくる。
犯人の首を掴んでいた時、酷く冷静だった。このまま、首をへし折ってもいいだろうかと、考えていた。恐ろしい思考だったが、それに従順になれば、胸がスッとした。
彼を傷つけたのは、紛れもなく目の前の男だったのだから。管理官の呼ぶ声で、それは中断されたが。
「う……」
声が聞こえ、椅子から立ち上がる。
ゆっくりと目が開き、彼の目が自分を映した。
「よかった!そして、よかった!」
彼の手を強く握ると、冷たい手が、弱々しい力で握り返してくる。
「スカイハイ……」
そのことが嬉しく、やはり彼のことが好きなのだと自覚する。
ただの好意ではなく、この愛しいという感情は、それ以上のものだ。
できるなら、今すぐ彼を抱きしめたかった。

スカイハイに手伝ってもらい、起き上がる。
また、手が握られた。
その優しい手つきに、戸惑う。彼には嫌われていたはずなのだが。
スカイハイを見てもただ、笑顔のままで。
「助けられてばかりですね」
本当に彼には助けられてばかりだ。
「こんな時になんだが……実は、お礼がほしいんだ」
手の握る力が強くなる。
「なんですか?あなたには迷惑をかけ……」
こちらを見つめる目は真剣だ。
その目に言葉を切ってしまう。
「君が、ほしい」
その言葉が理解できない。理解したくはなかった。
「君がほしいんだ」
繰り返され、確信となる。紛れもない告白。
彼は、自分が同性だと理解しているはずだ。違う意味なのかもしれないと期待する。
「それは」
「私は君を愛しているんだ」
その言葉に泣きそうになる。殴られた時も、腕を切られた時も、耐えられた。悲鳴さえ押し込めたのに、長い間、言われていない言葉を、辛いと思うことになるとは。
「……っ……あの……」
「すまない。返事は今すぐじゃなくてもいい」
男に告白され、戸惑ってはいたが、本当の理由は違うのだ。
自分は犯罪者なのだ。その言葉は、言われる資格はない。言う相手を間違っている。
「それは……それだけは、応えられません」
彼の手から、自分の手を引き抜く。
悲しそうなスカイハイ。心の中で謝る。彼は悪くない。自分が悪いのだ。
「帰ってください」
スカイハイは名残惜しそうだったが、病室から出ていった。
一人になった病室で、目から溢れるものが止められなかった。

翌日。
スカイハイはアニエス達と共に、彼の病室へと向かっていた。
謝罪のためだと言う。
自分には好都合だ。昨日、断られた理由を知りたかったから。想像はできるが、彼自身の口から聞きたかったのだ。
病室に入れば、彼が書類を見ていた。
「こんにちは、体調はどうかしら?ペトロフ管理官」
「皆さん」
書類を置き、こちらを見る。
目があうと、彼の表情が少し強ばった気がした。
「今日は謝罪に来たの」
一斉に頭を下げる。
「本当にごめんなさい」
「すみませんでした!」
「申し訳ありませんでした」
「すまない!そして、すまない!」
「申し訳なかったでござる!」
横で大きく動く気配がして、目をやれば、折紙サイクロンは土下座していた。
彼は鉄パイプで犯人に殴られたと聞く。スーツのおかげで大した怪我ではないらしいが、その体制は体に響くだろう。
「皆さん、頭を上げてください。私のために尽力してくれたこと、とても感謝しています。謝られることはありません」
その言葉に頭を上げると、アニエスは安心しているようだった。
「司法局からも咎めることはありません。ただ、私の仕事を増やさないでください」
「注意するわ。分かった?ワイルドタイガー」
「お、俺かよ!」
名指しで注意を受け、彼は慌てて弁解しようとしていたが、バーナビーが横槍を入れ、口喧嘩に発展していった。それを折紙サイクロンがなだめようと、横で焦っている。
「静かにしてちょうだい。これ、お見舞いよ」
お見舞い品を渡すと、アニエスはそろそろ失礼するわと、出て行こうとする。
「私は少し残るよ」
アニエスに続き、ヒーロー達は出て行っていたが、ワイルドタイガーが足を止めた。
「お?なんだよ、スカイハイ、管理官とそんなに親し……」
「オジサン、仕事が押してるんで早くしてください」
バーナビーがワイルドタイガーを引っ張っていく。
「え?おい、俺は仕事な」
「お大事に、ペトロフ管理官」
扉が閉められ、静かになる。

スカイハイと二人っきりになる。
「何か用でも?」
彼が残った理由くらい分かっていた。
「昨日、断った理由を聞きたい」
こちらを見る目で、心の中を見透かれそうで、目を閉じた。
「同性とあなたがヒーローだからです」
相容れない存在だ。自分がいるところからは彼は遠すぎる。
「それでも」
「理由は言いました。帰ってください」
スカイハイの言葉を遮る。
「帰ってください。もう、会いたくありません」
「それでも、私は……愛している……」
力なく呟かれた言葉に耳をふさぎたくなる。胸をえぐられたような痛みを感じる。
「帰れ……!会いたくないと言っている!」
聞きたくない。早く一人になりたくて口調を荒げ、閉じていた目を開け、睨みつける。
「……っ!」
彼の見開いた目から、涙が流れ出した。
ごめんなさい、あなたが泣くことなんてない。ありがとう、こんな私を好いてくれて。
そう言って慰めることも、できない。拒むことが、スカイハイにとっても、自分にとっても最良なのだ。
彼はそのまま、病室を飛び出してしまった。
「……ごめんなさい」
届かない謝罪。
傷つけることしかできないのだ。

スカイハイは、トレーニングを止め、椅子に座る。
「はあ……」
出るため息。
あまりトレーニングにも集中できない。
「なんだよ、スカイハイ。らしくねえなあ」
「うん、スカイハイさんらしくない」
「何か悩み?」
「珍しいわね」
周りに集まってくる仲間たち。
話せば少しは楽になるだろうか。
「……好きな人がいてね。告白したんだ」
驚きの声があがる。質問責めにあうが、答える訳にもいかない。相手は彼なのだから。
「ふられてしまったんだよ」
笑顔で言うと、皆が黙ってしまった。
「理由とか……聞いても?」
「私がヒーローだから……だと」
非難の声と、納得したような声が半々だった。
ヒーローのプライベートは守られているが、万が一バレてしまえば、その人物にも迷惑がかかってしまう。
あのスカイハイだと分かっていて、断るなんてもったいないとも言われた。
「諦めちゃうの?」
諦めてはいない。まだ好きなのだ。
告白した時と、あの最後に見た顔。悲しそうな表情と怒りの表情という逆の感情を表しているはずなのに、彼はどちらも涙を流しそうな顔をしていた。
ずっと頭から離れない。
「諦めた訳じゃないよ。でも、会いたくないと言われてね。これ以上、嫌われたくはないんだ……」
仕事で彼に会うことは、ないに等しい。それが、悲しくもあり、ありがたくもあった。
まだ僅かだが、関係はある。それを悪化させたくはなかった。
「みんな、ありがとう、そして、ありがとう。仕事だから、行くよ」

スカイハイが去った後、スカイハイの好きな人は誰だと、ヒーローたちは盛り上がっていた。
バーナビーはそこから少し離れ、何かを考えていた。
「ハンサム、心当たりあるの?」
いきなり、ファイヤーエンブレムに話しかけられ、中断する。
「確信が、ないです」
「あたしは当たってると思うわ」
その笑顔は自信に溢れていた。たぶん、二人とも頭に浮かべている人物は同じなのだろう。
彼の様子がおかしいのは、あの後からなのだ。

扉をノックし入ってきたのは、ファイヤーエンブレムだった。
「こんにちは、ペトロフ管理官。体調はいかが?」
体調は良いと返すが、本当かと返された。顔色が悪いのは、元々なのでしょうがない。
ファイヤーエンブレムは、見舞品の花束を花瓶に入れる。
「スカイハイ」
その名前を出され、胸が締めつけられた。
「……に告白されたんでしょ?」
こちらを見る目は、確信していた。
「……聞いたのですか」
喋ったのかもしれない。スカイハイは隠し事が苦手そうだ。
「いいえ、乙女の勘よ」
笑ってそう言われ、ため息をつく。性別のことをとやかく言っても仕方ない。
「なんで、断ったの?いい子なのに」
スカイハイが喋ったことは、事実らしい。
男同士だからだと、彼に言っても関係ないと一蹴されそうだ。
「次の用事まで、時間があるの。ゆっくりお話しましょう?」
居座りを決め込んだらしい。椅子に座ったファイヤーエンブレムは笑顔でこちらを見ている。
「彼……スカイハイと」
観念するしかない。
「関係を持つのは、私は男で、ヒーロー管理官という立場です。その事実が漏れてしまえば、彼にとってマイナスイメージにしかなりません」
キング・オブ・ヒーローになったのも、管理官の贔屓があったからなどと言われ始めたら、彼の地位が危うい。噂に尾ひれが付けばキリがないのだ。
「素直じゃないわ」
立ち上がったファイヤーエンブレムはお大事にと言い、病室から出ていった。
納得してもらい安心する。言った理由はヒーロー管理官としての立場で、だ。本当の理由を言えるはずがない。
また、胸が痛んだ。



7

告白された夜から、涙を流し愛を囁き続けるスカイハイを夢に見た。
その姿は、目に焼き付き、その言葉は、耳に残ってしまったようだ。
耳を塞ぎ、目を閉じる自分は、やめてくれと叫ぶしかなく。
その夢のおかげで、よく眠れていない。
嘘でもいいから、あの言葉を受け入れていれば、こんなことにはならなかったのだろうか。

短い入院生活、もとい、久しぶりに取れた長い休暇は終わり、仕事に励む日々。
溜まりに溜まった仕事に殺されるのではないかと、心配したが、予想の範囲内の仕事量だった。配慮はしてもらえたらしい。
彼の夢を見なくなった頃に、見つけてしまったのは、あの雨の日に貸してもらった服。
届けるということは、彼に会うことになってしまう。
しかし、いつまでも持っている訳にもいかない。

仕事が一段落し、トレーニング室に、重い足どりで向かう。誰かいるだろう。
スカイハイがいなければ、会った人に預ければいい。
彼がいないことを願っていれば、見えてくる目的地。
少しためらって足を止める。
その時、扉が開き、ワイルドタイガーが出てきた。
「あの」
声をかけると、驚いて焦り始める。
「さ、裁判官?……え、俺、なんかしました?」
彼に会うのは、賠償金絡みばかりだ。そんな反応をされてもしょうがない。
「いえ、何も。すみませんが、これをスカイハイに渡してください」
服を入れた袋を差し出そうとすると、ワイルドタイガーは部屋の中を見る。
「あいつなら中にいますよ。おーい、スカイハイ!」
「……っ」
呼ばなくてもいいものを。
まだ扉は開いていた。返事をする彼の声が聞こえ、立ち去れなければと、ワイルドタイガーに背を向け、走り出す。
「え、裁判……」
エレベーターにまで逃げれば、大丈夫だ。トレーニング室に行くには、短く感じたが、今はエレベーターへの距離が長く感じる。
「待って!待ってほしい!」
エレベーターのスイッチを押そうとした瞬間に、腕が掴まれた。風が吹き付ける。能力を使ってまで、追いかけてきたらしい。
観念して、振り返れば、やはり彼。
「ユーリ!」
名前を呼ばれ、固まる。初めて呼ばれた名前。
「離してください……!」
我に返り、腕を振る。しかし、離してくれない。
「離してしまうと、君に会えなくなってしまう」
それでいいのだ。仕事でも会う機会がほぼないからと、安心していたのに。
「スカイハイさん!管理官!」
「な、なにしてんだ?」
心配して来たのだろうか、アポロンメディアのヒーロー二人が駆けつけてくる。
本当に腕を離してほしい。人に見られたくはなかった。
「あの、ここはエレベーター前ですし、休憩室を使ったらどうですか?今は誰もいませんし」
バーナビーの提案にスカイハイは頷く。
「そうだ、そうしよう」
エレベーターを見れば、上に上がってくることを表示していた。
人の目にこれ以上、触れたくはなく、その言葉に渋々、同意した。

休憩室に入るまで、腕は掴まれたままだった。
彼と二人きりになると、ようやく離される。
スカイハイと向かい合う。
「まだ、諦められない」
「諦めてください」
「まだ、好きなんだ……!」
「その気はありません」
ため息が出た。諦めの悪い。やはり、服を届けに来たのが間違いだった。
「なにがいけないんだい……?」
悲しそうに呟かれた言葉。理由を言わなければいけないのか。考えれば、分かることだろうに。
「あなたはヒーローです。私は男で管理官という立場です。特別、親しくし、変な噂が流れてしまえば」
そこまで言って口を閉じた。これで、理解してもらえただろう。
「そんなの、関係ない」
スカイハイには関係ないかもしれないが、周りはそういう風には見てくれないのだ。
「じゃあ、ヒーローをやめるよ」
「……!」
なぜ、その結論にいたるのか。自分は、そこまでしてまで付き合う価値はない。
真剣に言われた言葉に、怒りがわいてくる。ヒーローというものをそんなに軽々しいものだと思っていたのか。
「ヒーローというのは、恋愛なんていうもののために、そんな軽々しく捨てられるものだったのか、スカイハイ!」
声を荒げて言えば、彼は面食らったようで。
「……君を手に入れるためだったら、全て捨てるよ!」
こちらが面食らう。
彼にとって自分はどれくらいの価値があるというのだ。
目眩がしてきそうだった。
「あんたたちねえ!」
休憩室の扉が開いて、ファイヤーエンブレムが乱入してきた。体には、何人か押さえつけようとしたと思われるヒーロー達。
「イライラするのは分かるけども!」
「スカイハイの踏ん張りどころなんだから!」
「僕たちが入ったら、話し合いになりません!」
扉の向こうにスカイハイを除く、ヒーロー全員がいたらしい。しかも、聞き耳を立てて。
「この二人、埒が開かないわ!」
ヒーローを振り払い、凄い気迫で迫ってくるファイヤーエンブレム。
「スカイハイ、管理官はあんたのために言ってるのよ!」
スカイハイを指差す。
「私のため?」
そして、こちらを指差す。
「管理官もよ!迷惑をかけれないと、はっきり言いなさい!」
何も言えず、ただ黙るしかなかった。

「管理官はスカイハイのことを考えて、断ったの?」
ブルーローズの言葉に彼の表情がばつが悪そうになる。
自分のために。そう考えれば、納得がいく。
そういえば、彼からは嫌いだとは聞いていなかった。
嫌われている訳ではない。
見えない愛情は、言葉の節々にあったのだ。

「スカイハイの時にばれなきゃ大丈夫だよね」
「そうですね。スカイハイさんの素顔は一般市民に明かされていませんし」
「キース・グッドマンと付き合うなら、プライベートだしな」
確かに会社がプライベートまでとやかく言う資格はないが。
目の前には、笑顔のスカイハイ。
周りのヒーローたちも、笑顔だった。
「全員、秘密にしますから!」
スカイハイもその言葉に背を押されたのか、手を取ると、握ってきた。
「愛しているんだ。恋人になってほしい」
その言葉に、ワイルドタイガーがはやしたてるが、ブルーローズとバーナビーに空気を読めと一喝されていた。
助けを求め、周りに視線をやるが、こちらを見る目は期待に満ち溢れていた。
「ユーリ」
急かすように名が呼ばれる。
返事は、今、しなければいけないらしい。

彼のことが好きなのかと、自問自答する。相手は男だ。
分からないというのが本音だが、嫌だと思っていないのだ。自分自身。
ヒーローと一緒にいるのか。嫌っているヒーローと。しかし、自分と付き合うのは、スカイハイではない。
もう与えられないと思っていたものが、目の前にある。
誘惑は強かった。忘れていたものが、自分の返答しだいで、手に入るのだから。

言葉が出てこず、ゆっくりと頷けば、周りから歓声が。
「ユーリ、ありがとう!そして、ありがとう!」
恥ずかしく、うつむく。顔は真っ赤だろう。
離れた手が頬に伸びてきて、驚いて顔を上げれば、彼の顔が間近にあった。
頬に添えられた手。近づいてくる顔。
理解し、とっさに持っていた服が入った袋を彼の顔に被せる。スカイハイの動きが止まる。
「こちらを届けに来たのが本来の目的ですので。返すのが、遅くなり申し訳ありません」
彼の手が袋を持つのを確認し、離す。一歩、後ろへ移動する。
「……おしい、おしかった」
袋を退かすと、悲しそうな表情。
その言葉にあきれる。人前で口づけなど。
「では、仕事がありますので。失礼します」
服は届けた。もう用はない。
扉に向かおうとすると、腕が掴まれた。
「夜、家に」
「分かりました」
腕が離され、頭を下げて休憩室を出ていった。

皆が一斉に取り囲む。
「よかったな、スカイハイ!」
「おめでとう!」
「ありがとう!本当に!みんな、本当にありがとう!」
皆の後押しがあって、成功したようなものだ。
どれだけ、感謝を述べても足りない。
「相手が管理官ってことに驚きだけど」
「女性だと思ってたしなあ」
バーナビーとファイヤーエンブレムが、ため息をついた。
「スカイハイさんの様子が変わったのは、管理官絡みばかりじゃないですか」
「落ち込んでいたのも、管理官に会ってからだしねえ」
納得したような声があがった。そんなに様子が変わっていただろうか。
いきなり、通信機が鳴り始める。
慌ただしく、休憩室から出るはめになった。



8

事件を解決し、家に帰れば、家の前で待っている人影。
「遅くなってすまない!そして、すまない!」
「いえ」
ずっと待っていたのだろうか。家の中に入ればいいのにと思ったが、彼は合鍵を持っていない。
「入ろう」
どこに置いてあるか、思い出しながら、鍵を開けた。

「お邪魔します」
「ただいま、そして、ただいまジョン!」
奥からジョンが走ってくる。彼は、一撫ですると、足早に部屋に急いだ。
その後ろ姿からジョンはこちらへ、視線を注ぐ。
撫でてやれば、嬉しそうな顔をする。
リビングに行き、ソファーに座れば、彼が寝室から戻ってきた。
「はい、これ」
横に座り、手渡されたのは鍵。ここの合鍵だろう。
「受け取ってほしい」
手を掴まれ、握らされる。戸惑いながら、お礼を言った。いつでも来いということだろう。
「ユーリ」
懐にしまえば、名を呼ばれた。
「なんですか、スカイハイ?」
もう名前を呼ばれることも、慣れてしまった。
「む……君と恋人なのは、ヒーローじゃないよ」
険しい顔をする彼。
「なんですか、キース」
言い直せば、笑顔になったがすぐに真剣な顔に。しかし、みるみる真っ赤になっていく。
「だ、抱きしめてもいいだろうか!?」
それくらいならと、了承する。恋人ならスキンシップを少なからず、したいと思うだろう。
恐る恐るだが、彼の腕が体に回る。ゆっくり胸に抱かれば、伝わる鼓動の早さに驚いた。
「ずっと、こうしたかった」
耳元で囁かれ、くすぐったい。
抱きしめられるのは、とても久しぶりで。スキンシップに慣れない自分にとっては、恥ずかしく。
背に手を回せば、感じる安心感と募る背徳感。
「キス、は?」
抱擁がとかれ、顔を見合わせる形となる。
「……それは」
それをしてしまうのは、それ以上のことを匂わせる。
彼との関係はいつかは、終わりが来る。ずっと、なんてないのだ。深くまじあってはいけない。
目を伏せ、暗に拒否していると、額に唇が触れ、驚いて目を開ける。
「すまない。今はこれで我慢するよ」
「謝らないで、ください」
謝るのはこちらの方。しかし、こちらからキスを返すのは、変に期待させてしまう。
いきなり、背中に何かが触れ、振り返れば、ジョンがいた。
相手をしてほしいらしい。
ジョンの方に体を向けようとすると、キースの方に抱き寄せられる。
「駄目だ、ジョン。ユーリは私のものだよ」
犬に嫉妬するとは。
おもちゃを取られそうになる子供みたいだと笑う。
「私だけ見て、ユーリ」
「分かりました、キース」
子供のわがままに素直に応じようと思う。
目が合えば。微笑まれる。包まれるぬくもり。
これが幸せだというものだろう。
胸に顔を寄せ、目を閉じた。

肌が触れ合う二人の間に距離はない。


→  続き



開始 2012/02/27


完結 2012/07/13



BacK