甘い言葉 3

目の前の男が、机を叩く。広い部屋に響く大きな音。うるさいと内心、文句を言うが、口には出さず、ユーリは目の前の相手を見ていた。
「なぜですか!?」
何回、この言葉を聞いただろうと、ため息をつく。
「こちらは、ヒーローが壊したものですが、あなたがおっしゃっているこちらは……」
出している写真を手で指し示す。それは、ヒーローたちが犯人を捕まえようと、奮闘した現場を収めたもの。
「元からこうなっていたと、報告を受けております」
賠償金額が少な過ぎると抗議を受け、納得がいかないと言うので、わざわざ、説明をしに来た訳だが。
「こんなひびなんて、入っていなかった!」
それは、ビルの壁。どう見ても、老朽化でひびが入っているように見える。
このビルは犯人とヒーローたちが突入した窓ぐらいしか割れていない。
「あと、ここの窓ガラスと……壁も、壊れています!」
写真で見させられる場所にヒーローと犯人が行ったとは、聞いてもいないし、このビルは一部しか通っておらず、すぐに出てきたのだ。
「犯人とヒーローは、このビルに数分しか入っていませんし、彼らは、二階の窓から入り、一階の入口から出てきています。わざわざ、三階まで行きますか?しかも、そんな短時間で出てこられるとお思いで?」
地上を走っていた犯人。ネクストでもなく普通の人間だ。身体能力は高かったらしいが、それには限界があるだろう。
このビルには階段しかない。二階から三階に行って一階に行くとなると、時間がかかり過ぎる。
示された場所は、極めて不自然なのだ。
「い、いや……しかし……」
言葉に詰まっている。
賠償金柄みでこういうことは、珍しくない。どうにか、ヒーローたちに責任をなすりつけ、金をせしめようとする輩は多い。
「ここは、元から浮浪者やそういう者たちのたまり場だったらしいですね?」
それは、管理の甘さの他ならない。
ここの入口は鍵が壊され、誰でも自由に出入りができていたのだから。
元から壊れていたものに、賠償金なんて払える訳がない。
悔しそうにしていたが、相手は何も言ってこない。
「これ以上、説明の必要性がないと思われますので……失礼します」
資料をまとめ、スーツケースに入れ、立ち上がり、部屋を出ようとすれば、待ってくれと腕を掴まれた。
その時、なんとも言えない嫌悪感が、体を支配した。
「離してください」
きつく睨みつければ、相手は少し怯み、掴む力を弱くした。それと同時に振り払う。
「あ、あの……賠償金は……」
恐る恐る、相手が聞いてくる。
「窓だけです。これ以上、何かありましたか?」
まだ難癖をつけてくるようだったら、詐欺としてこちらが訴える。
「……いいえ」
首を弱々しく横に振った。
どうやら、諦めたらしい。
失礼しますと、頭を下げて、部屋から出ていった。

執務室に戻ってきても、未だに掴まれている感覚がして、椅子に座ると、そこをさする。
掴まれた時に、そこから嫌悪感が這い上がってきた。
キースからのスキンシップで少しは、他人から触れられることに慣れていたものだと思っていたが、そんなことはないらしい。
彼から触れられるのは、いいのだと思う。
日常茶飯事に、抱きしめられたり、手を握られたりと、慣れない方がおかしい。
しかし、最近はそういうことがない。妙に彼はそわそわしているが、触れてくることはない。
何か言いたかったようだが、それもなくなっていた。
人と親しくしてこなかったツケというものが今、ここに来ていた。
彼が何をしたいのか検討もつかないのだ。
そんなことを考えていても、仕事は進まない。
スーツケースから書類を取り出した。

持ち込まれた書類を確認していると、サインが抜けているものがあった。
それは、スカイハイの賠償金柄みのもの。一枚だけ、彼のサインが抜けていた。見落としたのだろう。
時計を見る。この時間ならトレーニング室にいるはずだ。
直接、届けに行った方が早いと、書類を手にエレベーターに乗り込んだ。

トレーニング室に入ると、機器を動かす音が聞こえてきた。
そちらに行けば、機器を使い、トレーニングをしているキース。
「スカイハイ」
こちらを見た彼は、トレーニングを中断し、いきなり立ち上がった。
「ユー、かっ……!」
機器に思いっきり頭をぶつけ、頭を押さえ、また座る。
何をしているのだと呆れてしまう。
「……大丈夫ですか?」
彼に近寄り、ぶつけた頭に手を伸ばすとその手が掴まれた。
「大丈夫だよ」
こちらを見るキースは、会えたことが嬉しいのか、満面の笑み。
「心配してくれて、ありがとう!そして、ありがとう!」
掴まれたままの手は、両手で強く握られた。
嫌悪感はない。彼に触れられるのは、久しぶりで、感じる体温に安心する。
「あらぁ、仲が良いのねえ」
後ろから聞こえた声に、キースが手を離した。
「そ、そんなことないよ」
自分越しに見ているが、視線が泳いでいる。
振り返れば、笑顔のファイヤーエンブレムが立っていた。
勘ぐられるのも面倒だ。
「スカイハイ、この書類のサインが抜けています」
彼に書類を押し付け、軽く頭を下げる。
「では、失礼します」
ファイヤーエンブレムから注がれる視線を無視し、トレーニング室を出た。
エレベーターへと向かっていたが、足を止めた。
あの書類は、あそこで彼にサインしてもらい、そのまま回収する予定だったのだ。
来た道を振り返るが、キースが追いかけてきそうな気がして、エレベーターに向かった。
彼なら、自分に届けに来るはずだ。

ユーリが持ってきた書類を見ながら、キースはそのまま固まっていた。あまり、目の前の人物と目を合わせたくないからだ。
触れていないことが仇となり、無意識に彼に触れてしまった。しかも、人前で。
ゆっくりと目撃者を見上げれば、とてもいい笑みを浮かべていた。
顔が近づいてきて、肩を掴まれた。逃がさないと言わんばかり。
「これだけ答えなさい」
自分の顔が、ひきつるのが分かった。
「相手はユーリ・ペトロフ管理官ね?」
「違う!そして、違うよ……!」
首を横に振った。
否定しなければならないことが、酷く悲しかったが。
ファイヤーエンブレムは肩から手を離すと、困ったように笑う。
「黙っとくわよ。あんたたち、あの噂、気にしてるんでしょ」
それは、ジャスティスタワー爆破事件の後に流れた噂。
それは、自分とユーリが会えなくなった原因。
彼が人質より自身を助けるように、言っただとか、ユーリの贔屓があり、自分がキングまで上り詰めただとか、根も葉もない噂。
その噂はもう聞くことはなかったが、用心に越したことはない。
「本当?そして、本当にかい?」
懇願するように彼を見つめた。
「言わないわよ。信用してちょうだい。約束は守る女よ」
胸をはり、彼は言う。性別のことを言うと、どこから見ても可憐な乙女よと言い張り、自分に迫ってきたので、黙る。
「お友達だったのねえ……で、なんなの、その紙?」
持っていた紙を指される。
見れば、それは、自分が発生させた賠償金についての書類。
「賠償金だね」
確か、サインが抜けているとユーリは言っていた。
サインを書くところは、空白で。ちゃんと確認したが、見落としてしまったらしい。
「ああ、あの時のね……届けてあげなさいな」
「ああ、そうするよ!そして、そうする!」
トレーニングを切り上げ、ロッカー室に向かった。

扉がノックされ、返事をすれば、入ってきたのはキースで。
「これを届けに来たよ」
「わざわざ、すみません」
立ち上がり、彼のそばまで寄り、差し出されている書類を受け取ろうと、手を出せば、腕が掴まれた。
「やっぱり、無理だ!」
「!」
彼は書類を投げ捨て、腕を引っ張ると、抱きしめてきた。
「うん……これだよ」
安心したような声が耳に届く。
彼から伝わる温もりには、優しさだけがある。それは、まるで、遠い昔に置いてきたもののようで。
「……離してください。ここは職場です」
いつまでも抱きしめられている訳にはいかない。あの噂のこともある。
声色を落とせば、彼は名残惜しそうに、抱きしめるのをやめた。
「じゃあ、家ならいいかい?」
「ええ、いくらでも……」
家なら誰かに見られることはない。あの家で、見ているのも、いるのも、犬のジョンぐらいだ。
笑顔になった彼は、落とした書類を拾い上げ、差し出す。
少しシワが入った書類を受け取ると、彼は、じゃあ、夜にと、執務室を出ていった。
彼の背を見送りながら、ある考えが頭の中で回っていた。
彼から感じる他人とは違うもの。抱きしめられ、手から伝わるものは。
愛情というものではなかろうか。
そうだ。今、思い出してみれば、自分に伝わる彼の鼓動は、高鳴っていた。
それは、自分のものなのかもしれないが、確かに伝わってきた早い鼓動。
キースは、自分に恋愛感情を持っているのだろうか。同姓だ。どう見ても、女性には見えないだろう。
「君のことが好きなんだ」
思い出すあの日に言われた言葉。
友人としてではなかったのだ。
そして、その伝わるものに安心している自分。それを知らず知らず、求めている。
自分も彼を。
でてきた答えに、ただ呆然とするしかなかった。


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2014/07/15


BacK