その目に自分だけを 4
アニーは仕事を一通り終わらせ、勉強道具を持ってディオの部屋を訪れた。
「いらっしゃい、アニー」
扉を開くと、笑顔の彼女が迎えてくれる。
扉を閉め、いつもと同じように椅子に座れば、横にある椅子に彼女は座る。
今、文字は習っていない。読み書きはもう充分できると彼女が判断し、今は簡単な計算を教えてもらっている。
ノートを開いて前に出された問題の答え合わせをする。
「ここが、間違っているわ」
彼女は紙に絵を描いて、分かりやすく説明をしてくれる。解説をする彼女の顔は真剣で。そんな顔も綺麗で、自分は見とれてしまっていた。
「アニー、わたしの顔に何かついている?」
彼女の目がこちらを見るだけで、胸が跳ねる。
「あ……なにも……すみません……」
彼女の手もとへと視線を移す。
「今は少し難しいと思うけど、理解すれば、簡単よ」
勉強自体は難しいものになっていたが、彼女は絵や言葉で、丁寧に解説をしてくれるため、飽きたということはない。
ただその顔が見たくて。
もっとこの時間が続けばいいのにと思っていたが、楽しい時間というのはあっという間に過ぎ去って、自分は仕事に戻ることになった。
夜になり、ジョナサンとディオを見送った。二人で食事に行くという。アニーはそれなら、勉強しているときに教えてほしかったとディオを見た。
彼女の結い上げられた髪にはジョナサンに贈られたという髪飾りをつけていた。金髪の中に光る銀色と青い宝石は輝いている。
ジョナサンは彼女の手を取り、馬車までエスコートをしていた。
二人の重なる手を見ているだけで、なぜか落ち着かなかった。
勉強を教えてもらっていたときに、あの手を自分はすぐ近くで見ていた。一つ一つ字を書いていくその様を。
握ったあの手はあたたかく、柔らかくて、すべらかで、ずっと握っていたかったのだけれど。
馬車が二人を乗せて、ゆっくりと進んでいく。
彼女がとても遠くにいってしまったようで悲しいという気持ちが心の中で渦巻いた。
そろそろ皆が寝ようとしたときにディオとジョナサンは帰ってきた。
アニーはいつ帰ってきていてもいいように、仕事が終わった後は明かりを持ってロビーにいたため、馬車が止まった音を聞き、扉を開けた。
「ありがとう」
お礼を言いながら、ジョナサンが入ってきた。その腕にはディオを抱きながら。
「おかえりなさいませ……ご主人様、ディオお嬢様」
彼らを明かりで照らしながら、頭を下げた。
「お出迎え、ありがとう、アニー」
見上げるジョナサンは笑顔でお礼を言ってきた。その顔は少し赤い。
「ディオ様は……?」
倒れたのだろうかと彼女を見れば、顔を赤くして目を閉じている。男物の上着をかぶりながら、彼女はジョナサンに身を預けていた。
すうすうと寝息をたてながら、彼女は眠っていた。彼女の揺りかごになっているジョナサンをよく見れば、ベスト姿。彼の上着を被って彼女は寝ているのだ。
「酔い潰れてしまってね。すまないけど、ついてきて、ディオの部屋の扉を開けてほしいんだ」
「はい……」
ジョナサンの足元を照らしながら、彼についていった。彼女は起きる気配もない。ジョナサンも歩む速度はゆっくりで、抱いている彼女を起こさないようにしているのが分かった
ディオの部屋に続く扉を開けるとジョナサンはまたお礼を言い、部屋に入っていく。
扉を開けたまま、まっすぐベッドに向かうジョナサンを見ていた。彼はベッドまでいくと、部屋の主をゆっくりとおろした。
彼女の腕が伸び、服を掴むのが見える。
「ここは君のベッドだよ。おやすみ、ディオ」
彼は掴んでいる手を取ると、その甲に口づけ、そっとおろした。
なんだか見てはいけないものを見た気がして、部屋を飛び出した。
廊下を走り、自分の休み部屋に滑り込んだ。
「どうしたの……?」
先に寝ていた同僚が目を開かないまま、聞いてくる。
「な、なにも……ご主人様たちが帰ってきたから、早く寝たくて……」
自分のベッドに座り、明かりを消して、横になった。布団を深く被り、目を閉じると今さっきのジョナサンの行為がよみがえってきた。
「……っ」
彼の唇が彼女の手に触れた瞬間、何かが内側で渦巻いて、溢れそうになった。
ジョナサンもディオのことが好きなのだ。あたりまえだ。あんなに近くで長年、彼女と過ごしているのだから。
だって、ほんの少しの間、彼女と一緒にいる自分がこんなにひかれて――。
「……」
内側に渦巻いていたものに名がついた。
嫉妬だ。自分は主人に嫉妬をしてしまっているのだ。ディオに一番近い存在に。
自分もディオが好きなのだ。憧れでもある彼女に自分は恋心を抱いている。
幼い頃には同じ歳くらいの男の子にも恋くらいしたことはあるけれど、これはあのときと同じ気持ちだ。
同性に抱く始めての気持ちに苦しいと思い、胸に手をあて、体を縮こまらせて自分は眠った。
「アニー」
ディオが自分を呼んでいる。いつものように彼女の隣の椅子に座る。
彼女を見る。透き通る白い肌、流れる輝く金髪。琥珀色の目に自分がうつり、口角が上がっている唇は赤く、ふっくらしていて柔らかそうで。
「ディオ、様」
「なに、アニー?」
首を傾げて自分を見る彼女に顔を近づけていく。彼女はただ自分を見ているだけ。
もう少しで唇と唇が触れるというところで、目を閉じてしまった。
アニーが目を開けると暗闇だった。
「アニー」
名を呼ばれたため、被っていた布団から顔を出す。
「おはよう、もう朝……どうしたの、顔が真っ赤よ。熱でもあるの?」
自分の頬を触ると熱を持っていた。鼓動も早い。いまさっきまで見ていた夢のせいだろうか。
「布団の中が、す、少し熱くて」
適当な言い訳をして、大丈夫だと言うと彼女はそれ以上は聞いてこなかった。
夢の中といえど、自分はディオにキスをしようとしていた。あの唇はやはり、柔らかいのだろうか。あともう少しで分かったのに。目を閉じなければよかった。
もう顔も熱くなく、鼓動も落ち着いている。服を着替えようと起き上がった。
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