その目に自分だけを 3
それから、アニーは仕事が一段落するとディオに文字の読み書きを教えてもらっていた。
綺麗な字を書けるようになり、字も読めるようになってくると、彼女は頭を撫でて褒めてくれた。
彼女に頭を撫でられ、胸が高鳴り、夢心地だった。あの美しい手がまた自分に触れ、彼女の柔らかな美しい笑顔が自分に向けられていた。
もっとお嬢様に褒められたい――その一心で自分は彼女から与えられる、課題をこなしていた。
アニーは夜遅くまで本を読んでいた。子供向けの絵本だが、文字を読めるようになったばかりの自分にとっては丁度いいものだった。しかも、これはディオが自分のために買ってきたもの。
彼女から貰ったものは、自分にとっては宝物だった。字の練習用にと与えられたペンやインク、ノートもだ。
時計が鳴り、日付が変わることを告げる。
遅いと内心、呟いた。
今日はご主人とお嬢様はパーティーに行っており、帰りは遅くはなるのはいつものことだが、自分は主人たちを迎えたくて起きている。
本を閉じ、あくびをし、顔でも洗おうとランプを持ち、部屋を出ると玄関の方から音がした。
帰ってきたのだとそちらに向かう。
「きさまのせいだぞ!」
「謝ってるじゃあないか……! でも、彼は君に……!」
玄関が開き、言い争う声が聞こえてきて驚き、歩みを止めた。
「気絶するまで殴るな、マヌケ!! せっかくの太いパイプだったのに……! おまえのせいで、わたしの苦労は水の泡だ!!」
身を隠しながら、見ていたが、彼女は初めて見る顔でジョナサンを罵っていた。いつものしとやかな話し方ではなく、刺がある男性的な口調で。
彼女は付けていた髪飾りを髪から引きちぎるように取り、ジョナサンに投げつけ、階段に向かっていく。
「髪飾りならエリナにでも贈れ!」
「だから、ぼくは……待ってよ! ディオ!」
階段に上がっていく二人が見えなくなり、その姿を追いかけた。
「誰だ」
不機嫌な声が上から投げかけられた。見れば、ジョナサンに腕を掴まれている彼女がこちらを見下ろしていた。ジョナサンも驚いているようだった。
「……ア、アニー、で……ございます」
まるで、自分が悪いことをしているようで、責められているように感じ、わき出る恐怖心から、口がうまく動かない。
「きさま、腕を離せ! なんだ、わたしも殴る気か」
「そんなことしない!」
ディオは掴まれている腕を振って手を払うと階段を上っていく。
「ディオ!」
「お嬢様……!」
ジョナサンと同じように彼女を追いかける。
しかし、階段を上りきり、彼女の部屋の前にはジョナサンが扉の前で立っているだけだった。
「話を聞いてよ……! ぼくは君が……君のために……」
ジョナサンの声は暗闇に消え入っていく。扉を叩こうとした手はゆっくりと下ろされた。
彼はこちらを見ると、自分の名を呼んでくる。返事をし、彼に近寄れば、ディオに返して欲しいと持っていた髪飾りを差し出してきた。
「か、かしこまりました……」
髪飾りを受けとると彼はおやすみと言って部屋に戻っていく。その背に向かって頭を下げ、おやすみなさいませと返した。
扉が閉まる音を聞いて、頭を上げ、彼女の部屋へ続く、扉を見つめ、それを叩いた。
向こうから歩いてくる音がしたが、扉が開く気配はない。
「アニー……でございます」
ジョナサンと勘違いしているのかと思い、名乗る。
「なんのようだ?」
不機嫌な声が返ってきた。
「あの……ジョジョ様……」
扉が叩かれた音に体を跳ねさせ、言葉を切ってしまう。
「わたしはもう寝る。明日にしろ」
離れていく足音。聞こえるか分からないけれど、おやすみなさいと声をかけ、部屋に戻ることにする。
その後はすぐにアニーは眠った。
朝、起きて、昨夜のことは夢なのではと思っていたが、ジョナサンから預かったディオの髪飾りが絵本の上にあった。
夢ではないと髪飾りが物語る。荒い口調で命令してきた彼女は現実なのだと。
服を着替えているときにディオのことを仲間に聞いてみた。
「あら、久しぶりね。ジョジョ様と喧嘩していたの?」
そう答える彼女たちはあっけらかんとしていた。あれが始めてではないらしい。
頷くと、彼女たちに災難だったと同情されてしまった。
「たまーにあるの。八つ当たりされたのね、びっくりしたでしょ?」
どうやら、ジョナサンと喧嘩すると口調が崩れてしまうらしい。どちらかと言うとそちらが素なのだという。
「いつもは優しいし、おしとやかなんだけど、怒ると……ね」
お嬢様も自分たちと同じ人間だから、そういうときもあると。
「気にしない方がいいわ。会ったら、普通に接しなさい」
「そう気にしない、気にしない!」
着替えが終わり、仲間に励まされつつ、部屋を出た。
朝食の下ごしらえを手伝っていたため、ディオには会わなかった。着替えを手伝ったものに彼女の様子を聞いたが、普段通りだったと。
しかし、彼女は朝食を部屋で食べるので、朝食を部屋に運ぶように自分に言われた。
「アニー、行くわよ」
朝食をのせられた盆を渡され、さあと肩を押される。
彼女には会わなければならない。髪飾りの件もある。
しかし、昨夜のときのような対応をされたら――そう思うだけで酷く悲しくなる。自分を拒否されたような気分で
他の人にと言おうとしたが、皆は他の仕事をするため、どこかへと行ってしまっていた。
朝食を届けにアニーはディオの部屋に向かう。朝食を落とさないようにゆっくりと歩いて。
昨夜の彼女を思い出していた。見たこともない表情と聞いたことがない口調。
前を歩く同僚は自分を気にかけてくれているのか、歩調はゆっくりだ。
ディオの部屋の前に行き、名を呼び、同僚が扉を叩く。自分の両手はふさがっているため、このためについてきたのだと分かった。
返事が聞こえ、扉を開いていく。
部屋には、ソファーに座るディオがいて、おはようと声をかけてくる彼女はたおやかで、笑顔だった。
「おはよう、ございます」
部屋に入ると後ろで扉がしまった。まだ内心、怯えながら、彼女の前に朝食を置く。
名前を呼ばれ、なにを言われるのだろうと不安になりつつ、彼女と向かいあった。
「……昨夜はごめんなさい。わたし、気が立っていて……」
申し訳なさそうな彼女は今にも泣きそうな顔だった。それを見て自分も悲しくなり、胸が締めつけられる。
「あ、あやまらないでください……わたし、気にしていませんから……!」
彼女の手を取り、頭を横に振る。
彼女も自分たちと同じ人だ。怒りたいときもあるだろう。しかも、彼女の怒りの矛先は自分ではなく、当主であるジョナサンの方だ。自分が気にし過ぎただけ。
握っている彼女の手を離し、ポケットから預かっていた髪飾りを差し出す。
「あ、あの……これを……」
彼女はそれを受け取ると、いつもと同じ笑顔でお礼を言ってきた。
やはり美しい笑顔だと見とれてしまっていたが、このままだと彼女が食事ができないため、部屋から出ることにした。
「またね、アニー。お仕事、がんばって」
「はい、お嬢様!」
彼女に見送られて部屋を出た。自分は上機嫌で次の仕事場に向かった。
窓拭きが終わり、アニーは道具を片付けようと廊下を歩いていると、一室から声が聞こえ、少し開いている扉の隙間から、中を覗いた。
「自分で返しに来い。人に頼んでいるじゃあない。臆病者」
ディオとジョナサンがいた。彼女たちの周りには本棚に無数の本。書庫で二人で話しているようだった。
彼女は昨夜と同じ口調で喋っている。ジョナサンと二人きりだからか。
ディオが本棚を見ながら、歩いていくとジョナサンがついていく。
「だって君……ぼくから返したら……とって……」
「……窓から……ろだ……ようか」
「しょく……さ……て」
「な……みほろ……」
二人の姿は見えなくなり、段々と声も聞こえなくなっていった。
とても二人の会話が気になり、部屋に入りたい衝動が襲ってきたが、ぐっと堪えて扉を閉めた。
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