化物と人間 7
ディオが目を開けると、見える景色は暗い。
明るくない。いつでも、この屋敷は明るかったのに。
人間になれたのだという喜びが体に沸き立つ。
起き上がると、体が重い。こんなこと、感じたことはなかったのだが。
「ディオ」
ジョナサンの声が聞こえ、声をした方を見れば、彼がそこには立っていた。
「おはよう、ジョナサン・ジョースター」
自分が人間になったということは、彼は人間ではない。
「吸血鬼になった気分はどうだ?」
返答はないが、彼は今にも泣き出しそうな表情だ。
「なぜ……君はぼくを……」
その後は、口だけが動いたが、紡いだ言葉は分かった。
「お前ならその力を悪いようには使わないからな」
誰だっていいわけではない。
自分はその吸血鬼の餌になってしまうのだ。見捨てられれば、果ててしまう。
しかも、その力をどう使うのは、その人物に委ねられる。
責任感が強い彼は、その力を理解し、他のものに危害を加えるということはないだろうし、自分を見捨てることはない。
「腹が空いてるなら、遠慮しなくていいぞ」
その言葉に彼の目の色が変わった。ギラギラした欲が目に映っている。
「いらない。大丈夫、だよ」
その言葉は弱々しい。自分を押さえつけるための言葉なのだろう。
「お前のことだ。我慢しているのだろう?」
吸血鬼に渇きは、耐え難い苦痛だ。
渇きが頂点に達すると見境がなくなるという。
半吸血鬼の自分は、そんなことはなかった。流れる人間の血によって抑えられていたのかもしれない。
ベッドからおり、立ち上がるが目眩。
倒れていく体が受け止められる。
「大丈夫かい?」
「ああ」
笑みを浮かべ、首に腕を回す。
彼の優しさは、自身を傷つけるだけだ。
密着する体。包まれる甘い匂い。
目の前には、金髪の隙間から見える白い肌。
その下に赤い血が流れているのだと思うと、息が荒くなる。
離れてほしい。誘惑にのるわけには。
「飲め、ジョジョ」
その囁きはとても優しく、甘美で。
その肌にかぶりついた。口の中に滴る甘い蜜を飲み下せば、沸き立つのは喜び。
これで、ジョナサンの吸血は何回目なのだろうか。
初めてではない。彼が吸血してなければ、自分は目を覚ましていない。
自分の意識のない間、彼は何度、牙を突き立てたのだろうか。
鼻をつく鉄のような匂い。血は人間にはこんな匂いだったのだ。
彼がゆっくりと離れていく。その目は暗い。
もういいのかと聞けば、かぶりを振る。
「これ……じゃあ……ぼくは、ぼくは……」
彼の目から涙が零れていく。
吸血鬼も泣けるのだと思った。母が亡くなった時は、悲しくもなく、化物だから泣けないのだと思っていたが、どうやら自分個人の問題のようだ。
「血なんて……飲みたく、ない……」
そう思っても、しかたがないのかもしれない。
先日まで人間だったのだ。
その時の記憶のせいで罪悪感を覚えるのだろう。
「食事だ。慣れろ」
生きるための行為だ。
人間も飲食をしなければ死んでしまう。それと同じなのだ。
「君は……人間になれたからいいのかもしれないけど、ぼくは……!」
「思う存分、研究すればいい。お前自身で。時間もたっぷりあるぞ。その体なら、寝なくてもいいからな」
大きな手が首を掴む。
目の前の彼は、凄い形相で睨んできていた。
怒りの感情をあらわにし、それをぶつけてきている。
挑発したのが悪かったみたいだ。
首を締める力が強くなる。息ができない。
殺されるのか。
「わたしがいなくなったら……お前は他の人間を……」
手が離され、息を吸えば、むせてしまう。
扉が開く音が聞こえ、そちらを見ると、扉が開いていた。
「ジョ、ジョ……?」
どこかに行ってしまった。
滲んだ視界がはっきりしてから、ゆっくりと扉へと向かった。
彼女に手をあげてしまった。
自責の念にとらわれ、ジョナサンは庭を歩いていた。
この屋敷から離れる訳にはいかない。
手には彼女の首を締めた感触が残っている。あの細い首を。
怒りで我を忘れて、その感情に身を任せてしまった。
殺してしまうところだった。
自分はそこまで堕ちてしまったのだろうか。
化物になって、人間の心を忘れてしまったのか。
花が視界に入り、歩みを止めた。
それは、咲いているものではなく、摘まれたものが置かれていた。
そこは誰かの墓のようだ。木の棒が突き立てられているだけの簡素なものだったが。
ここで死んだ人物。心当たりは一人しかいない。
「ディオの母親……?」
「そうだ」
後ろから声が聞こえ、振り返る。
ランタンを持つ彼女がいた。
また、手に首を締めた感触が戻ってくる。
「ジョジョ、中に入れ。もうじき」
「来ないでくれ!」
その言葉に彼女が止まる。
「そう言われてしまったら……動けんぞ」
そう言う彼女は、悲しそうだった。
足が地に縫いつけられたように動かない。
怪しく光る目。彼の力を感じさせられている。
「ジョジョ」
「黙ってくれ」
声も出なくなる。
ここにいては駄目なのだ。そろそろ日が上がってくる。
彼が消滅してしまう。
伝えるすべがない。
早くと手を伸ばす。
差し伸ばされる手。悲しそうな表情をしている。
その手を取るわけにはいかない。殺そうとしたのに。触れてはいけない。
彼女は、その手をおろすと、揺れて、倒れていく。
「……ディオ!」
地を蹴ると次の瞬間には、ディオの体を受け止めていた。
一歩で行ける距離ではないが、自分は一瞬でそこに移動していた。走ったという感覚はなかったため、違和感を覚える。
彼女に触れてしまった。が、受け止めた体を離すわけにはいかず。
「……腹が減ってな……」
人間になってから彼女は、何も食べていない。自分は彼女の血を飲み続けていいた。倒れても不思議ではない。
「気づかなくて、ごめん……あの、首を締めて」
「謝るな」
言葉を遮られる。
「わたしが……」
腹の虫が鳴く。恥ずかしいのか、うつむいてしまった。
「ご飯、食べよう」
彼女を抱きかかえ、屋敷に戻る。
甘い匂いの誘惑に耐えながら。
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