化物と人間 6
甘い匂いがする。
何かが自分の上にいる。それは、あたたかい。
目を開けると、高い天井とシャンデリア。
自分の屋敷かと思ったが、少し違う。しかも、自分の屋敷はこんなに静かではない。元気な弟がいるのだから。しかも、こんな所で寝ていたら、使用人の誰かが起こしに来る。
起き上がろうとしたが、自分の上には何かが覆い被さっている。
顔だけ動かし、見ると流れる金。
「ディオ……?」
起き上がり、彼女を仰向けにし、その身を抱き寄せた。
温もりと小さな鼓動。
ドレスが真っ赤に染まり、胸の辺りが布が破れ、胸がさらけ出されていた。
見てはいけないと思ったが、自分はそこを凝視していた。
妙に喉が渇いている。腹も空いている。
甘い匂い。彼女はこんな匂いをする香水をつけていただろうか。一緒に過ごしている間は、そういうものをつけていた記憶はないのだが。
いきなり、飲めと声が聞こえた。誰の声か分からない。ここには彼女と自分しかいないはずなのに。
「何、を」
頭に言葉が響く。
早く!
早く!
早く!
血が!
血が!
目の前に!
飲め!
口に温かなものが広がる。
それが喉を通れば、満たされていくのが分かる。
おいしいと思った。
今まで食べてきた、飲んできた、どんなものより。
もっと欲しい。もっと、もっと。
衝動を抑えきれず、貪るように液体を飲んでいた。
笑い声が聞こえる。
「……?」
ジョナサンは意識を取り戻すと、ディオを腕に抱いていた。
真っ赤なドレス。血だらけの胸。
怪我をしているのかと、そこを触ったが傷はなかった。
すぐに手を引っ込める。確認とはいえ、男の自分が触ってはいけないところだ。
その手についた血を見た瞬間、舐めたいと思った。浮かんだ異常な考えに困惑する。
手のひらを顔を近づけてみると甘い匂いが強くなる。血はこんな匂いがするはずがない。鉄のような匂いがするはずだ。彼女の血だからか。
恐る恐る、舌を伸ばし舐めとる。
口に広がるその味を自分は知っている。
「……!」
自分は血を飲んでいたのか。自覚しても、気持ち悪くならない。逆に内心、喜んでいる自分がいた。
化物になってしまった。まるで吸血鬼になってしまったようではないか。
ふと辺りを見回す。今は夜だろうか、昼だろうか。なぜ、こんなに屋敷が明るいのか。明かりがなければ、昼でもここは薄暗いはずなのに。
光るものがあり、それを手に取る。血まみれの短剣だった。
ぼんやりとしていた記憶がはっきりしてくる。
自分は彼女に――。
仮定が確信へと変わっていくが、認めたくはない。信じられるはずがない。
あまり考えないようにするため、目の前の存在に集中することにした。
ディオは息はしているようだが、何度、呼びかけても目を覚ます気配はない。
ベッドに横にしようと、彼女の部屋へと向かう。
妙に軽いその体を運ぶ。
二階に上がったが、窓はカーテンで覆われていた。光は見えない。日が沈んでいるのに、明るい。自分の目に映るこの屋敷は。
この変化を認めたくはないが、認めなければいけないらしい。
彼女の部屋に続く扉を開いた。
悪戦苦闘しながらも、血だらけの彼女を綺麗にし、服も着替えさせた。
そのまま、ベッドに横にするのは忍びなかったのだ。
あまり裸体は見ないようにし、彼女を綺麗にするだけだと言い聞かせてやっていた。
月明かりに短剣を光らせ、それを眺めながら、目を覚ます前のことを思い出していた。
自分はディオに刺され、死んだはずなのだ。
もう着替えたが、着ていた服は血だらけで破れていたし、この短剣で刺されたのだから、夢ではないだろう。
しかし、なぜ彼女が倒れていたのだろう。自分の上で。
もう嫌でも自覚しているが、自分は吸血鬼になっている。
血を飲んだことと、暗闇でも景色が見えていること、彼女を運んだ時に、あまり重さを感じなかったこと。
しかも、胸を刺されたのに、傷が治っていること。
持っていた短剣を置いたが、その机の引き出しが、少し空いていた。
気になり、そこを開けると、一冊の本。
手に取り見てみるが、表紙や裏表紙、背表紙にも何も書いていなかった。
中身を見てみる。
「これ……半吸血鬼の……」
中に書かれていたのは、半吸血鬼のことについてだった。書庫にはなかったはずなのだが。
彼女が隠したのか、彼女が調べていたのか。
彼女に質問し、答えてくれたことがほとんどだったが、気になる記述を見つけた。
「人間になる方法……?」
半吸血鬼は人間になれるらしい。
その方法を見て、驚いた。
「血を死んだ人間に与える……?」
死体に血を与えれば、その者を吸血鬼として蘇らせることができ、自身は人間へと成り果てると。
その人間は弱く、その蘇らせた吸血鬼に血を吸わせることで命を繋ぐという。
そうしなければ、すぐに果てていく。
血を吸わせて生き長らえるいう矛盾だが、それは理由がある。
吸血鬼は、餌をなくさないための措置をしている。
餌を長持ちさせるために、吸血している人間の、自己治癒力を高め、老いを鈍化させる。
それは、定期的に吸血しなければ、効果はなくなるが。
吸血された人間が、吸血鬼になると言われるのは、このせいだと書いていた。
いつまでも若い姿なのだから、そう思いたくもなるだろう。
半吸血鬼には、この力はないらしい。
この書いていることが本当だとすれば、自分が消滅してしまえば、彼女も死んでしまう。
そんな悪条件になると分かっていても、彼女は人間になりたかったということだ。
本を置き、深く眠るディオの元へと行く。
未だに彼女からは甘い匂いがする。血の匂いだ。満たされているはずなのに、喉が鳴る。飲めという言葉が頭に響く。
頭を振り、それをかき消す。我慢しなくては。今すべきことは、彼女の回復を待つことだ。
血を吸ったのだから、待っていれば目を覚ますはずだ。
5へ←
→7へ