化物と人間 12
あの時から、ジョナサンはディオには触れなくなっていた。
呼べば、ジョナサンは来るが、用事が終われば、すぐに部屋にこもってしまう。
自分と一緒にいたがらないのだ。
食料は、昼間に買いに行き、補充をした。
血は相変わらず、吸わない。
吸わなければ、また、あれをすることになることを彼は分かっているのだろうか。
ディオは、彼の理性が崩れるのをただ待っていた。
乾きからは逃れられないのだから。
「ジョジョ」
呼ぶ声に顔を上げたが、また顔を伏せ、自分を抱く形で床にジョナサンは踞っていた。
そうしていなければ、自分はこの部屋を飛び出してしまうだろうから。
「ジョージョー」
耳を塞ぐが、彼女の声は手を突き抜け、鼓膜を突き刺す。
呼ばれたら、彼女のもとに行かなくてはならない。
彼女ができないことを自分がしなくては。
隣だ。彼女は隣にいる。
そこからの香りのせいで、自分の中の欲が暴れる。気づけば、涎が垂れ、床に落ちた。
耳から手を離し、涎をハンカチで拭う。
血を四日、飲んでいないだけ。
それで、死んでしまうことはない。
ただ、この渇きがやっかいなだけ。
前回は三日で意識と理性をなくした。意識を取り戻せば、ボロボロのドレスに身を包む彼女を組み敷いていた。
あの時と同じことをする訳にはいかない。傷は治るかもしれないが、痛みは感じるだろう。
彼女を傷つけたくはない。
今すぐにでも、隣にいるディオの血を飲みたい。なぶりながら、あたたかで真っ赤な液体を。
そんな考えが頭に浮かぶ。自分は化物ではないと言い聞かせ、かき消していくが、頭に浮かぶ前回の彼女の姿。
白い肌に血が流れる情景が浮かび、意識が蝕まれ、頭を床に叩きつけた。
痛い。人間の時と同じ痛みで自分を取り戻す。
「あ、ああ……うあああ……」
うめき声が出た。
血なんて飲みたくない。
彼女を生かすだけの作業に、自分の欲なんていらない。
足音がする。それは自分の部屋の前で止まる。
香りが濃くなる。喉がなった。
自分と彼女を隔てるのは、薄い扉、一枚。
甘美な誘惑が手を招く。
「ジョジョ」
いきなり、頭を鈍器で殴られたような衝撃が襲ってきて、意識がなくなった。
名前を呼んでも来ない。
用はなかったが、彼の飢えが限界がきている頃なので、様子を見に来ただけ。
しかし、それは鍵で阻まれ、叶わない。
「!」
鍵が開く音がし、扉が開く。
その隙間から見えたのは、肉を喰らう獣の目。あの時と同じ目をしている。
限界がきたのだと悟った。
腕を掴まれ、部屋に引き込まれた。
次の瞬間には、肩に担がれており、ベッドに向かっていた。
柔らかいベッドの上に寝転ばしてくれるのは、唯一の良心なのだろうか。
ベッドにおろされ、上にのっかかってきた彼の目の前に手を出す。
「待て、待てだ、ジョジョ」
犬に躾をするように。
ドレスを脱ぐぐらいの時間はほしい。
しかし、犬は聞いておらず、その手のひらを舐め、笑っていた。
早く血を飲ませろと。
舌は手首をなぞり、腕にまでくると、かぶりつかれた。牙はたやすく布を破り、肌をも突き破り、血管へと届く。痛みに顔を歪ます。
腕から口を離すと、彼の手が伸びてきて、鋭くなった爪が頬をひっかいていく。
涙のように伝っていく血を、舐めとられた。
しかし、すぐに傷は塞がっていく。
つまらなそうに塞がった傷をなぞった後、手が振り上げられる。
分かりきったことだ。だから、わざわざ古いドレスを着ていたのだ。
鋭い痛みに息が詰まる。ドレスごと胸を切り裂かれたのだ。覚悟はしていたが、痛いものは痛い。
そこに彼は頬擦りしてきた。
「っ……は……」
そこがどうしようもなく熱い。
音をたてつつ舐めては、爪で傷を増やし血を啜っていく。
痛いと言っても無駄で、反抗しても力で負ける。
この食事が終わるまでは、傷つけられても、我慢しなくては。
彼が正気に戻り、苦しむまで。
脇腹と太股に痛みを感じ、見てみれば、掴まれ、爪が突き刺さっていた。
「ぐあっ……」
痛みが増し、出てきそうになった悲鳴を押し殺す。
無性に何かに綴りたくなる。
「っ……ふっ……」
目の前にジョナサンの顔があった。赤い血にまみれて、ただ楽しそうに笑っている。
頭に腕を回し、抱きしめる。
押しつけている肌に牙を立てられ、血が飲まれていく。
目を閉じ、触れる髪の毛、冷たい肌、血を飲み下す音。違うものに意識を持っていき、痛みを軽減させる。
腕を彼の手が掴み、目を開ける。頭から離され、ジョナサンが顔を上げた。
涙を流しながら、こちらを見ていた。涙が血に混じり赤くなり、まるで血の涙を流しているようだった。
「いちいち、泣くな……」
呆れる。成人している男がこんなに泣き虫だとは。
「ご、めん……」
彼は謝罪を繰り返す。
「うるさい。謝るな」
そう言ったが、彼は聞こえていないのか、まだうわ言のように続けていた。
めそめそとされ、苛ついていた。
苦しむ姿は見たいが、女々しい姿は見たくはないのだ。
体を動かすのは億劫だったが、腕を動かし、襟首を掴み、こちらに引き寄せた。
口を口で塞ぐ。鉄のような味がする。気分が悪くなりそうなこれを、前はおいしいと飲んでいたのだが。もうどんな味だったか、思い出せなくなっていた。
口を離すと、彼は呆けているだけ。
じっと見ていると、みるみると赤くなっていく。
「ぼ、ぼくの……ファースト、キス……!」
「まだだったのか」
それは、可哀想なことをした。自分は初めてではないが。
しかし、そうしたのは彼がうるさいかったからだ。謝る気はない。
それよりも、眠い。ドレスを脱ぎ、体についている血を流さないといけないが、そう考えているだけで、体は動かない。
起きてからでいいと、目を閉じた。
ジョナサンはディオが静かなことに気づき、彼女を見た。
「ディオ?」
目を閉じている彼女は、血だらけでまるで死んでいるようだった。
「……!」
胸に手を置き、心臓が動いていることを確認する。
「……よかった」
生きていることに安堵し、彼女の上から退いたが、このまま放置してもいいのだろうかと、彼女を起こすが、鬱陶しいという視線をもらっただけで、また眠ってしまった。
傷は塞がっているだろうが、ボロボロのドレスに血だらけの体。
こうなってしまったのは自分のせいだ。その後始末は自分がするべきだろう。
彼女を起き上がらせ、自分に寄りかからせ、ドレスを脱がそうと背中の紐を解いていく。最初は分からなくて、なかなかできなかったが、今回は二度目。
緩くなったドレスをゆっくりと脱がしていく。あまり彼女の方は見ないようにして。
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