茨と人形
1
ギャリーは、あてもなく歩いていた。
妙な場所だ。少し歩いただけだが、人と会うことはなかった。しかも、妙に静かで。
ここに、自分しかいないような。
不安が嫌でも膨れあがる。
自分を呼んだ人がいるはずなのだが。その声は今は、聞こえない。
進んでいけば、飾られている様々な絵画。
ここは、美術館なのか。
近くにあった、水の中にいる魚を描いた絵を見る。
すると、魚が泳ぐ。
「動くの!?」
驚き、目を見開く。見間違いかと、目を擦り、瞬きをしたが、絵の中で、跳ねる魚。まるで、生きているようだ。
作品を見ていくと、一際大きい絵画があった。
それに描かれているのは、敷き詰められている青薔薇と茨。何か物足りない。題は忘れられた肖像。
近づけば、嫌な感じがし、あとずさる。
背を向け、歩き出そうとすれば、足が動かない。
茨が巻きついていた。それは、絵から出ている。
「な、何よ……いったい……!」
逃がすまいとしているようだった。足を動かそうとすれば、巻きつく力が強くなるだけ。
「アンタの居場所はそこでしょ?」
笑い声と共に聞こえた声。それは聞き慣れた声。とても、自分の声に似ていた。口調も。
足音。自分の他にも人がいたのかと、少し安心したが、それは崩れていった。
現れたのは、自分だった。
驚くしかない。そこに鏡でもあるかのよう、何もかも同じ。
「だ、誰よ……アンタ……」
そう問えば、彼は笑う。
「アタシ?ギャリーよ」
当たり前だと言うように。
「何、言ってるのよ!アタシがギャリーよ!」
自分が覚えている唯一の記憶。ギャリーという自分の名前。唯一、自分だという証を盗られたように思えた。
「アンタがギャリーっていう証は?確証はあるの?」
そう言われ、言葉が出ない。
自分は今、名前以外の記憶がない。
確証は、ないに等しい。見えない声が呼んだというだけ。
「アタシにはあるわ……おいで!大丈夫よ!」
目の前のギャリーが、誰かに呼びかける。
走ってくる足音。やって来たのは、赤いスカートの少女。
「ギャリー!」
自分の名前であるはずの名前を呼び、もう一人のギャリーに抱きつく。
少女は笑顔だったが、その見上げる目が、暗い。
「ちょっと……!」
その少女が、彼に抱きついているのが、無性に腹がたった。
声をかけるが、少女は一度もこちらを見ない。まるで、自分の存在がないかのように。
「ギャリーはアタシよ」
こちらを見て、そう言うと、彼と少女は、手を繋いで、背を向け歩いていく。
「待ちなさいよ!」
二人を追いかけようとすれば、茨が上半身まで、巻きついてきた。
「邪魔しないで!」
意に反して、茨に後方へと引きずられていく。
もがいてみるが、何も変わらない。
頭を巡る、あのギャリーの言葉。
ギャリーという証。確証。
あのギャリーは、あの少女に名前を呼ばれていた。
自分にが覚えていたのは、ギャリーという名前だけ。そして、聞こえた声がそう呼んでいた。
もしかしたら、自分はギャリーではないのかもしれない。そう思っているだけかもしれない。そう考えれば、力が抜けていく。抗うのをやめ、目を閉じる。
背に触れた壁をすり抜けていく感覚。
あの絵に取り込まれるのか。忘れられた肖像。自分にふさわしい。忘れられた存在なのだから。
「ギャリー!」
声が聞こえ、目を開ける。見えるのは、暗闇だけ。
まだ取り込まれていない手に何かが、しがみついている。
その名を呼んだ声は、目覚めた時に聞いた声。
「バカ!なんで、取り込まれてるのよ!バカギャリー!」
知らない人物に、馬鹿呼ばわりされるのは、腹がたってくる。
「馬鹿とは、なによ!馬鹿とは!」
力ずくで動き、一歩前に踏み出せば、そこに地はなく、茨の拘束は解かれ、 前に倒れた。
目を覚ませば、元の場所で倒れていた。
しかし、目の前には、前はいなかった青い人形が立っていた。
「なにしてんのよ!」
喋って動いている。しかも、声は、あの声だ。
起き上がって座り、人形を掴み上げる。
「な、なにするの!」
軽い。電池や機械が入っていれば、こんなに軽くないだろう。見たところ、スピーカーみたいな物はなさそうだ。
ここは、絵が動いていたのだ。人形が動いていても不思議ではないと、納得する。
「アンタが……助けてくれたの?」
人形を床に下ろす。
「そうよ、感謝しなさいよね!」
ふんぞり返っている。随分、偉そうだ。しかし、助けてもらったのは、事実。
「ありがとうね」
そう言えば、人形は黙ってしまった。どことなく、不機嫌そうだ。
感謝しろと言われ、その通りにしたのに。
「……ねえ、アタシのことを知ってるみたいね?アタシはギャリーなの?」
「そうよ。ギャリーは、あんたしかいないじゃない」
はっきり言われるが、拭えない不安。
「本当に……?」
いきなり、顎に頭突きをされた。
あまり痛くはなかったが、突然のことに驚く。
「自信もってよ!そんなんだから、ニセモノに乗っ取られるの!しっかりしなさいよ、ギャリー!!」
ここまで言われているのだ。自分が本物で、あちらは偽物なのだ。
「分かったわ」
「もう……せっかく起こしたのに」
やはり、呼んだのはこの人形らしい。
「あいつは……ここにいちゃいけないわ」
人形が説明し始めた。
ここは、元よりおかしな美術館だったが、あのもう一人のギャリーのせいで、もっとおかしくなっているという。
あいつを消して、元に戻したいらしく、消すには、自分が必要らしい。
そんなことを聞きながら、あのギャリーと一緒にいた、少女を思い出す。
あの子を知っている気がする。
彼女は自分のことを知ってる。ギャリーと名前を呼んでいた。偽物の方をだが。
一緒にいたのだろうか。あのように手を繋いで。それすらも思い出せない。
名前はなんていうのだろう。
「ギャリー!」
また、顎に頭突き。それで我に返る。
「な、なに?」
「ぼーっとしないでよ!」
また、怒られた。
人形はため息をつき、こちらを見ると、片腕をこちらに指す。
「白バラ!白バラを探して!それがないと、ダメなの」
「白薔薇ね」
頷き、立ち上がる。
歩き出す前に、人形が足にしがみついてきた。
「連れていきなさい」
前にもこんなことがあったような気がする。
この人形は、自分よりも、この美術館のことも理解しているようだし、助けてくれたのだ。
ここでの唯一の味方。
一人でいるよりは、ずっといい。
「分かったわ」
人形を持ち上げ、胸に抱いた。
心強い、相棒ができた。
2
「な、なんなのよ!あれ……!」
ギャリーは全速力で走っていた。
後ろから追いかけて来ているのは、首なし像と、絵画から上半身だけだし這う女性。
「花!花を置いていきなさいよおおお!」
絵画の女性は、妙に花に執着している。叫び声に近いその声は、不気味に響く。
「花なんて持ってないわよ!」
今、白薔薇を探している最中なのだ。
そう叫ぶも、追いかけてくる。聞いてもらえるとは思っていない。言葉が通じる相手ではないだろう。
扉を見つけ、そこに入る。
扉にもたれかかったが、扉が叩かれ、そこから離れた。
しかし、開くことはなく、程なくして静かになり、そこに座り込んだ。
「いったい、なんなのよ……」
「おかしいよ……ギャリーはバラを持ってないのに」
ここに来る客は、皆、薔薇を持っているらしく、あれは、その薔薇を狙い、追いかけてくるらしい。
「なんで、花が欲しいのよ」
「みんな、花占いが好きなの」
そんな理由で追いかけて来るなんて、たまったものではない。
捕まったら、ただではすまなそうだ。あの執着は、狂気じみていた。
「バラを持っていないから、襲われることはないはずなのに」
「実際、襲われたわよ……」
首なし像に、不用心に近づいたのが悪かったのが、像がいきなり動き、首を掴んでくるとは思わなかった。そこは、力押しでなんとかしたが。
首なし像から逃げている最中に、何かが割れる音がしたと横を見たら、女性が絵画から上半身を出し、手を伸ばしてきていた。
危機一髪で避けれたが、そこから二体に追いかけられるはめに。
「あいつのせいよ……めちゃくちゃになってるんだわ」
人形は、悔しそうに言った。
しかし、薔薇を持ったら、否応なしに追いかけられるのか。今さら、薔薇を探すのをやめることはできない。何も分からないのだから。
少し休憩し、落ち着いてきた。
この部屋に手がかりはないかと、本棚の前に立つ。腕がふさがっては、何もできないと言うと、人形は肩に移動した。
目についた本を取る。めくれば、記号の羅列。
しかし、一ページだけ、読める文があった。
「幻は夢である。覚めない夢は現実と同じである……?」
それ以外には、記号の羅列ばかり。
本を閉じ、他の本を手に取る。
しかし、取る本は、作品の紹介や、子供の落書き、小馬鹿にしたような文しか載っていない。
「?」
次に取ったのは、真っ白な本。表紙も裏も背表紙にも、何も書いていない。
めくると、青い字で。
「木を隠すなら森」
それしか書いていない。
めくっていけば、真っ白なページに黒の線が少しずつ、増えていく。
何かを描いているようだ。
完成したのは、薔薇。それは紛れもなく。
「白薔薇だわ!」
それに触れた瞬間、目眩に襲われた。
目を開けると、真っ白な空間で立っていた。
「ここ……どこ?」
肩にはちゃんと青い人形もいた。自分と同じく、戸惑っている。
「しろバラ、ホしい?」
声が上から聞こえてきた。見上げるが、なにもいないし、誰もいない。
「ええ、欲しいわ」
「あハはは、じャア、ゲームをしヨう」
鳥の羽ばたきが聞こえた。よく見れば、白い鳥が飛んでいる。
「つかマエタら、かちダヨ。アキラメたら、そっちのマケ」
大きな音をたて、目の前に、テーブルと鳥籠が現れた。
諦めなければ、いいのか。制限時間もないようだ。じっくり考えればいい。
鳥は遥か上。飛んでも手が届かないのは、火を見るより明らか。
周りには、テーブルと鳥籠。テーブルに乗っても無意味だろう。
あとは何もない。どこまでも続く、白い空間。
「ん〜……」
人形も考えているみたいだ。
「あ」
人形を掴むと、暴れだす。
「ちょっと、なに!?」
「投げるから、捕まえてきて」
これしかない。
あそこまでなら、なんとか投げれそうだ。
「ちゃんと受け止めなさいよ」
「了解」
白い鳥めがけて、人形を投げた。
「ちゃんと鳥の方に投げなさいよね!」
受け止めた人形から、文句を言われる。
「ちゃんと投げてるわよ!あんたこそ、その短い手足を使って頑張りなさいよ!」
何十回とやっているが、なかなか鳥を捕まえることはできない。
意外にすばしっこいのだ。
「ギャリーがちゃんと投げないからよ」
段々と疲れてきて、狙いのところに投げれていない。
「投げてるわよッ!」
力を振り絞って投げれば、人形が鳥に当たった。
「やった!」
ガッツポーズをしていたが、慌てて、落ちてくる人形を受け止める。
人形が鳥を捕まえていたが、人形を肩に移動させ、手に取り、見てみれば、それは、紙だった。動く気配がない。今さっきまで、飛び回っていたのに。
とりあえず、それを鳥籠に入れる。
「キミたちのカち!シロばらはあゲる」
声が聞こえ、見上げていたが、鳥籠から音がし、見てみれば、白薔薇が入っていた。
「私のお手柄ね」
得意気に言う人形。
「……そうね」
自分も必死に投げたのだが。
鳥籠から白薔薇を取れば、弾き飛ばされる衝撃に、目を閉じた。
目を開ければ、元の部屋に立っていた。
手を見れば、本はなく、代わりに青薔薇を握っていた。
「白薔薇は……?」
白薔薇を手に入れたはずなのに。周りを見渡しても、白薔薇はない。
「白バラが、青に染まったの」
人形の言葉に青薔薇を見つめる。
「……!」
思い出した。どうやって、この美術館に来たか。
ゲルテナの展覧会で作品を見ていたら、周りに人がいなくなっており、人を探していたら、壁だった所に階段があり、そこを下りていったら、ここだったのだ。
そして、青薔薇を見つけ、歩いていたら、絵画から出てきた青い服の女に襲われ、薔薇が散った時に体に痛みが走り、薔薇を奪われ、痛みから体が動かなくなり、倒れた。
そこまで、思い出したが、その先が思い出せない。なにかしていたはずなのに。
頭に手を当てる。
「なにか思い出した?」
「ここに来たときのことを、少し……」
「記憶がバラバラになっちゃってるの、探さないと」
人形が言うには、自分は記憶をどこかに落としてきたらしい。
それは、どんな形をしているか人形にも、分からない。目に見えるものなのかさえも。
「探すわよ、ギャリー」
「ええ」
扉を開け、ゲルテナの作品たちがいないことを確認し、歩き出した。
3
いきなり、ギャリーが立ち止まり、イヴが見上げれば、険しい顔をしていた。
「どうしたの?」
そう聞けば、ギャリーはこちらを見て、笑顔でなにもないと、答える。
また、歩き出す。
「記憶ねえ……」
「気になるものがあれば、調べたほうがいいわ」
そんな会話をしながら、長い通路を歩いていた。
壁に並ぶ絵画は、なぜか、片腕や、繋がっていない胴体や、手だけの絵。不吉なものばかり。
あまり見ないように進んでいれば、上から何か音がした。
見上げれば、光るもの。
嫌な予感がし、走り出せば、後ろに大きな音をたて、落ちてきたのは、巨大なギロチン。床には、ひびが入っていた。こんなものを喰らってしまえば、ひとたまりもない。
「ぶ、物騒だわ……」
青ざめていたが、ギロチンが上にゆっくりと、上がっていくと、また、嫌な音。
走りだせば、後ろからギロチンが落ちた音が。
突き当たりに開いている扉があり、そこに滑り込むように入った。
すると、ひとりでに扉がゆっくり、閉まる。向こうでギロチンが落ちるのが見えた。
薄暗いその部屋を見渡せば。
「ひッ……!」
あの青い人形が並べられており、こちらを見ていた。壁にかかる絵画にも、巨大な人形が描かれて、こちらを見ている。
頭をよぎる、誰かに頬を叩かれた記憶。驚いて呆けていたら、もう一度、叩かれた。その時も、記憶が曖昧だった気がする。
その頬の痛みを思い出し、頬をさする。
「相変わらず、不気味ねぇ……」
「カワイイじゃない」
人形が反論してくる。どこをどう見て可愛いのか。自画自賛なのか。
「あの子もカワイイって、言ってたもの」
「あの子って……赤いスカートの女の子のこと?」
「うん」
人形も知っているのかと驚く。
「なんで、知ってるのよ」
「友達だもん」
この人形を可愛いと感じたり、友達になっているあの少女は、少し趣味が悪いのではないか。
「名前、知ってる?」
「思い出せないの……知ってるはずなのに」
人形も自分と同じ。あの子を知っている。
この気持ち悪さは、どこから来るのだろう。
「ねえ、あそこ」
人形が指す床に、黄色のキャンディーが落ちていた。
近づき、拾えば、流れ込む記憶。
青薔薇を差し出す少女を見上げている。赤いスカート、赤い目、長い黒髪。
そうだ、薔薇を取り返してくれたのは、あの子。
作品たちから逃げ、振りきったと思えば、彼女が倒れて。
近くの部屋まで運び、コートをかけ、横にした。
起きた彼女は、酷く怯えていた。怖い夢を見たと。
そんな彼女に、このキャンディーをあげたのだ。少しは気が紛れるようにと。
この美術館で、自分はあの子といたのだ。出口を探して。
しかし、名前がどうしても、思い出せない。自己紹介を、お互いにしたのに。
「思い出した?」
「少しだけ」
キャンディーをコートのポケットに入れ、部屋を探索することに。戻ってもギロチンの餌食になるだけだ。
人形にはあまり近寄らず、本棚を見る。
「ん?」
よく見れば、床に動かしたあとがある。
「よっ……と」
本棚を横に動かせば、床に穴が開いていた。その先は、明るい。
ここにいても、どうしようもないと、そこをくぐり抜けることに。
穴をくぐり抜ければ、広い空間。目の前の壁には、見たことがある絵。忘れられた肖像だ。
「なんで……!」
また、同じ場所に戻ってきたのか。周りを確かめようにも、茨が出てきて、腕や足に巻き付き、余裕がない。人形も見事に捕まっていた。
「本当に往生際が悪いわね」
壁にもたれかかっている偽ギャリーがいた。とっさに薔薇を後ろに隠す。
「また……!アンタは偽物よ!アタシがギャリーよ!!」
そう主張すれば、偽物は笑い出す。
「あの子のこと、覚えてないのに?あの子に必要とされてないのに?」
覚えている。一緒にいたのだ。
薔薇を取り返してくれた。キャンディーもあげた。
「覚えているわ。アタシと一緒にいたもの」
偽物は驚いているのか、目を見開いたが、笑みは変わらない。
「そう、でも今は、あの子が呼ぶギャリーはアタシだけだもの。アンタはいないでしょう?呼んでくれる人なんて」
「……人形が呼んでくれるわ」
人ではないが。自分をギャリーと呼んでくれる、唯一の味方。
「そんな、まがい物に?消えた存在に?」
言葉の意味がよく分からず、人形の方を見た。
目が合うが、そらされ、人形は偽物を見る。
「うるさい!!あんたはバラを持ってない。お客様でも、作品でもないわ!消えて!あんたのせいで、でたらめな世界になってるのよ!」
彼はそんな言葉を気にせず、こちらにやって来る。
「なに、隠してるのかしら」
腕が茨に引っ張られる。
手に持つ薔薇を見ると、手を伸ばしてくる。
抵抗ができない。絶体絶命だ。
「ギャリー……」
あの子の声が、聞こえ、偽ギャリーの動きが止まる。
「ひっ……く……ギャリー……」
泣き声に混じる名前。
向こうの方から、あの少女が歩いて来ていた。
偽ギャリーは慌てて、少女にかけ寄り、屈む。
「ねえ……!」
少女に呼びかけてみる。名前が思い出せず、呼べないことに苛つく。
「ごめんね、一人にして」
「ギャリーのばか……」
なにも反応がない。声が届いていない。
少女は偽物に抱きつく。頭を撫で、彼は、彼女を抱き上げると、こちらを一瞥し、歩いていく。
「待ちなさいよ……!」
無視された。姿が見えなくなると、茨の力が弱くなり、解放された。茨が絵画に戻ると、絵も消えていった。
取り残された、自分と人形。
薔薇が無事なことに安心する。散らされてしまえば、また。
「また……?」
前に、散らされたことがあったのだろうか。思い出そうにも、なにも出てこない。
横にいる人形を見れば、床に転がったままだ。
あの言葉を気にしているのだろうか。
まがい物。消えた存在。
聞きたいことは、沢山あったが、胸にしまうことにした。
人形がいたから、自分がここにいるのだ。しかも、偽物が言うこと、嘘かもしれない。
人形を掴み、顔前に持ってくる。
「気にしてんじゃないわよ。あんな奴が言うこと」
そう言い、笑うと、気にしてないわよと、返ってきたが、声色は沈んでいた。
黙って、人形を抱きしめる。
「な、なに……!」
「ちょっと黙んなさい」
人形は暴れていたが、段々と大人しくなっていった。
「ありがとう……」
小さなお礼がぐぐもって聞こえた。
4
人形に元気になり、進むことに。
偽物がいないか、よく確認しながら。
出会ってしまえば、必ず薔薇を狙ってくるだろう。命が脅かされる。
進んでいると、茨に包まれた扉があった。
「なにこれ……」
侵入する者を拒むように。
茨を引っ張ろうとするが、びくともしない。感触も植物ではないようで。
どうすれば、いいのか。
「なにか持ってない?」
「持ってないわ……」
コートのポケットやズボンのポケットを探っても、あるのはキャンディー。破壊できるものを持っていない。
近くになにかないだろうかと、見渡せば、突き当たりに黄色の扉。
近づき、そこに入ることにする。
入れば、テーブルがあり、そこにライターが。
「これ……!」
見たことがある。
「アタシのだわ!」
自分が持っていたライターだ。なぜ、こんな所に。しかも、これがあれば、茨をどうにかできるだろう。
手に取れば、また、記憶が流れ込んできた。
呆けていたら、あの女の子に頬を叩かれた。怒れば、泣きそうな表情で、抱きついてくる。
そこは、あの青い部屋だった。自分の頬を叩いたのは、あの少女か。子供の力は意外と侮れない。
そして、次は、青薔薇と赤薔薇を交換し、赤薔薇を少女に差し出す。またもや、泣きそうな顔をしている。
赤薔薇を受け取ると、謝ってきた。悪いのは、彼女ではないのだ。
また、場面が変わり、全身を襲う痛みに体が動かなくなり、後から行くと笑って、彼女と別れる。
その背を見送る途中で、耐えきれなくなり、倒れた。体を必死に動かし、壁にもたれかかったが、もう限界だった。
視界が暗転し、次に見えたのは、壁を背に座り、項垂れている自分。
また視界が暗転する。見えたのは、燃える茨。燃える絵。
最後の方のものは、自分の記憶ではない。自分自身をああやって、見ることはできないし、倒れた後は知らないはずなのだ。しかも、燃える茨と燃える絵は、見たことがない。
しかし、自分は誰と薔薇を交換したのだろう。確かに薔薇は交換したのだ。
「もう一人、いた気がするんだけど……」
あの女の子と自分と、もう一人。あの偽物ではなくて。
見上げれば、壁にかかっている一輪の黄色の薔薇の絵。
「黄色の、薔薇……」
赤薔薇、青薔薇、そして、黄薔薇。知っているような気がする。
思い出そうとすると、人形が肩でジタバタする。
「早く行こう!モタモタしてると、あいつが来るかも」
「……そうね」
人形の言う通りにする。妨害は、うけたくない。こんな所で捕まってしまえば、終わりだ。
茨に埋もれている扉の前まで戻り、ライターを取り出す。
「おろして」
人形がそう言うので、おろすと、通路の角に走っていき、うずくまる。
火が怖いのだろう。人形の素材を考えれば、当然だ。燃え移っても困る。
火をつければ、燃えていく茨。壁や扉は燃えずに、茨だけが、消え去った。
これで通れる。
「終わったわよ」
人形の方を向き、声をかけるが、うずくまったまま。
近づけば、声が聞こえた。
「怖い……コ、ワイ……こわい……」
人形は、ふるえている。尋常ではない怖がり方。前に何かあったのだろうか。ふと思い出す、燃える茨と絵。
人形の頭を触ると、人形が驚いたのが分かった。
頭を撫でる。
「終わったわよ」
言葉を繰り返す。
「うん……」
返事が聞こえた。人形を持ち上げ、胸に抱いた。
扉を開けると、そこは、壁は絵画で埋め尽くされ、テーブルに置かれたガラスケース。赤い薔薇が入っていた。
これは、あの子の薔薇だ。
ガラスケースに触ろうとすると、電力のようなものを感じ、手が弾かれた。
「あの子……なんで、持ってないのよ」
大切なものだから、ちゃんと持っているように言ったのに。
しかし、触れないのがもどかしい。これは、あの子が持っていないと、いけないものなのだ。
「ねえ、あの子なら触れるんじゃない?」
薔薇を守っているのかもしれないと。
連れて来なければ、いけないのか。あいつから、ひきはがして。
奥の壁には、大きい青薔薇の絵があった。そこに巻き付く、茨が。周りの絵画も、キャンディーやマネキン、黄色の薔薇、無個性の像や、見たことがある物ばかり。
あの少女を象徴するような部屋だ。
部屋を出る。
偽者から、あの子を取り返すのは、骨が折れそうだ。
「しつこいわ!」
二人を探して、歩き回っていたら、角を曲がる赤いスカートが見え、見つけたと、追いかけていったら、赤い服の無個性。
少し薔薇を散らされたが、なんとか逃げられた。しかし、追いかけられている。
こんな時に限って、扉が見つからない。
ようやく、見つけた扉を開け、入る。
少し時間が経ってから、扉を少し開け、外を確認する。
無個性がいないことを確かめ、外に出た。
「どこにいるのかしら」
会いたくない時は、会ったのに。
必ずこの美術館にはいるはずなのだ。
人形と雑談しながら、歩き回る。
「あ!」
声をあげた人形の口を塞ぐ。
曲がり角を曲がる、二人の姿。
足音をたてないように、二人を追う。
「見つからないね」
「そうねえ」
会話が聞こえてくる。
手を繋ぐ二人の姿。こちらには、気づいていないようだ。
手を叩かれ、人形の口から手を退ける。
見合い、頷く。
「先手必勝よ」
そう呟いた。
5
一気に駆けだし、偽者の背に蹴りを喰らわした。不意打ちに、前に倒れる彼。
驚いているのか、立ち尽くす少女を抱きかかえる。いきなり、重くなる。見れば、寝ているようで。
「その子に触らないでッ!」
ギャリーが、起き上がってこちらを見ていた。床が盛り上がり、出てきたのは茨。
肩から人形が飛び出し、彼の顔に張り付いた。
「邪魔しないでよ!」
小さな悲鳴が上がり、彼が怯んだ。向かってきていた茨も、引っ込んでいく。
チャンスだと、あの部屋へと、走り出す。言葉には出さないが、人形にお礼を言って。
もう一人のギャリーは、顔に張り付く人形に、恐怖を感じていた。よく分からないが、拒絶反応を、起こしているような。体が上手く動かない。
「消えちゃえ!このニセモノ!」
その言葉に、酷く冷静になる。
この人形も、だ。消えた存在のくせ。本来、もういないはずなのに。
「アンタに言われたくないわよ!!」
顔から人形を引き剥がし、蹴りを喰らわせた。壁にぶつかる人形。
「イヴ……!」
もう見えない二人を、追った。
ギャリーは、少女に声をかけながら、走っていた。
「ねえ……起きてよ!」
何も反応はなく、寝ているだけ。瞼は、少しも動かない。
「起きてってば……!」
どうしても、名前が思い出せない。名前を呼べば、起きてくれる気がする。
「……あ!」
あの扉だ。少し気が抜けた瞬間。
「……!」
何かに足を取られ、転んでしまった。投げ出してしまった少女に、謝る。目の前に横たわる、彼女は、起きる気配がない。
後方に引きずられていく。後ろを見れば、足に絡まる茨。そして、歩いてくる偽者。
彼女から、だいぶ、距離を離されると、引きずられるのが終わる。
目の前に立つ彼は、しゃがむと、前髪を掴み、顔を無理矢理上げた。
「邪魔なのよ」
冷たく見下ろされる。手を動かそうとしたが、茨が邪魔をする。
「あの子は渡さないわ」
イヴは、ゆっくりと目を開けた。ぼやける視界には、黄色が見える。
すぐに視界がはっきりし、それがキャンディーだと分かった。
なんで、こんなところに。これは、自分が食べてしまったずなのに。
それを手に取る。
「……!」
流れてきた記憶。美術館で起きたこと、ギャリーと別れたこと、そして、やってきたギャリーに薔薇を散らされたこと。
起き上がれば、少し離れたところに、ギャリーが二人いた。
しゃがみ、髪を掴んでいるギャリーと、体に茨が巻き付き、地に伏せているギャリーが。
髪を離され、頭が項垂れる。
いきなり、視界が薄暗くなる。
不思議に思い、見上げれば、あの少女が立っていた。
「どうし」
偽者の言葉が終わる前に、頬をひっぱたいた。叩かれたことがあるが、あれは痛い。
「ギャリーになにするの!」
まっすぐ見る目は、光が。
叩かれた彼は、目を見開いた。
「なに言ってるの?アタシがギャリーよ」
彼女の方を見て、笑う。その笑顔がぎこちない。
「違う!」
彼女は、はっきりと言った。
「ギャリーはいつも、守ってくれたもの!私を傷つけたりしない」
「ど、どうしちゃったの?」
見るからに彼は動揺している。伸ばした手が、叩き落とされた。
「あなたは私の薔薇を散らした……!」
叫ぶように彼女は言う。
「あなたはギャリーじゃない!!」
彼の姿が、揺らぐ。向こうの壁が、一瞬、見えた。
「イヤアアアアア!」
目の前のギャリーが叫ぶ。イヴは驚いて、一歩、後ろに。
「イヤよ!アタシは、アタシは……!」
泣きそうな表情。見開いた目に写るのは、戸惑う自分。
「アナタのために生まれたのよ?寂しくないようにって……!」
彼は違う。見た目も声も、同じだけれども。はっきり分かるのだ。ニセモノだと。
「望まれたから……」
こちらに伸ばされる手。指先から、消えていっていた。
あとずさり、首を横に振る。
「私のギャリーは、そこにいるもの」
彼は、目を閉じ、涙を一筋流して、消えていった。
「ギャリー!」
彼女がこちらに駆け寄ってくる。巻き付いていた茨はいつの間にかなくなっていた。
差し出される手。
「初めて、会った時みたいだね」
「そうね」
あの時も、自分は倒れていた。思い出して、笑う。
手を掴んだ。
「ありがとう、イヴ」
その後は、二人とも、質問ばかりしていた。
イヴは、偽者といた時は、暗示みたいなものにかかっていたらしく、あのギャリーしか見えなかった、と。声も聞こえてなかったらしい。
キャンディーを取った時にと、イヴが取り出したのはライターだった。
二人で首を傾げた。自分が持っていたはずだと、ポケットを探ったが、出てこず。
借りたから返すね、と手渡される。
イヴと別れた後の記憶。
あれは、イヴのもの。茨と燃える絵。これで、燃やしたのだろう。
「やっぱり、ギャリーは眠っていただけなんだね」
笑っていう彼女に、言葉を返せなかった。
眠ってなんかいなかった。
自分はあそこで。
「ギャリー?」
忘れよう。こうやって生きているのだ。
「ごめんね、疲れちゃって」
「ギャリーは休んでなかったもん。しょうがないよ」
抱きついてくるイヴ。
久しぶりの体温に笑顔になった。
部屋に入れば、テーブルの上には、硝子の破片が散らばり、硝子にまみれた赤薔薇があった。
気をつけて薔薇を取り、硝子を振り払う。硝子が付いていないか確認し、しゃがんでイヴに赤薔薇を差し出す。
「ちゃんと持ってるのよ」
赤薔薇を握りしめるイヴ。
「うん。メアリーの時、みたいだね」
メアリー。その名を聞いて、思い出す。
「イヴ、ちょっと行きたいところがあるの!」
「え、うん、わかった」
手を繋いで、その部屋から走って出た。
6
戻ってきたのは、イヴを取り返した所。
ここで、人形が偽者を足止めしてくれた。
人形を探していれば、角に頭と体が分かれてしまっている人形が。
「あ……あ……」
近くまで寄り、膝をつく。持ち上げるが、動く気配がない。
「その子、どうしたの?」
「アタシと……一緒にいてくれたの」
その人形を抱きしめる。この子が助けてくれたから、イヴをこうして助けられた。
「アタシのせいで……ご」
いきなり、頭に衝撃。イヴが小さく悲鳴をあげた。抱いていた人形が滑り落ちる。
「かってに人を殺さないでよ」
頭になにか乗っている。聞き覚えのある声。
頭にいるものを掴み、見てみれば、あの青い人形。
「代わりならあるのよ」
再会できたことが、嬉しくてしょうがなくて、抱きしめた。
「そんなこ……てる場合……ないの!」
抱きしめるのをやめる。声が途切れ、途切れに聞こえる。
「ちょっと、どうしたの!?」
「時間が……な……出口……来て……」
人形が動かなくなってしまった。呼びかけても、人形を振ったも反応がない。
「ギャリー」
服を引っ張られ、イヴの方を見ると、指をさしていた。その先の床に、足跡が。
それは、一つ、一つ増えていく。まるで、誰かが歩いているように。
イヴと顔を見合わせ、頷く。手を繋ぎ、足跡に付いていった。
足跡に付いていき、足跡が止まったのは、巨大な絵の前だった。
その絵は、向こうの現実世界の風景が描かれている。
「ここが……」
「出口だと思うけど」
「そう、ここが出口」
いきなり、人形が喋り驚く。
人形が飛び降り、後ろへ歩いていく。
「さっさと帰れば」
立ち止まり、背を向けて、そう言い放つ人形。
「ありがとうね、メアリー」
「ありがとう、メアリー」
その背にお礼を言えば、人形が倒れ、宙に浮かぶメアリーが出てきた。
「……気づいてたんだ」
自分は途中からだ。イヴは声を聞いた瞬間、分かっていたと、足跡の後を付いていっている間、話していた。
「ごめんなさい」
そう言って、メアリーは炎に包まれて消えていった。
イヴとの会話を思い出す。メアリーは、イヴが燃やしたらしい。あの子は、ゲルテナの作品だ。絵を燃やしたら、メアリーは灰になったと。
辛そうにイヴは話してくれた。
メアリーは、自分がしたことを、後悔していたのかもしれない。だから、自分を助けてくれた。
イヴが人形のもとへ。人形を胸に抱くと、戻ってくる。
「一緒にいくの」
もう、その人形にメアリーは宿っていないけれど。
絵を見上げれば、光り、額縁がなくなる。
手を繋ぎ、一緒に絵に飛び込んだ。
気づけば、イヴは美術館にいた。何かしていた気がするけれど、分からない。
なぜか、青い人形を抱いて。こんなの持っていただろうかと見る。
不気味と思うが、とても大切なものに感じて、また、胸に抱いた。
作品を見ようと、歩き出す。
曲がり角を曲がろうとすると、人とぶつかってしまった。
「ご、ごめんなさい」
謝りながら、その人を見上げる。
片目を髪で隠し、コートを着ている男性だった。
「こっちこそ、ごめんなさいね」
向けられる笑顔。喋り方にとても特徴がある人だ。
「あら、それ……」
少し屈んできた。青い人形を見つめる。
「見たことが……ある気がするわ」
「この子を?」
人形を見る。こんな人形をどこで、買ったのだろう。誰かに貰ったのだろうか。
「イヴ、ギャリー、ありがとう!」
いきなり人形が喋った。
突然のことに驚いて、顔を見合わせる。
とても聞き覚えがある声だった。
「……メア、リー」
男性が呟いた。
「メアリー?」
その言葉を口にすれば、思い出す、あの美術館のできごと。
「……!」
顔を見合わせた。
「イヴ!」
「ギャリー!」
その表情を見て、名前を呼ばれて分かった。彼も思い出している。
あの美術館で体験したことを、確認するように言い合った。ついさっきまで忘れていたことが嘘のように。
「メアリーのおかげね」
「そうだね」
もう、人形は動かなかった。しかし、人形は確かに喋ったのだ。彼女の声で。
「マカロン、食べに行こうね」
クレヨンで描かれた太陽の下でした約束。
「約束したものね。別の日でいいかしら?ほら、今日はいろいろあったし……」
その言葉に頷いた。今日は両親と一緒に来ている。事情を話しても、納得はしてくれないだろう。それに、酷く疲れた。
「その子もね」
ギャリーが指すのは、青い人形。
「うん、忘れない」
マカロンを食べに行く日時を決め、待ち合わせ場所も決めた。
「じゃあ……またね、イヴ」
「うん、またね、ギャリー」
手を振って、彼と別れた。その姿が見えなくなるまで、手を振っていた。
自分の名を呼ぶ、母の声が聞こえ、そちらに歩き出す。
約束の日は、目一杯、おしゃれをしてギャリーに会おう。
約束の日が待ち遠しくてしかたがない。
母と合流すれば、人形を見つめる。
「あら、イヴ。そんな、お人形持ってた?」
「うん、お友達」
向こうでできた友達。
「メアリーって言うの」
笑って答えた。
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