胸に花を抱いて 2
酒場に入ると、昼間だと言うのに盛り上がっている。
隅にある机に行けば、突っ伏して寝ている男。
「ジョセフ、こんなとこで寝てんじゃあねえよ」
声をかけると、顔を上げる。その顔には殴られたあとがある。
喧嘩は毎日のことだ。気にしない。
「よぉ、スピードワゴン。昨日、ちょっとあってよ」
そう言いつつ、大きなあくびをする。
ジョセフは貴族のはずだが、そんなことは微塵も感じさせず、それを鼻にかけることもない。
身形も自分たちと変わらない。
言わなければ、彼が貴族だと分からないだろう。
貧民街に入り浸り、仲間とつるんでは色々なことをしている。家にも帰っていないようで、こうして酒場で一夜を明かしていることも多い。
彼は様々な所に顔がきく。それは、ここだけではなく、町でさえも。
喧嘩っ早いので、揉め事も多いが、彼の周りには不思議と人が集まる。
そんな自分もその一人だが。
彼の真向かいに座り、酒を頼む。
「昨日、何があったんだよ」
「見かけない奴と喧嘩してさ。一発目からスパナで殴りかかってきやがったんだ。まあ、やり返したけどよ」
長身で体格がいい彼は、喧嘩で負けることはない。
子供の時からしょっちゅう喧嘩はしていたと聞いた。
「なんだよ、あいつ……」
「まあ、酒でも飲んで気分転換しろ」
丁度、自分が頼んだ酒が運ばれてくる。
「奢ってくれるのか?」
目を輝かせて見てきた。
「それくらい払え」
彼はここを拠点にし、働いては金を手に入れている。手段はあまり良くないこともしているが。
懐には結構な金があるはずだが、彼が使うところはあまり見ていない。
「少しくらい、いいじゃあねえか……こっちにも酒!」
未成年だが、誰もとがめない。金を落としてくれれば、誰にだって酒を提供する。
ジョセフが頼んだ酒がきて、グラスをぶつけ、酒を飲む。
「うめえ!」
「そーだな。そういや……先生を見たぜ」
そう言うと、ジョセフは酒を飲むのをやめる。
「どこで?」
「ここの近くの通りでな」
先生と言うのは、貧民街の子供たちに勉強を教えている美女のことだ。
貴族だが、わざわざ貧民街まで来て、勉強を教えている。
何かを企んでいるのではないかと、戯れではないかと、皆、疑っていたらしいが、何も取らずに彼女は勉強を教えている。
今では、彼女を知らないものはおらず、その姿から、聖女や賢女と言われ、慕っている者もいるほどだ。
「やべ……」
ジョセフは慌てた様子で酒を飲み干し、金は払っておいてくれと立ち上がる。
「後で返せよー。あの人、やっぱりお前を……」
いきなり、入口の方が騒がしくなった。
そちらを目にやると、今まさに話していた彼女がいた。
誰かを探しているのか、店の中を見ている。
「先生、あんたの探しもんは、こっちだぜ!」
声をかけると、まっすぐにこちらに歩いてくる。
観念したらどうだと言おうと、彼の方に向くと、目の前にいた彼がいない。
足に何かあたり、机の下を覗き込めば、彼が窮屈そうに潜り込んでいた。無理があるだろうと呆れる。
「ジョセフ」
机では彼の巨体は隠れない。はみ出しているのが、自分自身でも分かっているはずだが。
名前を呼ばれ、彼は観念したようにおずおずと出てくる。
「な、なんだよ」
「貴様、屋敷に帰っていないな。今日は帰ってきてもらうぞ」
その言葉遣いは、聖女や賢女とは程遠い。普段は猫を被っているのは知っているが。
その綺麗な容姿と聞いていた噂との本当の姿のギャップには驚いたものだ。
「あ、明日、帰ろうと……」
そう言いつつ、彼はこちらに目配せしてくる。助けろと言いたげに。
「スピードワゴン、ジョセフを借りていくが問題ないな?」
こちらに問う彼女は、笑顔を向けてくる。
「問題ねえよ」
「この、裏切り者!」
「姉ちゃんが、わざわざ迎えにきてくれてんだぜ?」
彼女、ディオはジョセフの姉だ。血は繋がってないので、全く似てないが。
こうやって、彼女が彼を迎えに来るのは、今始まったことではなく、何度もあることで。
こんな美女がいるなら、自分は毎日、家に帰るが、彼はあまり家に帰りたがらない。
「おー、おねーちゃん」
一人の酔っ払いが、近づいてきて、彼女の腕を掴む。
ディオは嫌がることもせず、無表情で男を見ていた。
「おれとーイイコト……」
男は顔を真っ赤にし、体を揺らしている。酷く酔っているようだ。
彼の命が危ないと思った。
現に、ジョセフは凄い形相で彼を睨みつけている。
彼女に手を出してはいけないのだ。それがここの暗黙のルール。いや、ジョセフたちが作り上げたものだった。
それを知らないものは、この貧民街にはいないと言ってもいい。酔っ払いは最近、来た者なのだろうか。
「てめえ……!」
ジョセフが殴りかかろうとした瞬間、その酔っ払いが吹っ飛ばされ、床に転がった。回りは喧嘩かと騒ぎ始める。
いつの間にいたのだろうか。彼女の後ろに男がいた。
「触るんじゃあねえ」
不機嫌な声。
殴られた酔っ払いは転がったまま、起き上がってこない。気絶しているようで、客も喧嘩ではないと分かると、席に戻っていく。
「大丈夫か?」
彼は触られていた腕を手で拭っていた。それは、見た目には似合わず、とても優しく。
「わたしはな」
彼女は、起き上がらない酔っ払いを見ていたが、すぐに見るのをやめた。
店の主人と客が邪魔だと店の外に捨てにいく。
殴った男、承太郎に視線をやる。
彼はジョセフの弟だ。兄弟なだけあって、見た目は似ている。長身で体格もいいところも。
性格は、ジョセフとは違い、冷静沈着で表情はあまり変わらないが。
しかし、一度、キレると手に負えない。それで、何度か喧嘩に発展したこともある。
彼も貧民街によく来ていた。自分も顔馴染みだ。
「承太郎、捕まえてくれ」
逃げ出そうとしていたジョセフを、承太郎が捕まえる。
「じゃあな、スピードワゴン」
ジョセフ暴れていたが、引きずられる形で、彼女たちと酒場を出ていった。
いつものことなので、手を振って見送った。
ジョセフは承太郎に任せ、ディオは一度、学校に戻ることにした。
行き倒れていた者が目を覚ましているかもしれない。
子供たちに教えている間、目を覚まさなかったのだ。
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