出会いと再会と別れ 8
妙に目がさえてしまい、ディオはそのまま、慌ただしく働く使用人たちと一緒に父の荷物の整理をしようとしたが、とめられてしまった。疲れているだろうから、休んでくれと。
何かしていた方が気が紛れると笑うと、それ以上は何も言われずに、それじゃあと、渡された父宛てに送られた手紙を他の者の邪魔にならないよう、一室で整理していた。
様々なところと交流していたためか、沢山の手紙があった。屋敷中にあり、かき集めたのだという。
「!」
その中には、実父の手紙があった。
中を見ると、自分は病気でこの先長くはない。だから、残される子供を頼むと。
なんと、ずうずうしい内容だろう。
勝手に病気になり、死んでいったのだ。自分が稼いできたなけなしの金も、母の形見であったドレスさえも売り払い、酒に変え、酔い潰れるまで飲んで。自業自得だ。
この申し出に、何も言わずにジョースター卿は、首を縦に振ったのだろう。命の恩人からの頼みだからと。
嫌なものを見たと、後ろへと投げ捨てた。後で破って燃やそう。死んだものの手紙なんて、もういらないだろう。
「ディオ」
振り返れば、ジョナサンがおり、自分が投げ捨てた手紙を拾っていた。
「ダリオ……ブランドー?君の父親の手紙じゃあないか。丁重に扱わないと……」
近づいて、それを差し出してきたが、無視をした。
「子供を殴り、酒を飲んでいただけのあいつを、父とは呼ばん。ただのクズだ」
当時を思い出し、怒りを込めた声で言うと、ジョナサンは静かになり、その手紙を引っ込めた。
「……ごめん……ずっと……知らなかった……」
彼を見れば、悲痛な表情をしていた。
「……」
そういえば、この屋敷に来る前のことを誰かに話したことはなかった。思い出したくもなかったし、誰も聞きたがらないだろうと。
殴られた痕も、実父が病気になってから殴られることもなくなったので、この家に来るときには、消えていた。
彼らが知っているのは、父と貧しい暮らしをしていたということだけだ。
「……ごめん」
部屋の空気が重い。
「気にするな。少し、これを任せるぞ」
手紙の整理を任せ、ジョナサンの手から手紙を取り、部屋を出た。
忙しそうに走り回る使用人たちを見ながら、暖炉に向かった。
火がついているそこに、手紙を細かく破り、投げ入れた。
実父が亡くなった時も、自分は泣かなかった。母の時も泣いた記憶はない。
あそこでは、人の死は身近すぎた。
食べ物を食べられずに飢えて死んだり、薬を買えずに病気で死んでいったり、凍えて死んでいった者や、喧嘩の末に死んでいった者もいた。
人とはこんなにもあっけなく死んでいくものだと、道端に転がる死体を見ていた。
久しぶりに人の死を見たが、何も感じていない訳ではない。
優しかった父が死んでいったのは、悲しいが、それだけだ。
葬式の時くらいは、泣く振りでもした方がいいだろうか。
泣く――とは、どうやるのだろうか。思い出せない。どうやら、自分はやり方を忘れてしまったらしい。皆、どうやって涙を流しているのだろう。
火掻き棒で手紙が灰になったのを確認し、ジョナサンの元に戻った。
「どうだ、進んでいるか?」
ジョナサンに声をかければ、進んでいるよと返事。
近くにあった椅子を運び、彼の横に座る。
机に広げていた手紙が、選別され、整理されていた。
「……ぼく、ディオのこと、何も知らないね」
「今さっきの話なら、忘れろ」
そう言い、手紙を取る。言わなくてもいいことを言ってしまった。
「ねえ、ここに来る前のことを、話してくれないかい?」
「聞いても面白くもないぞ。ああ、坊っちゃん育ちのお前にとっては、面白い話しかもしれんがな」
貧しさを知らない彼には、経験をしたことがないことが、沢山あるだろう。
嘲笑を浮かべながら、彼を見れば、真剣な眼差しでこちらを見つめていた。
「いや、ぼくはディオのことを知りたいだけだよ。ぼくの知らない君を知りたい」
作業を中断して、聞こうかと言ってきたので、作業しつつ聞き流せと言うと、聞き流す訳にはいかないと。
最終的に、手紙の整理を終わらせてから、話すことになった。
ディオが屋敷に来る前のことは、貧しくて生活に苦労していたことしか、父からは聞いていなかった。
彼女の父親は、父の恩人だということしか知らず、その人柄については何一つ知らない。
一度、ディオは、自分たち三兄弟は父に似ていると言った時に、彼女は両親のどちらに似ているかと聞いたことがあったが、その時は、母親だと即答された。
金髪も母親ゆずりだと。父親に似ているところは何一つないと不機嫌に答えていた。
あまり触れてはいけないのだと分かり、その話はやめ、違う話題を振ったことを思い出す。
「さて……どこから話すか」
手紙の整理が終わり、彼女と向き合っていた。
「全部がいいけど……辛いようなら……」
全てを聞きたかったが、言葉にしにくいこともあるだろう。
「お前が、辛くなって耳を塞ぐなよ?」
ディオは笑うと、いつもの調子で始めた。普段、話をしているかのように。
物心ついたときから、家は貧しく、父は働かず、酒を飲むだけで母を殴っていた。
それをただ見ていた。いつもの日常の光景。
母はそんな父を捨てることもせず、そばにいた。自分に勉強を教え、働かない父の代わりに働いていた。
そんなことが続き、母は倒れ、そのまま帰らぬ人になってしまった。
父は、殴る対象を自分に変え、毎日のように殴られていたが、酒を与えれば、大人しくなった。
自分は生きるために、父に酒を与えるために、子供ながらにその身を張って稼いでいた。子供ということで、その方法は限られていたが、母が自分に残してくれた知識のおかげで、うまく稼げていた。
「あの、さ」
深刻な顔をして、ジョナサンは割り込んできた。
「なんだ?」
静かにしていたのに、いきなりどうしたのかと、頭を傾げた。
「その……稼いでいたって、どうやって……?」
「賭けをしたり、店の手伝い……まあ、時には盗みもしたが……」
そこまで言って、彼が何を考えているのか、分かった。
「娼婦みたいなことはしていないぞ。この屋敷に来た時の服装を忘れたのか?まあ、たまに変な奴はいたがな。やはり、そういうモノが好きな者はいるらしいな」
身形が良いものがきて、突然、大金を見せられ、買うと言われたこともあった。母譲りの容姿は、格好の的であったのだろう。
ろくなことにはならないと直感が告げたため、そういう類いの誘いからは、全て断って逃げたが。
「そこまで、落ちぶれてはいなかったさ」
そうならないよう、母は勉強を教えていたのかもしれない。娘が一人で生きていけるようにと。
「そう……おかしなこと聞いてごめん」
「謝るな。で、あいつが病気になって死んで、ここに引き取られた。薬さえ酒で飲む奴だったからな、自業自得だ」
死んだ後は、ちゃんと埋葬もしてやったのだ。もう死体さえも見たくはなかったから。
「ここの暮らしは快適だったぞ。食事は出てくるし、寒さに凍えることもなく、殴られる訳でもない。まあ、来た当初は、ジョセフに殴られたな」
あそこで喧嘩は珍しいことではなかった。子供、しかも女の力ではどうにもならなかったこともあったが、対等に対峙はしていた。
「さて、面白かったか?ジョナサン」
笑って問う。純朴な彼には、刺激的だったかもしれない。
「面白くなんてないよッ……!面白くない……!」
いきなり、彼は立ち上がり、声を荒げた。その表情は、苦痛を浮かべて。
「なんで、君は……笑って……」
涙が頬を伝っていく。あれだけ泣いていたのに、まだ出るのか。少しは自分に分けてほしいものだ。
「まだ泣けるのか。呆れたやつだ」
彼の頬に手を伸ばそうとしたが、それはできなかった。彼が抱きしめてきたからだ。
耳に泣き声が聞こえる。
体と体に挟まれた手を抜き、泣きやめと彼の背を撫でる。
ディオにとっては、普通のことだったのだろう。父親に殴られることも、金を稼ぐことも。そんなこと、普通ではないのに。
だから、こんなにも平然としているのだ。自分は話を聞いただけでも辛いのに。
想像するしかないその苦労。自分はその時、不自由なく幸せに暮らしていた。
「い、いま……今は、ディオは幸せかい……?」
自分たちと過ごしている現在。
彼女は、快適な生活と言っていたが。
この生活が幸せとは限らない。
「……あそこはいつも寒かった」
一人、一人が今日を生きることに必死だった。自分さえ良ければいい。誰もが自分のテリトリーを守っていた。
「ここに来て、久しぶりに人の体温を感じた。父に褒められ、頭を撫でられたのも初めてだった。こうして、抱きしめてくれる者も、自分の代わりに泣いてくれる者もいなかった」
こうして、温もりに身を任せて、微笑むこともなかったのだ。
「わたしは幸せだ……十二分にな」
そう言えば、抱きしめる力が強くなる。
「ありがとう……」
「礼を言うなんておかしなやつだ」
それを言うとしたら、こちらの台詞なのに。
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