出会いと再会と別れ 13
ディオに支えてもらいながら、ジョセフは立ち上がるが、不思議なことに体の痛みは段々となくなっていた。
しかし、心配している姉を見ているのも楽しく、密着もしているので黙っておく。
「シーザーに何を言ったんだ?ここまでやられるなんて」
逆なのだ。シーザーに自分が言われて、殴ったはずなのに返り討ちにあって。それを言えるはずがない。
「気分でも悪いのか?近くの宿にでも……」
黙っているのを不審に思ったのか、ディオの声に焦りが混じる。
「大丈夫、だ」
「……そうか。馬車に乗ろう。大通りに出れば一つくらい」
この二人きりの状況が終わってしまう。狭い馬車の中で言える自信もない。
「ディオ」
支える彼女の腰に腕を回し、抱き寄せた。彼女の顔を胸に少し押しつける。
顔を見ながら、言える気はしない。
その言葉を口に運ぶにも、とてもとても勇気がいることだが、震える唇から言葉をこぼした。
抱きしめられ、いきなりのことに何だと不思議に思っていると、手が後頭部に回り、胸に弱い力で押さえつけられた。
聞こえる鼓動が早い。酔っているからだろうか。
「好きだ」
聞こえた言葉に驚きつつ、最近の行動も不思議なことが多いのだから、その言葉はただの好意だと受け取ることにした。
「ああ」
家族の有り難みを父が亡くなってから、自覚したのだろう。いいことだ。
「あ……あい、あいしてる」
「……は?」
その言葉を頭で反芻する。あいしている。愛している。
「愛している、ディオ」
また言われた言葉に、言い間違いや、聞き間違いではないことを理解させられた。
酔っ払いの言葉だ。誰かと勘違いしているのだと思った。酔っ払って、自分が姉かも判別できなくなったのか。そこまで、酔ってはいなかったはずだが。
「おいおい……誰と勘違いしているんだ?」
好きな女性くらいいるだろう。
その女性が、自分に似ているのだろうか。
「してない。してないぜ……!」
きっぱりと言われたが、いつもの冗談だと思うことにした。あまり、笑えない冗談だが。
「わたしをからかうのは」
「本気なんだよ!愛して、るんだ」
自分の言葉を遮られてまで言われ、その言葉の意味を考えるのをやめたかった。
しかし、ジョセフは抱きしめる力を強くしたまま、愛してると繰り返していたため、嫌でも彼が本気なのだと分かった。
「酔っ払って判断が鈍くなったか!?わたしのことを嫌っていたんじゃあないのか!」
会えば、ほぼ口論していた。あまりよく思われていないと、どちらかと言うと、煙たがられているのだと思っていた。迎えに行っても、怪我の手当てをしても、彼は不本意そうだったから。
「何言ってんだよ!おれはずっとずっと好きなんだ。プレゼントも、喜んでくれたらって……」
最近のあれは、遠回しの愛情だと言うのか。
「いきなりどうしたんだ!?」
そんな素振りを今まで、見せなかったのに。なぜ、今になって。
「ずっと伝えたかったんだよぉ!!おれと一緒になってくれよ……」
そうなることも、不可能ではないが、彼は家族で、弟で。
「ディオ、俺のこと……嫌いか?」
嫌いではない。嫌いなら、抱きしめられてはいない。
でも、この状況でなんと言えばいいのか。どんな言葉が正解なのか。頭が動かない。
今は、自分は、暑くてたまらないのだ。
「離せ!今すぐ、離せッ!嫌いになるぞッ!!」
すぐに離された。なぜか、暑さは変わらない。
見れば、ジョセフは悲しそうな顔をしていた。そんな顔をするなんて、卑怯だ。泣きたいのはこちらだと言うのに。
「嫌い、なのか?」
言葉が出てこない。
「わ、分からん!」
とっさに出てきた言葉は曖昧過ぎた。でも、真実だった。弟、家族としては好きだが、男性としてなんて、見たこともなかったし、考えたこともなかったからだ。
また、ジョセフが何か言おうとしたので、そこから逃げ出した。
大通りに出て、馬車を捕まえ、素早く乗り込んだ。
小さな窓から見たが、ジョセフが追いかけてくることはなかった。
ジョセフは、ディオの後ろ姿を、ぼんやりと眺めているだけで、追いかけはしなかった。建物の影でその姿はすぐに消えてしまった。
走り去る前に見た、赤い顔や、動揺した姿を思い返していた。一度も見たことがない表情。
「ちくしょー、可愛かったなぁ!」
しゃがみこみ、赤くなっている顔を覆い隠す。触る顔が熱い。
彼女でも、あのような初々しい反応をするのだ。シーザーや他の男に口説かれても、涼しげな顔で受け答えするはずなのに。
「嫌いになるぞ!」
彼女はそう言った。彼女は自分を好いてくれているのだ。嫌いなら、嫌いとはっきり言うだろう。
脈ありだ。
立ち上がり、目の前の街灯を殴った。
ディオは馬車に揺られながらも、ジョセフに言われた言葉がずっと、頭の中で回っていた。
何度も忘れようとすればするほど、悲しそうな顔と声が聞こえていた。
突然の愛の告白に、動揺するしかない。
冗談ではないのは、分かっている。必死な声だった。
顔を覆い隠す。
屋敷に着くまでに、この顔をなんとかしなければ。
屋敷に着き、深呼吸して、玄関の扉を開けた。
使用人たちが出迎えてくれる。
にこやかに笑い、それに応える。いつも通りだ。
階段を上がり、自分の部屋に向かう途中で、ジョナサンがいた。
「おかえり、ディオ」
彼はこちらに気づくと、近づいてくる。
「……!」
そのそっくりな顔にジョセフにされたことを思い出し、酷く狼狽えてしまう。
「どうしたんだい?顔が赤いけど……もしかして、風邪でも」
手が伸びてくるが、その手を掴み、止める。
「なんでもない!大丈夫だ!」
顔から視線を下にして、これはジョナサンだと頭の中で繰り返していた。
掴まれている手が、離されない。しかも、その手は少し震えている。
頬を赤くさせ、少しうつむいているディオが妙に可愛らしい。
抱きしめたい衝動にかられ、体が動き、ディオを抱きしめた。
「離せ、離してくれ!ジョセフ!」
悲鳴のような声と、胸を押す手に、彼女を解放した。
その必死さに呆気に取られていると、気づいたようで、胸を押すのをやめる。
「わ、悪い……間違え、た……」
彼女が自分たちを間違えることはない。それほど、動揺させることがジョセフとの間にあったのだ。
彼女の顔を真っ赤にさせること。
すぐに答えは出てきた。
「来て、ディオ」
手を握り、自分の部屋へと向かった。
今、言わなければ。
ジョナサンに連れられ、ディオは彼の部屋に入った。
「ぼく、父さんが亡くなってから、ずっと考えていたんだ」
手が離され、早く部屋に戻りたいと彼の背中を見ていた。
「ぼくは当主だ。そろそろ、結婚を考えてもいい頃だと思うし」
彼はこちらを向くと、手を握り、彼は跪くと、真剣な顔で、まっすぐ自分の目を見る。
「ディオ、ぼくの伴侶として、足らないぼくを支えてほしい」
自分の周りの時間が止まった気がした。
伴侶。どういう意味だったか。
「ぼくは、君を愛している」
今さっきまで、繰り返し聞いた言葉を耳にし、急激に意味を理解していく。体温が上がり、顔が赤くなっていくのが分かる。
「な、何を言っている!?言う相手を間違っているぞ!それは、エリナに言え!」
握られている手を引き抜く。
彼は、エリナが好きだったはず。だから、自分は気をきかせていたのに。
「間違ってないよ」
「エリナが好きなんじゃあないのか!」
長年、彼女を一筋に想い、真面目な男だと呆れていた。パーティーでも、女性の誘いも断り、同性たちと話していることが多かった。
「なんで、皆、勘違いしているんだろう?ぼくはディオが一番、好きなのに」
彼は立ち上がり、首を傾げる。
こちらが首を傾げたい。なぜ、自分を好きなのか。
「ああ!なんなんだ!?お前らは揃いに揃ってッ!」
ジョセフに続いてジョナサンまで。今日は厄日だ。
「やっぱり、ジョセフに告白されたんだね?」
そう言いつつ、手を握られたが、ジョセフの名前を出され、動揺してしまい、なされるがままだった。
「いきなり言われて、戸惑っていると思う。返事は今すぐじゃあなくてもいい」
手が上へと、彼の顔に近づいていく。
「君がジョセフが好きで、彼を選ぶならぼくは諦めるよ。でも、できるなら……」
悲しそうな表情と、懇願するような目がこちらに向けられる。
ジョセフとジョナサンは、似ているのだと改めて思った。そんな現実逃避を頭は始めていた。
「ぼくを選んでほしい」
少し赤くなった頬に手が添えられる。手と頬に挟まれ、手が熱い。
「……阿呆がッ!」
手を振り払い、部屋を飛び出した。彼が追いかけてくる気がして、階段をかけ降り、屋敷を飛び出した。
風に当たれば少しはこの熱もなくなるだろうと。
庭に出て、ようやく立ち止まり、拳を固く握る。
泣きそうだった。
家族だと兄弟たちだと思っていたものに、次々に告白されて。
実の親が亡くなった時も、父が亡くなった時も、泣けなかったのに。こんなに感情が、かき乱されることはなかったのに。今は、堪えていなければ、涙が流れそうだ。自分の涙腺はおかしいのかもしれない。
自分を口説くシーザーや男性たちの邪魔をし、対抗していたのも、彼らが自分に家族以上の好意を持っていたからだろう。
「ディオ?」
後ろから声をかけられ、振り向けば、そばには弟が立っていた。
「じょう、たろう」
声が震えてしまう。察しさせてはなるものかと、咳払いし、おかえりと声をかける。
「どうした?誰かに何かされたのか!?」
彼のいつもの無表情が必死な顔に変わり、二の腕を掴まれる。
「な、なんでもない」
兄弟に告白されたなんて、言えずに、首を横に振った。
「何かあんだろ」
顔が近づいてくる。彼は、何か確信しているようだ。彼も、兄弟と似ている。思い出したくもないため、視線を下げていく。
「なんでも、ないんだ」
同じ言葉を繰り返し、彼が引き下がってくれることを願う。何も言わずに、掴んでいる腕を離してくれと。
「なあ、おれじゃあ駄目なのか?頼りないのか?」
「え……?」
予想外の言葉に視線を上げ、彼を見る。先ほどの二人のように悲しそうな表情をしていた。
「一番下かもしらねえが、おれはディオを守ってやれるぜ。ずっとそばにいる。お前が、怪我をしてたおれのそばにいてくれたように」
真剣な顔つきに変わっていく。
この雰囲気は駄目だと、自分の直感が訴える。三度目だ。嫌でも学習してしまった。
逃げようとしたが、掴まれて動けない。唯一の抵抗で、顔を背けた。
「兄貴たちにも誰にも渡さねえ」
引っ張られ、胸に飛び込む形となる。
「愛しているぜ、ディオ」
「やめ……」
上を向くと、唇が重なった。突然のことに、口づけをしているのだと、頭が理解するには数秒かかった。
「ッ……!」
離れようとしたが、後頭部に回った手がそれを許さない。
手が離れた瞬間、彼を突き放し、頬にビンタを食らわせ、屋敷へと走り出す。
今日は、最悪の日だ。
三人に告白され、末の弟には唇を奪われて。
全てを忘れてしまいたかった。
少し部屋の外が騒がしいと、ジョナサンが少し開けた扉の隙間から廊下を覗くと、顔を真っ赤にしたディオが部屋に入っていくのが見えた。
まだ、自分が言ったことを引きずっているのだろうか。それなら、少し嬉しい。
扉を開け、ディオの部屋に向かおうとしたが、承太郎が階段を上がってきた。
「おかえ……」
彼の顔には、くっきりと手形が。女性にモテる彼の痴話喧嘩は珍しくはないが、手をあげられているのは初めて見た気がする。
「どうしたんだい?」
「ディオにぶたれた」
ディオが承太郎に手をあげることはない。
先ほどの彼女を思い出し、彼に聞こうとしたが、先に冷やした方がいいと、部屋に戻るように言った。
濡らしたタオルを彼に渡し、隣に座る。
「ディオに告白した?」
彼は、頬にタオルをあてながら、頷く。
「で、ぶたれた?」
また、頷く。三回目で彼女も、限界だったのだろう。承太郎もタイミングが悪い。
いや、この時だからこそ、告白したのかもしれない。
「キスしたからな」
「きっ……!?」
一番、ディオに積極的だった彼だ。キスぐらいしても、不思議ではないが、予想以上のことをしていたことに驚いていた。
「ジョナサンはまだか?」
告白もキスもした彼は、勝ち誇ったような顔をしていた。
「プロポーズならぼくはしたよ。君の前にね。でも、ジョセフが一番最初だ」
一番、最後だと聞き、承太郎は悔しそうに舌打ち。
「ディオは誰を選ぶんだろうね」
全員が自分を選んでほしいと思っているだろう。
「おれ」
あまりにもきっぱりと言うので、笑ってしまう。
「そう言い切れる君が羨ましいよ。おやすみ」
「ああ、おやすみ」
承太郎の部屋を出て、ディオの部屋へと向かったが、もう眠っているかもしれないと、大人しく自分の部屋に帰った。
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