伝えなければ伝わらない 5
「もう届いたかしら」
窓から見る景色は暗く、黒い雲からは雨が降っている。
「いいお天気ね」
窓ガラスにうつるリィスは笑顔を浮かべていた。
ジョナサンは手紙を机に置き、出かける準備を早々に終え、馬車に乗り込んだ。
リィスから返事が来た。今か今かと、待ち望んでいたものだ。
内容はすぐにでも来てくださいと書かれていた。
その言葉通りに、彼女の屋敷に向かっている。
馬車が進む速度が遅く感じる。こんな長く、乗っていただろうか。
早く、ハンカチを返してもらいたい。
そして、今度こそ彼を抱きしめるのだ。
「今日は雨ですから……」
出迎えたリィスは、天気を理由に自分の部屋に案内した。応接間ではないのかと聞けば、もう準備がしてあるのだと返ってきた。
そこには、女性らしいものに溢れ返り、甘い香りが漂っていた。
机の上には、ティーセットが置いてあり、彼女は椅子に座ると向かいに座るように促す。
「あ、あの……ハンカチ……」
椅子に座りながら問えば、彼女は笑顔を浮かべ、手で指し示す。
「こちらに」
畳まれたハンカチが、置かれていた。
「ありがとう!」
ようやく戻ってくるのだと、笑みを浮かべ、それを手に取り、懐に入れる。
「よほど、大事なものなんですね」
彼女は笑顔を浮かべ、こちらを見ていた。
「そ、そうなんです!」
元から大事なものだったが、今は自分にとって一番、大事なものだ。これさえあれば、彼が戻ってくる。
「名前入りですものね」
彼女はそう言いながら、ティーカップに紅茶を注いでいた。自分の分にも、注ぎ終わると、ティーポットを置く。
「あの使用人たちは?」
今日は出迎えたのはリィスだけで、この部屋に来る途中も誰にも会わなかった。屋敷の中も、ひっそりとしていた。
「諸事情で出払っていますわ。あら、お菓子を忘れていました。取ってきますわね。紅茶を飲んで、お待ちになってくださいな」
部屋を出ていく彼女を目で追いかけた。
本当はすぐに帰りたいのだが、紅茶を一杯だけ飲んで、適当に理由をつけて、帰ろうと思っていた。
ディオは借りた本を返そうと、ジョナサンの部屋に訪れたが、部屋の主はいなかった。
今はあまり会いたくもないため、都合がいいと本を彼の机の上に置くことにする。本棚に直接、返すと、返してもらっていないと言われたことがあった。
彼に貸してもらい、返していないものは、幼いときに借りた懐中時計くらいだ。あれはどこにあるのか分からない。探せばあるのだろうが。
机に本を置こうとしたが、封が切られた封筒と便箋があった。
手に取った封筒には、差出人の名前が書いてあった。
「リィス・グリーネ?」
その名前を口にしたとき、どこかで聞いた覚えがあった気がした。
本を机に置き、椅子に座り、便箋を開いた。
内容は、前のお茶会のこと、ハンカチのこと、そして、また来てほしいという旨が書かれていた。
この手紙の差出人が、ジョナサンを盗ろうとしている女――そう思うと、内側からどろどろとした感情が溢れてきた。
リィスの所にジョナサンは行っているのだろう。ハンカチを返しにもらいに。すんなり返されるかは知らないが、彼はどんな手を使っても取り返すべきだ。
早く、自分にすがりついて、抱いてほしいと懇願してくればいい。
「リィス……お茶会……」
言葉を繰り返していると、ふと酔っぱらった友人の話を思い出し、立ち上がる。
「クソッ!」
便箋を投げ捨て、部屋を飛び出した。
ディオは、目的の屋敷に着いたが、お引き取りくださいとしか言わない使用人たちが出迎えた。
彼らを押し退け、屋敷の中に入り、ここにいるはずのジョナサンを探した。
妙に甘い匂いが漂ってくるのが気になり、そちらを目指すと分かりやすいように使用人たちの声に焦りが増えた。
彼らは抵抗という抵抗はしてこなかった。いや、できないというのが正確だろう。ジョナサンと並ぶ逞しい体だ。力では及ばないと理解しているのだろう。
鍵がかかっている扉を見つけ、そこにタックルをし、無理矢理開ければ、噎せ返るほどの甘い匂いの中にベッドに横たわるジョナサンと彼に跨がる女がいた。
「ジョジョ!」
ディオは名前を呼び、驚いている女を彼の上から押し退け、横たわるジョナサンを見た。
「ディオ……ディ、オ……」
彼はうわ言のように自分の名前を繰り返していた。顔が赤く、息が荒い。
「ああ、おれだ。来てやったぞ」
頬に手を添えると酷く熱い。熱でも出しているのか。少し手を動かすと。
「っ……」
快楽に耐える表情と、色めいた声が出てきた。
媚薬を飲んだときと同じ反応に、薬を盛られたのだと分かった。
それはそうだろう。彼が女性にそのまま乗られているはずがない。優しい彼は力ずくでは抵抗をしないだろうが、逃げはするだろう。
「このマヌケ……」
むざむざ、薬を盛られるなど。
頬から手を離し、彼を起き上がらせるが、力が入らないのか重く、自分に寄りかからせた。彼を抱く形となる。
視界に入ってきたリィスを見る。邪魔をされ、不機嫌そうにこちらを見ている。
「薬で意識を混濁させ、襲う……やり方が汚いな。この方法で、様々な男を食ってきたらしいが……」
そう言えば、彼女がなぜ、それを知っているのかと聞きたそうな顔をする。
この話は酔っ払った友人が溢した話だった。
足を挫いた女性を介抱し、お礼にと屋敷でお茶をして、何回目だったか、お茶会の最中に眠気が襲ってきて、気づけば、ベッドに横たわり、裸の彼女が迫ってきてそのまま――妙に体も熱くて抗えなかったとも。
逆に襲われるとは、と言いながら、友達は満更でもない感じだった。
それが、彼女、リィスのやり方なのだろう。
彼女は見た目は純情そうなため、油断するのだろう。そこにつけ込まれ、男たちは食われていったのだ。
女に襲われたなど、軽々しく言えるはずもなく、このことは外に洩れることもなかったのだろう。それか、女と交われて、いい経験だと黙っているものもいるのだろう。
「ジョジョ」
自分にもたれかかっている彼の名前を呼び、頬を軽く叩くと閉じていた目が開く。
「ディ、オ……?ハン、カチ……を……ね……」
彼は懐を探り、ハンカチを取り出し、笑う。
「返してもらったんだな」
彼は何度も頷く。ハンカチを抜き取り、彼の上着のポケットに入れ、よくやったと唇を重ねる。
唇を離し、リィスを見ると、信じられないという表情でこちらに釘付けだった。
「このことは、黙っていてやる……今日のことを誰かに話すなら、分かっているな?」
返事は聞かない。不利なのは彼女だからだ。何も反論せずに、悔しそうに唇を噛んでいるのは肯定の証だろう。それでも、反抗してくるなら、叩き潰すだけだが。
「それと、こいつは、おれのものだ」
乱れている服を手早く直し、彼をベッドの端まで移動させ、肩を貸し、立たせる。
「歩け。帰るぞ」
おぼつかない足取りの彼を支え、出口に向かって歩く。
「ディオ……ぼく……ちゃ、んと……だか……ら……」
項垂れていた彼は、顔をあげ、服を掴み、潤んだ目を少し開け、こちらを見ていた。
「家に帰ったらな」
家に帰ったら、昼間でも関係ない。部屋は誰も近寄らないようにして、彼の声が部屋の外に漏れないようにして、自分が満足するまで、彼が根を上げようが抱くつもりだ。
盛っているジョナサンを牽制しつつ、部屋を出た。
使用人たちは、ただ見ているだけで、何もしてこなかった。
そして、ただ残されている主人にを心配し、駆け寄る様子もなかった。
自分が屋敷に入ってきたときには、必死に止めにきたというのに。
「申し訳ありません」
屋敷から出る時に、扉を開けてくれた執事は、自分たちを見送るときに深々と頭を下げていた。
来るときに降っていた雨は、やんでいた。
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