伝えなければ伝わらない 4
リィスに約束を取り付ける手紙を送り、返事を待つことにした。
ディオは相変わらず、自分に冷たい。会話という会話もしていない。無視されることもあるし、一言二言で切り上げられてしまう。
彼から触れてくることもない。
そのことが、とても寂しい。
使用人たちには、喧嘩でもしたのかと心配された。一応、頷いたが、喧嘩はしていない。原因は自分にあるのだろうが、よく分からないのだ。
女性に会ったことか、ハンカチを返してもらえていないことか。心当たりはそれくらいだ。
彼に聞こうにも、彼は聞いてもくれない。
そばにいるはずなのに。こんなに彼の存在が遠くに感じるとは。
彼がこの家に来た直後のように。
もう日が変わろうとしていた頃、提出期限が迫っていたレポートを書き終わり、乾きを覚え、水でも飲もうと、部屋を出れば、外から帰ってきたらしいディオに鉢合わせた。
どこか不機嫌な彼の左頬が赤かった。視線に気づいたのか、彼は顔をそらして隠す。
「ど、どうしたんだい?」
「なんでもない」
彼は邪魔だと言わんばかりに、自分を押し退けて、部屋に向かう。
その時に、彼から、嗅いだことがない香水の香りがしてきた。甘ったるい、クラクラするような匂い。
腕を掴み、引き留めれば、なんだと彼が言ってこちらを見た。
――女性と一緒にいたのだと、理解した。彼の頬の赤は手の形にも見える。喧嘩でもしたから不機嫌なのだろう。
香水の匂いを嗅ぐたびに、胸が苦しくなる。
女性に会っていた理由は、察しがつく。
離せと手が振り払われそうになり、腕を掴む力を強くする。
「なんで……」
自分には触れてくれないのに、体を重ねてはくれはしないのに。
自分を抱くように、女性を抱いている彼が思い浮かんできた。
泣きたいような、怒りたいような、よく分からない感情が沸き上がってくる。
彼への気持ちを押し隠していたきとは違う苦しさだ。
一歩、踏み出し、彼に一層、近寄り、自分が知らない女性とも重ねたであろう唇と唇を重ねた。
情交が終わった瞬間、ディオはぶたれたのだ。
抱いていた女は酷いと言うと、こちらを罵倒し、泣き出したため、面倒だと、さっさと服を着て、部屋に置いてきた。
どう抱いたかは覚えていないが、彼女は罵倒しているときに、痛かったとか、もっと優しくできないのかと言っていた気がする。
いつもどおりに、抱いたはずなのだが、いかんせん、あまり覚えていない。体が性欲を満たしているため、最後までしたのだろうが。
しかし、自身は満たされてはいなかった。
触れたいのは、豊満な胸や引き締まった腰や、滑らかな肌ではなく――厚い胸板や、柔らかさなどには程遠い固い筋肉。汗ばんだ肌に手や舌を這わせば、口の隙間から零れ落ちる声が耳に――。
思い出している光景は段差に躓き、転びそうになって消えていった。
何をしているんだと、体勢を立て直し、歩き出す。
ジョナサンを抱きたい衝動に襲われていた。彼は少々、乱暴にしたところで、あの女みたく――。
そこで、気づいた。女をジョナサンみたく抱いたのではないだろうか。彼を抱き寄せる時も、押し倒すのも力がいる。その力加減を間違ったまま、女にしたのだろう。彼には優しくはしていない。
ジョナサンならと、また考え始める。
しかし、おあずけと言ったのは自分だ。彼がハンカチを取り戻してくるまでは。
自分のものが、勝手に人に触れられるなど我慢ならない。しかも、女に。
女性と関係を持たない彼だから、知らないのは当たり前かもしれないが、彼は鈍すぎる。ハンカチを返してもらえなかったのは、また会うための口実。
自分は、何度もされた。ハンカチを盗まれたり、入れられたり――ハンカチとは限らないが。
早く断ち切って、自分のもとへと帰ってくればいい。
そして、抱いてほしいと懇願すればいいのだ。
その時は、彼が全てを吐き出すまで、付き合ってやるのに。
家に帰れば、使用人たちも眠っているのか、誰も出迎えない。
こんな時間なら、当たり前だろう。今は都合もいい。まだ少し痛む頬を見られなくてすむからだ。心配され、変に騒ぎ立てられても迷惑だ。
静かに部屋に戻っていると、部屋から出てきたジョナサンに鉢合わせてしまった。
彼の視線は頬を見ている。よりによって見られたくない人物に見られた。
それを顔をそらして、彼から見えなくする。
「ど、どうしたんだい?」
戸惑ったような声に、苛々する。原因は彼なのだ。自分は悪くない。
「なんでもない」
邪魔だと、彼を押し退け、横をすり抜けようとすると、腕を掴まれた。
何か用なのかと彼を見れば、悲しにも、怒りにも取れる曖昧な表情をしていた。
初めて見る表情に驚いていた。
「なんで……」
彼の口から呟きが零れた。
その言葉は自分が言いたい。
なぜ、女に会ったのか。
なぜ、軽々しく触らせているのか。
なぜ、ハンカチを返してもらわなかったのか。
なぜ、自分が抱いた女に、ぶたれなければいけないのか。
なぜ、こんなにも、自分はジョナサンを抱きたいのか。
そんな疑問を彼に投げかければ、答えは返ってくるのだろうか。自分が納得する答えが。
いきなり、腕を引っ張られ、気づくと、彼の顔が迫っていた。
「!」
唇が重なる。
隙間から、舌が入ってきて、舌が重ねられた。
「んっ……っ……」
急性なことに驚いていたが、口づけだけで、体の体温が上がり、自分たちを取り囲む夜の空気が濃くなる。
キスは数日していないだけだったが、していなかった時間を埋めるように、深くしていく。
混じる息の熱さ、舌の感触、まざる唾液の味――全てがとても久しぶりのようで、夢中になる。
引っ込んでいく舌を追いかけ、中の肉を舐めていく。
満足し、口を離せば、どちらの唾液か分からなくなった液が垂れていく。
ジョナサンは、とろけたような表情をしていた。
シャツの上から、首の付け根に噛みついく。固い肉の感触が布の上から、歯に伝わる。
この肌を直に舐めて、吸いつきたい。そう思うと手はボタンへと伸びていた。
それを外していき、胸までいくと、噛みつくのをやめ、胸板に唇で触れ、そのまま吸い付く。
「はぁ……っ」
色めいた声が耳に届き、もっと聞きたいとまた吸い付く。
「あっ……」
声を漏らしながら、もっとしてほしいと言わんばかりに、頭を抱えられた。
包まれる熱い体温に思考が溶けていくような感覚がする。
もう、このまま、ジョナサンを――。
「ぼ、坊ちゃま……?」
耳に届いた声に思考が急速に動き、彼の腕から逃れる。
彼越しに見るのは、明かりを手にこちらに近づいてくる使用人。
近づくにつれ、二人いることに気づいたらしく、また声をあげる。
「お二人で、何を……?」
こちらに近づいてくる、明かりに仄かに照らされる顔は、怪訝な表情を浮かべている。
真夜中に、こんな廊下の真ん中で何をしているのかと不審に思い、そんな顔にもなるだろう。
「ぼくが酔っていて……転んだところを、ジョジョが助けてくれてね」
取り繕った理由を口に運びつつ、横目で彼を見れば、今にも泣きそうな表情をしている。
興が削がれていた。しかも、今はおあずけ期間だ。そう自分が彼に言ったのではないか。
キスだけで、あんなに囚われてしまうとは不覚だった。
「もう大丈夫、酔いも覚めた。部屋に戻るよ」
立ち止まった使用人そう言い、彼から少し離れ、服が乱れているとシャツのボタンを閉めていく。
「ありがとう――ジョジョ」
言葉とともに笑顔を向けた。それが終わりの合図なのだと、彼は分かったのだろう。つづるような顔をしていた。また、腕が動いたのが分かったが、捕まる前に離れる。
背を向け、部屋に早足で戻った。
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