邂逅 2
目を開ければ、まだ夢の中だった。ふくろうが鳴いている。夜だと告げるように。
起き上がり、少しずつ動いてきた頭で、ジョナサンに上着を返してもらわなければと思う。彼は今日も泉に来るのだろうから。
泉に着くと、ジョナサンはまだ来ておらず、昨日、咲いた花は蕾に戻っていた。
水辺に腰をおろし、彼が来るのを待った。見上げた空には、月がある。
そういえば、名前をなんと名乗ろうかと考える。
教える義理などないが、あのジョナサンだ。しつこく聞いてきそうだ。
あれやこれやと名前の候補を考えていたが、どうせ夢なのだと結論付け、そのまま名乗ることにした。
後ろから走ってくる音がし、振り返るとジョナサンが上着を抱え、こちらに向かって走ってきていた。
「来てくれたんですね」
そう言う彼は、肩で息をしており、少し顔が赤い。
「上着を返してもらわねばならないのでな」
「ありがとうございました!洗ってますから」
上着を受け取ると、それはあたたかく。抱いて走ってきたのだから当たり前か。
「その痣……」
視線は首辺りに注がれていた。そこには、星形の痣がある。
「ぼくもそこに同じ痣があるんです」
そこに手をあて、嬉しそうに言うジョナサン。
当たり前だ。これは、彼の体。
この子どもは、体を奪われる未来など今は知り得ないのだ。
これは、お前の体だと言って、どういう反応をするか見たかったが、理解はできないだろう。せいぜい、首を傾げるぐらいか。
「……そうか」
笑ってそう言うだけにした。
上着を着ていると、彼が横に座り、こちらを見つめる。
「あの、名前を教えてください」
「……ディオだ」
「ディオさん、ですね」
彼は確認するように名前を何度か繰り返していた。
「こんなところで何をしている?」
気になっていたことをたずねる。子供はとっくの昔に寝ている時間だ。
「この花が咲くところを見たくて」
この花はこの時間にしか咲かないらしく、それを聞いて、いてもたってもいられず、わざわざ屋敷を抜け出し、見に来たらしい。好奇心や行動力はこの時から、変わらないのか。
「ディオさんはなにを?」
「散歩だ」
そこから、雑談をした。
花を見に来たのではないかと思うが、そんなことをそっちのけで、自分と会話をするジョナサンはとても楽しそうだった。
適当に喋っていたが、時間も結構、経っていることだろうと、彼に帰るよう促した。
彼は渋ったが、明日も会う約束をすれば、また、明日と手を振り、帰っていった。
ジョナサンと普通に会話することは、少なかったように思う。
仲良くしているのは、表面上だけで、二人っきりになれば、罵ることしかしなかった。
心を許してはいなかったから。ジョナサンとは相容れないものと、決めつけていたからだ。ジョースター家を乗っ取ることしか、頭にはなかった。
一番になること。それが、あの頃の自分の目標。
そのことに囚われすぎて、視界が狭くなっていたことは否定しないが、吸血鬼になったことは後悔はしていない。
こうして、ジョナサンの体を奪うことは成功したのだから。彼は死に、自分は生きているのだから。
感傷に浸っていたが、らしくないと笑い、小屋へと戻ることにした。
ベッドに横になり、明日、会う約束をしたが、この夢から覚めてしまえば、それは無効になるのだと、微睡みながら考えていた。
ジョナサンは昨日のように、皆が寝静まるのを、ベッドの中で待っていた。
壁の穴を見つけたのは、偶然だった。ダニーと遊んでいるときに見つけたのだ。
もろくなったそこは、少しスコップで叩けば、少し音をたてて、穴は大きくなった。
このくらいなら、自分が通れるのではないかと、試しにくぐってみたら通れたのだ。
そして、夜中にあの花を見に行こうと、思い立った。
昼間に見に行ったが、その花は咲いておらず、調べてみれば、夜、しかも僅かな時間にしか咲かないことが分かって、いつかは見に行こうと、決心していた矢先のできごと。
この機会を逃すことは、あり得なかった。
屋敷の皆が寝静まったのを見計らい、部屋から抜け出し、穴から屋敷の外へと行くことは、案外、容易だった。
昼間に泉への道は、頭に叩き込んでいたが、夜になると周りの風景は変わる。
しかし、ちゃんと道順に行けば、目的の場所には着いた。
そこには、咲く花と出会いがあった。
自分の背丈を遥かに上回る長身と、逞しい肉体。
金色の髪が、月光に輝き目が眩みそうなったが、光にあてられた透き通る白い肌、泉に落ちた自分を見下ろす眼――全てに心を奪われた。
幼いと言えど、男女の差違や異性にはそういう感情は持つ。見かけた女の子をかわいいと思うことや、女性を見て綺麗だなと見とれるということはあった。
しかし、これほど鼓動が高鳴ることもなかったし、時間が止まっているのではないかと感じることはなく、水の冷たさも感じないくらいに、体が熱くなることも。
その人を表現する言葉をかけてみたが、その人は笑うだけだった。
どう見てもその人は男性で、言葉を間違ったかと思ったが、そうではないらしく、安心をした。
差し出された腕を掴むと、軽々と引き上げられた。
頭を下げて、感謝を述べる。
手を離され、水を吸った服の重さに立つのが辛く、座った。
「濡れた……」
どう言い訳しようか。水をこぼして被ってしまったというか。
そう考えたが、これだけ濡れていては、すぐに嘘だとバレてしまうだろう。
見つかる前に洗濯籠に放り込んだ方が、まだいいだろうか。
くしゃみをしながら、あれこれ考えていたが、着ろという言葉と共に、頭に何かがかかり、視界が遮られた。
それを、頭から取ると、目の前の彼が着ていた上着だった。
薄着になった彼を見て、本当に着ていいものかと迷う。夜は冷えるのだ。こうしている自分は、濡れたせいもあるが少し寒い。
「風邪をひきたくないなら、それを着て、さっさと帰ることだな」
見知らぬ自分を気遣う行動、言葉に、とても良い人なのだと思った。
それは、自分が常日頃、憧れている紳士という理想像に限りなく近かった。
「明日も会えますか?」
そんな言葉を口走っていた。どことなく浮世離れした彼は、明日には会えない気がした。
質問の答えは、お前が望むならと返ってきた。
自分は望んでいる。明日もここに来いということなのだろう。
名乗っていなかったと、名前を言って、上着を着て、彼と別れた。
「あ」
走りながら、彼の名前を教えてもらっていないに気づく。
明日、またあそこに行って、教えてもらおう。
この上着も返そう。
必ず行こうと心に決めた。
部屋の窓から、服と上着が干されているのを見て、一安心する。朝、着替えた時に、わざと汚した他の服と共に、洗濯籠に入れておいた。
引き取る時は、友達の服を汚してしまってと言い訳をしよう。
大きなあくびが出てくる。抜け出したため、あまり寝ていないのだ。
しかし、あの花の咲いた姿を、紙にとどめていた。忘れる前にと。
「きれい……だったなあ……」
花もそうだが、あの人も。
男性をそう思うことはなかったが、あの人は美しかった。
名前はなんて言うのだろう。容姿と同じく綺麗な名前なのだろうか。名は体を表すと言う。
早く夜にならないだろうか。
そう思っていると、いつの間にか、自分は寝ていた。
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