差し伸ばされた手 5
「今の……ディオか?」
頬の痛みにシーザーはようやく意識を覚ました。客とキスをしていたのを見られたのだろうかと、混濁する記憶を思い出す。
客にしてはキスに積極的ではなかった。深く口づけをしようとすれば、拒まれた。
「ん? おれ、ディオに……」
もしかして、客と勘違いして彼女にキスをしてしまったのか。同じ金髪だ。
いや、自分はあんな子供には興味がないと否定しようとしたが、客の姿も見当たらず、彼女が自分を殴った理由にあてはまってしまう。
「やべえ」
彼女は女性ということをバレるのを一番、恐れているようだった。だから、同性として接してきたのだ。異性扱いは酷く嫌うことだろう。
追いかけて謝らなければと服を着ていると、扉がノックされた。
「なんだ!?」
シャツのボタンを止め、扉を開くとそこには見知らぬ男が立っていた。帽子を被り、頬には傷がある。
「おまえがシーザー・A・ツェペリか?」
名前を呼ばれ、警戒する。こちらは彼を知らない。
「誰だ、てめえ」
構えれば、彼は敵意はない両手を見せ、首を横に振る。
「おっと、おれは喧嘩しにきたんじゃあねえ。おれはロバート・E・O・スピードワゴン。表におまえのじいさんが待ってんだ。連れてこいってよ」
「じいさん、が?」
自分には祖父はいるが、会ったことはない。父の話と父に送られてきていた手紙でその存在を知っているだけだ。
「というか、おまえ、あのガキに何したんだよ。カンカンに怒ってたぞ」
「ガキって……ディオか」
客の女性と間違えてキスをしたと彼に言ったところで意味はなく、関係ないだろと言って流した。
「まあ、なんでもいいが、ツェペリおっさんのところに行こうぜ」
彼についていくことにした。
本当に来たのが祖父なら、彼に言うことがある。
その後にディオに謝らなくては。
シーザーが宿屋を出ると壁に背を預け、ワインのビンを持ったシルクハットの髭の男がいた。父によく似ている。
「おお、初めて会うのぉ、孫よ。わしはウィル・A・ツェペリ……おまえの祖父じゃ」
彼は笑顔でこちらにやってくる。
父には聞いていた。不思議な力を習得した彼は何かを探しつつ、世界中を旅していたと。手紙が年に数回、届いては教えてくれていた。
「今頃、なんのようだ? おれの親父……息子のマリオが死んだってのに葬式のときも来なかったくせによ」
父が病に倒れ、亡くなったのは突然だった。それでも、なんとか祖父に伝えようと手紙を書いたが、返事はなく、彼も来なかった。
祖父の顔が曇る。
「それは謝る。すまなかった……言い訳だが、その時は事情があって連絡が取れなくてな。マリオが亡くなったことをわしが知ったのはほんの数ヵ月前じゃ……おまえのこともな」
彼は真面目な顔でこちらを見る。
「おまえをわしが引き取る」
「……はい、そうですかとついていく思ったかよ!」
散々、放っておいて。もう少し普通の生活をしていたなら、この出会いに素直に感動していたかもしれないが、初めて会う祖父を信用はできなかった。
怒り任せにスパナで殴りにいく。
「おっさん!」
スピードワゴンが焦った声を出したが、それはあっさりと避けられた。
「感動の対面とはならんか……」
せっかく祝いのワインを買ったのにと彼は残念そうに言う。
「寝惚けたこと言ってんじゃあねえよ!」
スパナで殴りかかるが彼はそれを避けていき、彼の手が向かってきてぶつかる瞬間、光と共にスパナが手から飛んだ。
「それが手紙に書いてた不思議な力か……!」
しかし、関係ないと殴りにいけば、彼は驚きつつ、自分の拳を受け止めた。
「なっ……!」
自分の拳を受け止められたのは初めてだった。いつもは受け止めようとした手は弾き飛ばされるのだ。
「ほう……意識せずとも波紋が使えておるようじゃな」
自分の拳から光が出ていた。いや、受け止めている彼の手からだ。
攻撃がくるかとすぐさま、距離を取ったが、彼は嬉しそうに笑っているだけ。
「なかなかの才能じゃ……まあ、わしには敵わんが」
「なにをごちゃごちゃと!」
殴りかかろうとしたが、突然、彼が持っていたワインの栓が飛び出し、ワインが溢れ、動きを止める。
「勿体ないねぇ」
ワインを飲む彼。喧嘩をしているのにそんな余裕があるのか。馬鹿にされている気分、というか、馬鹿にされているのだろう。
「このじじいッ……!」
殴りかかると同時に彼の口から何かが吹き飛んできた。
「波紋カッター!」
それは、自分の体を打ち、衝撃と痛みが体を襲う。
「……ッ!?」
ワインが鉛のような固さで自分の体を撃ち抜いたのだ。なんとか堪えてそこに踏み止まることしかできなく、膝を折ることになったが、彼を見上げ、睨みつける。
「おお、気絶はしなかったか。感心、感心」
彼は空になった瓶を放り、こちらにやってくる。
「さて、冷静に話し合おうかね」
「……断る!!」
顎を狙い突き上げた拳は受け流され、がら空きになった腹に拳が入った。息ができなくなり、視界が暗転した。
シーザーは目の前の光景をただ見ていた。
「父さん、父さん」
幼い自分が床に伏せる父の手を掴みながら、不安そうに呼び続ける。
「すまん……すまんな……シーザー」
父は病気になってからはずっと謝っていたように思える。幼い子供を残して逝くことを申し訳なく思っていたのだろう。
「パパ、お兄ちゃん」
弟や妹たちが自分の横を通っていく。その手にはスープが入った器があった。
子供たちに起き上がるのを手伝ってもらいながら、父は起き上がるけれども、酷く咳き込む。
「ぐっ……」
手で押さえていたが、血が指の隙間から垂れていった。
「父さん!」
「パパ!」
スープが入った器は落ち、ベッドは段々と赤い斑点を増やしていく。
これは父が亡くなる直前の記憶だ。
幼い自分が医者を呼んでくると飛び出していく。
これ以上、見てられないと目を閉じた。
シーザーが目を覚ますと、宿屋の部屋で窓からは太陽の光がさしていた。横の椅子で祖父は寝ていた。
あんな夢を見たのは、父の話を久しぶりにしたからだろう。あのときの光景は忘れられないだろう。
起き上がり、体に痛みがないことに気づく。あれだけ派手に喧嘩をしたというのに。殴られた腹を見てみたが、殴った痕さえない。人より怪我の治りが早かったが、こんなすぐに治ることはなかった。
「じいさん」
寝ている祖父を起こすと彼は起きたかとあくびをする。
「おはよう、シーザー」
「なあ、じいさん、おれになにかしたか?」
「波紋を送り込んだだけじゃ」
そのままにしておかんよと彼は言う。ここまで運んだのはスピードワゴン君だがねと付け加えて。彼が使う波紋というものは生来、治療に使われるものだという。
「さて、おまえはわしと共にイタリアに帰ってもらうぞ。嫌と言っても」
「ああ、分かった」
素直に頷くと彼は打ち所が悪かったかと心配してくる。
拒否をしても、彼は無理矢理、自分を連れていくだろう。力ずくでも。わざわざ、殴られることもない。
「でも、条件が一つある。それをのんでくれたら、どこへでも大人しくついていくぜ」
「ふむ、なんじゃ」
「一緒に連れていきたいやつがいるんだ」
「恋人か?」
「そうしたいシニョリーナはたくさんいるけど、友達だ」
恋人たちに別れを告げなければいけないと思うと、やはりついていくのはやめようかと考えてしまう。
「……まあ、おまえにも色々あるだろう。三日後に船に乗るぞ」
「分かった」
ツェペリは自分の部屋は隣だと言って、部屋を出ていく。
ベッドからおり、上着を着て、自分も部屋を出た。ディオに謝るのと連れていくために話さなければ。
シーザーは酒場を何件か回り、チェスで金を稼いでいるディオを見つけた。彼女は自分を見るなり、金だけ取り、逃げようとしたが、捕まえる。
店を出て裏手に連れていき、頭を下げる。
「すまないな、客と勘違いして……」
「スケコマシめ」
頭を上げると、冷めた目で睨みつけられていた。
「あのさ、もしかして、初めて……」
言っている途中で殴られた。掴んでいる腕を振り、離れようとするので失言だったとまた謝る。彼女は年下で男と偽っていたのだ。経験がなくて当然だ。
「ごめん、ごめんって! お詫びにおまえにいい話も持ってきたんだよ」
「いい話?」
彼女は抵抗をやめる。
「ああ。おれのじいさんと一緒にイタリア帰るんだ。おまえも一緒に来いよ」
そう言うと彼女の目が大きく見開かれる。
「こんなところにいたら、おまえはろくなことがない。絶対、ここよりはいい環境になる」
ディオはこの環境から抜け出した方がいい。自分のような生活をしたところで幸せにはならない。
「しかし……」
彼女の渋る理由に察しがつく。
「父親なんて放っておけよ! 一緒にいても殴られるだけだろ? おまえの世話をしてくれるわけでもない」
まだ金を稼いでくるなら、いいかもしれないが、彼女を殴り、酒を飲んでいるだけ。肉親だからという理由は理解できるが、彼女にとっては足枷なだけだ。
説得しても、彼女はなかなか一緒に行くと言い出さない。無理矢理、連れていくかと考えるが、思い出したことがあった。
「一緒に来るなら、あのドレスを返してやるよ」
彼女は大いに反応し、迫ってくる。
「持ってるのか!?」
その食いつきに、やはり大事なものだったのだと分かった。それを大事そうに抱えて、自分に渡すときも名残惜しそうだった。
宿に戻り、よく見れば、古いものだったがとても良い生地を使っていた。しかも、大人の女性が着るドレス。彼女が持っているにはふさわしくないもの。
訳ありのものかと考え、質屋には持っていかずに、いつか返してやろうと持っていたものが、こんなところで役に立つとは。
「ああ、持ってる。おれと一緒に来るか?」
彼女はこくりと頷いた。
「じゃあ、三日後の朝、おれがいる宿前に来いよ」
腕を離し、絶対、来いよと念を押して別れた。
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