差し伸ばされた手 3
ディオがシーザーが贔屓にしている酒場に向かう途中、彼が女性と歩いているのを見た。
彼は見た目がいいのでそれなりにモテるらしい。様々な女性と関係を持っているのは噂で聞いていた。それが原因で喧嘩にも発展しているらしいことも。
シーザーは笑顔で女性と別れ、こちらに向かってきていた。
「おう、ディオ」
「返す」
上着を差し出せば、彼は受け取り、それを腰に巻きつける。
「今の女、娼婦だな?」
顔には化粧。体の線を強調する派手な服装。体に触れる手つき。分かりやすい。
「なんだ、見てたのか」
見られてもなにも問題ないのか、彼は平然としていた。
「おまえ、不自由してなさそうだが」
買わなくとも相手は沢山いるだろうに。
「あー、逆、逆。おれが金を貰ってるんだよ」
彼は笑い、手を振る。
「は?」
「買われてんのはおれの方。儲かるんだよなぁ」
「前の約束……というか、おまえの女性関係ってもしや……」
食事をしていたときに慌てて飛び出したときも、噂されている女性関係や、いざこざはこれが原因か。
「いや、そういう関係じゃあない女性もいるぜ。まだ客も数人だしな」
女性が体を売るということは珍しくないが、男性が――と思ったが、女性とて人間だ。性欲くらいはあるだろうし、娼婦なら口直しというところだろうか。
「まあ、ちょっと金がなくてさ……って、ガキにする話じゃあねえな」
彼は今更、しまったという顔をする。
別にそんな話はどこでも聞いている。だからこそ、そんな対象にならないようにしている。
こんなところでは彼らがする娯楽なんて限られているからだ。
「変な気遣いはいらん……というか、その金でぼくの飯を?」
金がいると言っていたが、自分の飯代をそれで稼いでいるとしたら。そこまでしてもらう理由もない。
「いや、恋人たちへの贈り物」
複数系なのは無視をしよう。ただの女たらしなのだ。
「デートするなら、身形もそれなりに……」
「おい、腹が減った。飯をおごってくれるんだろう。さっさと行くぞ」
言葉を遮る。これ以上、彼の話を聞いてもなにも得にならないと歩き出す。
「おう、おれも腹が減った」
横に並ぶ彼。そのとき、歩いている速度を自分にあわせていることに気づき、足を早めた。いらない気遣いだ。
ディオはドレスを抱えながら、暗い道を歩きながら、父への殺意を確固たるものにしていた。
病の父のために買ってきた薬を差し出せば、盗みでも働いてきたのかと殴られたうえ、酒瓶を投げつけられた。しかも、薬じゃなく、酒を買ってこいと母の唯一の形見であるドレスを売ってこいと投げてきた。
自分がこれだけは残してほしいと頼んだものだ。他の母の遺品は全て売り払っていた。生きていくためには金がいると父が売ったのだが、それは全て彼の酒に変わった。
もう母への愛情なんてないのだろう。母はなぜ、あんな男と一緒になったのだろう。今更、嘆いても遅い。母は死んだし、子は親を選べないのだ。
「地獄に……落としてやる……!」
母もあいつに殺されたようなものだ。やつれていく妻を見ていただろうに。死んだときも金の心配だけをしていたのだ。
質屋に着き、いつの間にか流れていた涙を拭う。扉を開けようとしたが、閉まっていた。文字が掠れた看板をよく見れば、閉店の文字。閉まるには早い時間。毎日しているはずなのに。運が悪い。
遠くの質屋に行くより、どこかで稼いだ方がいい。踵を返し、歩いていると後ろから声をかけられた。
「金がいるのかい?」
「お嬢ちゃん」
二人の男だった。深く帽子を株っているが、こちらを見る目は妙に光っていた。
「いや、別に。不用品を処分しに来ただけさ。それとぼくは男だ」
不機嫌に言い返しながら、直感が危ないと告げていた。彼らをよく見てみると綺麗な服を着ていた。ここの住民ではない。
「ああ、君のような子が稼げる場所を知っているんだが」
「すぐに大金が手に入る」
笑みを浮かべながら、言われた言葉。上手い話には裏がある。そんなことは分かりきっていることだ。
「お断りだ」
男たちから逃げ出す。
彼らは誘う相手を間違った。そんなお誘いは過去に何度か受けている。どうせ、人身売買の類いだろう。高い値で売られるかどうかは知らないが、家畜のような扱いを受けるというのは容易に想像できた。
「逃がすな!」
あれは高く売れるぞという言葉に彼らは仮面を被ることをやめたことが分かった。
振り向けば、二人とも追いかけてきていた。ここの地理は自分の方が詳しい。小路が多いため、まくのは簡単だろう。
暗い小路に入り、狭い抜け道を通っていく。子供だからこそ、入れる場所だ。
「待て!」
そう言われて待つものがいるか。入ってきた方を男たちが手を伸ばしているのが見えた。そんな大きな体では入れないだろう。
そこを抜け、ひらけた道に出た。男たちがここに来るまでは時間がかかるだろう。
家に帰ろうと思ったが、酒がなければ家から放り出される可能性が高い。
シーザーの顔が浮かび、彼が寝泊まりしている宿に向かうことにした。彼がいなくても、宿で少しは駄賃を稼ぐことができるだろう。
「見つけた」
いきなり襟首を掴まれ、首が締まる。
「離せ!」
体を振っても変わらない。暴れながら、見上げると先ほどの男たちと似た格好の男がいた。仲間が他にもいたのだ。
「結構、いいじゃあねえか」
彼は前を見て、話しかける。じぶんを追いかけてきた男たちがいた。
大きな手が顔を掴む。
「男でもこれなら充分だろ……ん? 殴ったか?」
「殴ってねえよ。傷つけんなってうるせえからな。元からだろ」
「怪我が治るまでちっとばかし、かかるな」
品定めするような目。顔を動かし、その手に噛みつこうとしたが、その前に離れていく。
「こいつ、なに持ってんだ?」
胸に抱えるドレスが取られる。
「ドレス?」
「返せ! 触るなッ!」
腕を伸ばそうとしたが、手首を掴まれ、手に拘束されてしまった。とても大切なものが汚されていく感覚がした。
「こんな汚いドレス……」
突然、自分の体が横に引っ張られ、倒れていくが、後ろから体に腕が回り、倒れはしなかった。
「大丈夫か!?」
自分を拘束していた男はいなくなり、なぜかシーザーがいた。
なぜ、彼がここにいるのだろうか。
「てめえ!」
目の前にいた男がドレスを投げ捨て、拳を振り上げたが、その前に自分を解放したシーザーの拳を顎に食らい、倒れた。殴った瞬間、拳が光っていた気がする。
もう一人の男がナイフを片手に飛びかかってきたが、腹を蹴られ屈んだところに、顔面を膝蹴りされ、崩れ落ちた。
地面に転がった男たちを見て、自分のすぐ横に拘束していた男も倒れていることに気づく。
「殴られたのか!?」
彼は自分の頬を見て、彼は男たちを睨みつける。
「これは、違う。こいつらからはなにもされてない」
なにかされる前に彼に助けられたのだ。落ちているドレスを拾うが、倒れた男たちはピクリとも動かない。
「死んだか……?」
シーザーは男の口に手を近づけた。
「いや、生きてる。おれが殴ったやつはだいたい、長いこと気絶してるんだよ」
そう言いながら、シーザーは男の懐を探っていた。財布を見つけるとその中から金を抜き取る。他の二人からも金を抜き取り、他にも指輪や金目になるものを盗っていた。
命だけ助かるだけましだろう。通りの真ん中に寝ているのは邪魔だと三人は脇に転がされていた。
「ほらよ」
抜き取った金の半分を掴まされる。思わぬところで酒代ができた。
「それ、どうしたんだよ。着るのか?」
驚いた表情でドレスを指され、首を横に振る。
「質屋に入れようと思ったんだ」
これを持って帰り、見つかったら、どこから金を持ってきたとまた殴られてしまうだろう。質屋に入れた方がいい。自分がこれを着ることもないだろう。
母の思い出だけで腹が膨れることもなく、痛みがなくなる訳ではない。
「それ、おれが買い取ってやるよ。明日、質屋に行くしな」
彼は奪った装飾品を見せ、今さっき手に入れた金を差し出してくる。
「高く売れたとか言っておけ」
彼が渡そうとしてきている金額は質屋に入れるより、ずっと高い。なけなしの金になるくらいならとドレスを差し出し、金を受け取る。
「途中まで送ってやるよ」
襲ってきた男たちがあれだけとは限らない。酒を買うまで付き合ってもらうことにした。
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