俺たちのミラ
ルドガーが声を張り上げた。それは、悲鳴に近い。
「しっかりしろ!誰がエルのスープをつくるんだ!」
掴む手は強くなる一方。
早く離して、偽物の自分より、大切な本物のあの子を。今、握るのは、小さなエルの。
いてはいけない存在。だから、この世界のミラが戻ってこれない。道標がある世界にも行けない。
自分さえ消えてしまえば、いいことばかりではないか。
スープだって、自分が作らなければいけないということは、ないのだから。
「……ごめん。あなたが作ってあげて」
隠し味を伝え、掴む手を振り払う。
底が見えない暗闇へと落ちていく。
唖然とする彼が見える。
「お願い!エルをっ!」
早く、早く、あの子を、エルを。
深い闇へと落ちていく中で、自分のことよりも、エルの安否を気にしていた。
「お前が助けてやれ」
目の前から聞こえた声は、紛れもなく自分の声。
「え……」
驚いて開く目に写るのは、自分だった。赤い目。金色の髪。青と白を基調とした服。
腕を掴まれたと同時に、上へと引っ張られる。それと同時に、マナを吸いとられていくのが分かった。
もしかして、消えるのではなく、融合してしまうのだろうか。
そんな不安を抱えていれば、光に包まれ、背から何かに押され、元いた世界へと戻っていく。
「ミラ!!」
名を呼ぶ声に、眩しさで閉じていた目を開ける。
ゆっくりと落ちていく視界に、今さっきまで見ていた景色が広がっていた。
落ちている。掴まれていた腕も離されており、自分は何にすがればいいのだろう。体制を立て直す体力が戻っていなかった。
体内には残り僅かなマナしか残っていなかった。
「ミラ!」
体は受け止められ、違う足で、地に降り立つ。見慣れた顔がすぐそばにあった。
「スープ……作らないとね」
エルと同じような顔で、ルドガーは何度も頷く。近くで見れば、彼はエルとよく似ている。
「ミラさん……!ミラ!」
「マジかよ!」
解放されたジュードとアルヴィンがもう一人の自分の方へと、駆け寄る。
「ミラ……ミラ……!」
自分の剣を引きずりながら、こちらに向かってくるエルへと寄ってくれた。
ルドガーは地に下ろしてくれる。立つ力はないため、座る形となり、エルと同じぐらいになる。
「よ、よか……った……」
泣きながらエルは、引きずっていた剣を離し、胸へと飛び込んでくる。
「ありがとう」
自分のために泣いてくれて。
その時、何かを弾く音が、耳に届き、見上げると、ルドガーの背が。
「感動の再会を邪魔して悪いんだけど……計画通りじゃなくて胸糞わりぃんだよ」
リドウの不機嫌な声。床に落ちるのはメス。ルドガーが守ってくれたらしい。
「そっちの偽物、なんで消えてないんだ?生贄が戻ってこられるのは、困るんだけど」
「エルのミラはミラだもん!偽物じゃないし!!」
泣きじゃくっていたはずのエルが、リドウを見て、声をあげた。
「彼女は彼女だよ」
もう一人の自分と仲間が、こちらにきて、自分たちの前へと立つ。
「お前の剣、使わせてもらうぞ」
「どうぞ、マクスウェル」
目の前の彼女は、少し笑い、地に落ちている剣を拾い、自分と同じ構えで、敵と対峙する。
「礼はさせてもらうぞ」
そう言うと、同時に四大がリドウへと、攻撃をしかける。
それは、容易く避けられてしまった。
「あ、そう。大精霊って、寝起き悪いんだ」
武器を構え、こちらに走ってくるリドウへと、精霊術を放つ。
それは、見事に防がれてしまったが、満足だった。そこに追い討ちをかけるよう、仲間たちの攻撃が始まったから。
最後の力だった。
また、自分は暗闇へと落ちていった。
リドウを退けたのいいが、逃げられてしまった。
しかし、マルシア首相たちを助け、船から脱出できた。
港で待っていた仲間たちは、ルドガーに運ばれているミラと、ジュードの横にいるミラに、それは、それは、驚いていた。
精霊のミラと仲間たちの再会を見て、ルドガーはエルと共に、ミラを宿屋へと運んだ。
略式ではあるが、エレンピオスとリーゼ・マクシアの友好条約を結び終わり、ルドガー一行は、宿屋の一室に集まっていた。
ベッドにはミラが寝かされ、各々は、椅子に座ったり、立ってそこにいた。
「なんで、ミラが……」
「分史世界のミラは消えちゃうんじゃないの?」
分史世界のミラがいるため、この世界のミラが戻ってこれないと、皆が思っていた。それは、他ならぬ、分史世界のミラが思っていたことだ。
「私も一か八かだったのだが、現に私は彼女のマナを吸い取ってしまっている」
ミラは手を見る。
「私が不安定だったからか、マナを、彼女から、とってしまったようなんだ」
ベッドに寝ているミラは、死んだように、眠っていた。不安そうに、ルドガーとエルは彼女を見る。
「私は実体化しているが、精霊。彼女は人間だ。厳密に言えば、違う存在。しかも、彼女はエルの力でここにいる」
「精霊マクスウェルというミラと人間のミラさんは、別ということ?」
いつもの考えるポーズをしているジュードの言葉に、ミラは頷く。
「エルの力ってどーいうこと?」
「エル、君の不思議な力で、もう一人の私は連れてこられた。今も、その力が働いているんだよ」
エルはそれを聞いて、寝ているミラの手を握る。
「こーしてれば、ミラ、消えない!?」
ミラは優しく微笑む。
「離しても、消えないよ。しかし、何かあっては遅い。私は、彼女とあまり一緒に行動をしない方がいいな」
その言葉に誰も返事はしなかった。
その沈黙を破るように、ルドガーのGHSが鳴り出した。
ルドガーがそれに出ると、ノヴァからの借金返済催促の電話だった。
それにルドガーは苦笑を交えながら、答えるだけだった。
ミッションを終え、家に帰ると、ベッドで起きているミラが呆然としていた。
エルが恐る恐る、名前を呼べば、ミラは口をゆっくり動かす。
「げ、んじつよね?」
「そーだよ!ほら!」
エルは、ミラの手を握る。消えないでしょと笑う。
ミラの目から、大きな雫が溢れる。それを見た自分もエルも驚く。
「わ、たし……きえ、たく……なかっ……たっ……」
今まで溜めていたのだろうか。それが、彼女からボロボロと吐き出されていく。
「わたし、が……こ、この世界では、にせ、ものでも……あなたっ……たちと……」
「ミラは偽物なんかじゃないよ!ミラはミラだよ!エルのミラ!」
エルはミラに抱きつく。
「ね、ルドガー!」
頷いて、二人とも抱きしめた。この温もりが現実だと。
彼女がこの世界に来てから、泣いているところなど、見たことがなかった。
本当は、ずっと泣きたかったのだろう。そんな暇なんてなかったのだ。
自分もそうだった。
現実が自分を引きずりながらも、立たせてきたのだ。そして、早く歩けと急かす。泣く暇なんてどこにもない。
子供のように泣きじゃくる彼女を頭を優しく撫でた。
それにつられたのか、エルも泣き出す。
笑って、エルの頭も撫でてやった。
動けないルドガーを、仲間たちは部屋の外から見守るのだった。