その目に自分だけを 8
次の日。
ディオの朝は何も変わらなかった。アニーは何も聞いてこず、着替えを手伝ってくれたし、ジョナサンはいつものように挨拶をしてきただけだった。
しかし、ジョナサンがいるだけで、昨夜のことが頭にちらつき、鼓動が早くなり、体温が上がった。昨夜のことは自分が思った以上に割り切れていないらしい。
顔に出さないことに努めていたのが原因か、あまり食事は喉を通らず、朝食は残してしまった。
皆が心配してきたが、あまり食欲がないだけだと言って、部屋に戻ろうとしたが、ジョナサンが名前を呼んで、そばまでやってきた。
そばに寄るなと思いつつ彼を見ていたが、息をのむほど真剣な目をしてこちらを見ていた。
「ジョジョ?」
皆の前でなにか言い出すのではと気が気ではなかったが、彼の手が伸びてきて、固まる。
その手は額に触れた。
「熱い」
額に触れていた手は離れる。
「やっぱり……君、熱が出てるじゃあないか!」
体温が上がっているのも、鼓動が早いのも、朝食があまり食べられなかったのも熱のせいだと思うと腑に落ちた。彼の告白など自分は気にしていないのだ。
「!」
ジョナサンはいきなり、自分を横抱きにする。
「部屋に運ぶから、着替えの準備と医者を」
返事をした使用人たちが慌ただしく、その指示に従う。
「わたしは大丈夫だ、おろせ」
熱があるとはいえ、ふらついてなどいないし、食堂までは自分の足で来たのだ。
「また階段から落ちたりしても、困るし」
そう言って自分の言葉を流し、彼はそのまま、自分の部屋に向かうのだった。
アニーはディオの着替えを手伝いながら、なぜ、彼女の体調の変化を見逃してしまったのかと内心、歯軋りしていた。
朝、いつものように挨拶をしてくる彼女の笑顔。あまり覚えていないのは、昨夜のことをずっと考えていたからか。
二人が外に飛び出してから、ずっと見ていた。会話は聞こえなかったが、ディオはジョナサンに抱き寄せられ、彼女は身を預け、胸に顔を埋めて。
今まで見てきた雰囲気が違い、二人の関係が変化したのだと分かってしまった。ただの兄妹ではなく、それ以上に。
悔しいと思ってしまう。そんな関係になってしまったら、自分は入り込めない。
彼女のそばに立つのはジョナサンで。彼女はこちらに見向きもしなくなって――。
「アニー?」
名前を呼ばれ、我に返る。ディオが不思議そうにこちらを見ていた。
「アニーも体調が悪いの?」
「い、いえ……すみません、まだ紐が結べていません……」
「無理しないでね」
背を向ける彼女の垂れ下がったナイトドレスの紐を結んでいき、着替えが終わった彼女をベッドまで連れていく。
「何か欲しいものはありますか?」
ベッドに座る彼女に布団をかける。
「今はないわ。アニー、ジョジョを呼んできて……部屋の前にいるはずだから」
彼は待っているのは知っている。ディオを部屋まで運んだ後、着替えが終わったら呼んでほしいと彼は言っていたのだから。
「……はい」
ディオの命令だ。下唇を少し噛んで、部屋の扉を開けると、やはりジョナサンが立っていた。
「終わった?」
頷くと彼は部屋に入り、一目散にディオのもとへと行く。
彼が彼女の手を握り、謝るのが聞こえた。
そう、彼があんな雨の中、彼女と話しているから。
二人は話に夢中で自分の存在を忘れているようだ。
そんな二人を見ていられなくて静かに部屋を出た。
ジョナサンはディオの手を握りながら、繰り返し謝っていた。
「雨に濡れたから、体が冷えてしまったんだね」
すぐに家に引き返せばよかったのだ。彼女は寒かっただろうに。
でも、彼女の泣き顔を独り占めしたくて、自分に身を任せてきて抱きしめられている彼女とずっと一緒にいたくて、雨の中にいた。
自分のわがままでディオは体調を崩してしまったのだ。
「ああ、おまえのせいなんだから看病しろよ」
彼女は手を振り払い、少し赤い顔に怒ったような表情を出す。
「分かった」
言われなくても、看病はするつもりだったけど。
なんだかんだ言って、自分に甘えているのだと思うと嬉しい。「嬉しそうにするな、マヌケ。なんで、おまえは風邪をひいてないんだ」
「じゃあ、ぼくにうつしてよ。人にうつしたら早く治るらしいから」
「そうなったら、わたしに看病させる気だろう」
「そうだと嬉しいけれど、君からの風邪ならうつってもいいよ」
「恥ずかしいことをペラペラと……」
顔の赤みが増したように見えるのは気のせいだろうか。もしかしたら、顔が赤いのは熱だけではないのかもしれない。
部屋に扉が叩かれた音が響き、返事をすると、使用人が医者が来たことを告げた。
「ここにいてもいいかな?」
「好きにしろ」
医者が入ってきて、立ち上がり出迎えた。
「ジョジョ、ディオ!」
医者に付き添いがいた。
「エリナ!?」
彼女は一目散にディオのもとへとかけ寄り、大丈夫かと心配する。
エリナとディオが話しているのをみていると医師に名前を呼ばれた。
「はじめまして、医師のペンドルトンです」
「はじめまして。エリナのお父様ですね」
「娘がお世話になっております」
「いえ、ぼくの方こそ……」
そんなやり取りをしていると、エリナが父を呼ぶ。早くみてあげてと。
彼は自分に一言、断るとディオをみるために、そばにあった椅子に座った。
ペンドルトン医師はただの風邪だと言い、安静にしていればすぐに治りますよと薬を処方して、帰っていった。
エリナもお大事にと言って、一緒に帰っていった。
薬を飲んだあと、ディオはベッドに横になり、ジョナサンと話していたが、彼が少し席を外している間に眠ってしまっていた。
ディオは一人で懐かしい道を歩いていた。
ジョースター家に引き取られる前にいた家の近くだ。自分は酒を手にしていた。父の酒を買いにいった帰りなのだろう。
家に帰れば、あの父がいるのかと思うと帰りたくはなかった。
働きもせずに酒を飲んでいるだけで、機嫌が悪ければ、殴ってくる。酒代にしろと母の形見を売ってこいと言われ、自分は――。
手に持っている酒を道に投げつけ、割った。また怒られ、殴られるのだろう。
家に帰らなければいい。そんなこともされない。
でも、どこへ――帰ればいいのだろう。母は死に、自分の家族はあの父親しかいない。
「ディオ」
名を呼ばれ、振り向くとジョナサンが立っていた。なぜ、彼がここにいるのだろう。そんなことを考えていると彼は手を差し出してくる。
「帰ろう」
そうだ。自分にはあの家はもう帰る場所ではない。
「ああ、そうだな」
その手を掴む。彼は笑って頷くと走り出したため、自分も走り出す。すぐに懐かしい景色はなくなっていき、今、住まう屋敷が見えてきた。
自分の家はここなのだ。もうあの家で待つものはいない。
ディオは目を覚まして手に違和感を覚える。
ジョナサンが自分の手を握っていた。
「おはよう」
彼は笑顔を向けてくる。
「ずっと……ここにいたのか?」
頷いた彼は手を離し、額にのせられていたタオルを取っていく。
「喉がかわいた」
起き上がらせてくれと言えば、彼は手を貸してくれた。
起き上がった自分に水が入ったグラスを差し出してきたが、落ちないようにと両手で持たせてくる。
中にある水を飲み干し、グラスを彼に渡し、着ているドレスを脱がしてくれと頼む。
「汗ではりついていて気持ち悪いんだ」
前のリボンを緩ませるが、背中のリボンを取るために腕を動かすには腕が重い。
「だ、誰か呼んでくるから」
うろたえている彼は立ち上がったため、服を掴んでひき止める。
「おまえでいい。わたしの看病をするとおまえが言ったんだぞ」
ディオのナイトドレスの前のリボンが取れており、彼女が前屈みになっているため、胸が見えそうになってしまっている。見ないようにしようとしていたが、彼女の真っ直ぐ見てくる目から目がそらせない。
服を掴む彼女の震える手を振り払うこともできずに、分かったと頷いた。
背にかかる長い髪を前に移動させ、背を向けた彼女のナイトドレスを脱がしていく。赤く色づいた肌が晒されていき、唾を飲み込む。
「後ろを拭いてくれ。前は自分でする」
彼女は前だけを服を押しつけ、隠していた。
「う、うん」
濡らしたタオルで彼女の肌を拭いていく。タオル越しに感じる彼女の肌。直接、触れたい衝動が襲ってくる。
「……痛くない?」
「大丈夫だ」
自分の中の欲が外に出ないように押し込みながら、彼女の体を拭いていた。
背面を拭き終えたと言うと、彼女はタオルを渡せと言うので、手渡す。
「着替えを取ってこい。わたしがいいと言うまで振り向くなよ」
彼女に背を向けると、服を脱いでいく音がし、ベッドから離れ、彼女のクローゼットに向かう。着替えはどこにあるのかと場所を聞き、着替えを取るが、彼女の許可はまだ出ていないため、ドレスを持ち、クローゼットを眺めていた。色とりどりのワンピースを見ていると、彼女がいいぞと言ったので振り向くと、毛布で前だけを隠した彼女がベッドにいた。
「え、あ、ごめん!」
顔をそらす。
「早く持ってこい。悪化するだろ」
彼女の方を見ないようにしつつ、ドレスを持っていく。
彼女に手渡し、背を向けると、毛布を置いた音がした。布が擦れる音を聞いていると、名前が呼ばれた。
「もういいぞ」
「あ、ああ」
振り向くと自分に背を向けるディオ。ナイトドレスの後ろは開いており、肌を見せている。
「止めてくれ」
開いている背中を閉じていく。
触れたいという衝動を抑えつつ。
彼女の背が全て隠れたときに、ノックが聞こえ、返事をした。
「失礼いたします」
部屋に入ってきたのはアニーだった。
アニーはベッドの上で距離が近い二人を見て、怪訝な表情をした。
病人のディオが起き上がっているし、ジョナサンはディオに触れているようだ。
「アニー、これを持っていってくれないかい?」
ジョナサンは何かを手に掴むとベッドからおりて、こちらにやってくる。
それはディオが着ていたナイトドレスとタオルだった。
彼が彼女の着替えを手伝ったのか。そんなこと使用人の自分の仕事のはずなのに。
寝ている彼女の額に置いているタオルを冷やすのも、汗をかく彼女の肌を拭うのも、彼がしなくてもいいのだ。自分がすべきなのに。
名前を呼ばれ、我に返り、ジョナサンが差し出したものを受け取る。それを胸に抱くと彼女の香りとぬくもりを感じた。
「そうだ。そろそろお昼だから、ぼくの食事はここに運んでほしい」
そう言われ、自分がここに来た理由を思い出す。二人の食事をどうするか聞いてこいと言われたのだ。
「は、い……お伝え、します……」
声を絞り出すが、声が震えた。
その時、ディオがジョナサンを呼んだ。自分ではなく、彼を。
「よろしく頼むよ。なんだい、ディオ?」
ジョナサンは嬉しそうに彼女のもとへと戻っていく。
二人の仲を見せつけられているようだった。自分に入る隙間などないのだと。
頭を下げて部屋を出る。胸に抱いていたドレスとタオルを強く強く抱きしめた。
「ディオ……様……」
彼女は自分を見てくれなかった。あんなにも自分は見つめていたのに。
ディオがまた遠い存在になる。自分は近づけない。
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