その目に自分だけを 7
次の日から、アニーはディオのそばにいた。
与えられる仕事があるので、付きっきりという訳にはいかないが、仕事が終われば、彼女のもとへと訪れた。
動けない彼女の変わりに物を取ってくることや、手を貸すことをしていた。
勉強も教えられていたが、彼女の負担になってはいけないと早めに切り上げていた。
しかし、自分がいないときや食事のときは、そばにはジョナサンがいた。背中の腫れも早々にひき、もう痛みもないらしい。
主人には失礼だが、正直、邪魔でしょうがない。彼女の世話は使用人の仕事だ。彼がすることではない。
しかし、すぐにディオの怪我は治っていき、一週間経つ頃には歩けるようになり、自分の手を借りることもなくなった。
あの脚を拭くことも、薬を塗ることも、包帯を巻くこともない。
また彼女が怪我をしないだろうか――そう考えていた自分の思考に恐怖する。怪我をしていなくても、自分は彼女の世話をすればいい。また勉強の時間も元通りになるのだから。
彼女のそばにいられるだけで――それ以上を望んではいけない。
就寝時間が迫り、アニーは屋敷の明かりを消していた。窓を叩く微かな音に雨が降りだしたのだと分かった。
二階の明かりを消し終わり、階段を降りきった時に、上から足音がして振り返った。
ディオが階段をかけおりてきていた。また足を挫いてしまうのではないかと不安になり、名前を呼ぼうとしたが。
「ディオ!」
ジョナサンが現れ、彼女を追うように、階段をおりてきた。
「来るな、マヌケッ!」
振り返らずに彼女は玄関に向かっていく。扉を開け、外へと飛び出していった。
ジョナサンがそれを追いかける。
自分の真横を通った彼女の表情。顔を赤らめ、今にも泣き出しそうな表情だった。そんな顔にさせたのはジョナサンだろう。彼は彼女に何を言ったのだろうか。
明け放たれた扉の前まで行くと、門の前で二人がいた。
何かを言い合っているのは分かったが、内容まで分からない。
本を読み終わり、ベッドに横になろうとしたディオのもとにジョナサンがやってきたのだ。
扉をノックされ、名乗られたときに明日にしろと言ったが、彼が今、話したいことがあると食い下がったのだ。
すぐに終わるからと言われ、しかたなく扉を開け、彼を部屋の中に入れた。
パジャマ姿ではない彼に違和感を覚えつつ、何用だと尋ねれば、彼は突然、自分の前に跪き、箱を差し出してきた。
「ディオ、ぼくと結婚してほしい」
箱を開き、中にあるのは宝石が光る指輪。
「おいおい……わたしはエリナじゃあないぞ。予行練習か?」
告白なんて彼には一世一代のことだろうから、妹を練習相手に選ぶのは彼らしい判断だと言えるが。
「なんで、エリナの名前が……練習でもないよ。ぼくは君に結婚を申し込んでいるんだ」
「酔ってるのか? 寝惚けているのか? からかうのはやめろ」
彼の冗談に付き合うつもりはないが、こちらをまっすぐ見る目は変わらない。
「酔ってないし、寝惚けてないし、からかってもないよ」
彼は立ち上がり、手を掴んでくる。
「ぼくは君を愛しているんだ。妻になってぼくを支えてほしい」
勉強のし過ぎで頭が狂ったか。
もしかしたら、階段から落ちたときに頭でもうっていたのかもしれない。その影響が今頃、出てきた可能性がある。エリナにしっかり見てもらうべきだったのだ。
そこまで思ったが、ふとある考えが浮かぶ。
「おまえ、エリナにふられたのか。だから、手短なわたしに鞍替えしようという魂胆だな。あいつにふられるなんて、何を言ったんだ?」
エリナとは両思いだったはずだが、あの彼女にふられてしまうとはどんな告白をしたのか。
「違う!! ぼくはエリナは友人として好きなだけだよ。君は一人の女性として好きだ」
耳に入ってきた言葉はあまりにもはっきりとしていて聞き間違えられない。しかも、彼の手を掴む力は強くなるばかり。
「ぼくは君と一緒になりたい。君にふさわしくなるよう頑張るから……!」
「おまえは、エリナと夫婦になるんだろう!? エリナだってそれを望んでいる。おまえたちなら、似合いの夫婦に……」
「ぼくは君と夫婦になりたいんだ!」
言葉が遮られる。
彼からのいきなりの告白に自分は困惑してしまって、もう言葉が出てこなかった。
「やっぱり、ぼくのことが嫌いかい? 好きな人がいるのかい? それなら……」
嫌いと言ってしまえばいいと、口を開いたが。
「だめだ。嫌だ。君しか考えられない。ずっとずっと好きだったんだ。君が誰かのものになるなんて、堪えられない!」
手をひっぱられ、彼の胸に飛び込んでしまった。腕が体に巻きつき、力強く抱きしめられた。
その力に自分が息苦しい。腕も上から押さえつけられ、上がらない。彼の体温のせいか、暑い。
他の男性から告白されたときはこんなにも困惑することがなかった。その気にさせて利用はしていたが、一線を越えようというものなら、すぐにふっていた。それでも、諦めない男性は多いが。
ジョナサンに告白されるなど夢にも見ていなかった。
彼が優しいのは自分が女性で妹だからだと思っていた。なにせ、それがあたりまえだったからだ。
出会った当初に嫌がらせもしていたというのにと呆れていたが、自分に惚れているとは。
幼いとき、エリナと彼は彼女と恋人同士で、エリナが突然、いなくなったときは泣いていた。
彼女がいなくなっても、彼は新しい恋人を作ることなく、女性からの誘いも断っていた。
だから、エリナをずっと想いながら彼女を待ち続け、長い時を経て再会したとき――大喜びしている彼を見て、一途な男だと思っていたのだが。
もしかしたら、彼はずっとエリナを友人として付き合い続けていたのかもしれない。恋人なのだろうと思っていたのはもしかしたら、自分だけで。
「は、離せ……!」
腕の力が弱まり、彼を押したが、重い体は動かず、自分がその分、離れることになった。
「ぼくじゃあ……だめかな……?」
見上げる彼の表情は今にも泣きそうだ。まるでエリナがいなくなったときのように。
「おまえみたいな、泣き虫に……!」
「な、泣かないから!」
「おまえみたいな……おまえみたいなやつはき……」
嫌いだと言おうとしたが、また引き寄せられ、口を口で塞がれた。
「!」
「嫌い、なんて言わせないから」
口を離し、
言われた言葉とこちらを見る目に彼はなにがなんでも、自分と夫婦になるつもりなのだと分かった。
「こ、この汚らわしい阿呆がッ!」
唇を拭い、部屋を飛び出した。
なぜか、自分の鼓動がうるさい。目の端から、液体が流れそうで必死に堪えていた。
彼が追いかけてくるのが分かり、屋敷を飛び出したが、雨が降っていた。気にもせず、走っていたが、門の前で追いつかれ、腕を掴まれた。
「ディオ!」
「離せッ!!」
「嫌だよ!」
逃げようとしたが、痛いくらい腕を握られ、無駄な抵抗だと逃げるのはやめた。
「痛いぞ、マヌケ」
「ご、ごめん」
彼が力を抜いた瞬間、腕を振り払おうとしたが、ほんの少し力が弱まっただけで、振り払うことはできなかった。
「結婚してほしい。ぼくには君しかいないんだ」
そんな台詞は聞きあきるほど、他の男から聞いたはずだが、ジョナサンに言われて妙に心をかき乱される。
「っ……」
堪えきれなかった涙が、目から零れた。彼に見られないよう顔を背けていたが、彼は正面にきた。雨に濡れているから、気づかれないと思ったが、彼が取り乱しているのを見て、ばれているのが分かった。
さめざめ泣く自分が女々しく、嫌気がさしていた。
彼からの告白にどこか裏切られた気分だった。
嫌がらせもしたし、困らせたりもした。彼に負けないために勉強もしたし、見た目も磨いた。
兄の背後に隠れぬよう、努力をしていたが、彼は然も気にせず、自分より優秀な妹だと嬉しそうだった。
馬鹿にされていると思っていたが、彼が自分を女性ではなく、一人の人間として一番、認めてくれていたことは、後々、理解した。
だからこそ、女と見られていたのだと思うと腹立たしい。他の者たちと同じだったのだ。
彼だけは――信じていたのに。
「おまえは、わたしを一人の人間として見ていたのではないのか」
涙を拭い、彼を睨みつける。
「……え? ディオはディオだよ? 君だから、好きなんだ」
「なんだ、わたしが男でもその気持ちは変わらないのか?」
「え……まあ、ディオならいいかな」
彼は困ったように笑う。その言葉の真意はよく分からない。あまり深くは考えていないのだろうが、なぜか、その返答に満足している自分がいる。
彼は自身の懐やポケットを探っていた。
「ごめん、ハンカチないや」
彼は服の袖で頬を拭ってきた。
「男なら……胸を貸すくらいしろ、このマヌケ」
「君が嫌がるかと思って」
彼は片腕で抱き寄せてきた。腕を掴むのをやめると、頭をなでてくる。
「ぼくの胸なら好きなだけ貸すよ」
「女心が分からない阿呆が……」
「うん。ごめん。君の気持ちが分かるように頑張るよ」
胸に顔を埋めれば、少し服は濡れていたが、確かなぬくもりがあった。誰かの胸を借りて泣くなど、初体験かもしれない。幼い頃に母にはしてもらったかもしれないが、記憶にはない。
「父さんが亡くなったときは逆だったね」
「きさまが年甲斐もなく大泣きするからだ」
あのときは大変だった。亡くなった義父から彼をなんとか引き剥がし、父さんと繰り返し呼びながら咽ぶ彼に一晩、付き合うことになった。胸は貸してはいないが、そばにはいて、ハンカチを貸したり、背をずっとなでてやった。
ジョナサンの泣く姿を見ていたためか、自分は悲しくもなく、よくこれほど泣けるものだと呆れてもいた。
ジョナサンも今の自分を見て、同じことを思っているのだろうか。
もういいと彼の胸から、離れると、自分に触れていた手が離れていくが、胸を押した手を掴まれた。
見上げれば、いつもの笑顔を浮かべる彼。
「ディオ、ぼく、頑張るよ。君に好かれるように」
「無駄なことを」
「無駄にならないよう頑張るさ。寒いだろう? 家に入ろう」
手は掴まれたまま、家に向かう。その手を振り払う気も起きずに、ただ彼についていく。
家の中に入ると、誰かが走り去っていくのが見え、二人とも立ち止まる。
誰かに見られていたらしい。
「……アニー」
ジョナサンは走り去っていく人物を見たらしい。彼女は自分を慕っていて、怪我をしてから、よく世話をしてくれていた。心配で見ていたのかもしれないが。
「どう説明をするか……」
どこから見ていたかは知らないが、泣いてジョナサンに抱きしめられているのは見られていただろう。
「ぼくにプロポーズされたって言えばいいよ」
「……そうだな、おまえのせいで泣いていたことにしよう」
告白のことを言うつもりは毛頭ない。
「そ、そのとおりなんだけど」
「聞かれない限り言わないさ」
彼の手を振り払おうとしたが、それはできず、部屋に戻ろうと彼は階段を上がっていくため、それについていく。
手が離されたのは部屋の前で、彼はおやすみと言って自分の部屋に戻ったため、自分も部屋に入り、濡れた寝間着を着替え、眠ったのだった。
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