笑う者 泣いている者 3
「ジョージョー」
ジョナサンのもとに笑顔のディオが妙な匂いと共にやってきた。
「何を作ってきたんだい?」
それは、ある一室から漂ってきていた香りだ。彼女がよくこもっていた部屋から。香草が混ざったような。
「ちょっとな」
彼女は小瓶を取り出すと蓋を開ける。妙な匂いが強くなり、原因のそれを見つめる。緑のような色をしているそれに彼女は指を突っ込む。
「口を開けろ」
「え?」
嫌な予感がし、その言葉通りにはできなかった。その得体の知れない液体を飲ませる気なのだろうと。
「……毒じゃあない」
「じゃあ、何?」
毒ではない何なのかを教えてくれれば、自分も口を開ける。
「……」
彼女は瓶に突っ込んだ指を引き抜き、舌で舐めた。
「味はイマイチだな……ほら、毒味はしてやったぞ」
彼女は何も躊躇いもなしにその液体を舐めた。今すぐ効くものではないのだろうが。また小瓶に指を突っ込み、舐めろと差し出してくる。
恐る恐るだが、その指に口を近づけ、少し開くと口の中に突っ込まれ、液体が舌に擦りつけられた。薬のような苦味と香草のきつい匂いが広がる。
「効果が出るまで、見ているからな」
口から指を引き抜くと彼女は指をハンカチで拭う。
「う、うん」
何が起きるのかと、不安になりながら、小瓶の蓋を閉める彼女を見ていた。
彼女に見張られながら、時間潰しに吸血鬼についてノートにまとめていると懐かしい感覚が襲ってきた。
「あ……れ……」
目蓋が重い。思考が鈍くなる。
「ねむ……い……」
それ、吸血鬼になってからは、感じていなかったものだ。久しぶりの感覚に戸惑っていると隣に体温を感じた。
「効いてきたか。即効性ではないな」
彼女が飲ませたのは睡眠薬の類いらしい。自分の前に摂取したはずの彼女は平然としている。
「ベッドで寝ろ」
睡魔と闘いながら、彼女の言葉に従い、椅子から立ち上がり、ベッドに向かい、横になった。
使わなくなったそこに寝転び、目を瞑ると妙な安心感があった。
「おやすみ」
返事もできないまま、眠りに落ちた。
目を覚ませば、違う天井。
「あれ……」
違和感を覚え、起き上がれば、そこはいつもの部屋ではなく、ジョースター邸の自分の部屋だった。
「いつの間に……!」
机には荷物が置きっぱなしにされ、ついさっき帰ってきたことを示していた。扉がノックされ、入ってきたのは弟だった。
「おはよーさん! 帰ってきて、速攻、オネムなんて疲れてたんだな」
彼は机に置いてある荷物にお土産がないのかと探り始める。
「ぼく、いつ帰ってきた?」
ここに帰ってきた記憶がないのだ。
「まだ寝惚けてんのか。昨日の夜に帰ってきて、疲れたからって、早々に寝たじゃあねえか……て、なんだコレ」
彼の荷物を探る手が止まる。鞄から取り出したのは瓶。中には何か液体が入っていた。赤い色をしている。
彼はそれの蓋を開けようとする。
「駄目だッ!!」
ベッドからおり、彼の手からそれを取ろうとしたが、かわされた。
「なんだ、変な薬か?」
クスクスとジョセフは笑い、離れていく。
「違う! それは……」
見ただけで、中身は一瞬で分かった。薬だったら、まだマシだっただろう。その中の液体を知られてしまったら、自分のことも。その瓶に手を伸ばし、掴めば、もみ合いになり、ジョセフはその瓶を落としてしまう。
「あっ……」
床に瓶は落ち、割れててしまい、中の液体をぶちまける。嗅ぎ慣れた匂いが、部屋に充満していく。
「なっ……血!?」
甘い香り。彼女の血の匂い。喉が鳴り、もったいないと床に広がる血を見る。
「ジョナサン……なんで……」
弟に視線を移せば、彼は怯えた目でこちらを見ていた。
「笑ってるんだ?」
「え?」
横にある鏡を見れば、彼が言うとおり、自分は笑みを浮かべていた。なぜ、笑っているのか、自分も分からない。また彼を見れば、怯えた表情でこちらを見ていた。
そんな目で見ないでほしい。そんな顔をしないでほしい。自分は彼の兄、ジョナサン・ジョースターなのだから。
「ジョセフ」
一歩、踏み出せば、彼は一歩、後ずさる。彼は何も言わずに部屋を出ていってしまう。追いかける気はおきなかった。人間ではない自分はこの場所に帰ってくるべきではなかったと肩を落とす。
「もったいない」
後ろから声が聞こえ、振り向けば、なぜか、ディオがベッドに座っていた。
「わたしの血を……」
何かを言っている彼女にフラフラと近づいていく。
「どうした? 血か?」
首を横に振り、彼女を抱きしめる。やはり、吸血鬼になった自分には彼女しかいないのだ。愛しいという感情が、勘違いでもなんでもいい。
そばにいたい。寄り添っていたい。こういう風に抱きしめてもらいたい。ボロボロと涙が出てくる。
「ディオ……」
抱きしめる力を強くすれば、彼女は背に腕を回してくる。
「愛してる、から……っ……」
涙が止まらない。口からは嗚咽しか出てこなかった。
「ジョジョ」
上から降ってきた声に目を開けるとディオが見下ろしていた。
「泣くな」
頬を手で拭われていく。
なぜ、彼女が見下ろしているのだろう。今さっきまで、抱きしめていたはずなのに。
「なんで、ディオがぼくの家にいるんだい?」
抱えていた疑問を問えば、彼女は怪訝な顔をする。
「何を言っている?」
「だって、ぼく、自分の――」
彼女の後ろに見える天井は自分の部屋のものではない。首を動かし、部屋を見れば、ここはディオの屋敷の部屋だ。
「家が恋しくなったか?」
あれは夢だったのだと分かり、安心する。自分はこうしてディオのそばにいる。家族にも、あんな目で見られていない。
「違う……もういいよ。ありがとう」
まだ涙を拭う手を制して、起き上がれば、また涙が溢れていった。
「寝ながら、泣くなんて器用なやつだ」
頬に伝う涙を袖で拭っていたが、彼女の言葉に気づいた。
「そうだ、ぼく、寝てた……!」
夢を見ていたのだから、確かに眠っていたはずだ。
「ああ、これは吸血鬼の睡眠薬だ」
彼女は、瓶を見せる。人間には全く効かないがと付け加えて。
「あのほんのちょっとの量で、二時間ほどだ」
彼女がよく部屋にこもり、作っていたものらしい。部屋にも入れてもらえず、こそこそと何をしているのか、気になってはいたが。
「原料は吸血鬼が苦手とされるニンニクだ。あれは吸血鬼にとっては、睡眠薬らしいな」
効果は絶大らしく、摂取する量によっては丸一日、目を覚ませなくすることもできるらしい。吸血鬼を眠らせる効果から、弱点と伝えられたのだろうと本に書いていたと。
「まあ、普通なら、匂いですぐバレるからな」
エキスだけを取り、様々な香草で匂いを誤魔化したのが、ディオが作ったものらしい。
「一滴だけだが、わたしの血も入れた。ニンニクの匂いはしないだろう?」
その匂いはしない。香草のせいなのか、彼女の血の匂いもしないが。味はどうもならなかったが、血を大量に混ぜれば、誤魔化せるだろうと彼女は言う。
「また寝たいなら、いつでも言え」
勝手に飲むなよと釘は刺される。頷けなかった。あんな夢を見るなら、彼女の寝顔を見ている方がいいと思ったからだ。彼女の背に腕を回し、抱き寄せる。触れるあたたかさと柔らかさに、安心感を覚える。
「寝るなら、君と一緒がいい」
「……どっちの意味だ」
そんな気持ちはない、なんて言えば嘘だ。
でも、今はただそばにいてほしかった。
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