雨降って

1

ディオとジョナサンは、部屋で机を挟んで向かいあって座っていた。
ディオは、まっすぐ正面を見ていたが、その視線は虚ろで、どこを見ているか分からず、ジョナサンは、肘を机に置き、重ねている手に額をあて、うなだれている。
こうなったのは、病気でふせているジョースター卿から出た話だった。

二人は、ジョースター卿に話があると呼び出された。
「わたしは先は長くない……どうか二人で手を取り合い、ジョースター家を……ジョジョ、お前は当主として、ディオ、君はジョジョの妻としてこの……」
それ以上は咳き込み、医者にも無理はするなと止められ、これ以上会話はできないと、ジョナサンとディオは部屋を後にした。
その言葉はまぎれもなく、二人が夫婦になり、ジョースター家を支えていけということだった。

ディオは養父が自分を引き取った時から、ジョナサンの許嫁としても見ていたことは、多少なりとも分かっていた。
一つ屋根の下。長い間、過ごしていれば、そういう感情を持つのではないのかと期待していたのかもしれない。
しかし、実際、ジョナサンにそのような感情を持っていない。
抱いているのは、違う感情だ。
「ぼくは父さんを安心させたい」
うなだれたまま言われた言葉に、現実に意識を戻す。
「だから、ぼくは……」
「そんな理由で、か?」
父の言葉に従って、伴侶を決めてしまうのか。
彼は想い人がいるはずだ。その想い人、エリナ・ペンドルトンは、この前、帰ってきていた。
久しぶりの再会を喜んだところだ。
「君がいいなら、父さんを安心させるためにも」
顔を上げたジョナサンは、まっすぐにこちらを見る。
「ぼくは、君が好きだよ」
「黙れ」
睨みつける。そんな言葉、望んではいない、聞きたくない。
「好き?馬鹿にしているのか」
自分たちの関係が良好なのは、表面上だけだ。
彼が自分を嫌っているのは知っているし、その逆も然り。
「馬鹿にしてないよ」
「貴様が好きなのは、エリナだろう」
その言葉にジョナサンは、目を見開き、立ち上がる。
「か、彼女は……友達としてなら……」
「ふん、わたしはごめんだ。エリナを紹介しろ」
エリナならジョースター卿も文句は言わないだろう。
「嫌いな者同士、結婚しても意味がないだろう」
彼も多少となり女性に言い寄られることもあった。その度に、断っていたことは知っている。彼は、ずっとエリナを想い続けていたはずだ。
「……君は、なぜぼくのことが嫌いなんだい!?」
我慢の限界だったのか、ジョナサンが声をあげた。
ふつふつと内側に渦巻いていたものが、せり上がってくる。
「わたしが手に入られないものを持っているからだッ!」
内側のものをせき止めていた壁が決壊し、立ち上がり、叫んだ。
初めて会った時は、自分より下だと思っていたが、同じくらいの背もあっという間に抜かされ、体つきも、身体能力の差もはっきりと出てきた。
どうあがいても、彼と同じにはなれないのだと、現実を突きつけられた。
どれだけ、彼より優秀になろうが、女性ということで、道は狭まってしまう。
「お前の横にいるだけでわたしは惨めだった……!貴様には、分からないだろうな。ちやほやされ、恵まれて育ったのだから」
厳しくも優しい父、名家の肩書き、大きな屋敷、逞しい体、有り余る金、自由な未来。
地を這いつくばり、道を歩んでいる自分とは違う。
「わたしの前に立つなッ!わたしはお前になんて負けていない!負けないんだ……!」
羨ましかった。
自分の目の前を歩むジョナサンが、彼がどうしようもなく。
目がくらむほどの眩しい存在。
「なぜ、女というだけで……!」
対等だったはずなのに。
できてしまったこの差は、なんなのだろう。
いつの間に、自分は見上げることになってしまったのか。届かない星を仰ぐように。
「なぜ、お前になれないんだ……!」
気づくと、自分は泣いていた。
もうどうにでもなれと、自棄になり、ジョナサンを罵倒する。
今まで、たまっていたもの全てをぶつけるように。
「……ディオナ」
遮るように呼ばれた名前に、ひるんで口を閉じてしまった。
「やめろ……!その名を呼ぶなッ!」
耳をふさいだ。
その名前を好きにはなれず、知り合いには、ずっと愛称で呼ぶよう言っていた。
ジョナサンが自分のもとへと来ると、耳をふさいでいた手をひきはがす。力では適わないため、いとも簡単に。
「聞いて」
聞かせようと耳元で言われ、頭を振り、拒否する。
「聞くことなどないッ!離せッ!!」
「いいから聞いて。ぼくは――君になりたかったよ」
その言葉に、固まる。
「幼い時から、君は優秀でなんでもできた。羨ましかったよ。君と比べられて、ぼくは惨めだった。君に追いつきたいって、今でも思っているよ」
彼も自分と同じだったのか。同じ思いを抱えていたのか。そんな素振りは全くなかった。
「でも、ぼくはぼくで。君は君だ。それで、いいじゃあないか。それのどこが駄目なんだい?君ができないことをぼくがやって、ぼくができないことを君がやる」
見上げる彼の目は澄んでいて、力強い光をたたえていた。
「それで、いいんだ。一人でできることなんて限界がある」
手が離され、腕が垂れ下がる。
「君は君でいいんだよ、ディオナ。貴女は――強い女性だ」
止まりかけていた涙が、また溢れた。
ジョナサンに言われて悔しいが、それは自分が人に言ってほしい言葉だった。
ずっと、女性なんだから、女性らしくと周りの者たちは言うだけだった。その度に、自分は狭い箱に入られたような息苦しさと、鎖を体に巻きつけられているような感覚を覚えていた。
自分を縛っていたものが、ジョナサンの言葉で、とけていった。
拭っても拭っても涙はこぼれて、子供のようにむせび泣く。
ぐちゃぐちゃになっている感情を吐き出さなければ、自分が壊れそうだった。
腕が背に回り、抱きしめられた。
落ち着くようにと、子供をあやすような手つきで、背を撫でられ、優しく叩かれる。
離れたいが、離れられない。腕の拘束は力強く、ほどけないからだ。
触れる彼の体は温かい。抱きしめる腕も、顔を埋め、手を置いている胸も。
「ディオナ」
「そ、その、名を……呼ぶん、じゃ」
顔を上げれば、唇が重なった。
何をしているのか、されているのか分からなかったが、理解した時には、唇は離れていた。
彼の頬を全力で叩く。
彼の腕から抜け出し、部屋も飛び出す。
彼と一緒にいたくなかった。あんなことをされ、いられる訳がなかった。
階段をかけおり、玄関の扉を開け、外へとかけだす。
暗く雨が降っていたが、構わずに、門も抜けた。
冷たさも寒さも感じない。
ただ熱かった。



2

涙も止まり、走るのも疲れ、あてもなく、ただ歩いていた。
熱さはなく、今はもう寒く感じている。
体が重く感じていた。ただ雨に服が濡れ、水分を含み重くなっただけだろう。
先ほどのことが頭を何度も回っていた。
つい口に出てしまったが、あれが、ジョナサンに持っていた感情、羨望だ。憎しみに近い感情もあった。
しかし、今ではそんな感情は薄れてしまっていた。
全てをさらけ出して、スッキリしていた。
しかも、男である彼さえも、自分と同じ思いを抱えて、悩んでいたのだ。
自分とジョナサンは、とても似ている。いや、同じだと言っても過言ではない。
自分が一方的に敵視し、噛みついていたのだ。なんと長いこと、滑稽なことを続けていたのか。
「好き……か」
ジョナサンが自分にそんな素振りは見せていなかったように思う。自分が気づいていないだけ、本当はあったのかもしれないが。
ずっとエリナが好きだと思っていた。
彼女が町を離れる前は、知り合ってから毎日のように遊んでいたし、再会をした時には、あんなに喜んでいたのだから。
自分はどうなのだろうか。
ジョナサンをどう思っているのだろう。
今の自分は。

ふと足を止め、周りの景色をよく見てみる。
過去のことに思いを馳せていたため、現実の自分のことを放っていた。
雨はもうやんでいて、雲の隙間からは月が顔を覗かせていた。
自分がいたのは貧民街の近くだった。
無法地帯になっているそこには、大人の男でも近寄らない。
ここにいてもいいことはないと、踵を返したが、それはすぐに阻まれた。
「こんなとこに一人でいるなんて危ね〜ぞ〜?」
「ギャハハ!オレらが家まで送ってやろーかぁ?」
目の前には二人の男。酔っ払っているのか、フラフラとしている。
身形からして、いい者たちではないことは、想像にたやすい。
こちらを見る目は、欲望で光り、醜い笑顔を浮かべ、下品な笑い声をあげて、自分の道をふさいでいた。
違う道に行こうと後ろに一歩、下がると、いきなり後ろから、腕が肩に回された。
「オレたちとイイコトして遊ぼうぜぇ、嬢ちゃん」
「そうそう、優しくすっからさあ」
違う男が二人。目の前の者たちとは、同じ部類なのがすぐ分かった。
「離せ、ゲスがッ!」
触れられているだけで、汚いものに侵食され、そこから腐り落ちていくのではないかと思った。
肩に手を回す男に、力を込め、腹に肘を食らわす。それは、見事にみぞおちに入ったらしく、うめき声をあげ、自分に回る手の力が弱まった。
それを振りほどき、走り出す。
「この、アマァ!」
追いかけてくるのが分かった。
捕まっては何をされるか分からない。いや、されることなんて決まっているが、考えないことにした。今は逃げることに集中しなくては。
女である自分が男四人も相手をするのは、分が悪い。
小路に入り、やり過ごそうとしたが、小さな段差につまずき、倒れ込んでしまった。
すぐに起き上がり、立ち上がろうとしたが、立ち上がれなかった。
「鬼ごっこは終わりだぜ?嬢ちゃん」
片足が掴まれていた。
「離せッ!汚い手で、わたしに触れるんじあゃない!」
どうにか逃げようと、地に爪をたて、手や腕を使う。無様な姿だろうが、関係はなかった。逃げなければ、この身が危ない。
しかし、女の力が男の力に敵うわけがなく、何も変わらずに髪が引っ張られ、顔が上げられる。
「優しくしてやろうって言うのによぉ」
「離せッ……!下賎な奴がわたしに」
「うるせえ!」
頬に痛みを受け、一瞬、意識が飛ぶ。
頬が熱く、痛い。涙が込み上げてきた。泣きたくはないが、そうしなければ、体が耐えきれないのだろう。
仰向けにされ、布が裂かれる音が耳に届く。肌が外気に触れ、寒い。
ナイフでドレスが斬られ、スカートの部分も破られ、脚が露出させられる。
「や、めろ……」
「可愛がってやるからよ」
肌に分厚い肉が触れる。悔しさや怒り、嫌悪感が這い上がる。思い通りになるかと暴れていたが、それも押さえつけられ、刃を首に突きつけられ、無駄な抵抗に終わる。
諦めという文字が頭を過った瞬間。
「てめえら、何してる?」
違う男の声が聞こえた。
「テメエには関係ねえだろ」
何者かに気を取られている、その機会を逃すはずもない。
「離せ!!」
手足は押さえつけられているため、声をあげるしかなかった。
「この女……!」
ナイフが振り上げられたと同時に、その男が横へと倒れる。ナイフは手から滑り落ち、かわいた音をたてて転がった。
見れば、背から血が出ていた。それは、何かに切り刻まれたような跡。
「女を犯そうなんざ、ふてえ奴らだぜ」
そう言った男が、帽子を受け止めた。柄の所に刃が仕込んであるらしく、月明かりでその刃が光る。ボサボサの長髪に、左頬に傷がある男だった。
自分を襲おうとしていた男たちは、標的をそちらに移したらしく、押さえつけていた手を離す。
「邪魔すんじゃあねえ!」
三人が彼に殴りかかる。
喧嘩は初めてではないらしく、うまく立ち回っていたが、やはり三人相手では、部が悪く、後ろから羽交い締めにされ、殴られる。
「グッ……あんた、逃げろ……!」
帽子に仕込んでいるものも、近距離では役に立たないらしい。
何かないかと周りを見る。自分に突き立てられたナイフがあった。それを握りしめると、彼に殴ろうしている男の背に突き立てる。
叫び声をあげ、刺された男は痛みに転げ回る。
「あんた……逃げろって!」
「やり返せねば、わたしの気がすまん」
それほど、腹は煮えくり返っていた。
「女だと思って侮るなッ!」
ナイフを構え、もう一人に斬りかかり、腕に突き刺したが、笑ったのが分かった。怯むこともなく、腕を犠牲にしたのだ。
もう一方の手が自分を払い、後ろに倒れる。
その衝撃に息が一瞬、詰まる。
背中の痛みを感じながらも、起き上がろうとしたが、後ろから髪が引っ張られ、それは叶わなかった。
最初に倒れた男が髪を掴んでいた。意識を失っていただけで、死んではいなかったらしい。
「ぐぁ……!」
こちらに気を取られたらしく、彼が肩にナイフが突き刺されていた。
怯んだところを殴られ、自分の前に倒れる。
「……あんた、だけでも……」
そう言った彼の顔が蹴られた。
自分はまた地に押さえつけられ、首をしめられていた。
「声が聞けねえのは、残念だがな……」
自分の首を掴む腕に、爪をたてたが何も変わらない。
酸素がなくなりつつある頭で、ぼんやりとジョナサンのことを考えていた。
辱しめを受けるなら、その前に全てを彼に捧げたかった。
自分を認めてくれた彼に。
あの時の口づけが初めてで、正直、不愉快とは思わなかった。
あの腕の中を、体温を、今ではとても恋しく思う。
彼の名前を呼んだが、口も動かず、声も出なかった。
「ガハッ……」
首を締める力がなくなり、空気が肺に送られる。むせながら、閉じていた目を開ける。
視界は滲み、よく見えない。
誰かが自分の前に立っている。
「何をした?」
怒りがまじるその声に、自然と涙がこぼれた。
「彼女に、ディオナに、何をしたーッ!」
彼がいる。ジョナサンが自分の前に。
幼い頃に、自分にやり返しにきた悪ガキ相手に苦戦していると、怒った彼がやってきて、助けてくれた時があった。
その時のようだ。彼は怒ると、尋常ではない力を発揮する。
起き上がった頃には、彼は自分を襲った男たちを、全て地にふせさせていた。
「ディオ!」
彼は、上着を脱ぐと、自分に着せる。その上着は濡れていたが、残るぬくもりはあたたかい。
「ぼくが、もう少し早く見つけていれば……」
悔しそうに言う彼は、自分が汚されたのだと勘違いをしているようだった。
「殴られただけだ……それ以上は何もされていない」
「……本当に?」
疑念の視線。証明しろと言われても、難しい。言葉で伝えるしかない。
「本当だ。あいつが、助けてくれてな」
男たちが倒れている中にまざる彼を指す。
ジョナサンに支えてもらいながらも、彼に近寄っていく。
「酷い怪我だ……」
肩からは血が出ており、顔も腫れていた。
「おい、大丈夫か……?」
呼びかけても、返事はない。
「ジョジョ……こいつ……は……わたしを……」
助けてくれたのだ。だから、助けなくては。
「分かった」
体を忘れていた疲労感が襲う。
「ディオ?」
ジョナサンに寄りかかる。冷たい、熱い。よく分からない。
ジョナサンが何か言っているようだったが、雑音のようにしか聞こえなかった。
目を閉じ暗闇の中で、意識を手放した。



3

自分は花畑にいた。
横にはエリナ、逆にはジョナサンがいた。
その姿は今より幼い。
幼い頃の記憶だとすぐに分かった。
目の前のランチボックスには色々なお菓子が詰められていた。それは、自分たちが持ち寄ったものだ。
花畑にピクニック行こう。
エリナにそう言われ、三人で来たのだった。
お菓子に二人の手がのび、食べたいお菓子を取る。
「食べないの?ディオ」
「お腹空いてないのかい?」
二人が、お菓子を手に取り、自分の手へとのせる。
チョコレートとクッキーだった。
腹は空いている。それを食べると、甘さが口の中に広がる。
「ねえ、食べ終わったら、花冠作りましょ」
エリナの提案で、花冠を作ることになった。

お菓子も食べ終わり、花冠を作っていた。
エリナに教わりつつ、作っていたが、ジョナサンはうまくできないらしく、一人手間取っている。
「お前は不器用だな」
「難しい……」
「簡単よ、これをこうして……」
エリナがジョナサンに教えている間に、自分が作っていたものができた。
「エリナ」
花冠を彼女の頭にのせる。
「礼だ」
「あら、ありがとう!ディオ」
エリナは笑う。太陽のような笑顔。少女らしく、咲いている花のように可愛らしい。
彼女のような見た目なら、自分はもう少し、女性らしくできたのだろうか。
「ジョジョも頑張らなきゃね」
「うん」
「さっさとしろ、日が暮れるぞ」
彼が作るのを見ていたが、やはり遅かった。
ジョナサンが花冠を作る終わる頃には、自分は人数分の花冠を作り終わっていた。こんな簡単なものを、さっさと作れないのだろうかと疑問に思う。
「はい、ディオ」
頭に彼が作った花冠がのせられた。
「似合うよ」
笑顔で言われた言葉に、顔がひきつる。
エリナのように可憐であれば、似合うが、自分はそれとかけ離れている。
「わたしを馬鹿にしているだろう?」
「してないよ!」
にらみ合っていると、エリナが仲裁に入ってくる。
「もう、喧嘩しないで!はい、ジョジョにも」
彼女はジョジョの頭に花冠をのせる。
「あ、ありがとう、エリナ」
「これで、皆、おそろいね」
花冠を取ろうとしたが、エリナがこのままで帰ると言い出し、渋々だが、そのままで三人で帰った。

あの時、ジョナサンが花冠をエリナに渡さず、自分に渡したのは、そんな気持ちがあったのかもしれない。
エリナがすでに花冠をしていたからという理由も捨てきれないが、自分が暇潰しで作った花冠を彼は大事そうに持って帰っていた。
一つは土産として父に渡していていたが、もう一つはどうしたのか分からない。
枯れるまで大事にしていたのだろうか。
自分が作ったものだからだと。
ジョナサンに聞こうにも、この記憶は今の今まで忘れていた。彼も忘れているかもしれない。

目を開けると、見慣れた天井。
ディオが横になっているのは、自分のベッドだ。
帰ってきたのだと、安心する。
手を動かそうとすると、片手が何かにつかまれているのが、分かった。
そちらを見れば、ジョナサンがベッドに突っ伏し寝ていた。自分の手を握ったまま。
彼がここまで運んでくれたのだろう。気絶してから自分は何も知らない。
何か聞きたかった気がするのだが、思い出せない。忘れてしまうのだから、それほど大事なことではないだろう。
彼を起こさないよう手をゆっくりと引き抜く。ぬくもりがなくなり、冷たい空気が手を包む。
手から指先が離れていくときに、先から糸をひくようにそのぬくもりが後をひいた。また触れたい衝動にかられたが、それを抑え込みベッドを押し、起き上がる。
部屋を見渡す。何も変わっていない自分の部屋。カーテンの隙間から柔らかな光が差し込んでいた。
夜は明けている。
ジョナサンに視線を移す。
心配でここにいたのだろうか。彼には毛布がかかっていた。
自分が着ている服は違うものになっていた。あのボロボロで濡れた服のままでいさせないだろう。
着替えさせたのは、彼ではないのは確か。女性の使用人の誰かだろう。
頬に手を当てる。何もない。痛みもひいているようだ。
部屋の扉がゆっくりと開く。
入ってきた使用人が、こちらを見ると、持っていた物を床に落とし、床に散らばったものを拾うことも忘れてしまったらしく、口に手をあて、目を見開いたまま震えていた。
「……ん」
落ちた音に反応したのか、ジョナサンがゆっくりと起き上がる。
こちらを焦点があっていない目が見た。
「……ディ、オ……ディオナ……!」
「その名を呼ぶなと、何度言えば……」
彼が飛びついてきた。
苦しいほど抱きしめられる。
「よかった……!目を覚ましてくれて……!」
「……?」
ただ目を覚ましたにしては、大袈裟すぎるように思う。
使用人が呼びに行ったのか、屋敷にいる使用人たちが自分のところへとやってきた。
皆が良かったと喜んだり、感極まって泣いている。
ただ自分一人だけが、状況が読み込めずにいた。



4

自分は一週間、眠ったままだったらしい。
あの日は、大騒ぎになり、大変だったという。ジョナサンは気絶した自分ともう一人、助けてくれた彼も連れ帰ったためだ。
彼は怪我はしていたが命に別状はなく、自分は高熱を出したらしく、それが治った後もこんこんと眠り続けていた。
ジョナサンは毎日のように、暇があれば自分のそばにいたという。
彼がそばにいたことは、こっそりと使用人が教えてくれたことだった。

父のお付きの医者が、自分の診察を終え、部屋を出ていき、入れ替わりにジョナサンが入ってきた。
「体調はどう?」
「大丈夫だ。医者も大丈夫だと言っていた」
医者が座っていた椅子に彼は座り、微笑む。
「よかった」
「毎日、様子を見に来ていたと聞いたぞ」
彼は、その言葉を聞くと、顔を赤くする。
聞かれる前に、使用人に聞いたと教えれば、彼はますます顔を赤くした。
「……このまま、目を覚まさないかと思ったんだ」
少しの沈黙の後、彼が呟いた。
「父さんも病でふせているし、もしかしたら、君が……」
言葉を切る。最悪の予想をしていたのか。そんなに軟弱ではないが、一週間も目を覚まさなければ、そう考えもするだろう。
「ぼくの家族は、父さんと君しかいない……」
手を取られ、握られる。それは、力強く。
「君が……いなくなってしまうんじゃあないかと不安だったんだ……」
そう言う彼の目尻には涙がたまっていた。
「大袈裟だな」
笑って言うと、ジョナサンは少し怒ったようだ。
「ぼくは本当に心配だったんだ!」
「ああ、分かっている」
だから、ジョナサンは泣いている。
父も母も、自分にはもういない。血が繋がった家族はもういない。
自分には、ジョナサンとジョースター卿しか家族はいないのだ。
「失礼します」
使用人が部屋に入ってきた。
「お客様がいらっしゃったのですが……」
握られていた手を引っ込め、誰かと聞くと、エリナとスピードワゴンだと言う。
スピードワゴンは初めて聞く名だが、ジョナサンは知っているらしく、両名こちらに通すように言う。
使用人が出てすぐに、扉が勢いよく開いた。
「ディオ!」
エリナは部屋に入ってくると、一目散にこちらに走り寄ってくると、飛び込んできた。
同じことをジョジョにされたと、内心思っていた。
「よかった!本当に……!目を覚まさないかと……思ってっ……!」
その後の言葉は、よく聞き取れなかった。泣き声に変わっていったからだ。
「もう大丈夫だ。心配をかけたな」
安心させるよう、背中を叩く。
「目、覚ましてよかったですねぇ!」
その声には、聞き覚えがあった。
あの時、助けてくれた男がいた。
「お前は……」
「お、そういや、自己紹介がまだだったな。おれはロバート・E・O・スピードワゴン。ああ、あんたのことはジョースターさんから聞いてるよ」
彼は頭に包帯を巻いていた。まだ傷は完治していないらしいが、彼は元気そうだった。
「スピードワゴンさんとジョジョが、あなたの高熱を下げるための薬を探してくれたのよ」
ようやく泣きやみ、抱きしめるのをやめたエリナが、彼らが自分のためにしたことを興奮気味に教えてくれた。
高熱を出した自分は、危ない状態だったらしく、二人のおかげでこうやって目覚められたのだと。
その間の二人は照れ臭そうにしていた。
「いや、ジョースターさんが頑張ったからですよ」
「スピードワゴンがいい薬屋を紹介してくれたからだよ」
二人で誉めあいをしていた。
呆れたようにそれを見つめていたが、言わなければいけないことがある。
「ジョジョ、エリナ、スピードワゴン」
三人の名前を呼ぶと、こちらを見る。
「……ありがとう。心配を、かけたな……」
その言葉に驚いていたのはジョナサンとエリナだった。
「ま、まだ熱があるのかい?」
「ディオ……まだ具合が?」
二人が心配してくる。スピードワゴンはその光景を不思議そうに見ていた。
自分でも珍しい言葉を吐いたと思う。付き合いが長く、自分の性格を知っている二人が素直に受け取ることはしないだろう。
しかし、自分は、恥ずかしさを捨て言ったのだ。
「人が素直に感謝したら悪いのか!」
怒りが沸き上がって声をあげる。
二人は首を横にふり、自分を宥めようと言葉をかけてくる。
「落ち着いてくださいよ。三人とも」
騒いでいた自分たちをスピードワゴンが宥める。
そろそろ自分を休ませようと、三人が部屋から出ていく。
「あ、ディオ」
出る時に、ジョナサンに呼ばれ、彼を見る。
「父さんが心配していたから、体調が大丈夫なら顔を見せてあげて」
そう言って彼は部屋を出ていく。
起きたのだから、ジョースター卿の耳には入っているだろうが、顔を見せて安心させねば。
心配で病が重くなる可能性もある。
ベッドから出ると、服を着替える。
すぐに行こうと思ったが、その前にジョナサンに確かめたいことがあった。
二人を見送ったジョナサンが階段を登ってきていた。
「ジョナサン」
名前を呼ぶと、彼は面食らっていた。
「いや、ジョナサンって……」
「い、いや、あの、ジョジョ」
つい口に出たが、なぜ、そちらの名前を呼んだのか分からない。
「話がある」
「じゃあ、ここではなんだし、僕の部屋に行こう」
ジョナサンの部屋に行くことになった。

「話ってなんだい?」
扉を閉めながら、ジョナサンは聞いてくる。
「……あの時の話だ」
覚悟を決め、勇気を絞り出すように、拳を握った。
「あの時って、ぼくが君に……告白したこと?」
自分の目の前にきた彼は笑っていたが、少し顔が赤い。
「そうだ……その気持ちは変わったか?」
「変わってないよ」
さらりと彼は言う。
「なんだい?結婚してくれるのかい?」
「ああ」
冗談で彼は言ったのだろうが、返事をした自分は大真面目だった。
「へ……?」
情けない声を出す。
「だから……夫婦になってやろうと言うのだ」
目をそらす。彼の顔は見れなくなる。
「本当?気まぐれではなくて?」
「……気まぐれじゃあない」
「本当に本当?」
「本当だ」
「からかっているんじゃあないよね?」
「本当だと何回、言わせれば……!」
それは、確かめる行為なのだと理解したけれども、言っている自分としては、何回もくりかえすことはとても恥ずかしい。
いきなり、黙ったので、彼を見るとうつむいていた。
どうしたのだろうと、顔を覗き込もうとしたが、彼は顔をあげた。
「ありがとう!!」
上ずった声でそう言うと、抱きしめられた。 嬉しそうに自分の名前を繰り返している。そのはしゃぎぶりはさながら、子供のようだ。
「ディオナ」
「……なんだ」
名前の呼び方に不満があったが、無視をすることにした。
「愛してる」
改めて言われると、やはり恥ずかしい。
うつむいていると、抱きしめられるのをやめ、笑い声が降ってきた。
「言ってよ、ねえ」
とてもゆっくりと頭を撫でられる。
催促されていることが、分かった。いつまでも、待つと言わんばかりに毛先を指に巻き始める。手持ちぶさたなのだろう。
言わないといけないのだろうか。
顔を上げ、彼の頭を掴む。
こちらに引き寄せ、唇に唇を押しあてた。
「これが、答えだ」
呆けている彼を置いて、ジョースター卿の部屋へと向かった。

ジョースター卿は起きており、本を読んでいた。体調はいいらしい。
こちらを見ると、本を置き、優しく微笑む。
「ディオ、もう大丈夫なのだな?」
「はい。心配をおかけしました」
心労を増やしてしまったことだろう。これでは、治るものも治らない。
「お義父様、ジョースター家はわたしとジョナサンで支えていきます」
その言葉で彼は分かったようだ。
「傍でずっと見守ってくださいね。お義父様から、教わることはたくさんありますから」
大きな手を両手で握る。
「ありがとう……ディオ……」
頬に一筋の涙が流れた。
引き取ってもらった恩がある。
命の恩人でもない、他人の娘を何も言わずに。
最初は、利用できるならと思っていたが、今は。
「いいえ。わたしの方こそ、ここまで育てていただき、ありがとうございます」
それは、素直な気持ちだった。



5

それからは慌ただしかった。
ウィル・A・ツェペリ男爵という者が訪ねてきて、ジョナサンが研究している石仮面の危険性を説かれ、破壊することになった。
ジョナサンは学校を卒業の後は、その時に知り合ったツェペリのもとで波紋というものの修業をし、瞬く間に習得していた。
そして、結婚。そのすぐ後に、二人の晴れ姿を見たからなのか、ジョースター卿が亡くなり、葬式はしめやかに行われた。
計画していたハネムーンは、中止となったが、それでもジョナサンとディオは幸せそうだった。


それから、数年――。


「どこにいるんだよー?」
黒髪の少年は、辺りを見回しながら、歩いていると、上から呼びかけられた。
「こっち!」
三つ編みをした少女が木の上で手を振る。
「危ないから、降りておいでよ」
「登ってきなさいよ。いい眺めよ!」
少女は少年の言葉を無視し、そこからの風景を楽しんでいるようだった。
「スカートの中、丸見えだよ……」
下からだとドロワーズが見えているが、気にしていない。
「それがどーしたの」
「それは、レディーとしてどうなんだ?」
少年の後ろに帽子を被った長髪の男がいた。
「スピードワゴン!」
「ねえ、受け止めて!」
そう言うと少女は、ためらわずにそこから飛び降りた。
スピードワゴンは慌てて木の下まで行くと、落ちてきた少女を受け止める。
「ディーナ、そんなにおてんばだったか?」
「フフッ、父様も母様も元気がいいと褒めてくれるわ。久しぶりね!」
ディーナに抱きつかれ、スピードワゴンは頬を緩ませる。
「久しぶり。大きくなったなあ、ジョージも」
「はい、お久しぶりです」
ディーナをおろし、ジョージの頭を撫でる。
「おーい」
屋敷の前で、手を振る者がいた。
「ジョースターさん!」
「父さん!」
「父様!」
三人がジョナサンの元へと掛けていく。
「久しぶりだね。スピードワゴン」
「久しぶりですね。元気でしたか?」
「うん。君も相変わらず」
「ようやく、着いたか」
扉が開き、女性が出てきた。
「相変わらずそうだな、スピードワゴン」
「相変わらずそうですね、ジョースター夫人」
「ほう、元気そうで何よりだ」
二人とも笑顔だが、周りに流れるのは険悪な雰囲気だ。
子供の前だとジョナサンが間に入る。なぜか、この二人はあまり仲はよくない。
「あれ、エリナさんは?」
スピードワゴンは、辺りを見回す。
「まだなんだ。もうすぐ来ると思うよ」
「スピードワゴン、お話聞かせて!」
「今日はどんなお話してくれるの?」
急かすようにジョージとディーナは、スピードワゴンの腕を引っ張り、屋敷へと入っていく。
「やっぱ、双子だなあ」
二人は似ていないが、双子だ。
しかし、好奇心や行動力は人一倍ある。どっちに似たのだろうか。両方かもしれない。
「エリナはまだか……」
心配そうにディオは門を見る。
「もう少ししたら来るよ」
ジョナサンは彼女の腰に手を回すと、共に屋敷に入っていった。

エリナは少し時間が経ってからやってきた。
「遅れてごめんなさいね」
「いや、よく来てくれたな」
「ディオが事故にあっていないか、心配していたよ」
「まあ、ありがとうディオ」
エリナは笑顔を向けたが、ディオは顔をそむけた。少し頬を赤くしながら。こういうところは、大人になっても変わっていない。
「エリナ……さん、お久しぶり……です」
「スピードワゴンさん……お久しぶりね」
疲れ果てているその姿にエリナは少し心配になる。あの双子の相手をしていたのだろう。
「エリナさん!」
「エリナさん、こんにちは!」
二人はエリナのもとに来ると、頭を下げる。
「こんにちは。ジョージ、ディーナ、あなたたちにお菓子を焼いてきたのよ」
実はこれで遅れたのだと、エリナは言う。
彼女が持ってきてくれたのは、焼き菓子の数々。
お菓子をもらった子供たちは、お礼を言うと、また外へと飛び出していく。
「元気ね」
「びっくりするほどね」
「お菓子は、まだあるのよ」
子供たちにあげたのは、一部らしく、彼女が持つバケットにはまだ沢山のお菓子が入っていた。
「ふむ。では、お茶の準備をしよう」
「お!いいねえ」
大人たちはお茶の時間となった。

この集まりは、定期的にある。
スピードワゴンは世界中を旅して、あまり集まりには来れないが、エリナはディオの話し相手として、よく来ていた。
「わたし、子供ができたの!」
そう言ったエリナはとても幸せそうに笑う。
エリナも結婚し、夫がいる。
「それはめでたいな」
「おめでとう!エリナ」
「旦那さん、知っているんですよね?」
「ええ。今から名前を考えているわ。まだ、男の子か女の子か分からないのにね」
おかしそうに彼女は笑う。
「女の子ならエリザベス、男ならエレン……って、楽しそうなの」
「ぼくもそうだったなあ」
ジョナサンは、その時のことに思いをはせる。
子供ができたと聞いて、一番はしゃいだのは夫で、身籠った本人はとても冷静だったのだ。
「毎日のように、これはどうかと聞かれ続けうんざりしていたな」
名前の候補を、毎日のように見せられ、落ち着けと怒ったときもあった。
その後は、ディオが先輩として色々と教え、ジョナサンとスピードワゴンは、近状を話し合い盛り上がっていた。

「大人は大人たちの時間が必要だよね」
「邪魔しちゃあダメよね」
ジョージとディーナは、二人で木を背に座り、お菓子を頬張っていた。


  →おまけ





後書き
予想以上に長くなりました
エリナの夫は、察してください
ディオが女性になるとヒロインポジションを華麗にさらっていくと思います
同性ということで、エリナとも仲がいい
そして、ハッピーエンドになると思います
書いてて楽しかった
本当に楽しかった




開始 2013/04/30


完結 2013/05/24



BacK