大切な記憶は
姉、マリーが斬られた。俺の名前を叫びながら。俺を庇って。
メイドが出てきて、守ろうと次々と刃の餌食に。
次の瞬間に強烈な血の匂い。息が上手く吸えなくなる。
あまりにも目の前の光景が残虐過ぎて、叫ぶ事もできなかった。
マリーが倒れてきて、覆い被さった。生あたたかい液体で服が濡れていく。
少し震える腕が体に回ってきて、ゆっくりと抱きしめられる。
「ガルディオス家の跡取りを護れたなら本望だわ……」
耳元で聞こえたその言葉の後は、次々とメイドがマリーのように覆い被さってきた。
大量の血が降り注いで、もう血の匂いしかしない。
自分を包んでいる温もりがなくなっていく。
そこから抜け出そうにも、皆の体重とマリーの腕が絡みついていて、動けない。
寒い。
怖い。
助けて。
声にならない声で悲鳴をあげた。
「――!」
目を開くと、眠る時に見た少し古ぼけた天井。
ゆっくり起き上がると、汗が頬を伝って落ちる。全身が濡れていた。
「ゆ……め、か……」
これで、何回目か。あの夢で起きるのは。
女性恐怖症の原因の抜け落ちた記憶。取り戻し、少し克服できたのはいいのだが、頻繁に記憶の夢を見るようになった。
大切な記憶のはずなのに、今では悪夢だ。
こんな後に寝る気にはなれない。今日で何日目か。お陰で睡眠不足。まだ、顔には出ていないが、そろそろ出てきてしまうだろう。
なんとかして寝ようと、考えながら、ベタつく体をどうにかしようと、浴室に向かう。
今日は一人部屋だ。記憶を取り戻してからは、一人部屋になっている気がする。配慮されているのかは、よく分からないが。
仲間に心配はかけたくない。今は一番忙しい時だ。重荷は増やしたくはない。
水の冷たさが気持ち良い。いつまでも浴びていたいが、風邪をひいてしまっては、どうもこうもない。シャワーを止め、脱衣所で体を拭く。
髪もあまり乾かさないまま、服を来て、部屋に戻ると、
「お邪魔してますよ、ガイ」
ベッドに座っているその人は、にこやかな笑顔を向けてくる。
「こんな時間に何か用か?」
苦笑して隣に座ると、髪を触られた。
「こんなに濡れたままでは、風邪をひきますよ」
話題を逸らされたのもお構い無しに、スタンドの引き出しからタオルを取って、ジェイドに投げ渡す。
「拭いてくれ」
「子供ですねぇ」
嫌味なのだろうが、無視して椅子を持ってきて、ジェイドの正面に座ると、髪を拭き始める。
「何か用なのか?」
話を元に戻す。
タオルで視界が遮られ、片方の目でしか見えない。それでジェイドを見るが、いつもの笑顔。
「心当たりはありませんか?」
やはりと、思った。隠し事は彼にはできない。
「今のところは変わりはないですが、後々、迷惑をかける事になりますよ」
「なんで分かったんだ?」
悪夢に魘されるようになっても、ジェイドには普通に接していた。日常生活にもまだ支障はきたしていない。
「いきなり、誘いがこなくなりましたから。気づかない訳がありません」
笑ってそう言うと、ジェイドは拭くのをやめ、タオルを机に置く。遮られていた視界に飛び込んできたのは、ジェイドの白い手。いきなり、夢で見た光景と重なった。
「ぅ……っ……」
嗚咽。ジェイドが心配して体に触れてきたが、それも振り払う。
自分を守るように、自分を抱く。
「あ……あ……」
蘇ってくる血の臭い。耳の奥で悲鳴が、こだましていた。
「ガイ、しっかりしなさい!」
両頬に手を添えられ、顔を上に向けられた。
心配そうな表情と、紅い目。怯えた自分が瞳の中に見えた。
「私は男ですよ」
頬を離れた手が自分の手を包むように握る。細いが少し固い、女性の手とは違う男の手だ。
そして、あたたかい。
「ほら、違うでしょう」
安心させようとしているのか、とても柔らかく笑っていた。
立ち上がれば、彼は手を離す。不思議そうな表情でこちらを見ていた。
「ガイ……?」
ジェイドに近寄り、背中に腕を回し、胸にかき抱いた。そのまま、ベッドに倒れる形となる。
温もりを求めて。離すまいと、力強く。夢中で名前を呼んだ。
気づくと、頭を撫でられていた。まるで子供をあやすように。
「私はここにいますから、安心してください。いい大人がなに泣いてるんですか」
言われて、頬に伝わるものに気づく。手で拭われるが、止まらない。
「本当に、子供ですね」
また、抱き寄せられ、頭を撫でられる。
ありがとうと言えば、どういたしまてと、笑いを含む声で返ってきた。
目を閉じ、伝わる温もりを感じる。自分のそばにいる人は、こんなにも、あたたかい。
安心すると、眠気が襲ってくる。瞼が重い。
触れる温もりをより一層、抱きしめ、まどろみに身を任せた。
頬に何か触れて、目を覚ました。
ぼやける視界に、赤。
頬が軽くつねられる。痛くはない。その指の動きは、感触を楽しんでいるようだった。
「おはようございます」
頬に触れる指が離れていく。
「……おはよう」
閉じていく瞼。まだ、眠いと訴えている。
「よく眠れましたか?」
「ああ……でも、まだ眠い……」
夢は、みなかった。
「まだ、寝ていても大丈夫です」
そう言いつつ、横で動く気配がしたため、無理矢理、目を開ければ、ジェイドは体を起こし、ベッドから出ていこうとしていた。
「待って、くれ……」
引き止めるために、彼の腰へと腕を回し、すがりつく。
一人になるのは、寂しかった。
「いてほしい……」
返答はなかったが、動きが止まり、頭を撫でられた。
また目を閉じていく。
この後、悪夢をみることはなかった。