戦闘開始
火の調整だけでは、睡魔が襲ってくる。眠気覚ましに風に当たろうと崖の上に立つ。夜風が気持ちいい。
「旦那!」
いきなり、後ろから手を引っ張られ、驚いて振り向くと、必死な顔をしているガイがいた。
「どうしたんですか、ガイ」
なぜ、彼が必死なのか分からず、首をかしげる。
「あ、いや、見張りの交代しようと思って」
「そうですか」
強く握られてる手を見る。どうやら、場所が場所だけに、早とちりをしたようだ。
「と、飛び降りるんじゃないかと思ってさ」
気付いたガイは手を離すと、恥ずかしそうに頭をかく。
「そんなことしませんよ」
笑って、また、崖からの景色を見下ろす。木々ばかりで、つまらない。
ガイも同じように横に立つと、景色を眺める。
「崖の上に立ってたから、つい」
「大丈夫です。見張りも続けますから、ガイは寝てください。疲れているでしょうから」
野宿すると言うと、駄々を捏ね始めたお坊っちゃまを、上手く宥めさせたのは、ガイだ。
幼いアニスも体が弱いイオンさえも文句一つの言わなかったのに。温室育ちにはキツいものだろうが、この野宿は疲れたと言いだしたルークの為に、やむを得ずやったものだ。
「俺はいつものことだから、大丈夫さ」
その笑顔は、些かも疲れを感じさせない。若いからだろうか。
「旦那も疲れてるだろ、少しは体を休めた方が」
一日寝なくても、どうということはない。慣れない野宿はガイもだろう。貴族の使用人がこんな経験をしているとは考えられない。
「大丈夫ですから。お気遣い、ありがとうございます」
笑顔で拒否をする。
若い戦力に倒れられてもこちらは困る。しかも、誰が、あの世間知らずの坊っちゃんの世話するのだ。
「じゃ、一緒にするかな。眠たくなったら言ってくれよ」
随分と食い下がる。明日、寝不足で足をひっぱることがあったら、思う存分、からかってやろう。
「見張りが離れても良いのか?」
ガイは振り返って、皆が寝ている場所を見る。
「すぐ傍ですし、ここの魔物は強くないですから」
火を焚いている間は、魔物は近寄ってこない。パチリと木が弾ける音がした。
「そうですかー」
緊張感のない声を出す。
「心配なら戻ればいいじゃないですか」
「いや、ジェイドがここにいるから」
飛び降りたりはしないと、言ったはずなのに。
「まだ心配してるんですか?」
「いや、俺」
視線がこちらに向いていることに気づく。
真剣な眼差しに目が離せなくなる。
「ジェイドのこと好きだから」
言われた言葉は聞こえないふりをしようにも、距離が近すぎた。
「ありがとう、ございます」
女性以外に初めて言われた。嫌われてるよりは、好かれていた方がいいが、こんな性格が悪い人間を好くのは、どうかと思う。
「いや、ただ好きっていう訳じゃなくて、恋愛……感情?」
笑顔が張り付く。やはり、ガイは。
「……そういう嗜好を持っていたんですね」
女性恐怖症では、しかたないのかもしれないが。
「女好きだ!」
前にも聞いた事がある台詞は、説得力がない。
「でも、私は男ですよ」
見た目はどう見ても男だ。身長だって変わらない。
「ジェイドが、好きなんだ」
言葉をなくした。
恥ずかしがらずにサラッと言われた言葉に。
「私は女性が好きですから、お気持ちにはお応えできませんよ」
そう言うと、ガイは笑う。
「そう言われると思った」
答えは分かっていたようだ。
「でも、俺の気持ちは変わらないから」
失恋したのだから、その気持ちを新たな恋にでも向けてほしい。
小さくため息をつく。
「諦めないけど、旦那に迷惑かけないよ」
それならば、その気持ちは消しさってくれ、と思う。
「見張り、代わってくれるんですよね?頭が痛いので少し寝ます」
居心地が悪い。逃げるように寝床に行く。
「ああ、分かった」
「おやすみなさい」
振り返ると、ガイは笑っていた。
「おやすみ、ジェイド」
その声には甘い響きが含まれていた。
彼は諦めないのだろう。叶わない恋だとしても。
自分に愛される資格がないとしても。
寝床に行くと、見事にルークに占領され、毛布も奪われている。叩き起こしてやろうかと思ったが、文句を言われるのも面倒だ。今はガイの言葉で本当に頭痛がしそうなのだ。
隅に寄り、腰を落とす。
眠るつもりは毛頭なかった。ただ、あそこから逃げたかっただけ。今や、眠れそうにもない。
彼は多分、厄介な人物に恋をしている。
使用人としては、磨かれた剣技。それは珍しい剣技だ。
卓上旅行と言いつつもマルクトの地形にも詳しかった。
予想が正しければ、だが。あまり当たってほしくはない。
本国に帰って調べれば、分かることだ。
それと、あの台詞。
「復讐、か」
あの剣が、今は敵に向かって振り下ろされる刃が、自分の首に突き立てられる日が来るのだろう。
あの熱を持った目が憎しみを湛えて。
それは、少しだけ悲しいと思ってしまう。
ガイに同情しているのか、他の何かは分からないが。
「……!」
肩を叩かれ、意識を浮上させた。
重い瞼を開けると、ガイが目の前にいた。心配そうな表情で。今度は何の心配をしているのだろうか。
「おはよう、旦那」
「……おはようございます」
いつの間にか眠っていたらしい。占拠していたルークもいない。表が騒がしいのは、皆、起きているからなのだろう。
「旦那が一番、遅いのも珍しいな。やっぱり、昨日は無理してたのか?」
心配している理由はこれかと思っていると、顔が近づいてくる。そう言うガイには少しクマがある。
「いえ、ガイのおかげで眠れましたよ」
また、笑顔を作る。ガイのおかげで一番、遅いのかもしれないが。
「そうか、それは良かった。皆、朝食の準備してるから」
顔を離し、立ち上がる。早くしろよと出ていくガイを呼び止める。
「なんだ?」
なぜか、嬉しそうだ。昨夜の事を思い出し、初めての恋をしている乙女のようだと思った。
「私は、ガイのことが嫌いです」
胸が痛い。男性に好意を持たれるなんて、嫌悪感しかないはずなのに。なぜ、こちらが傷ついているのだ。傷つくのはガイの方だろう。
しかし、これが一番、彼を遠ざけるには良い方法だ。
本当に怪我をしてしまう前に。
呆けたようなガイは口を開いたままだ。
「諦めてください」
追い討ちをかけるように言葉を畳み掛ける。
「正直――」
言葉の途中でガイが出ていってしまった。追いかけて、出た瞬間にティアとぶつかりそうになる。
「ど、どうしたんですか、大佐?ガイも……」
辺りを見回しても、ガイはいない。
「すみません、ガイはどちらに?」
「それなら、そっちに」
指された方に走りだす。後ろからティアが何事かと声をあげる。何でもないと返し、鬱蒼と生えた草を掻き分け、入っていく。
すぐに開けた場所に出た。
一人で立っているガイは後ろ姿だけを見せて、寂しそうだ。
ゆっくりと近づいていく。触れられる位置までいくと、腕を伸ばす。
「なあ、ジェイド」
「なんでしょう?」
触れる直前で止めて、腕を下ろす。今、触れてはいけない気がする。
「やっぱり、俺はあんたに嫌いと言われようが、好きなんだ」
振り返らないまま、ガイは続ける。
「一目惚れなんだろう。初めて会ってから、無意識に目で追いかけていたから。喋るだけでも嬉しかった」
初々しい。本当に恋する乙女のようだ。
「傍にいるだけで良かった。本当は告白しないつもりでいたんだ。でも、あんたと二人っきりになった時に言わないといけないと思った」
交代すると言った時に断らなければ、こんなことは起きなかったのかもしれない。しかし、問題を引き延ばしにしているだけか。
「ジェイドなら告白した後でも、普通に接してくれるだろうって」
内心は複雑だが、今は団体行動中だ。規律を乱すことはしない。
「返事は予想通りだった」
ようやく振り向いたガイは、悲しそうだった。
「でも、ジェイド、自惚れでもいいんだが、あんた俺のこと嫌いにはなってないだろ」
何を言い出すのか。はっきりと言ったはずだ。嫌いだと。
「あんな表情、初めて見た」
どんな表情をしていたというのだろう。あの時は笑みだったはずだが。
「辛そうなのに、笑ってた」
見透かしたようにガイが言う。
「そう言わないといけない理由は予想はつく」
同性だから。それもあるが、複雑な事情だ。まだ予想の範囲だが、このままだと、ガイが苦しむことになる。
「でも、俺はジェイドを」
「正直に言いますが、気持ち悪いです。同性に言い寄られて、私は喜びません」
言葉を遮るように言ったが、ガイは悲しそうに笑うだけ。
「もう、いい」
「私は貴方がきら……」
いきなり腕を引っ張られ、背に片腕が回り、密着する。触れた体温は熱く、これは、駄目だと、必死に抵抗し、離れようとする。
「離せ!」
言葉を丁寧にする余裕もない。離れようとしているのに、離れない。肩を押しても、身をよじっても変わらない。
視線が重なったガイの目が酷く冷たく、息を飲む。
その刹那、唇が重なった。
「ッ!」
後頭部に手が回り、離せない。酷く息が苦しいが、息の仕方を忘れたように息が出来なかった。
抗う力もなくなり、大人しくすると、ガイはようやく唇を離す。
空気を確保しようと、急激に吸い込んだ為、噎せる。
「なあ、俺のこと好き?」
「きら……い…だ」
途切れ途切れに紡いだ言葉にガイは呆れていた。素直じゃないなと。
「嫌いでも、好きにさせてみせるさ」
掴んだ手に指を絡ませてくる。逃げれない。そう直感的に思った。
これが罰なら、甘んじて受けよう。
いつか、その時が来てしまったときは自分が全てを背負って。
「やれるものなら、やってみなさい」
手を振り払い、彼を突き放す。
唇を拭い、彼に背を向け、皆のもとへと戻る。
声をかけられたが、それも無視をして、足を早めた。
ガイは待ってくれとジェイドの背中を追いかけつつ、この男をどう落とすか考えていた。