暑さにやられて
「おい、ガイラルディア、今日は雪が降るぞ」
書類を真剣に見つめるピオニーを一瞥し、ブウサギのブラッシングを続ける。
「降るなら降ってほしいですよ、この暑さも収まるでしょうから」
なにもしなくても、部屋にいるだけで、汗が頬を伝う程だ。この際、雨でも降ってくれないだろうか。喜んで浴びに行く。
「あいつが、ジェイドが午後から休みやがった」
「へー、仕事大好きな旦那が……え?」
ブラシを動かしていた手を止める。
「そうだ。しかも、明日は丸一日休みを取っている。天変地異でもくるんじゃないか」
ピオニーは険しい表情をしていた。
「会いに行ってきます」
立ち上がり、扉に向かおうとすると、呼び止められる。
振り向くと、眩しいくらいの笑顔が。
「ああ、ブラッシングが終わったらな」
途中で帰るとは何事だと、顔には書いてあった。
「……はい」
また座り、ブラッシングを始めた。
ブウサギ達のブラッシングも終わり、ジェイドの家へと急ぐ。
ジェイドが休むことはない。自分の仕事と共に部下がやるはずの仕事さえもやっている。後は、ピオニーが増やした仕事も。
毎日、毎日、膨大な量の仕事に追われて、休日もまともに取っていなかったのに、どういう風の吹き回しだろうか。
しかし、暑い。陽射しが刺すように痛い。日陰へと避難するが、少しマシになったくらいだ。肌を撫でる風さえ、ぬるい。
こんな気候の為か、人もあまり歩いていないようだ。
額に滲む汗を拭い、目的地に向かう。
家に着き、呼鈴を鳴らしても、誰も出てこず。
でかけているのだろうか。それとも寄り道でもしていて、帰宅が遅くなっているだけなのか。
この暑さの中、外で待っているのは辛い。
扉を開けたところ、すんなり開いた。鍵に阻まれると思っていたのに。
開いているということは、帰ってきていることなのだろう。
「ジェイドー?」
家に入り、主を呼ぶが、返事も何もない。
首を傾げ、部屋に向かう。
その途中に転がる物があった。
「?」
ブーツと軍服の上着に、手袋とベルト。それは、浴室に続いていた。
回収していくと、水が流れている音がしているに気づく。
シャワーでも浴びているのかと、脱衣所に入ると。
「おーい、だん……」
浴室の扉は開いており、中が見えた。
浴室の中に服のままで座っており、後ろからシャワーが降り注いでいた。
下を向いたまま、微動だにしない。
「な、にしてるんだ?」
異様な光景に動揺しつつ、呼びかける。が、反応がない。
回収した物を近くの篭に入れ、近づいていくと、ようやくジェイドは顔を上げた。
眼鏡を外し、こちらを見上げる表情は、気だるそうだ。
「あなたですか」
「なにしてるんだよ」
その問いかけには答えてもらえず、代わりに差し出された眼鏡を受け取る。
その時に、手にシャワーがかかった。水だと分かり、止める。
「さすがに寒いだろ?」
頬に触れると、冷たい。肌がより一層、白く見える。
「……そうですね」
添えていた手を、邪魔だと言わんばかりに払うと、ジェイドは浴槽を掴んだ。しかし、その手が離れる。
「ガイ、手伝ってください」
代わりに、両腕がこちらに伸ばされる。
「珍しいな」
「面倒なんですよ、動くのが」
しかし、なにかに気づいたようで、ジェイドは腕を下ろす。
「ガイが濡れてしまいますね」
「別にいいさ」
屈み、ジェイドに眼鏡を渡す。背へと腕を回すと、躊躇いがちに服を掴まれる。触れた場所が濡れ、冷たい。少し震えているようにも感じた。
「で、なんで服のまま水浴びなんてしてたんだよ?」
タオルで濡れた髪を拭いていく。
「暑かったので」
バスローブに身を包んだジェイドは、大人しく椅子に座って、されるがまま。
「暑さで頭でもやられたか?」
「ええ」
笑いながら肯定され、本当に大丈夫なのかと心配になる。
「夏風邪でもひいたか?休みとってるし」
「いいえ。休みは周りから頼むから休んでくれと、懇願されたんですよ」
休みを取らずに、執務室にこもっていたからか。自分も休むように催促したが、無視されていた。
部下たちに頭を下げられ、仕事も取り上げられたらしい。
倒れられる前に、休んでほしかったのかもしれない。案外、タフなジェイドにそんなことはあり得ないが。
「上司思いの部下を持って幸せです」
ジェイドの優秀さは皆が知っている。彼にしかできないことも多いだろう。
しかし、人間には限界があるのだ。どれだけ、タフだろうが限界を越えれば、崩れていくもの。
「皆、心配してるのさ。あんまり無理するなよ」
同じような言葉を昨日も言った気がする。たぶん、同じ意味の言葉をジェイドにかけたのだろう。
「はい……」
くしゃみ。
髪を拭くのをやめ、彼の肌に触れると、冷たい。体は冷えきっているようだ。
その手が引きはがされた。こちらを見た視線に不愉快だと言われた。
自分は、暑いままで、汗まみれだ。
もう濡れた服は渇いているが、汗のせいで、肌にまとわりついている。
また、冷たい肌に触れる。
「あんたを抱きしめたら、冷たいだろうな」
「お望みなら、冷たくしてさしあげますが」
譜術は勘弁だと笑いながら、バスローブの中へと手を入れていく。まだ、体は滑らかで冷たい。
「……ガイ」
「また、水を浴びればいいさ」
バスローブをはだけさせ、唇で首に触れる。
ただ為されるままだということは、了承の意だ。
嫌なら、逃げるか、槍を出してくる。
心地よい暑さに、理性が崩れていくのが分かった。