伝えなければ伝わらない 1
「おはよう、ジョジョ」
「おはよう、ディオ」
いつものようにジョナサンは、義兄弟と挨拶を交わす。笑顔を向ければ、笑顔が返ってくる。
しかし、心の内は穏やかではない。それを顔に出さないだけで精一杯だ。
普段どおりに彼と一緒に、朝食を食べるために食堂へと向かう。
ジョナサンとディオは、数週間ほど前に、夜を共にしたのだ。
それは、ジョナサンが友人に贈られた媚薬を飲ませてきて、偽物だと決めつけ、自らも飲んだディオが原因なのだが。
薬で作られた熱を吐き出すために、体を重ねたあの夜のことは、深い傷となり、ジョナサンに残ってしまっていた。
ディオに触れられるだけで、あの夜のことを思い出し、鼓動が早くなってしまうし、顔が近づいてくるだけでも、キスしたことを思い出し、顔が赤くなってしまう。
気づけば、彼を見ている自分がいる。こちらを彼が見れば、そらしてしまうのだが。
まるで、恋する乙女のようだ。
しかし、抱いているのは、そんな純情ではない。あの夜のことが、また起こらないかと期待している自分がいる。
あの時に感じた、強烈な快楽が忘れられない。それを思い出しながら、人には到底、言えないことをしていた。
義兄弟になんという劣情を、抱いてしまているのだろう。
ばれてしまっては、気持ち悪がられるだけだと、必死に隠してはいるが、察しのいい彼は、気づかないふりをしているだけだろう。
さっさと忘れてしまえばいい――と彼は思っているはずだ。彼がそうしたように。
彼に全身に付けられた痣も、なくなったのに。
自分だけ、一人であの時のことを、ずるずると引っ張り続けている。
ジョナサンたちは、朝食を食べ終え、部屋に戻るため、廊下を歩く。
今日は学校がない。どこに行こうかと考えていた。
「今日の夜は、パーティーか……」
あまり気が乗らないディオの声。見れば、表情も同じだった。
「え、今日?」
「朝、言ってたじゃあないか」
そうだったかと、首を傾げれば、しっかりしろと彼は呆れたように笑う。
今日がパーティーなら、早めに家に戻っていなければ。
町に行き、新しい本でも買ってくるかと考えていた。
夜になり、パーティー会場へと馬車で向かう。
ディオは向かいに座る義兄弟の視線を、目を閉じて、気づかない振りをしていた。
目を開ければ、彼は慌てて、視線をそらすだろう。
あの一夜から、彼は自分を、とても熱い視線で見ている。
こちらを見ているので、何か用かと、近づいていけば、彼はしどろもどろになりながら、なんでもないと首を横に振るのだ。
分かっている。彼は、あの夜のことが忘れられないのだ。
触れるだけでも、顔を赤くしている。どんな表情をしているのか、彼は知らないだろう。
あの夜の、頬を撫でた時のような顔。嗜虐心がくすぐられ、あの時の熱さを身体が思い出してしまう。
人前では、あまり触れないようにしている。その顔は、自分だけが知っていればいいのだから。
あの夜のことを忘れられないのは、自分もだ。
耳に届く声、浮かべる表情、触れた熱い肌――同性と分かっていても、とても良かった。
媚薬のせいだとはいえ、初めて女性とした時よりも、興奮し、夢中になっていたかもしれない。
少し前に女性と寝たときも、物足りなさを感じ、さっさと切り上げてしまっていた。
もし、ここで彼に迫っても、彼は断らないだろう。あの時のように、口先では拒否をしても。
しかし、そんなことはしない。
彼が一人で自分の手のひらで踊っている様を見ているのが、楽しいからだ。
そして、いつかは限界がくる。そろそろだろうかと、内心、ほくそ笑みながら、目を開けると、彼と目があった。やはり、すぐにそらされてしまった。
パーティー会場に到着し、早々にディオは、知り合いとの交流に行ってしまった。
ジョナサンも数人と話して、すぐに角へと行き、ただパーティーが終わるのを待っていた。
付き合いで、酒を少し飲んだために、軽く酔っていた。それでも、ディオをちゃんと視界には捉えていた。
彼の容姿は目立つため、見つけるのは容易だ。
今も楽しそうに女性と話している。美しい容姿のため、女性に口説かれることも珍しくはない。自分を介して、彼に近づこうという者もいる。
「きゃ……!」
小さな悲鳴が聞こえ、そちらを見ると、テーブルの上にはグラスが転がっており、テーブルクロスが濡れていた。飲み物をこぼしたらしい女性が慌ている。
「大丈夫ですか?」
近寄り、ハンカチを差し出す。
オリーブ色の髪を揺らし、同じ色の大きな目でこちらを見てくる。
「あ、ありがとうございます」
細かな刺繍をあしらった青いドレスには、飲み物がかかり、変色してしまっていた。
ハンカチを受け取ると、そこを拭うが、何も変わらない。
「すみません……」
「いえ」
彼女の後ろにある景色を見て、気づく。
ディオがいない。一緒にいたはずの女性もだ。視線を巡らせたが、探し人はいない。
「すみません、失礼します」
女性に一言かけ、彼を探す。
彼がいた場所にまで来て、首を振り、彼を探す。あの容姿を見失うはずはない。ずっと、見つめていた姿だ。
先に帰ってしまったのか。それなら、自分に一言、かけてくるだろう。
それか、一緒にいた女性とここを抜け出して――。
そう考えるだけで、胸が締めつけられ、苦しかった。
「あの」
声をかけられ、そちらを向くと、優しそうな初老の男性。
「ご兄弟をお探しかな?それなら、女性と向こうのバルコニーの方に……」
手で指し示された方へ、短くお礼を言い、歩き出す。
バルコニーへと続くガラス貼りのドアは、少し開いていた。
バルコニーに出ると、そこには、密着している女性とディオがいた。見つめ合う二人の顔は近く、今にも口づけをしようとしていた。
自分は、その体に回っている手で触れてほしいのに。
重なりそうな唇で、この肌に吸い付いて、舌の湿った感触や口内の熱さを感じたいのに。
彼と一緒にいる女性を妬んでしまっていた。
「ディオ……!」
邪魔してはいけないと分かっていたが、耐えきれずに、名前を呼ぶと、彼がこちらを向き、女性の腕からゆっくりと抜け出した。
「すみません、迎えが来てしまいました」
女性の方に向き、笑顔で穏やかに言うと、女性は、名残惜しいと腕を掴むが、彼が額に接吻すれば、しょうがないという顔をし、腕を離した。
女性からの無粋な人という視線は、顔を背けられ、すぐにそらされた。
自分のもとに戻ってきたディオと共に、バルコニーを出て、会場に戻る。
「もう帰るんだろ?」
「あ、ああ」
パーティーも、そろそろ終わる時間だった。帰っていく人も、ちらほらいる。
それにまざり、会場を出て、馬車に乗り込み、御者に屋敷の場所を伝えた。馬車はゆっくりと動き出す。
「君が来てくれてよかったよ。迫られて、うんざりしていたんだ」
隣にいる彼は、やれやれと首を振る。そんな彼から、香水の匂いがする。何かの花の香りような、甘い匂い。あの女性のまとっていた香水が、彼と密着した時に、うつったのだろう。彼はこんな香水をつけていない。
「楽しそうに話していたじゃあないか、親密そうで……」
笑顔で接し、あんなに体を密着させ、最後には額だったが、キスもしていた。
「邪険にする訳にもいかないじゃあないか。誰かが、交流をろくにしないから、おれがしているんだ」
「君だから、皆、交流したがるんだよ」
自分に近づいてくる人物、女性にいたっては、ほとんどが彼目当てだ。
交流を疎かにしている訳ではない。ジョースター家の長男として、ちゃんとしているが、いつも、弟が途中から奪ってしまうのだ。
「君も女性と親しげに話していたじゃあないか」
彼は笑いながら言う。見失う直前に、ハンカチを貸した女性のことを言っているのだろうか。
「飲み物をこぼしていたから、ハンカチを貸してあげ……」
そこまで言って、ようやく気づく。全てのポケットを探るが、出てこない。
「返してもらうの忘れた……」
いなくなったディオを探すことだけを考えていたため、ハンカチのことなど頭から抜けていた。あれは、名前入りだ。いつかは返ってくるだろう。
「ふぅん、ハンカチをあげるほど、仲がよくなったのか」
「違うよ、本当に忘れたんだ……ほんのちょっとだけ目を放した隙に、君が突然いなくなったから――」
突然、彼の顔が迫ってきて、言葉を切る。
「ずっと、見ていたのか。おれのことを」
笑って、手を伸ばしてくる。頬に触れ、あの時のことが頭を巡る。
「ち、ちがう……!」
首を振り、手から逃れ、否定を口にする。そうしなければならない。この劣情は、自分だけのもので、こんなものを晒してしまえば、彼はきっと自分を――。
「嘘はよくないな、ジョジョ。君は、ずっと見ていたじゃあないか。あの日から、ずっと、ずっと――」
抵抗は無駄だった。
彼は知っているのだ。自分のこの気持ちを。ずっと、言わなかっただけで、やはり、気づいていたのだ。目がそう言っている。
「気づいていない……と思っていたのか?」
手が襟を掴み、彼の方に引き寄せられ、唇が重なり、舌が入ってきた。
「っ……」
あの夜のキスと同じ、深いもの。
これから、あの日と同じことが起きるのではないかと、勝手に体は期待し、熱を上げていくった。
そして、自分は彼に囚われてしまった。
馬車の行為で、骨抜きにされたジョナサンを、部屋にはディオが運んだ。
肩を貸してもらっている彼を心配する使用人たちには、酔っているだけだと言い、部屋に早く行かせてほしいと。
「早く横になりたいらしいんだ」
それと、もう寝かせるからと部屋には使用人たちを近づかないようにして。
ジョナサンは早く部屋に行きたくてしかなかった。馬車の続きのことしか頭になかったのだ。
使用人たちは、すぐに下がってくれ、二人は部屋へと向かった。
ジョナサンの部屋の扉は、夜明け前にディオが出てくるまでで開くことはなかった。
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