差し伸ばされた手 1
自分がいた町に嫌気が差し、フラリと小さな島国まで来た。
ロンドンまで来たが、ここの貧民街も自分といたところと変わらないとシーザー・A・ツェペリは思っていた。
鬱蒼とする空気に人の荒々しさ。何も変わらない。今さっき、絡んできた酔っ払いを殴り倒したところだ。
「てめえ!」
曲がり角を曲がると声が聞こえた。そこには男と金髪の子供がいた。男に腕を掴まれている少年は離せと抵抗している。
「これはぼくの分だろう!」
「ああ? ガキには多すぎるだろうが。痛い目を見る前に……」
男が腕を振り上げた瞬間、走り出して男に飛び蹴りを食らわした。
「がはっ……」
男は吹っ飛び、子供は倒れた。
自分に殴られた者や蹴られた者は長い間、起き上がらない。力が強すぎるのか、相手が弱すぎるのか分からないが。
「おいおい、ガキにたかってんじゃあねえよ」
聞こえていないと分かっているが、言わずにはいられなかった。
自分には弟や妹がいた。彼らとあまり変わりない子供が大人にいたぶられているのは許せない。
「おい、大丈夫かよ」
倒れた子供を見れば、短い金髪を揺らし、こちらを見上げた。大きく切れ長の金色の目がこちらを見る。その顔は中性的な顔立ちで綺麗なものだった。
自然に笑みが出て手を差し伸べるとそれは無視をされ、一人で立ち上がっていく。
「大丈夫だ」
平らな胸にくたびれたシャツや汚れたズボン。身形から男だと分かり、内心、消沈する。彼は背を向け、感謝することなく、走り出した。
「おい、ちょっと待て!」
その姿を追いかけたが、すぐに見失ってしまった。
妙にあの少年の姿が目に焼き付いていた。女に興味は尽きないが、野郎には全く興味がないはずなのに。あの中性的な出で立ちだからだろうか。
「おれと同等の容姿……だからか」
あれだけ綺麗なら、もう少し成長すれば女にも言い寄られるようになるだろう。
あんな子供に嫉妬に似た感情を抱いていることに気づき、消し去ろうと頭を振った。
しかし、あの少年の姿は瞼の裏にまだあった。
強さが物言うここでは、新参であるシーザーが舐められるのは至極当然だ。皆、強さを知らないから。ならば、簡単なことで、力を見せつければいい。
ふっかけられる喧嘩は全て買い、やり返していくだけ。段々とその強さは周りに伝わっていき、シーザーは毎日のようにしていた喧嘩は数日に一回あるかないかほどになっていた。
今日はどこかで客でも探すかと外をフラフラと歩いていれば、自分の目の前に人が転がってきて、足を止めた。
「……!」
それは、忘れられなかったあの少年だった。
「おい、ディオ、あまりここらで……」
数人の男たちが、こちらに近づいてきた。自分に気づくと名前を呼んでくる。
倒れている彼は僅かに動いたが、腹を押さえ、噎せている。そこを殴られたか、蹴られたのだろう。
「ふーん、こいつ、ディオって言うのか」
しゃがみこみ、彼を見ているとうっすら開けた目がこちらを見た。
「なんだよ、シーザー、おまえこいつのこと知ってるのか?」
「来た初日に会ったんだよ……で、おまえら、ガキ相手になにやってんだ?」
男たちを睨みつければ、表情がひきつるのが分かった。
「そいつ……賭けでおれたちの有り金を全部、かっさらって」
「負けた腹いせに、起き上がれないまで殴るのかよ?」
子供に負けたことを認めたくなだけだろうが、負けた方が悪い。
立ち上がると彼らは、なにかを感じ取ったのか、一歩、後ろにさがる。自分の目は爛々と輝いているのだろうか。二日くらい喧嘩はしていない。複数相手も慣れている。スパナに手をかけ、戦闘体制に入る。
「チッ……もういい。ディオ、今回は運が良かったな」
男たちはディオを諦め、自分たちの目の前から消えた。
ディオは地を這い、自分から遠ざかろうとしていた。屈み、腹に腕を回し、脇に抱えた。こんな場所だからか、見た目通りに軽い。食事なんて満足に取っていないのだろう。
そのまま、歩き出すと彼は手や足をジタバタさせるが、その動きは鈍い。
「お、おい……おろせ……!」
助けてやったのに、やはりお礼の言葉もない。期待はしていなかったが。
「手当てしてやるよ」
「な、なんだ……金でも取るのか」
「ガキから取らねえし、困ってねえ」
自分がしている商売でそれなりの儲けがあるし、喧嘩をして、治療代として巻き上げた金もある。
「嘘、だ。離せ、おろせ!」
自分の脚を殴ったりしているが、あまり痛くもない。彼が体を捻り腕を後ろに持っていったときに光るものが見え、それを取り上げた。
「いいもん持ってるな」
それは、柄に刃が引っ込む形のナイフだった。いざというときのためのものだろう。こんなところで過ごしていれば、必需品にもなるか。
「返せ!」
必死に取り返そうと手を伸ばすが、届かないだろう。
「うるせえな。手当てした後に返してやるよ」
ナイフを懐にしまうと彼は抵抗しなくなり、大人しくなった。
抵抗するすべをなくし、諦めたのだろう。
自分が寝泊まりしている宿屋に着き、部屋に入り、ベッドに彼をおろす。
「ここら辺に……」
近くの引き出しの中を探す。喧嘩に明け暮れていたときに客が心配して、薬、湿布や包帯を持ってきてくれていた。その残りがあるはずだ。
「お、あった」
ディオの方を見ると警戒をしているのが分かった。敵と対峙したような獣のように。手当ての道具を持ち、近づいていくと今にも噛みつきそうなほどだ。
「手当てするだけだろ」
「いい。それだけ渡せ、自分でやる」
手を伸ばし、道具を取ろうとするので、それを避ける。
「やってやるから」
服を脱がさなければ、手当てができないと服を掴めば、その手を引き剥がそうとする。
「ぼくに触るな!」
妙に抵抗してくるが、道具をベッドに投げ捨て、彼をベッドに押し倒し、細い手首を頭上で押さえつけた。
「離せッ!」
同性の前で裸になることが、そんなに恥ずかしいことだろうかと内心、頭を傾げながら、シャツのボタンを外していく。
「……?」
胸には布が巻かれていた。怪我をしているのかとそれを取ろうとすると彼は体を捩る。
「やめろッ!」
緩んだそれの隙間から見えたのは、少し膨らんだ胸。気になり、触れてみれば、少しの膨らみがあった。それが柔らかい。
こんなに細ければ、男に胸の柔らかさはない。頭に出た一つの答えを口に運ぶ。
「……おまえ、女か?」
「手を退けろ、阿呆が!」
顔を真っ赤にさせ、怒鳴る。違うと言わないのは肯定の証だ。手を退け、押さえつけるのもやめた。彼女は起き上がるとシャツを交差させて胸を隠す。
「あー、だからかよー」
妙に気になっていた理由が分かり、頭をかく。ディオが女性だからだ。自分は本能で女性だと意識していたのだ。
「他の奴らには……黙ってろ」
女性だと分かれば、男にしては高い声。男装しているのも事情があるのだろう。こんな場所だからか。
「ああ、黙っててやるから、手当てさせろ」
ますます、放っておけない。
「……部屋から出ていくか、後ろを向け。これを巻き直す」
彼女の隠している胸を見る。
「ガキに欲情しねえよ。そうだな、後、二、三年くらいしたら……」
彼女はそういう対象には見えないし、自分はもっと愛嬌がある女性の方が好みだ。
「……はあ」
自分が動かないと分かると彼女の方が背を向け、シャツを脱ぎ、胸を隠す布を取り、巻き直していた。腰にも殴られたのか、打撲傷があった。
男だと思われているため、手加減などないのだろう。いや、異性だと分かっていても手加減などされないか。
腕も腫れているところがあり、胸の布を巻き終わり、シャツを着る前にそこに湿布を貼り、包帯を巻いていく。体をよくよく見れば、他にも治りかけの傷がある。
「あまり、体に傷を残すんじゃあないぜ」
「ぼくに言わないでくれ。しかもこんな体、忌々しいだけだ。男よりも力は劣る」
腕の手当てが終わるとシャツを着る。ボタンは開けたままにして、今度は腹や腰に湿布を貼る。
彼女は自分を嫌っているようだ。もっとまともなところで過ごしていれば、彼女自身の価値ははね上がっただろうに。取り巻く環境が悪いのだ。
「よし、終わったぜ」
包帯も巻き終わり、彼女は手早くボタンを閉めていく。大きめのシャツを着ているのは、体の線を分かりにくくするためだろう。
「なあ、喧嘩になりそうになったらおれが助けてやるよ。怪我したら、こうやって手当てしてやるからさ。遠慮なく頼れよ」
没取していたナイフを差し出せば、ディオはそれを手に取り、ズボンのポケットにしまう。
「随分、女には優しいんだな、シーザー」
鼻につく言い方だが、自分は女性には優しくするのは当たり前だし、弟や妹たちに彼女は重なって見えていた。
「まあ、な。性分だ」
「ふーん。まあ、おまえは今、ここで一番強いらしいからな。頼ってやるさ。おまえとつるんでいれば、ぼくは一応、安全だ」
こちらを見る目に寒気がした。子供にはそぐわない目。野心というものが見えている。
ベッドからおりたディオは扉に向かうが、扉を開けたときにこちらを見た。
「手当ては……礼を言う。じゃあな」
少し照れたその顔は年相応に見えた。いきなり言われた礼に呆気に取られていると、扉が閉まった。
「どーいたしまて」
ちゃんとお礼を言えるのか。可愛いところもあるじゃないかと笑った。
→2へ