確かめる
夜が明けようと、空の果てが青白くなってきた。それを馬岱は見つめていたが、視線を下に向ける。
川が流れている。そこで顔を洗えば、水の冷たさが肌を叩く。
洗ってから気づく。拭うものを持ってきていない。
「早いですね」
横から聞こえた声と共に、差し出されている布。
「ありがと、おはよう」
笑ってその人物を見上げる。
「諸葛亮殿」
「おはようございます」
布をありがたく受け取り、顔を拭った。
「諸葛亮殿も早いねー」
もう少しすれば、鍛練する者が起きてくる時間かもしれないが、起きるには早い時間。ほとんどの者が、夢の中のはずだ。
「徹夜明けです」
羽扇を揺らしながら、こちらを見る顔は、普段と変わらず、寝ていないなど嘘のようだ。
「寝ないと体に悪いよ」
そう言いつつ、立ち上がる。
「その言葉、そのままお返しします」
笑ってしまった。なぜ、分かったのだろう。隠すことには絶対の自信があったのに。
「さすが、軍師殿」
拍手を贈る。
「戦力が減るのは、痛いので」
妖蛇を倒すための戦いは、かき集めた膨大と言える戦力でも、辛いところがある。人一人とて、貴重なものだ。
「……眠れない原因は?」
そこまでは、さすがに分からないらしい。伝説の龍も全知全能ではないか。
「夢をね。繰り返しみるんだよ」
ここでどれだけの日数が経ったかは知らないが、あの馬超に助けられた時から、ずっと。
「若を逃がすために、俺、死んだんだって」
馬超を逃がすため、殿をつとめた時、あそこで彼が戻ってくるとは思わなかった。
覚悟と決意を不意にされ、内心、腹を立てたが、戦いに勝った後に、涙を流しながら、生きていてくれて良かったと、あれだけ喜ばれたら、何も言えなかった。
「若の……その言葉が忘れられなくってさ」
今、生きてはいるが、馬超を含めた三人は、壊滅状態を見たらしい。人間が数えるほどしかいない世界を。妖魔に負けたという事実を。
自分たちを救うために、未来から来たなんて言われても、笑うしかなかったが、実際、かぐやという少女の力で、過去の戦に行けているのだから、信じるしかない。
「誰かを守って、死んでいく夢なんだ」
いつも同じ内容。
体に突き刺さる刃。痛みを感じないのは、夢のお陰か。
動かない体はただ、血を流し、それを他人事のように見ながら、倒れていく自分。
地面に転がれば、体に触れる手。目だけ動かし見れば、誰かがいることは分かるが、視界が霞み、姿がよく見えない。頬に落ちる水が何なのか、考えられない。
口も動かない。言いたいことも言えず、視界が暗くなっていく。
暗闇の中で、どこか満足している自分がいて、そこでいつも目が覚める。
「自分が死ぬ夢なんて、嫌だよねえ」
自然と笑みが出る。
戦に出れば、いつも死と隣り合わせだ。
死ぬ覚悟はできているが、死にたくはない。死はやはり、怖いものだ。
「……正夢にならないようにしてくださいね」
元の自分がいた世界に戻るまでは。仲間たちを、しっかり守らないといけないのだから。
「必要とされているのですから」
羽扇で口元を隠しているが、笑ったのが分かる。
「あなたがいなければ、成る策も成りません」
元いた世界でも、自分は裏で諸葛亮に協力していた。あまり、人がすすんでやろうとは、思わないことさえも。
二人だけの秘密。この世界に来てからは、していないが。
諸葛亮に少し近づけば、こちらを見つめる、まっすぐな目。
垂れている手を両手で握ると、少し驚いた表情。
「こうやって、触られなくなるしね」
彼の手はあたたかい。生きているという証。死んでしまえば、こんなことも確かめられない。
「離してください」
冷めた口調と共に、手が振り払われる。
「えー、触らしてよ。今日、死ぬかもしれないんだから」
今日は戦に行く。寝てないと言えど、休む訳にはいかない。
その言葉に、彼は睨みつけてきた。
「そんなこと、許しません」
彼の手が、こちらに伸びてきて、服を掴む。
「絶対に……」
力強く握られる服。
必要とされていると理解して、顔がほころぶ。
「じゃあ、今日の戦が終わったら、思う存分、触らせて」
「なっ……」
驚愕した彼が、服を離す。
「約束だからね、諸葛亮殿」
固まっている彼の脇を通り、宿舎に向かう。
彼が追いかけてくることはなかったが、痛いくらいの視線は背中に突き刺さっていた。