きっかけ
視界の端に黒いものが見え、そちらに視線を移した。
「……!」
床を這う黒い物体。言葉にするのもおぞましい。
「きゃああああ!」
悲鳴をあげて立ち上がる。それから離れるため、反対側へと走る。
「ど、どうした!?」
目の前にワイルドタイガーが現れ、その床を這うそれの姿を再度、見ないように、彼にしがみつき、目を閉じ、固い胸に顔を埋めた。
「タイガー、あれ、どうにかして……!」
腕を振りながら、反対側を指さす。
「な、なんだよ?あれって……」
「ご、ゴキブリ……!」
あまり口にはしたくはなかったが、自分を離れさせようとする彼に、なぜ、自分が彼に助けを求めたのか理解してほしかった。
「はあ?ゴキブリって……」
呆れた声を遮るように、野太い悲鳴と共に、背中に熱気を感じた。
「なんで、こんな所にいんのよ!」
何があったのかと、ゆっくりと振り返れば、指先を吹いているファイヤーエンブレム。
床には少し焼けた後とそれの焼けた死骸。見たくなくて、また目を閉じて、彼の胸に顔を埋めた。
「タイガーって無理ね……ちょっと、誰かコレ、どうにかしてよぉ」
ファイヤーエンブレムの声が遠ざかる。
「なあ、ブルーローズ」
「な、何よ!私は無理よ!?」
見たくもないのに、近寄ることもできないのに、処理をするなんて無理だ。
「じゃなくて、お前がそうしてっと、俺が動けねえんだよ」
そう言われて、目を開けた。
見上げれば、困った表情をしている彼の顔。
そして、しがみつく自分。
密着していたのだと自覚し、顔を赤くして、彼から離れた。
「……あ……ごめん」
「いいって。お前、そういうところ、女の子だよなあ」
頭を撫でていき、ファイヤーエンブレムを呼びつつ、隣を通っていく。
まだ、彼に触れていた所は、彼の体温が残っているのか、触るとあたたかい。
自分は、あれから逃げることに必死で、無我夢中で彼にしがみついてしまった。
「処理、終わったぞ」
肩に手を置かれ、驚いて体が跳ねた。
「あ、ありがとう」
「いーってことよ」
手を振り、ワイルドタイガーはトレーニングに戻っていった。
自分は、まだ夢心地で、トレーニングをする気も起きず、長椅子に座っていた。