廻る人形
手を伸ばせど触れられない。
名前を呼べど振り向いてくれない。
あんなにも愛していたのに。
あなたがいなくなってしまえば、私の存在の意味もなくなってしまう。
「置イテイカナイデ……メル」
また、あなたの腕に抱いて。
歌が聞こえる。それは、聞き覚えがある声で。
「……メル?」
目を開けると、見えたのは見知らぬ後ろ姿。どことなく、呼んだ人物に似ているような気がする。それは髪型のせいかもしれない。あの人も、リボンで長い髪を結わえていた。
その人物は、歌うのをやめ、振り向く。
「ボンジュール、マドモワゼル」
自分がいた世界では聞かなかった言葉だ。意味は分かるが。
「……」
起き上がり、その人物をよく見た。
銀髪にファーが付いた青いコートを着たオッドアイの男性。頬には刺青がある。
彼は首を傾げ、また口を開く。
「おはよう、お嬢さん」
意味が伝わっていないと判断したらしい。
「グーテンモルゲン……」
今度は返事を返す。
「ふむ、知らない言葉だね」
返した言葉は分からないようだ。
「オハヨウ」
言い直すと、納得したようだ。
「アナタ、誰?」
悪意は感じられないけれども、少し警戒する。
「僕はイヴェール。君は?」
記憶を手繰り寄せ、自分の名前を思い出す。懐かしい声と共に名が浮かぶ。
「エリーゼ、ヨ」
「よろしく、エリーゼ」
差し出された手は無視する。
「ネエ、ココハドコナノ?」
見たこともない場所だ。自分が寝ているベッドにテーブル、ソファー。あまりにも家具が少なく、生活感がない広い空間。外が見えるようだが、景色がない。
「ここは朝と夜の狭間。生まれて来る前に死んで行ったものの場所」
イヴェールは手を下ろした。
「私ハ人形ダカラ、ソンナモノ関係ナイワ」
生まれてもいないし、死んでもいない。
「だから、だろうね……なんだい?」
じっとイヴェールを見つめる。
「アナタ、無愛想ネ」
こちらも警戒して、冷たく反応を返しているが、イヴェールはずっと無表情だ。笑顔はないとしても、困った表情くらいするはずだ。
「僕には感情がないんだ、すまないね」
そう言う表情も全く変わらない。まだ、人形の自分の方が表情豊かだ。人間のはずなのに、人形みたいだと思った。
「エリーゼ、お腹空いたかい?お菓子や紅茶があるけど……」
そう言いつつ、イヴェールは立ち上がる。
「……イラナイワ」
食べる気も起きない。食べなくてもいい体だが。
また、イヴェールは座った。
「ネエ、私ノ他ニハ誰モイナカッタノ?」
思い描くのは、黒髪の愛しい人。ずっと一緒にいたのに。
「君、一人だったよ」
「ソウ……」
肩を落とす。下げた視線に見えたのは、白いアンダードレス。
「私ノ服ハ?」
赤と黒のドレスを着ていたはずだ。
「ボロボロだったから、着替えさせてもらったよ。安心して、やったのは、僕じゃないから」
別に人形だから、羞恥心などない。誰が着替えさせたなんて、どうでもよかった。
しかし、来ている服の色が気に入らない。
「私、白ッテ嫌イ」
見てるだけで、嫉妬、怒りといった負の感情が湧き上がってくる。
「そう?似合って……」
睨み付けると、イヴェールは口をつぐんだ。
またベッドに横になる。イヴェールには背を向けて。
「おやすみ、エリーゼ」
ベッドが沈み、頭を撫でられる。
また、歌が聞こえた。
「エリーゼ」
目を覚ますと、イヴェールが顔を覗き込んでいた。
「……ナァニ」
ゆっくりと起き上がる。
「二人が、計らせてほしいって」
横を見ると、双子のようにそっくりな女の子が二人。違いは、髪型と服の色と、頬の刺青。
生気のない目に、自分と同じ人形なのだと気づく。
「おやすみ中にすみません」
「計らせてくださいませ」
ベッドのそばに立つと、二人は全身を手際よく計っていく。
「ありがとうございます」
二人はお礼を言い、出ていってしまった。
「ナンダッタノ」
隣にいるイヴェールを見上げる。
「君のドレスを作るらしいよ」
見下げる顔はやはり、無表情で。
ベッドに戻り、座ると、イヴェールは、昨日と同じようにベッドに座った。
「エリーゼ、君の物語を教えてくれないかい?」
「物語?」
「君から感じるんだ。ここに来る前は何をしていたんだい?」
頭を駆け巡る、愛しい人との思い出。やっていたことは一つ。
「復讐ヨ」
笑顔で答えた。
キョウカイに来てしまった人間の復讐の手伝い。
それが、自分たちの復讐だったから。
親に捨てられた子供。
言われのない罪で死んだ少女。
母に妬まれた子供。
自分で井戸に飛び込んだ娘。
呪われた眠り姫。
愛の為に殺された妻。
様々な人々の復讐を手伝った。
彼と二人で楽しく。
「その、メルはエリーゼの大切な人なんだね」
「エエ、ソウヨ!メルハ私ヲ愛シテ、私ハメルヲ愛スノ」
いつも、傍にいて、腕に抱いてくれていた愛しい人。
彼と一緒なら、何もいらなかった。
「メルはどこにいったんだい?一緒にいたんだろう?」
その言葉に、胸が突き刺されたような痛みが走った。
ずっと傍にいた。しかし、今はいない。
一緒に復讐をしようと誓いあったのだ。
何か抜けているような気がする。
胸の内で何かがざわめく。
「……ッ」
白いドレス。落ちた指揮棒。叫び声。
手を見れば、ひび割れて。
「エリーゼ?」
イヴェールに名を呼ばれ、彼を見る。
重なる愛しい彼。
「メ、ル」
意識が飛んだ。
メルは白いドレスの女性を抱きしめている。
その腕は自分を抱きしめるためにあるのだ。
他の女を抱くためにあるのではない。
しかし、邪魔しようにも、体は動かない。
それは、このドレスの女のせいだろう。自分の半身。影響力は彼女の方が上だ。
「さようなら、メル」
「……エリーザベト!」
エリーザベトは眩い光に包まれ、消えていく。
メルはそれを引き留めようとしていた。
無駄なのだ。神に背いたのは自分たち。イドに落ちたのは、人形。そして、空へと飛び立つのは人間。
いくところが違う。
消えてしまったエリーザベト。残されたメルは歩き出す。
彼はこちらを見ない。何かを考えている様子だ。
もう終わりなのだと、頭では分かっていた。
彼に必死に付いていき、説得を試みるが、聞いていない。
足が動かなくなる。口も動かなくなる。
嫌だ。また、彼と別れるなど。
手を伸ばす。その手も朽ちていく。
「もういいんだよ、エリーゼ」
そんな言葉は、聞きたくなかった。
叫び声と共に飛び起きた。
彼に置いていかれたのだ。
壊れた自分を、彼は井戸に捨てた。
肌色の物が、落ちる。
「アア……アア……」
自分の肌が崩れていっていた。必死に抑えようと、手で頬を覆ったが、何も意味はない。
元の姿に戻るのだ。
あの、燃やされた時と同じよう。世界を呪いながら、火あぶりにされた時に。
「イヤッ……イヤヨ……!」
人形になり、彼と永遠にいられると喜んだ。もう別れることはない。イドがなくなることはないから。人が人を憎しむことがなくならないように。
彼に必要とされなければ、自分の存在の意味がなくなる。
すなわち、消えるしかない。
「エリーゼ」
優しく名を呼ばれて、周りの景色が見えた。
イヴェールが朽ちていく、手を握っていた。
「メルハ……!私ヲ……!」
手を払い、イヴェールのコートを掴み、彼を見上げる。
「必要トサレナケレバ、消エルダケ!私ハメルト一緒ダカラ存在デキタ!」
体から力が抜けていく。それに抗うように言葉を吐いた。
「私ノ使命ガ、復讐トメルノ傍二イルコトダカラ!」
宿った焔は、彼と一緒にいることと、世界への復讐を望んだ。
「ダカラ……ダカラ……!」
「もういいんだよ、エリーゼ」
彼と同じ言葉を吐かれ、目を見開いた。
「アナタモ、メルト一緒ノコトヲ、言ウノ……」
腕が取れた。
「私ハ必要ナイト言ウノ……!」
目が見えない。
倒れていく体は受け止められた。
口も動かず、あの時と同じ恐怖が襲ってくる。
「おやすみ、エリーゼ」
そう聞こえたのが最後だった。
エリーゼの顔が崩れ、目玉や腕が転がる。髪も肌もボロボロだ。
それを集め、光に包めば、元の綺麗な姿に戻る。目を閉じている様は、眠っているようだ。
「イヴェール様」
部屋に入ってきた双子の人形は、服と髪飾りを手に持っていた。
「よろしく、オルタンシア、ヴィオレット」
彼女を椅子に座らせ、部屋を出た。
オルタンシアが呼びに来たので、部屋に戻れば、エリーゼは髪を整えられ、白いドレスを身に纏っていた。
「やっぱり、白の方が似合っているよ。お嬢さん」
もう声なんて届いていないだろう。この人形に焔は宿っていない。
近寄り、元の小さな人形に戻す。
「届けてくるよ」
人形を抱える。
「はい、ご主人様。お待ちしております」
二人に見送られ、部屋を出た。
必要とする鳥籠の鳥へと、届ける為に。
「お嬢さん」
エリーザベトの目の前に、男性がいた。
見たこともない人物だ。
「君の友達だよ」
差し出されたのは、自分にそっくりな人形。
「もらっていいの?」
戸惑いながら聞けば、頷かれる。
「ああ、君の友達だからね」
繰り返された言葉は、自分が随分、憧れていたものだ。本でしか知らない、友達というもの。
「ありがとう!」
それを受け取ると、眩い光に包まれ、眩しさに目を閉じた。
目を開けば、部屋はもう明るく、朝なのだと起き上がった。
ふと横を見れば、人形が置いてあった。
持ち上げ、見てみれば、それは夢の中でもらったもの。
あの男性がいるのではないかと、周りを見たが、誰もいない。
人形を眺める。あの人は言っていた。この子は、自分の友達だと。
「私の最初のお友だちね。私はエリーザベトよ。あなたは……私にそっくりだからエリーゼね。よろしく、エリーゼ!」
嬉しくて、抱きしめる。
その人形から温もりを感じた。
「君が納得するまで、廻ればいい」
物語は一つではない
その結末がどれだけ残酷でも
「地平線はそのためにあるんだ」
朝が来れば、夜が来る
陽がなくなれば、宵闇はやってくるのだ
「さあ、いっておいで、エリーゼ」
人形の物語は終わらない