あなたは僕の獏
焦げ臭さと、目の前には赤い炎。息さえ苦しくなるような熱さが迫ってきていた。
炎に囲まれながら、立ち上がると、後ろから音がして、振り返る。火で崩れた柱が倒れ、自分に降ってくるのが見える。押し潰そうと、ゆっくりと迫ってきていた。
叫び声などあげられる暇などなく、焼けた柱に押し潰された。
「――っ!」
体が跳ね、目を開けると、暗い天井が見えた。沖田総司はここが自分の部屋だということに、安心しつつ、起き上がった。
「はあっ……はぁっ……」
息苦しさを感じ、着物の上から胸に手をあてれば、鼓動の早さが手に伝わってくる。肌が汗を伝う。
久しぶりに見た悪夢。幼い頃の体験が、未だに自分を苦しめる。火傷はとっくの昔に治ったというのに。しかも、自分は押し潰されてはいない。
その前に近藤に助け出されている。だから、自分はここにいる。
段々と落ち着いてきたが、喉の乾きを覚える。水を飲もうと、布団から抜け出した。
部屋から出ると、台所に向かっていると、縁側に座っている人陰。こんな時間にと近づいていくと、その人は。
「土方さん」
声をかけると、土方歳三は驚いた目でこちらを見上げる。
「総司?どうした、こんな時間に」
「こっちの台詞です」
彼の傍らには、徳利と猪口が二つあった。並ぶそれに、彼は一人で飲んでいたのではないことが分かった。
「近藤さんと飲んでいたんですか」
「月が綺麗だったからな」
見上げた月は、彼が言うとおりに美しく、光っていた。その柔らかい光に、近藤勇の優しさを思い出す。まるで、彼が自分たちを見下ろしているようだ。
そう、彼はいない。伊井直弼の術で化物となり、命を喰らわれようとしていた自分を命をとして、彼は救ってくれた。
土方のそばに座り、猪口を持ち上げれば、酒は入っていたが、少なくなっていた。
「近藤さん、もう飲みましたよね」
残り僅かな酒を煽る。冷たいそれは、通る箇所を冷やしていく。
「僕もまぜて下さいよ。仲間外れなんて、嫌です」
そう言って、盃を土方に差し出すと、これを飲んだら、寝ろと言われ、酒が注がれていく。
そう言われて、寝る訳がない。悪夢で今さっき起こされたというのに。きっと、また見てしまうことになる。
土方は、目の前の沖田から、段々と笑みがなくなっていくのが分かった。こちらを見る目は、、こちらを見ているようで、見ていない。何か遠くのものを見ているようで。
「どうした?」
声をかけると、我に返ったようで、また笑みを浮かべ、一気に酒を煽る。
「何もないですよ?」
次と急かすように、また盃を差し出してくる。
こういった時は、また聞いてもはぐらかすだろう。言いたくないなら、それでもいいと徳利を傾ける。酒はあまり入っていない。彼が来た時点で、酒盛りを始めてから時間がたいぶ経っていた。
酒を注ぐが、すぐになくなる。
「これで最後だな」
彼は不満そうな顔を向けてくるが、新しい酒を取ってくる気はないと、徳利を置き、また月を見上げた。
その明るさに近藤を思い出していると、横から重さを感じた。沖田は目を閉じ、自分に寄りかかっている。離れるように腕を動かしたが、その腕が抱き込まれる。がっちりと固められ、動かない。
「総司、離せ」
そう言ったが、彼は離す様子はない。無言の抵抗にため息をつく。飲んだのは少量だが、酔っている可能性も捨てきれない。彼は顔に出ないのだ。
飽きたら離すだろうと、そのままにしておくことにした。
沖田は土方がもっと抵抗してくるものだと思っていたが、すんなりと自分の行為を受け入れていることに、内心、驚いていた。
彼から伝わってくる体温はとても心地がいい。夢のような熱さではなく、とても優しい温かさ。安らぎを覚えていると、段々、意識が夢と現をさ迷い始めていく。
総司の頭が項垂れ、土方は彼の意識がこちらにないことに気づく。腕を抱く力も弱くなっている。
「総司」
名前を呼ぶが、返事はない。
「部屋に戻って……」
腕を引き抜こうとすると、彼が頭を上げた。潤んだ目がこちらを見る。
「……置いて、いかないで……」
消え入りそうな声に、胸を鷲掴みにされる。悲哀に満ちた声だった。
彼はつづるように、また腕を抱き、頭を項垂れ、体を預けてくる。動かなくなった彼を見ていた。
寝ぼけていたのだろうか。それとも、この短い間に夢でも見たのだろうか。置いていかれる夢を。
「……置いていくか」
近藤がいなくなった今、大切な家族は彼しかいない。しかも、置いていこうとすれば、地の果てまで追いかけてくることだろう。
一度、行方不明になった坂本龍馬を探しに、近場だったこともあり、沖田に告げずに一人で行ったときは、帰ってきた後には、なぜ、一人で行ったのかと、機嫌が悪かった。
「おい、起きろ」
彼にまた少し付き合ってから、声をかける。こんなところで寝ていては風邪をひいてしまう。徳利たちも片付けなければならないし、そろそろ自分も寝なければ。
「総司!布団で寝ろ」
声量を少し大きくし、体を叩くと、彼は目を閉じながらも頭をあげた。
「……分かりましたよー……」
うっすら目を開け、渋々というように腕を離し、ふらりと立ち上がる。
体を揺らしながら彼が向かったのは、彼の部屋の方ではなく、すぐ近くにある自分の部屋。
「おい、そこは……」
声をかけるが、障子を開け、フラフラと入っていく。立ち上がり、その姿を追いかけると、自分の布団で横になる彼。
「自分の部屋で寝ろ」
体を揺すると、その手は鬱陶しいと払われる。
「布団で寝ろって……土方さんが……」
布団を頭まで被り、中で動き、小さくなったのが分かった。
もう動かすことは無理だと、彼を放っておき、徳利たちを片付けるために、縁側に戻った。
あたたかさを感じ、沖田はうっすらと目を開けた。暗くて何も見えなかったが、横に誰かがいるのが分かった。
「……?」
段々と目が慣れていき、土方の横顔が見えた。
なぜ、彼が自分の横で寝ているのだろうかと思っていたが、眠気がその思考を鈍くする。
あたたかいのは彼がいるからかと、横向きになり、彼の体温に身を寄せる。目を閉じると、すぐに夢の中へと誘われた。
次に見た夢は、幼い自分が土方と近藤に挟まれながら、手を繋ぎ、歩きながら談笑をしているものだった。
目が覚め、部屋の明るさと鳥の鳴き声に朝だと分かる。沖田は、隣に何かがあるのに気づき、自分が寄り添うものに驚いた。
なぜか、土方が自分の横で寝ている。
起きていなかった頭がゆっくりと動き始め、昨夜のことを思い出す。
彼と酒盛りをして、彼にしがみつき、自分は寝ていたが、彼に布団で寝ろと怒られ自分の部屋に戻ったはずだが、どうやら、近い方の土方の部屋に戻ってしまったらしい。
睡魔と闘いながら、自分の部屋まで帰るのは難しかったらしい。
そばにある体温のお陰で、自分は悪夢を見ることなく、あの幸せな夢をみることができたようだ。
まるで、それは貘のようだ。
起き上がろうと思ったが、まだ体温を感じていたくて、そのままでいた。もうすぐ、彼も起きるだろうから。
「……ありがとうございます、土方さん」
囁くように言ったお礼は、彼には届いていないだろうけれど、悪夢を食べてくれた礼は言わなければ。
土方が起きるまで、目を閉じて横で寝転んだままていたところ、いつの間にか寝てしまい、彼の声で起こされることになった。