触れて分かる
軍議が終わり、煙管を吹かしながら、北条氏康は木にもたれかかっていた。
このおかしな世界の軍議は、各々の勢力の代表が集まって、行われている。
その代表者が集まれば、結構な人数なのだ。人の数だけ、意見はある。そこから、意見の食い違いやら、論争で長引くのだ。
皆の意見がまとまり、ようやく解放された。長い時間、拘束され、軍議中は、煙管を吸うわけにもいかない。とても久しぶりに吸う感じがする。
「おい」
煙を吹き出し、上に向かって、呼びかけてみる。どうせ、いるのだろう。
「何用だ」
声だけが風と共に聞こえた。姿は見えない。
「ちっとばかし、横に来い」
「何故」
彼は自分の命令には従順だが、意味が分からないものは、納得するまで、従わない。しかし、理由を言ってしまえば、彼は従わない気がする。
「つべこべ言わずに、来いよ。小太郎」
名前を呼べば、目の前に現れる姿。長身にまとめられた赤い髪。隈取りのような化粧。尋常ではない白い肌。
初めて見たものは、あやかしか化物と大騒ぎするものだ。小太郎自身が、人間離れしているのは確かだが。
「なんだ?」
面倒だと目は言っていた。
隣を手で叩く。
「横に座れ」
小太郎は、ただ立っていたが、言われるがまま横に胡座をかき、座る。
小太郎にもたれかかり、煙管を吸う。男で固いが、人の特有の柔かさがある。やはり、彼は人間なのだと思う。
「氏康」
不満そうに名前を呼ばれた。重いのだろうが、小太郎はふらつくこともなく、差ほど変わらないであろう体重を支えていた。
「ド阿呆の奴らのせいで、疲れた。寝る」
「……我は枕代わりか」
呆れたような声。しかし、小太郎は消えることなく、そこにいた。少しは労ってくれるらしい。
吸い終わった煙管を処理し、仕舞うと、目を閉じた。
「氏康はよく頑張っているからな……」
小馬鹿にしたような言葉。小太郎にとっては、どんなに大きくなろうが、自分の扱いは変わらない。いつまで経っても、子供扱いだ。
「へっ……少しは静かにしろ」
そう言えば、黙ったが、何が面白いのか、笑い出す。
頭を撫でられた。小さい頃、よくやられたものだ。自分は嫌がり、その手を何度も振り払ったものだが。
遠い過去を思い出しながら、いつの間にか、意識を手放していた。
氏康が目を覚ませば、起きたかと小太郎の声が聞こえた。
寝た時と同じ、小太郎にもたれかかったまま。てっきり、いなくなるものかと思っていたが、律儀に枕代わりになっていたらしい。
「お前さんが大人しいなんて……」
小太郎が言葉の途中で、何かを指差す。その先には、髪飾り。反対側には、小太郎の脚を枕代わりにして、寝ている甲斐姫がいた。
口を開け、よだれを大量に垂らしつつ、見事に小太郎の服を濡らして。
「だからか」
「うぬに用があったみたいだぞ」
起きるまで、待っていたが、寝てしまったらしい。最初は木に背を預けて寝ていたが、寝惚けて、小太郎の脚を枕代わりに横になったらしい。
しかし、年頃の娘が、口を開けてよだれを垂らし寝ている姿は、なんとも残念だ。甲斐姫は女性らしくと努めているが、気が抜けると、こうだ。
氏康は、甲斐姫の近くに移動すると、頬を痛くない程度でつねった。
「おい、坊主。起きろ」
「はえ?」
目を開けた甲斐姫はまだ寝惚けていた。
「おや……かたさまぁ?」
「よだれ、なんとかしろ。あと、おばけさんが動けないだろ」
つねるのをやめ、そう言えば、よだれと自分が枕代わりにしているものに気づいたようで、慌てて、起き上がる。
「うあっ!こ、小太郎、ごめん!」
よだれを拭きながら、甲斐姫は謝る。
「子犬がやったことよ……」
あまり気にしてないようだが、小太郎の服には見事に染みが。
「顔、洗ってこい」
近くに川がある。
「う……そうします」
甲斐姫は言葉に従い、立ち上がり歩き出したが、おぼつかない足取り。
その姿を見ていたが、悲鳴と共に、見事に川に飛び込んだ。
様子を見に行けば、川の中でずぶ濡れで、項垂れながら座っている彼女。
自分は呆れていたが、隣では、小太郎が笑っていた。
甲斐姫は顔を上げ、こちらを睨むと、水をかけてきた。下がってそれを避ける。
「心配してくださいよー!」
心配も何も、水をこちらにかけながら、不満をもらしている元気があるのに、どこを心配しろと。
「小太郎、笑うのやめなさいよ!」
水をかければ、小太郎はそのまま水をかぶる。避けられなかったことに、水をかけた本人は、驚いて固まっていた。
「クク……少し付き合ってやろう」
小太郎はそう言うと、川の中にそのまま入っていく。
固まったままの甲斐姫に水を容赦なくかけた。
「やったわねえ!」
水のかけあいが始まる。彼がすすんで、付き合うなど珍しいこともあるものだと、見ていた。甲斐姫はもとより、小太郎も楽しそうだ。
そんな二人を見つつ、川辺に座り煙管を吹かした。
煙管も吸い終わり、川の中でまだ遊ぶ二人に、上がってこいと声をかける。
甲斐姫が返事をし、川から上がってくる。
「そうだ、何の用だったんだよ」
何か用事があったことを思い出す。肌に張りついている濡れた髪を払いつつ、甲斐姫は、思い出したように、ああと言う。
「明日の軍議は、中止っていう伝言ですよ」
連日、続いていた軍議。最近は、あまり実りがないものになっていた。小休憩なのだろうか。
彼女は、着替えてきますと、走っていく。
川の中にまだいる小太郎に、声をかければ、ゆっくりとした動作で川から上がってくる。
「楽しかったかよ?おばけさん」
その問いに返事はなかったが、笑っているといことは、楽しかったのだろう。変なところで彼は人間臭い。
小太郎の気配が、希薄になり慌てて、呼び止めた。不機嫌そうな顔。そのまま、消える気だったのだろう。
「お前、濡れたまんまでいる気か?」
それの何が悪いという目で見てくる。
全身ずぶ濡れでいても、彼は風邪をひきはしないだろうが、それで動き回るのは、はた迷惑だろうし、見るものは少なからず、心配するだろう。
「着替えろ」
面倒だと、目で言われた。
呆れつつも、小太郎の腕を引っ張り、宿舎へと歩き出す。掴んでいる腕が、冷たい。自分の触れる体温さえも、奪っていく。
これでは、普通なら寒いと感じるものだと思うのだが、彼にはそんな様子もなく。
「寒くねぇのかよ」
「……さあ」
曖昧な返事。そういう感覚はないのだろうか。
どうでもいい。着替えさせ、濡れた髪も乾かさなければ。
自分の気が済まない。
「……先に行っているぞ」
掴んでいた腕がなくなる。
風が吹き抜け、今までそばにいた姿がない。
自分の部屋へと急ぐ。
どうせ、彼はそこだ。
自分の部屋に行くと、濡れたまま座っている小太郎がいた。
引きっぱなしだった布団に座りつつ。
そのことに怒ると、彼は楽しそうに笑うだけだった。