幻を纏って
イヴが飛び込んだ後に、絵画に入ろうとした。
ギャリーという存在の代わりに、自分、メアリーという存在ができる。
もう独りではなくなる。
ずっといた、美術館ともお別れ。
「……」
ふと、足を止めた。
この美術館では、独りだ。自分がそうだったように。
作品はあれど、お客様は来ないに等しい。
何人か来たことはあるが、自分のところまで来た人はいない。
自分は寂しさから青い人形を作り、まぎらわしていたけれども。
絵画から見る、向こうの景色と人々に常に憧れていた。
「……っ」
スカートを掴む。ギャリーもそうなるのだろうか。自分と同じように。ただ独りで。
ここに残るということは、作品になるのだろうから、作品たちに襲われることもない。命を脅かされることもないが。
仲間になろうとも、作品たちは、孤独を埋めてはくれない。
「ッ……!」
絵画に背を向け、走り出した。
あちらに帰ったイヴには両親がいる。独りではない。
しかも、ここでの記憶もなくなり、自分のことも、ギャリーのことも忘れているはず。
では、こちらに残るギャリーはどうだろう。
記憶はそのまま、しかも、独り。
その寂しさは知っている。その辛さも知っている。痛いほど。
自分にできること。
それは、それは。
ギャリーを探し、道を遡れば、通路で、壁に背を預け、項垂れていた。
少し上がった息を整え、ギャリーに近寄る。
「ギャリー」
呼びかけ、肩をゆする。
「うっ……」
すると、ゆっくりと顔を上げた。
作品になったのだ。もう薔薇も関係ない。
まだ意識がはっきりしてないのか、前を見ているだけだ。
「ギャリー」
もう一回、呼びかけてみる。
ギャリーが、こちらを見た。暗い瞳。そこに映る自分の姿は。
「……イヴ」
ギャリーが笑う。自分も、笑う。
「なぁに、ギャリー」
声が震えた。
手を繋ぎ、前を歩くギャリーを眺める。
彼の傍にいるには、自分、メアリーではいけないのだ。
薔薇を散らしたのは自分。もう心を許してくれることはないだろう。
だから、彼が命をかけて守りたい存在になった。
本当は、彼が自分をそう認識しているだけ。都合が良い世界を見ているだけだ。
言わなければ、魔法はとけない。
ここにいるのは、二人だけ。
「……イヴ、イヴったら!」
自分が呼ばれているのだと、返事をすれば、目の前に顔があった。
「どうしたの?疲れた?」
彼が屈み、自分を見ていた。心配そうな表情をしている。
「ううん、大丈夫」
屈むのをやめ、顔が離れていく。
「疲れたら、言うのよ?」
頷けば、また手を繋ぎ、歩き出す。
イヴの時も、こうしていたのだろう。
歩調も自分に合わせてくれている。
ギャリーといた時は短く、自分はイヴだけを気にかけ、彼を邪魔者としか見ていなかった。
しかし、改めて一緒にいると、彼はとても優しい。
そういえば、最初に、一緒に行こうと言ってくれたのも、彼だ。
「出口、どこなのかしら」
そう言う彼の行く方向は、わざとなのか、だんだん出口から遠ざかっていた。
ずっと、さ迷うのだろうか。
ここは、空間がデタラメだ。迷っていた時と道は変化している場合もある。
今、通っている道も知らない。
「ギャリー、私、疲れた」
ずっと歩いている。少しは、立ち止まってもいいだろう。
ギャリーの足が止まる。
「じゃあ、あそこの部屋で休みましょう」
「うん」
扉を開け、部屋に入った。
そこは本棚しかなかった。
仕方なく、壁に背を預け、床に座ることにした。
しかし、彼は座ることなく、立ったまま。
「イヴは座っててね」
てかがりがあるか、調べるわと本棚を調べ始めた。
出口の手がかりなんてない。
この美術館は、一度入れば、出ることを禁止している。
出口はある。その道標がないだけ。
無駄なことをしている。そうは言えない。あの一生懸命な目。
今では、少しだけ、イヴがギャリーを選んだ理由が分かる。
自分の為にこれだけのことをしてくれているのだ。
無性に悲しくなって、立てていた膝に顔を埋めた。
「イヴ!ど、どうしたの?お腹でも痛いの?」
走って来る音に顔を上げる。
そんなに慌てなくてもいいのに。
「大丈夫」
「本当に?」
「うん」
何かあれば、すぐ言ってと、彼は本棚のところに戻っていった。
本を真剣に読み進める彼を眺める。
彼といれば、ここであっても、独りじゃない。
向こうに行きたい願望は今でもあるけども。
しかし、彼を帰してしまえば、自分は独り。自分があちらに行っても、彼は独り。
なぜ、迷ってしまったのだろう。
絵に飛び込んでしまえばよかった。
そうすれば、こちらの記憶が消えたかもしれないのに。
目を開ける。
いつの間にか、眠っていたらしい。
見えるのは、緑と肌色。
「あら、起きたのね」
見下げる彼。頭に当たる柔らかい感触。
慌てて、起き上がれば、黒い布が体に、かけられていた。
「急に起き上がって大丈夫?」
笑う彼を見れば、コートを着ていない。上半身はタンクトップだ。
掴んでいた黒い布をよく見れば、彼のコートだった。わざわざ、かけてくれたのだろう。
「ありがと……コート」
引きずりながらも、コートを渡せば、彼はお礼を言い、受け取る。
「いいのよ。変な夢は見なかった?」
「なんで?」
「あの時、怖い夢を見たって、言ってたから」
自分は、知らないイヴとギャリーとの思い出。
「うなされてはなかったけど……」
「見てないよ」
絵は夢なんて見ない。見れない。
「そう」
安心したように笑い、彼は頭を撫でてきた。
恥ずかしく、うつむく。
頭を撫でられるのは、久しぶりだ。父に撫でられただけ。しかも、一度だけ。
「ギャリー」
「ん?」
顔を上げれば、頭を撫でるのをやめ、彼は微笑む。
「一緒にいてね」
「あたり前じゃない」
その目は自分を見ていなくとも。
「イヴ」
名前を呼ばれなくとも。
二人なら寂しくないから。
彼の胸に頭を預けた。
「ど、どうしたの?」
鼓動が早くなったのが、分かる。
「なんでもない」
なんだか、おかしくて笑った。
目から溢れ出そうになるものは堪えて。
魔法は解かせない。