伝えたいのは愛情なのに
スピードワゴンは、仲間に承太郎が自分を呼んでいると聞き、教えられた酒場に向かった。
彼が自分を呼び出すなど珍しい。兄のジョセフなら、いつものことなのだが。
緊急事態なのだろうか。喧嘩をしても、体格が良く、心得もある彼が負けることなど、滅多にないのだが。
承太郎がいる酒場に入り、混んでいる中で、背が高く、目立った彼を見つける。喧嘩の助っ人ではないらしい。
「おう、なんだよ、承太郎。おれを呼び出すなんて珍しいな」
「すまねえな。ディオがうるさくてな」
出された名前に顔がひきつっていく。
前に酔っぱらった彼女に絡まれたときは散々だった。
タダ酒がを飲めたのは嬉しいが、ジョセフをからかったためか、彼女が密着してきたからか、後日、殴られたのだ。手加減はされていたが、痛かった。
またそんなことになるのは、ごめんなのだが。
姉に異常に執着している弟の前で、前みたいなことが起これば、手加減なしに殴られてしまうのだろうから。
「来たかァ?」
「ああ」
承太郎が動くと、彼の陰に隠れていたディオが現れた。グラスを持つ彼女は、もうすでに、顔は赤い。
今すぐ、ここから逃げ出したかったが、後ろに一歩踏み出す前に、承太郎に腕を掴まれ、空いている席に座らせられた。
腹をくくるしかないと諦めた。
承太郎がスピードワゴンを呼び出したのは、酒を飲める相手を連れてこいと姉が言ったからだ。自分では、相手にはなれないらしい。
自分は未成年だが、飲めるは飲める。ここでは、金さえ払ってしまえば、酒が出てくるし、自分も何回か飲んでいる。
しかし、お前はジュースでも飲んでいろと、彼女が酒を飲ましてはくれない。持っているジョッキに入っているのは、ただのぶどうジュース。
連れてこようにも、彼女を一人にするわけにはいかない。自分がいなければ、変な虫が寄ってくる。
しかも、彼女は酔うと、過度なスキンシップが始まるとジョセフに教えてもらった。その前に、ジョナサンからディオに外では酒を飲ませないようにと言われていた。
なぜだろうと不思議に思っていたが、酔っぱらった彼女を見て理解した。
今さっきまで、抱きつかれていたのだ。頭を撫で回され、髪は少し乱れている。
飲み相手は限られる。誰か連れてこいと騒いでいた彼女に、相手をしてやろうかと、鼻の下を伸ばした男が何人かやってきたが、全て追い払った。
ジョセフは仕事だと聞いていたし、ここにジョナサンを呼ぶわけにもいかない。
ディオに酒場に連れてこられ、止められていたことを聞いたが、聞く義理はないと一蹴されたが、家族と一緒なら、少しだけなら良いジョナサンがと言ったと。
聞いてくれない彼女に、兄は妥協案を出したらしい。その案も無視され、飲みに飲んでいるのだが。
スピードワゴンぐらいしか思い出せず、知り合いに金を握らせ、探させた。
その彼も来たが、逃げようとしたので、無理矢理、座らせた。逃げたいと目が言っているが、ディオが酒をすすめ、それを苦笑いを浮かべ、受け取っていた。
「承太郎は飲めんからなー。たくさん飲めよ、スピードワゴン」
彼女は気づいていないのか、自分だって飲んでいるのだ。入っている酒の量に疑問を抱かないほど、酔っぱらっているのだから、これ以上、飲ませてはいけない。
顔に出ないことは、ありがたいことだった。
「ありがたく、飲ませていただきますよ」
今日は、承太郎がいるため、前の時みたくはならないだろう。兄弟たちの前で、彼女に密着された時は、生きた心地がしない。
飲めとディオに急かされたため、一気に酒を煽る。
ディオが持っていた酒瓶を乱暴に置いた。その音が耳をつく。
「承太郎が、甘えてこない」
不機嫌そうに彼女が言う。
「そりゃあ、そうだ」
スピードワゴンが自分を見て、笑う。
「数年前までは、わたしを追いかけてきては、手を繋いでくれとせがんできたのに……!」
いったい何年前の話をしているのか。彼女が来たくらいまで遡るはずだ。
しかし、いつから兄や姉たちに甘えなくなったのだろうか。今でも、可愛がってはもらってはいるが。
ジョナサンとは、よく遊んだし、勉強を教えてもらった。
ジョセフとは、一緒に悪戯をしたり、余計とも言える知識を吹き込まれたりもした。
ディオとは、一緒に寝たり、でかけたり、喧嘩の怪我を手当てをしたりしてもらっていた。
今でも、兄弟たちとは仲が良いが、甘えることはない。
自分でできることも増え、できることはしている。大人になったのだと、主張するように。
「さあ、甘えてこい、可愛い弟よ!」
こちらに腕を広げ、ディオは笑う。
彼女が言う幼いときなら、何も思わずに胸に飛び込んだだろうが、今は、自分は彼女より、背も高く、周りの目も気にするし、何よりも男としてのプライドがある。二人きりなら、喜んで飛び込んでいくが。
動かないことで暗に拒否していると、頭に彼女の手が回ってきて、そのまま、胸へと押しつけられた。柔らかく、あたたかいものが顔を覆う。
「恥ずかしがるな!昔のように甘えてこいッ!」
頭を引き離そうとしたが、上から押さえつけられ、何も変わらない。
スピードワゴンは、飲んでいた酒を吹き出しそうになるのを堪え、なんとか飲み込んだ。
彼らの姉は、びっくりする行動をよくしてくれる。
胸に顔を埋める承太郎は、離れようとしていたが、諦めたのか、逆にディオの体に腕を回し、それを享受し始めた。
とても羨ましい。男なら一度は憧れるだろう。金を払って、それをしてもらう者もいるほどなのだ。
弟に甘えられているのが嬉しいのか、ディオは頭を撫で、満足げに笑みを浮かべている。
このままでもいいのだろうかと、内心、オロオロしていたが、自分は二人をただ眺めて、酒を飲んでいるだけだった。
頭から手が離れ、承太郎が頭を胸から離すと、ディオが今度は、こちらの胸に飛び込んできた。
「可愛いなあ、お前は!」
そうしている彼女の方が、とても可愛いのだが。
「ディオ」
名前を呼ぶと、彼女はこちらを見る。頬を赤く染め、潤んだ目で上目遣いで見られれば。なかなかの破壊力がある。無意識にやっているのが、たちが悪い。
理性がぐらつく。それをなくして、襲えてしまえば、どんなに気が楽か。
姉だが、彼女とは血が繋がっていない。恋人になろうと思えば、なれるのだ。
血が繋がっていたら、ただの姉として、家族として、こんな気持ちを抱かずに、ひかれはしなかったのだろうか。
意味のない仮定ばかり、頭を埋め尽くしていく。
そんなことは関係ないと、頭を振る。
今は、彼女が愛しい。それだけだ。
自分はディオがーー。
「好きだ」
口からこぼれた本音に、視界の端でスピードワゴンが吹き出した。
「ああ、わたしも好きだぞ!」
抱きつくのをやめ、何度も彼女は頷く。
その好きは、家族として、弟としてなのだろう。
違うのに。一人の女性として、見ているのに。
どうすれば、この気持ちが伝わるのだろう。一人の男として、見てくれるのだろうか。
ディオは自分を見ておらず、酒瓶に手を伸ばしていた。
それに口を付け、飲んでいくが、口を離した時に、こぼれた酒が、肌を伝い落ちる。
「もったいねえ」
顎に指を添え、それを舌で舐めとる。
「犬みたいなことを……するんじゃあない」
そう言い、手でそこを拭うが、その手を取り、指を軽く噛む。
「あれだけで酔っぱらったか?」
酔っていることは酔っているが、自分は意識も思考もはっきりしている。
でも、酔っぱらっていることにしてしまえば、戯れとして許してくれるのではないだろうか。
指を解放し、顔を近づけていく。
「お、おい、承太郎……!?」
焦るスピードワゴンの声。
すると、頭を両手で掴まれ、ディオの顔が近づいてきた。
「……!」
彼女の顔は少しそれて、頬に唇が押しつけられ、そのまま、自分に体を預けてくる。
見ると、彼女は目を閉じている。
限界がきたのだろうか。テーブルにのっている瓶の数を見て、酔い潰れるのもしかたないかと思った。
「おい、ディオ」
声をかけるが、反応が鈍く、目も開けずに眠いと、こぼす。
あのキスはなんの意味があったのだろう。これくらいで我慢しろということだろうか。
それなら、口にしてくれればいいのに。
噴き出した酒を取り戻そうと酒を、スピードワゴンは飲んでいたが、それをやめる。
酔い潰れたらしいディオを見る承太郎の目が危ない。まるで、獲物を見つけた時の肉食獣のような目だ。
「おい、寝込みを襲うなんて、紳士じゃあねーぞ」
らしくない言葉をかけてみる。彼は今にも、目の前で無防備に寝ている獲物を食べてしまいそうだ。それは、止めなければならないと、自分の直感が言っている。
人の恋路はなんとやらだが、ジョセフのこともある。彼も彼女を想っているからだ。
「……てめーに言われたくねえな」
目から、欲の光が弱まり、納得がいかないという目がこちらを見た。紳士とはほど遠い自分に言われ、不服のようだ。
「まあ、正々堂々としろってこった。もう、帰るか?」
彼は頷くと、彼女が飲んでいた酒を飲み干し、払っておいてくれと金を差し出してきた。
それを受け取ると、彼女を起こし、椅子に座らせると、立ち上がり、着ていた上着を彼女にかけ、軽々しく抱き上げる。その手つきは、まるでガラス細工を触っているかのようだ。彼女だけに向けられる愛情が感じられる。
そんな彼女は、それを感じているのかは知らないが、目を閉じて、彼に体を預けている。
「じゃあな」
「ああ。まっすぐ、家に帰れよ」
手を振り、二人を見送る。
自分が見ていないところで、承太郎がディオに手を出しても、それは自分が知ることではない。そこまで、面倒はみれない。
彼が暴走しないことを願うばかりだ。
馬車を探すため、大通りを目指し、承太郎は歩いていたが、抱えている姉の軽さに驚いていた。
体格の差はあるとはいえ、こんなに軽いとは。
抱きしめたときの細さを、思い出していた。この腕にすっぽりと入ってしまうのだ。この軽さも頷けるが、少し痩せすぎではないだろうか。
あんなに大きいと思っていた彼女の存在が、小さく見える。
彼女を軽々しく運べるほど、自分は大きくなったのだ。
やはり、キスくらいしても、別に。
「大きく、なったな……」
聞こえた声に、現実に戻される。
「わたしを、運べるのか……」
ディオを見れば、嬉しそうにこちらを見ていたが、また目を閉じていく。
「ああ、ディオより大きくなったぜ」
主張するため、彼女に回す腕や手に、力を込める。
「でも……図体だけだ。お前は大きくなっても……」
その後の言葉は続かなかった。
しかし、容易に続く言葉は予想できた。自分が望む言葉ではない。
「なんでだよ……」
やはり、真っ正面からぶつかるべきか。
そうだとしたら、今、意識がはっきりしていない彼女にキスをしても、何も変わらない。
この気持ちが伝わらなければ、意味がない。
起きている彼女に、愛していると言って、口づけをすれば、嫌でも伝わるはずだ。
馬車を捕まえ、家へと帰った。
泥酔しているディオを部屋に運び、ベッドに横にしようとしたが、姉と離れるのが嫌で、彼女を抱いたまま、ベッドに座っていた。
しかし、それをずっとしている訳にもいかない。自分も眠くなってきた。
彼女をベッドに横にしているときに、名前を呼ばれ、腕を掴まれた。力は弱かったとめ、すぐに滑り落ちていく。
「いくな……」
その言葉に、分かったと返事をし、上着を脱ぎ、彼女と一緒にベッドに横になった。
意識がはっきりしているのか定かではないが、ディオは身を寄せてくる。
触れているところがあたたかい。
酒も入って、疲労もしている。まぶたが重くてしかたない。
自分の部屋に戻るのも億劫で、彼女ともっと一緒にいたくて、そのまま眠った。
「承太郎」
承太郎は、名前を呼ばれて、目を覚ました。鳥の鳴き声も聞こえ、部屋も明るい。朝になるのは早い。
「おはよう」
上から覗き込んでいる人物に、腕を回し、引き寄せ、膝の上に頭を置き、また目を閉じる。
「……寝ぼけているのか?」
それなら、そう思っていてくれと、返事をしなかった。
優しく手が頭を撫でる。
無条件に彼女が受け入れてくれるのは、自分の特権だろう。
ディオが退いてくれと言うまで、このままにいることにした。