懇願
「ディオ」
名前を呼べば、こちらを見て、彼女は赤い顔で笑う。
「なんだ?」
「少し飲み過ぎじゃあないのかい?」
成人して、酒が解禁されて二人で飲んでいるのだが、彼女は酔っている。
なかなかのハイペースで飲んでいると思ったが、そろそろ止めた方がいいかもしれない。
「飲み足りないぞ!お前はあまり飲んでないな」
そう言いつつ、グラスに入っている酒を一気に煽っていく。
「飲むにしても、もう少しゆっくりと……」
飲み干したグラスを置くと、不機嫌そうに睨んでくる。
「お前も飲め、ジョナサン」
まだグラスには酒は残っているが、並々と注がれる。
「飲むけど……」
記憶を無くすほどは飲みたくはない。自分がどれだけ飲めば酔うのか分からないので、警戒して少しずつ、飲んでいるのだが。
彼女が飲めとうるさいので、少しだけ飲み、またグラスを置く。
目の前では、酒をグラスに注いでいるディオ。
ボトルは何本か空になり、机に置かれていたが、邪魔だと床に置かれているものもある。
「水、持ってくるよ」
立ち上がると、ヒラヒラと手を振られた。
水差しを持って部屋に戻ると、うつむいているディオ。グラスはどちらとも空になっていた。彼女が飲んだのだろう。
机に水差しを置く。
「ディオ?」
声をかけると、彼女が顔を上げた。こちらを見る目はすわっている。
これは、限界がきているとグラスに水を注ぎ、彼女の前に置いた。
そのグラスは触れずに彼女は、椅子を指す。
「座れ」
なぜだろうと思いながら、その言葉に従う。
椅子に座ると、彼女が立ち上がり、自分の膝に座ってきた。
「ジョナサン、お前はこのディオの椅子だ!」
ケラケラと笑い、彼女は体を預けてくる。首に腕が回り、体が一層、密着してきた。
「ディオ、あの、ちょっと」
動けば、顔が近づいてくる。
「なんだ?椅子は椅子らしく大人しくしていろ」
軽い彼女が自分に座ってきても、苦ではないが、違う意味で自分が困る。
近くにある色づいた頬、潤んで焦点があっていない目に、濡れている唇。触れる柔らかい体と高い体温、鼻をくすぐる彼女の香りには、酒のせいで艶っぽさが増幅されていた。
自分も酒が入っているせいか、その誘惑に負けそうになっている。顔が赤いのは酒のせいだと誤魔化せるが。
「顔が、ち、近い……よ」
「それがどうした?」
こちらの気持ちを弄ぶように、彼女が顔を近づけてくる。兄弟に対して、彼女は異性だということを意識しない。だから、平気でやってくるのだろう。
しかし、自分は、家族だろうが、義理の兄弟だろうが、彼女のことを一人の。
「み、水!水、飲みなよ」
どこか違うところに意識を向けようと、顔をそらし、水が入ったグラスを、手に取り、彼女の前へと持っていく。
「酒を飲ませろ。そんなもの、いらん」
耳元で不意に艶っぽい声で言われ、かかる熱い息に我慢の限界が。
理性を保てと、何回も頭の中で繰り返す。
「わっ!」
冷たいものが体にかかる。手を見れば、グラスがない。彼女の膝の上には割れた硝子。
「っ……!何をしている!?」
自分はグラスを砕いてしまったらしい。
ディオも被害を被り、服が濡れてしまっている。肌に布が張り付き、胸や脚の形がよく分かるようになっていて、見てはいけないと視線をそらす。
「け、怪我はない?」
「ああ」
硝子を彼女から退ける。指を切らないように慎重に。苛々している彼女の視線を感じつつ、全て退けると、膝の上から彼女がおりた。軽くなった膝に物足りなさを覚える。
「わたしが濡れたではないか!阿呆が!」
「ごめん……」
「貴様、酔っ払っているのか?貧弱!貧弱ゥ!」
自分のことを棚に置いて、罵倒しつつも、彼女は瓶を手に取ると、そのまま飲んでいく。
「酒!飲まずにはいられないッ!」
その後、続いた笑い声に完全にできあがったなと思いながら、部屋に戻って着替えてきなよと声をかけ、砕けたグラスを回収し、部屋を出た。
タオルと新しいグラスを手に部屋に戻ってくると、なぜか自分のシャツ一枚だけを着たディオに迎えられた。
しかも、ボタンをかけ違えていて、できた隙間から肌が見え、ブカブカの上に第一ボタンも、とめられていないため、自分からは見ようとしなくても、胸が見えそうになっている。
下も何もはいていないため、普段は隠れている脚が出ていた。
「戻ってくるのが遅いぞ!ジョナサン」
「な、なんで、そんな恰好なんだい?」
どこに視線を向ければいいのか。見上げる彼女の目を見ても、視界の端にうつる鎖骨や膨らんだ胸。視線が定まらない。目を覆い隠したくなるが、そんなことをすれば、彼女は怒って引き剥がしてくる。
「貴様がそう言ったのではないか。先ほどのことを、もう忘れたのか?」
お前の脳みそはどうなっているんだと、頭が両手で掴まれた。
あの言葉だと、普通は自分の部屋に戻り、着替えてくるはずなのだが。
床に脱ぎ捨てられているドレス。部屋に戻るのが面倒だと自分の服を勝手に引っ張り出したのだろう。着替えろというところだけしか聞いておらず、部屋に戻るという言葉は切り捨てられたらしい。
「あんな役に立たん知識ばかり詰めているからだ」
頭がガクガクと振られる。自分も少し酔っているので、気分が悪くなる前に、タオルとグラスを片手で持ち、彼女の手を握りやめさせる。
「楽しいよ。考古学」
「ふん、過去ばかり見ていては、前には進めんぞ」
彼女は自分から離れ、テーブルへと向かっていく。
自分もテーブルに向かい、グラスを置くと、濡れた服を着替えようとクローゼットに向かう。
途中でドレスを拾い、ソファーの背もたれにかけておいた。
少し開いたままのクローゼットを開け、着替えを取り出す。
異性の前で着替えていいものかと彼女の方を見たが、こちらに背を向けて酒を飲んでいたため、自分も彼女に背を向け、服を脱いだ。
濡れていたところをタオルで拭いていると、背中に冷たいものがあたり、声をあげた。
「お前の頭はろくでもないが、体は逞しいな」
振り向けば、酒を飲んでいたはずの彼女が真後ろにいた。触れたのは、濡れている指。肌をなぞるようにそれが動く。
「くすぐったいよ」
それから逃げるように身をよじる。
「む、逃げるな」
腹に腕が回り、背面に彼女の体が密着する。今は、何も着ておらず、彼女もシャツ一枚。薄い布越しに触れる人肌と柔らかさに、硬直する。
「はぁ……」
彼女の吐息が背にかかり、その一瞬の熱さに、飛び上がりそうになった。
「わたしから逃げ出そうなど、百年早い」
「逃げようだなんて……」
「今もそうしようとしているじゃあないか」
密着されては、着替えられないし、男であるため、反応はするわけで。
離れようと動けば動くほど、巻きつく腕の力が強くなり、一層、密着され、内心、叫び声をあげた。
「き、きがえ、られない、し、さ……!」
動揺しつつも、離れてもらおうと言葉を連ねた。
「一人では着替えられないのか?まだまだ子供だな」
彼女はそう言うと、離れていく。解放されたと一安心していると、彼女が自分の服を手に取った。
「ほら、さっさと腕を」
彼女が後ろに立ち、まるで使用人のように服を持っていた。袖に腕を通せば、もう片方の腕も通せと言うので、言われた通りにする。
そうすれば、彼女は前に来た。前を掴み、服のボタンをとめていく。あまり手が動かないのか、悪戦苦闘している。だから、自分の着ているシャツのボタンもちゃんと、とまっていないのだろう。
「自分でするよ」
「このわたしにできないことなどない」
なぜか、意地になっている。それなら、かけ違えた自分のボタンをどうにかすればいいのに。視界に入ってくるものは、仕方ないのだが、気になってしまう。
「ねえ、ぼくのより自分の方を」
「うるさい」
一生懸命になっている姿は可愛いと思うが、彼女のシャツへと手を伸ばすと、何をするのかという目が自分を見上げた。
上からボタンをとめていく。かけ間違えているものも、ちゃんと外して。見える肌や見えそうになる胸に目が泳ぐ。
「はい」
彼女はシャツを掴んで、何をしたのかを確認すると、こちらを指す。
「それくらい、わたしもできるぞッ!」
対抗心に火をつけたのか、自分のシャツのボタンをとめようとしていく。
時間をかけて、ボタンが全てとめられた。
「どうだ!」
「ありがとう。ディオ」
素直にお礼を言うと、得意気な顔をされた。
「お前はわたしがいないと駄目だな」
「うん」
「手のかかる兄弟だ」
「うん」
「いい大人なんだぞ」
「うん」
だから、一緒にいてほしい。なんて、言えたらいいのにと思った。
酔った勢いで言えばいいのだろうが、それはこの良好といえる関係を崩すことにならないだろうか。酔っ払った彼女に言っても、その意味が伝わるのか。
目の前にいた彼女が背を向けて、離れていくのが、とても寂しく思い、腕を伸ばした。
「どうした?」
後ろから抱きしめる。熱い小さな体。酒とディオの匂いに満たされ、理性が揺れるのが分かる。
「どこにもいかないで」
「どこにもいかんぞ?酒を取りたいだけだ」
離せと言われたので、渋々だか彼女を解放すると、酒瓶を手に持つと、飲みながら、目の前に戻ってくる。
「お前も飲め」
口をつけたばかりの酒瓶をためらいもなしに、差し出された。
それを受け取り、酒を飲むと彼女は嬉しそうに笑い声をあげた。
その後、すぐに酔いつぶれたディオを部屋に運び、ベッドに寝かせた。
深く眠っているようで、頭を撫でても起きる気配はない。
手を持ち、白いてのひらに口づけた。
少しは伝わればいいと、微笑んで、部屋を後にした。