血でできた道を歩いていく
テレンス・T・ダービーは目の前の人物の頑とした態度にため息をついた。
「下げてくれ」
椅子に腰かける彼はこちらが用意したものに見向きもしない。
「ぼくはいらないと何度も言っているじゃあないか」
これを準備するのは主の命だ。自分はそれに従っているだけ。
彼の言葉は主と同等であるが、仕えている主人の言葉が最優先だ。
「これはあなたのお食事です」
机にのっているワイングラスを手で示す。
「ジョナサン・ジョースター様」
ジョナサンはうんざりしたような顔でこちらを見てくる。
主の義兄弟であり、同族。主人がこの世で一番、大切にしている存在だろう。恋人――とは少し違うようである。
目が覚ましてからは、主人は機嫌がとても良いが、彼はずっと浮かない表情だ。
色々とあるようだが、主人が彼に愛情があるのは間違いがないのだ。
「ぼくはそんなものいらない」
彼がいうそんなものとは血液だ。とりあえず、買ったものを彼には出しているのだが。
「しかし、あなたにこれを与えろとDIO様の命令ですので」
主の名前を出すと、彼は悲しみにも怒りにも見える表情をする。
「じゃあ……帰ってきたら、彼に……」
「DIO様はお飲みになりませんよ」
彼が摂取するのは女性の生き血だ。望まれて血を吸われに来る者も多いため、困ってはいない。
作り出される死体はジョナサンが目が覚めてからはヴァニラ・アイスに処分させ、彼には見せないようにはしているが、彼は言わないだけで、気づいているようだ。
「どうせ、飲まされるのですから、今、飲んではいかがですか?」
一応、毎回、グラスは空になる。DIOがジョナサンに口移しで飲ませているようだ。どうやって飲ませたのか聞いたら、そんな答えが返ってきた。
「ぼくは、飲まない」
彼の手がグラスに触れたが、手の甲で倒され、とっさに手を差し出したが、茨で牽制された。ジョナサンのスタンドだ。
グラスは机から落ち、ガラス片となり、血が床に広がった。
「……手が滑った、すまないね。君はなにも悪くない。ぼくが割ってしまったから、今日は飲めなかった……そう伝えてくれ」
新しいものも用意できるが、飲まないものを出しても意味がない。彼が言ったことをそのまま帰ってきた主人に伝えてから、用意した方がいいだろう。
彼はスタンドを消し、椅子から立ち上がり、割れたグラスを拾おうとしたので、おやめくださいと止めたが、彼はぼくが割ったからとやめなかった。
彼と一緒にグラスを回収し、血も拭いて、部屋を出た。
時計を見て、そろそろ主人が帰ってくる頃だろうと玄関に向かうと扉が開いた。
「おかえりなさいませ」
スタンドの力で扉の前まで行き、頭を下げる。
彼は着ている上着を脱ぐと差し出してきたので、それを受け取り、歩く彼の横につく。
「ダービー、ジョジョは飲んだか?」
いつもの質問に首を横に振る。
「いえ、今日はジョナサン様が手を滑らし、グラスを割ってしまって……」
ジョナサンに言われたことを伝えると彼は立ち止まる。
「……そうか。食い物は粗末にするなと厳しく教えられていたはずだがなァ……」
DIOは笑っていた。その表情に彼はジョナサンがわざとやったのだと確信しているのが分かった。
「ダービー、もうジョジョに血を用意はしなくてもいい……が、あいつが一人で飲めるように少し協力してもらおう」
その協力の内容を説明している彼の目は爛々としている。
「仰せのままに……」
説明を終えた彼は笑い声をあげながら、歩いていく。自室に向かうのだろう。ジョナサンが待つあの部屋に。
血は用意しなくていいと言われ、ジョナサンに血を持って行かずにいると理由を問われた。
主人から用意しなくていいと命を受けたと説明すれば、彼の白い顔が青くなる。なにかを察したようだ。
それには気づかない振りをする。どうかされましたかと聞いても彼はなんでもないと首を横に振るだけだ。
「紅茶をご用意しましょうか?」
飲まず食わずでも吸血鬼は生きられるようたが、空腹を誤魔化すにはなにかを口に入れたいだろう。
「あ、ああ……ありがとう」
彼は無理矢理、作った笑顔をこちらに向けてきた。
血を用意されなくなって、二日。ジョナサンは渇きに苛まれていた。
一日目はこれほどまでに血を飲みたいとは思っていなかったが、時間が経つにつれ、酷くなるばかりだ。飲み物や食べ物を食べても誤魔化しきれなくなっていた。血しか生きる糧はないのだと体が主張しているように。
「ジョ〜ジョ〜」
苦しんでいる自分の耳に明るい声が突き刺さる。
見上げるディオ・ブランドーは笑顔でこちらを見下ろしていた。腕が伸びてきて、頬に手を添えられる。
「顔色が……いや、悪いのは元からだな。ふふ、血を飲まないからだぞ」
彼は手を離し、執事の名を呼び、手を上げる。いつの間にか入ってきていたダービーは、グラスとナイフを手にこちらまでやってくる。いつも血が置かれる机に彼はグラスとナイフを置く。
「なにを」
自分が身を乗り出そうとしたところ、体に回る腕で阻害された。
「準備を」
「かしこまりました」
ダービーは服の袖を捲り、腕を露出させると、ナイフで切った。指をグラスに近づけ、滴る血を注いでいく。
「なっ……」
彼はまたナイフで腕を切る。注がれる量が増える。
「新鮮な方がいいのだろう? 古い血が飲めないから、飲まないのだろう? ダービーは、おまえを心配してここまでしてるんだ」
「違う……ちが、う……」
その声は震えて、か細くしか出てこなかった。
血の新鮮さなんて知らない。どんな血だとしても飲みたくないだけだ。そう思っても、部屋に充満していく血の匂いだけで、それを飲みたくなってしまう。
ダービーは無表情で腕の傷を増やし、ゆっくり血で杯を満たしていく。
「や、めてくれ……やめてくれ……」
彼に手を伸ばすが、体に回るディオの腕が邪魔をする。止める言葉を何度も言うが、ダービーは聞こえていないのか、腕を切ることはやめない。
ある程度、杯に血を満たすと彼はようやく腕を切るのをやめ、ナイフを置いた。血が止まるのを確認し、その腕をタオルで拭う。
ディオが自分から離れ、グラスを持つ。
「さあ、飲め」
目の前に差し出される血の杯。飢えている自分の喉が鳴る。ダービーを見ると彼は首を縦に振る。
「お飲みください」
ダービーの声に推され、差し出されたグラスに手をゆっくりと伸ばし、それを手に持つ。手は震えていた。
「両手で持てよ。落とさないようにな」
自分の手に手を添え、こうするんだと子供にするように彼は両手でグラスを持たせてくる。
ゆっくりと口に近づけていけば、血の匂いは濃くなる。グラスに口をつけ、傾ければ、血は口の中に入ってくる。口内に広がる血の味に体が喜んでいた。一気に血を飲み干せば、目から涙が溢れる。
「ほう、生き血は涙を流すほどおいしかったのか」
ディオは笑いながら、グラスを回収する。
血が美味しいから涙を流しているのではない。ダービーには申し訳なく思い、これをやらせたであろうディオが怖かった。目の前で自分を傷つけ、流した血を捨てることなんてできない性分だと彼は知っている。
「用意するダービーも辛いだろうからな………今度は血をヴァニラに貰おうか」
彼の腕を掴む。なんだと笑顔が返ってきた。
「……ど、どんな血でも一人で飲むから、やめてくれ……お願いだ、ディオ……」
彼の仲間なら血を提供するくらい、なんとも思わないだろう。目の前でこんなことが繰り返されるなら、誰が流したか分からない血を飲む方が幾分かいい。
「ほう、そうか。それは重畳。協力、感謝するぞ、ダービー」
「いえ……」
ダービーを頭を下げると空になったグラスとナイフを手に部屋を出ていこうとする。
「あ、腕の手当てを……」
傷だらけの腕が痛々しい。
「それまでには及びません」
「少し休むがいい。なにかあったら、ヴァニラを呼ぶ」
「かしこまりました」
扉が閉まり、ディオと二人きりになる。
「きさまが大人しく血を飲んでいれば、ダービーは傷つくことはなかった」
彼は濡れている頬を拭い、目尻にたまっている涙を指で拭う。
「自覚しろ……ジョジョ。おまえはわたしと同じ吸血鬼なのだ」
彼の顔が近づき、目を伏せれば、唇に唇が押しつけられた。
ダービーが部屋を出れば、ヴァニラがいた。主人に呼ばれたという彼は傷の手当てをすると部屋までついてきた。
彼に傷の手当てをしてもらう。中であったことを知っているようだった。
「わたしなら首を落とすがな」
その方が効率がいいと彼は言い放つ。グラスを一瞬で満たせるだろうと。
「そんなことをすれば、DIO様に仕えることができなくなるじゃあないですか。ジョナサン様も血を飲まないかもしれない」
あくまであれは、ジョナサンが自ら血を飲むという行為をすることとそれを継続させることを誓わせることに意味があるのだ。
自分のせいで首を落としたとなると、彼はショックで飲まなくなるかもしれない。
「まあ、これでジョナサン様の食事は楽になります」
ただ血を運ぶだけで、すぐに飲んでくれるだろう。意味のない説得をする必要もない。
「……終わったぞ」
包帯を巻かれた腕。ヴァニラに礼を言う。
彼は立ち上げると部屋を出ていく。
主人から出された暇の間、人形たちの手入れをしようと立ち上がった。