素直になって
ジョナサンは一日、上の空だった。
友人に話しかけられても、一言目は無視され、もう一度、声をかければ、気づいてはくれるのだが。
友人たちは勉強のし過ぎで体調でも優れないのかと心配しても、ジョナサンは大丈夫だと笑うだけ。
しかし、話しかけなければ、意識はここにあらず。
彼らが早く帰って寝ろと言えば、彼は頷くだけだった。
帰り道、足が重い。
ジョナサンはゆっくりと帰宅していた。本当は帰りたくはないが、家事をしなければならないし、晩御飯も作らなければ。
彼に――ディオに小言を言われてしまう。彼の顔が浮かび、朝のことが連なって思い出され、それをかき消すために、頭を振った。
少し暑い。今、顔は赤いのだろう。口を覆い、出てきそうになった情けない声を抑える。
今朝、いきなりディオにキスされたのが、こうなる原因だ。
「おまえはわたしのものだ」
そう言った彼は真剣そのもので。
自分をかき乱すには充分だった。今日の講義も頭には入っていない。気づけば、いつの間にか講義は終わっており、ノートも白紙だったが、それは友人に借りればいい。
しかし、この状況をどうにかするのは自分しかいない。ジョセフを巻き込むわけにはいかない。その前に言えるわけがない。
兄弟に、義理だが。男に唇を奪われたなど。
「あれ……?」
帰りに寄ろうとしていたスーパーを通り過ぎていることに気づき、しっかりしろと頬を軽く叩き、今来た道を引き返した。
買い物を終え、家に帰る。
まだディオが帰ってくるには時間がある。家事を終わらせて今日は早めに寝てしまおうか。
そうすれば、ディオと今日は顔を合わさずに済む。
だがそれは、ただの問題の先伸ばしで、何も解決していない。こんな気持ちを抱えて明日も過ごすなんてたまらない。やはり早々に解決したほうがいい。
しかし、ディオはなぜ、あんなことをしてきたのだろうか。
寝惚けていた訳でもない。シーザーのように熱に浮かされてもいなかった。嫌がらせにしては、今回は何かが違う気がする。
男が男にキスをするなんて、余程のことがない限り、彼でもしないだろう。
彼に真意を問いたところで素直に話してもらえるとは思えない。
ディオは自分の質問には、はぐらかし、すぐに口を閉ざしてしまうから。
視界の端で何かが光った。机の上にある携帯が、光っていた。講義の間、鳴らないように設定していたことを思い出し、携帯を取る。鳴るように戻し、来ていたメールを見る。
ジョセフからだった。シーザーが病み上がりで心配だから、彼の家に泊まっていくと。その文面を見て、頭を抱える。
ジョセフが帰ってこないなら、今日はディオと二人っきりになってしまう。
「……」
よくよく考え、逆に好都合かもしれないと思う。
ジョセフがいない分、邪魔する者もいないし、殴りあいになっても止める者がいないため、気が済むまでできる。
腹を割って話す絶好の機会。
ジョセフには、シーザーに迷惑をかけないようにとだけ伝えることにした。
ディオが家に帰ると、ジョナサンはソファーに座り、上の空だった。
ただいまと言っても聞こえていないようで、何も反応がない。
「おい、ジョジョ」
肩に手を置くと、大きな声をあげ、ようやく、ジョナサンは自分が帰ってきたことに気づいたようだ。
「お……おかえり……」
目があった瞬間に、顔を赤くし、目がそらされた。
朝にしたことは、彼に深く刻まれていたようだ。それが、面白く、嬉しくて堪らなかった。
「あいつは帰ってきていないのか」
ジョセフはうるさいため、家にいると分かるのだが、今は気配すらない。
「シーザーのところに泊まるって」
「ほう……」
そうなるのを期待していると思っていいのだろうか。ジョセフがいたとしても、関係ないが。
「ご飯、用意するから」
目が合わせられないまま、彼は自分の脇を通り抜け、台所に向かった。
まだ夜は長い。
ゆっくりゆっくり、攻めていくことにしよう。
夕食は静かだった。
いつもならジョセフがいるため、今日、あったことを楽しそうに話したり、ディオと言い争いしたりと騒がしい。
ジョナサンもディオも普段なら会話をするが、今日は二人とも黙々と食事をしていた。ディオはジョナサンを時折、見ていたが、ジョナサンは彼を見ないようにしていた。
夕食も食べ終わり、ジョナサンは洗い物をしながら、ディオのことをどうするか悩んでいた。
彼から何らかのアクションがあるものかと思っていたが、それがない。今もさっさと風呂に入ってしまっていた。
これは覚悟を決めて自分から言うしかないのだろうか。
キスの意味と共に言われた言葉の真意を聞き出すためには。
洗い物が終わり、リビングでディオが出てくるのを待つことにした。風呂からあがったことを伝えてくるはずだからだ。
「おい、ジョジョ、あがったぞ」
リビングに戻ってきたディオの前にジョナサンは立つ。彼は開いた口を閉じた。
見ないようにしていた目をまっすぐ見ながら。
「ディオ、話があるんだ」
「ああ、わたしもだ」
彼は笑みを浮かべる。自分の言いたいことは分かっているのだろう。
しかし、彼からは切り出さない。待っているのだ。
ソファーにはなぜか、隣同士で座った。立ち上がり、向こうに移ろうとすれば、彼に止められた。
「別にいいじゃあないか」
余裕綽々というディオと余裕がない自分。本当に彼とは正反対だ。
腰をおろし、どう切り出そうか悩んでいると、彼から切り出された。
「話とはなんだ? ジョジョ」
こちらを見る目は、知っていると言っているが、言葉には出てこない。
「き、君が朝にしてきたことだよ」
うまく動かない口を動かしていく。
「朝? なにかしたか?」
彼はとぼける。
言わなければならないのか。キス、口づけ、なんでもいいが、それを口にするのは、なぜかとても恥ずかしい。
「ジョジョ」
言おうと言おうとしているしている自分の頭を彼は掴み、顔を寄せてきた。間一髪のところで彼の口を手でふさぎ、押し止める。
「君は、なんだってそういう嫌がらせをするんだい!?」
ディオがジョースター家に引き取られた当初は、陰湿な嫌がらせを受けた。物を盗られたり、友人もいなくなり、怪我を負わされることになった。
一度、殴りあいをした喧嘩から、彼は嫌がらせをしなくなったが、大人になって自分のところに戻ってきた彼は、また嫌がらせをするようになっていた。
ソファーに座っていれば、寄りかかってきて動けなくしたり、朝、起きなければ、首を噛んできたり、いきなり、キスをしてきたり――嫌味も相変わらずで。
彼は頭から手を離し、手を引き剥がす。
「嫌がらせ、だと? きさまはなんだってそこまで鈍い!」
なぜか、彼は怒っている。自分が悪いと言うように。
「なにが!? なぜ、君は怒るんだ! ぼくは君になにかしたかいッ!?」
語気を荒げてしまう。彼を怒らすことをしたような心当たりはない。
いつも通りに過ごしていたし、彼とは今日はあまり接していない。目を合わせていなかったことを怒っているのだろうか。
「おまえは、わたしの……!」
彼は途中で口を閉じてしまう。
いつもと同じ反応。その先が知りたいのに。
「言いたいことがあるなら、はっきり言ってほしい。ぼくには君が何を考えてるか、思っているか、わからないんだ……」
そばにいても言葉にしなければ、伝わらないのだ。ある程度のことは察することができるかもしれないが、それは表面だけだ。奥にしまわれてしまえば、わからなくなる。
ディオはジョナサンの言葉を聞いて、冷静になっていた。
そばにいれば、伝わると思っていた。
言葉だと彼には伝わらないと思って行動に移していたのだが、それがいけなかったらしい。
自分の気持ちを言葉にしたことはなかった。言葉にしても、彼が真に受けないからと。
「なら、聞け、ジョジョ」
逃げられないように手を握る。
「わたしは、おまえが好きだ」
耳に届いた言葉にジョナサンは時が止まったのが分かった。
彼の口から紡がれた言葉は予想もしていなかったもので。
「……………………え?」
ようやく出た言葉はこれだけだった。
「愛している。おまえの全てが欲しい」
そう言う彼は真剣そのもので。
「熱でもあ……」
「ない。酔ってもいないぞ」
言葉は遮られ、離れようとすれば、手が痛いくらい握られる。
彼の言葉はまぎれもなく、愛の言葉。伝える相手は自分のようだ。
顔が熱くなっていく。自分の顔は今、赤いのだろう。
「か、からかってない……よね?」
「ああ。わたしは本気だ」
まっすぐこちらを見る琥珀色の目。そらしてはいけないのだと、目が言っている。
「ディオ……ぼく……」
いきなり、ディオの顔を近づいてきて、唇に唇が触れた。二度目の口づけだった。
「おまえの返事はいらない。嫌いでもなんでも、わたしを好きにさせてやるさ」
握っている手が離れていき、その手は背に回り、おもむろに抱きしめられる。
「わたしにおまえを愛させろ」
言われた言葉は彼らしさに溢れていた。
「……とっても君らしいね、ディオ」
考えさせてくれる暇もない。きっと、自分に用意されている返事は一つだけだ。
背に腕を回し、目を閉じた。
ディオが帰って来てからの行動は、全て自分の気をひくためにしていたのだとしたら、なんとなく合点がいく。
彼には嫌われていると思っていたから、好意があるとは思わなかった。
ディオが自分に正直になってくれた。とても嬉しい。自分に向けられている気持ちも。
「ねえ、ディオ」
「なんだ。拒否権はないぞ」
そんなことは、わかりきっている。
「ぼくも愛させてよ」
彼が愛してくれるというのなら、自分も彼を愛そう。
ジョナサンの言葉に少なからず、ディオは動揺していた。こんなに早く答えが帰ってくるとは思っていなかったからだ。
しかし、彼は自分に体を預け、自分を抱き返している。
名残惜しいが、彼の体から体を離せば、彼は嬉しそうに笑っていた。
「離さないからな」
手を握ると、彼も握り返してきて頷いた。
言葉で伝えれば、こんなに簡単だったのだ。
ディオは体の痛みで目を覚ました。
リビングでそのまま眠ってしまったのだ。隣にはすやすやと眠っているジョナサンがいた。
昨夜はジョナサンと真夜中まで話し合った。離れていたときのことや、自分たちが互いのことをどう思っていたのかを。
全てを吐き出し、自分たちは疲れ、眠ったのだ。毛布で体を包んでいたが、寝心地はベッドには程遠い。
起きるには少し早い時間だったが、そのまま起きることにした。
ジョナサンが目覚めると、ディオはもう起きていて準備をしていた。
ディオはこちらに気づくと、笑っておはようと言ってきた。まだ頭が起きていない状態で返事をしたが、慌てて起きあがり、時間を確認する。
「まだ大丈夫だぞ」
ディオの言うとおりだった。彼はキッチンへと向かっていく。朝食を作らなければと、立ち上がり、自分もキッチンへ入っていくが、顔を洗ってこいと追い出されてしまう。
「着替えもしてこい」
「う、うん」
彼の手にはフライパンがあり、朝食を作るつもりなのだと分かり、自分も作るからと伝え、部屋に戻った。
ジョナサンが準備を終え、リビングに戻ると朝食が並べられていた。
「ありがとう」
「別にいいさ」
彼は何をしても、早いし上手だ。今も並んでいる朝食も自分が作るものより、見た目もいいし、きっとおいしい。
席に座り、手をあわせる。
「いただきます」
ディオは家を出る時間がきて、荷物を持ち、玄関に向かう。
「いってくる」
洗い物をしているジョナサンに声をかけると、彼は自分を追いかけてくる。
「いってらっしゃい」
ジョナサンのいつもと同じ言葉に押され、出ていこうとしたが、腕を掴まれ、阻まれた。何事かと振り向くと、ジョナサンの顔が迫ってきていた。
口づけと同時に後ろで扉が開く音がした。
「ただい……」
ジョセフの声が聞こえ、ジョナサンが離れようとしたのが分かり、後頭部に手を回し、深く口づけ、満足してから唇を離した。
「今日は早く帰ってくる」
固まっているジョセフの横を通り、家を出るとシーザーもいた。挨拶してくる彼に挨拶を返し、仕事場に向かう。
ジョセフは目に飛び込んできた光景に驚いていた。ディオとジョナサンが、男同士でキスをしていた。朝からそんなものを見るはめになるとは。
「おかえり」
ジョナサンは気まずそうに自分に声をかけてくる。
「た、ただいま……じゃあねえよ! ディオに無理矢理、されたんだろ? はっきり、嫌ってはっきり言ったほうがいいぜ」
ディオはジョナサンの優しさにつけこんで、嫌がらせをしているのだから。
「いや、あれは、ぼくがしたく……て………」
ジョナサンは顔を赤くして口で手をふさいでいる。
「え……ええ?」
彼の返答にまぬけな声しか出なかった。あれはジョナサンがしたくてしたということは、彼はディオに兄弟以上の気持ちをもっていることにーー。
「着替えに帰ってきたのかい? それとも、忘れ物?」
ジョナサンが話をそらしてきた。
「ディオと何か――」
「おい、早くしろよ! あ、おはようございます!」
外で待っていたシーザーが中に入ってきた。まだ玄関に立っている自分に、早くしろと怒鳴る。
ジョナサンに聞きたいことがあったが、忘れ物を取りにいくために、自分の部屋に向かう。ジャージを忘れたのだ。
ジャージを鞄に詰め、玄関に戻ると、シーザーは自分を急かす。ジョナサンに聞きたいことも聞けず、シーザーに引っ張られ、家を出ることになった。
「このスカタン! 遅刻するぞ!」
先を走るシーザーを追いかける。もやもやとした気分を抱えながら。
ジョナサンは扉を閉め、ジョセフにちゃんと説明しないといけないと思いながら、大学に行く準備を始めるのだった。