ひとりぼっりにしないで
ジョナサン・ジョースターは邸の中を歩いていた。
ランプの明かりが白い肌を照らせば、その明かりから逃げるように暗闇を選んで進んでいた。
暗闇に紛れようとも無駄なことは分かってはいるが、彼に、ディオ・ブランドーに見つからないようにしたかった。
どうせ、すぐに見つかってしまうけれど、一人になる時間くらい欲しかった。彼は外に行かない限り、自分のそばを離れることはない。考え事をしようにも、中断せざる終えなくなる。
今、自分の子孫たちがこの場所に向かっている。
倒れたジョースターの一人の女性を救うために、DIOを倒そうとしている。
彼女はスタンドの強大な力を受け止められず、命を蝕まれている。
自分が、彼を殺すことをできれば――いや、百年前に決着をつけていれば。
立ち止まり、自分の手のひらを見る。
今、自分は彼と同じ吸血鬼だ。波紋の呼吸はできず、あるとすれば、いつのまにか目覚めたスタンド、ハーミット・パープルくらいたが、彼のスタンドの前では、はがたたなかった。赤子の手をひねるようにあしらわれた。
世界の能力を使うまでもなく、純粋な力だけで負けてしまった。
今では彼の玩具だ。殴りたいときに殴られ、慰めたいときに慰められ。
「あなたはDIO様に大切にされておいでですね」
この邸の執事をしているテレンス・T・ダービーにそう言われ、どこがと反論してしまった。
こちらは散々だ。死んだはずなのに、歪んだ生を与えられ、彼の欲を発散させるだけの物のように扱われて。
「DIO様はあなたを愛していますよ」
反論を聞き終わったテレンスは先ほどの言葉を聞いてはいなかったようだ。
本当にそう見えているのだろうか。おかしいのは自分ではないのかと思えてしまうが、父や最愛の女性に与えてもらった愛を自分は覚えている。
「君の目には、そう見えるんだろうね……」
何を言っても無駄だ。この狭い世界ではディオが一番、正しいのだ。その世界に支配されてしまっているのだから、自分の価値観は無いに等しい。
ジョナサンは手をおろし、また歩き出す。
子孫たちのジョセフ・ジョースターや空条承太郎たちと共闘できれば、勝機があるかもしれない。
自分は彼の世界に入ることができる唯一の存在だ。邪魔くらいならできるだろう。
彼らと合流できればいいのだが、ディオは良しとしないだろう。動けないようにはりつけにでもされるか。逆に自分を人質にとるか。
彼らが日があるうちにこの邸を見つけて、入ってくれたら、あるいは。
「ジョジョー」
自分の名を呼ぶ声が聞こえ、柱の影に隠れる。
遠くに明かりが見える。そんなものがなくとも、暗闇の中は見えるだろうに。自分の存在はここだと主張するためだろう。
「かくれんぼに付き合ってやるほど暇ではないぞ」
そんな遊びをしていないと思いつつ、彼の動きを柱の影から見る。
こちらにやってくるディオは歩みを止め、柱の明かりを灯し、彼は小さなテーブルに明かりを置くと、はしごをのぼっていく。
ふと、もう一つ、足音があることに気づく。
誰だろうか。テレンス、ケニーG、ヴァニラ・アイス、ヌケサク――現れたのはその誰でもなかった。
カウボーイの格好をした男。彼はディオには気づいていないようで、ディオが上から声をかけると驚いて見上げた。
ホルホースと呼ばれたその男は、仲間たちのスタンド使いが退けられ、ジョセフたちがカイロにいることを彼に告げる。
興味がなさそうなディオは一冊の本を手に取り、埃を吹き飛ばす。それを少し見ただけでまた棚に戻すと、彼はホルホースに迫る。命令を果たせなかったのを理由に殺すのだろう。
そう思ったが違った。彼は指をタバコに押し付け、その指を見せながら、自分がまだまだ本調子ではないことを言う。
まだ体が馴染んでいないと彼は言うが、充分過ぎる強さだ。吸血鬼としての力や治癒能力。
そして、スタンドの力。
彼はまた本を手に取り、脅し文句を言いながら、ホルホースに背を向け、いすに座り、本を読み始める。
ホルホースはそんな彼の後ろで、拳銃を出した。手に一体化しているそれに、スタンドであることを示していた。
彼に心から忠誠を誓っているわけではないらしい。
ホルホースは拳銃を彼の頭に突きつける。本を読んでいるディオは気づいていないのか、さっさと行けと言うだけだ。
吸血鬼とて、脳を破壊されれば、死んでしまうのだろうか。
あのまま、彼が殺してくれるなら、自分はディオからの支配から解放される。
蹄鉄を引いていく、彼の顔が真剣そのものになる。
「――!」
なぜか、自分は駆け出していて、ハーミット・パープルを出していた。
間に合わないと思っていたが、彼は動かない。
時間が止まっていることに気づくのは、彼の拳銃の軌道を茨で反らそうとしたときだった。
「見つけたぞ、ジョジョ」
本を置き、立ち上がった彼はこちらにやってくる。
彼が向けられている殺意に気づかないわけがない。
スタンドを使えば、なんのことはない。ギリギリまで使わなかったのは、彼は自分が出てくるのを待っていたのだ。こうすれば、出てくるのを分かっていたから。
自分のそばに立つ彼はかくれんぼはわたしの勝ちだなと言って、満足そうだった。
「なっ……」
ホルホースが唖然としながら、こちらを見ていた。時間が流れている。スタンドを消す。
「礼を言おう、ホルホース。探しものは見つかったからな」
彼は何が起きたか理解してないようで、突然、目の前に現れた自分にも驚いていた。
「あ、あんたは……」
「わたしを殺そうとしたことは、目をつぶってやる……おまえはわたしの期待を裏切るなよ」
ホルホースはディオの言葉に顔をひきつらせながら、冷や汗をかいていた。
自分の肩を抱いてきた彼とともに部屋を出ていく。
「なんで、ジョースターが……」
か細い声が自分の背を叩いたが、振り向くことはしなかった。
それを許さないと肩を抱いている手が言っていたからだ。
ディオの部屋に入ると、肩に回されていた手は離れ、彼は目の前に立つ。
「わたしがやられると思ったのか?」
顎に指を添えられる。
「……ああ」
そう思った。彼の死さえ願ってしまった。
しかし、体が先に動いていた。救おうとしてしまった。その矛盾に戸惑っているのは他ならぬ自分自身で。
「自覚がないようだが――おまえはわたしを必要としているからな」
顔が迫り、目を閉じて口づけを受け入れる。
必要としているのだろうか。彼は父を殺した張本人で、自分を殺し、今は自分の子孫たちを苦しめている。
そんな彼と一緒にいるのは、彼がここに縛っているから――。
ふと疑問が浮かぶ。
それは正しいのだだろうかと。
本当に彼のもとを離れない理由は。
ここから逃げ出し、どうにかジョースター家の者と連絡を取っても、彼らが自分を受け入れてくれる確証もない。吸血鬼になってしまった自分を信じてくれるとは限らない。
唇が離れ、ベッドに押し倒される。
「おれはおまえを受け入れてやるぞ」
揃いの首の傷に触れてくる。
百年前という遠い過去を知るのは目の前のディオだけだ。
自分が愛した者も、友人でさえも、もうここにはいない。皆、先にいってしまった。
彼だけが、自分と同じ時を刻んでいる。
吸血鬼として、人としても――。
「わたしを受け入れろ」
「ディオ……」
腕を広げれば、彼は自分に覆い被さってくる。自分のものであった体を抱きしめる。
こうやって彼にすがりついて生きていくしかないのだ。
自分にこんなにも執着し、捨てられないという確証があるのはディオだけで。
こんな世界で独りで生きていくのは、死ぬより辛いことだろうから。
彼も同じなのだろうか。
価値観を共有するものが欲しかったのだろうか。
目覚めたら、知らない物にあふれ返り、様変わりしてしまった世界を見て、不安や寂しさを感じたのだろうか。
自分はそう思ってしまうだろう。不安や恐怖で足がすくんでしまい、立ち止まってしまうだろう。
目覚めたときはそばにディオがいたため、無理矢理、手をひかれて、歩き出していたから、そんなことを思う暇なんてなかったけれど。
――きっと理由は聞いても、答えてはくれない。
「今日は優しくしてやろう」
服の中に手を入れ、ディオは囁く。
今日は殴られることはないらしい。
助けようとした礼なのか。それなら、静かに眠らせてほしいのだけれど。
背に回した手を離せば、体が離れ、ベッドに体を預ける。また彼に触れたくなり、体をなでる手を取り、手のひらを重ねて握りしめる。すると、彼は笑い、握り返してきた。
「おれたちは二人で一人。離れられないさ」
痛いくらい手は握られている。
離されることはない。
囚われていることがこんなに嬉しいと感じるのは初めてだった。