知らなければ辛いとは思わなかったのに
目を覚まし、近くにいる男を見上げる。
火に照らされた顔が穏やかだった。自分には決して向けない表情。
彼の半身と会話でもしているのだろう。その声は聞こえない。彼らの内側だけで行われる密やかなもの。
視線に気づいたのか、彼の目がこちらに向く。遅いのは分かっていたが、目を閉じた。
何かされるのだろうかと、怯えていたが、自分が被っている外装が、少し直されただけ。
彼が動く気配がした。そばに感じる体温に、少し目を開ければ、彼が横になっていた。
手は繋がれたまま。
目を閉じた。
まだ、朝ではないのだから。
カイムは自分を無理矢理、連れ出し、世界を見て回らせている。
瓦礫、崩れた建物、荒れた土地、転がる死体や骨。世界に付けた傷跡を。これが、己が壊したものだと、罪なのだと。
反抗はしたが、大の大人に子供が勝てるはずはなく。
殺してほしいと何度も懇願した。世界が壊れないなら、自分が壊れるしかない。
憎くて堪らないはずなのに、唯一の家族である妹とその許嫁の友人を奪われて。彼は自分を恨んでいるはず、いや、恨んでいる。
持っている剣で、何人も殺してきたそれで。その刃をこの体に突き刺せばいい。
それをしないのは、今の女神が自分を生かすことを望んだから。生きて償えと彼女が言ったから。
その言葉に従っているだけなのだ。
カイムは、自分の手を離さない。手を離すときも、彼は必ずと言っていいほど、手の届く場所にいた。
その手を繋ぐという行為は、首輪に鎖を付けられた犬と同じだ。逃げ出さないようにと。
しかし、手を繋ぐことをしてこなかった自分は、戸惑うしかなかった。小さな手を握る大きな手には、冷たく接してくる男に似合わぬ体温。
最初は、痛いと感じるくらい握られていたが、抗議をすれば、少し力は緩められ、自分を引っ張って歩いていたが、その早さもゆっくりとなり。
子供ということを少しは配慮されているのだと思う。
しかし、自分がどれだけ疲れようが、足で歩かされ、宿がなければ、野宿など当たり前だ。食事もないこともある。
それは、彼も同じだった。何事も自分と対等だった。食事の量でさえ、彼と同じ量。
文句は言わない。言っても何も変わらず、彼も聞く耳を持たない。
言葉を交わすこともない。いや、彼はできないのだ。契約の代償として、声を無くしたのだから。
そういう意思疎通はできなかったが、不思議と困らなかった。
彼は頭を動かし、手を動かし、意思表示はしてくるし、大体、無表情である顔を見れば、何を言いたいのかは、分かった。
あの時、母親の顔色をよく、うかがっていたため、何を思っているか、何を考えているかは、顔を見れば分かってしまう。
この旅はいつまで続くのだろう。
いつまで、この手を引かれるのだろう。
早く逃げ出したかった。この状況に慣れてしまう前に。
体が揺さぶられ、目を開ける。
冷たい目が見下ろしていた。
「……おはよう」
そう言うのは、起きたという意思表示。
起き上がり、空を見上げれば、空は明るい。
カイムは手を出す。手を握れば、引っ張り立ち上がらされた。そのまま、歩き出す。おぼつかない足取りで、ついていく。
近くの川まで来ると、手を離される。
自分を見つめてくる。顔を洗えということだろう。
川の水を手ですくうと冷たい。顔を洗い、そのまま彼を見上げた。カイムは、持っていた布を投げてくる。それを受け取り、顔を拭う。
彼に返そうと、手を差し出せば、その手を握られ、野宿していた場所に戻った。
自分が株っていた外装を回収し、纏えば、彼は手を引き、歩き出す。
「ごはんは?」
食べていないと言えば、首を横に振られた。ないのだと思えば、襲ってくる空腹。
この世界で手に入れられる食料は限られている。荒れ果て、痩せた地で、植物は育たない。そうしたのも、自分だ。
小さな集落でもあれば、少しは分けてもらえるのだろうが。
自分を引く、男の背中を見つめる。
手から伝わる体温は、やはり、あたたかく。氷のように冷たければ、何も思わなかった。
今は、この手を振り払ってしまえば、誰がこの手を掴んでくれるというのだろうという不安が、膨れ上がる。
もう当たり前になってしまった行為に、安らぎを覚えていた。