今日は君が生まれた日だから
朝食を食べている時に、目の前の少女が言った。
「私、二十歳になったのよ」
そう言う少女は、いつの間にか、女性へと成長していた。見下ろしていた視線も、前よりは低くない。
「たぶん、だけど」
喋る高い声も、低くなり、顔も幼さがなくなり、大人びていた。一般的に言えば、美人と言われる分類なのだろうか。美醜の基準など、人それぞれで、よく分からないが。
朝食を食べ終わり、彼女が食べ終わるのを待つ。
「私、二十歳になったの」
繰り返される言葉。
その歳になれば、成人だ。大人の仲間入り。ただ、それだけ。
彼女はため息をつくと、朝食を詰め込み始める。
また、今日も歩き回るのだ。
宿屋を出ると、手を引っ張られた。それは立ち止まらせるための行為。
手を繋ぐという、文字通りの繋ぎ止める行為は、だいぶ前にやめた。だから、彼女が手を握ってくることはない。そして、自分も理由がない限り、それをしない。
「ねえ、祝ってよ」
いまさら、何を言っているのか。誕生日だからと祝ったことは、この旅を始めてから一度もない。自分の誕生日でさえ。
しかも、日付なんて、把握していない。けれど、彼女は、今日が自分の生まれた日だと、どこかで知ったのだろう。
おめでとうと、でも言ってほしいのだろうか。声が出ないのは知っているだろうに。
視界に入る、道沿いに並ぶ露店。何か欲しいものでもあるのだろうか。
露店を指差すと、違うと言われた。
「おめでとうって、言って。声は分かってるけど」
彼女の要求してきたものが意外だった。高い物をねだられると思っていたからだ。
それで、気が済むならと、唇だけで彼女の望む言葉を紡ぐ。
そうすると、彼女は少し微笑んだ。どことなく満足そうだった。
ずっと握られていた手は離され、彼女は歩き出した。
自分はいつの間にか、二十歳はとうに過ぎていた。歳なんて気にする暇もなかった。
妹は女神になり、守護を幼なじみに任せ、自分は戦いに明け暮れていた。膨れ上がる感情をぶつけていた方が、楽だったからだ。
今の自分の歳も分からない。あの時から、長い時間が経ったということは、少女の成長で分かったが。
「ね、あそこのやつ、綺麗」
話しかけられ、我に返った。
彼女の視線の先には、店先に並ぶ首飾り。小さな紅い宝石が付いているものだった。
そういえば、彼女は装飾品を付けていない。動き回る旅には、邪魔なだけで、買い与えなかった。彼女も、興味がなさそうだったからだ。
「私、あれが欲しいわ」
抑揚のない声で、そう言って、こちらを見る。その表情から、買ってもらえないと分かっているようだ。
金はある。それは、必要最低限の金額だ。宿屋や食事や衣服を買うためのもの。彼女の欲しがっているものは、買えるかもしれないが、余裕はないだろう。
「……冗談よ」
少し笑い、彼女はいらないと手を振り、歩き出す。
それに続くように、自分も歩き出す。
彼女の背を見つめながら、物をねだるなど、珍しいことだと思っていた。小さい頃は、よく必要ない物を欲しがっていたが。
最近は全くなかった。
「二十歳になったのよ」
彼女の言葉を思い出す。
その記念を形としたいのか。
おめでとうと言ったが、やはり、それだけでは物足りないのだろう。
買えばよかったか。しかし、彼女の欲しがっていた物がある店は、遠くなっていた。
もう、町の出口だ。彼女もいらないと言った。
「次は、南?北?東?西?」
彼女が止まり、振り返る。
地図を取り出そうと、腕を上げる。手首にある腕輪。妹との揃いの物だ。
地図を取り出すのをやめ、マナに近寄る。無表情で見上げてきたが、腕を掴むと、驚いた表情に変わる。
「な、何?」
付けていた腕輪を外し、彼女の手首に付け、離した。
困惑した表情で、自分と腕輪を交互に見る。
「くれる……の?」
頷き、地図を取り出す。
どこに行こうか悩む。宛もない旅だ。近くにあるという村を目指そうと決め、地図をしまう。
マナを見れば、腕輪を穴が開くのではないかと思うほど、見つめていた。
こちらを見ると、顔を背ける。
「あ、あり……がと……」
聞こえるか聞こえないかくらいの小さなお礼。見れば、少し顔が赤い。やはり、嬉しいのだろう。
見ていた彼女が、途端に幼い少女に見えた。
自分の名を幼い声が呼ぶ。
手を差し出せば、困惑する表情を浮かべる。
待っていると、おずおずと自分の手を握る。触れる手は、自分より小さく。
手を握り、歩き出す。
おめでとう、マナ
彼女が見えない、聞こえないことをいいことに、祝いの言葉を述べた。