焔は黒く燃える
カイムは勢いよく起き上がる。汗が肌を伝っていく。
堪らず、声を上げるが、出そうとしたものは、静寂に溶けていく。
契約で声は無くなった。それは、分かってはいるが、叫ばないと何かが壊れそうだった。
しかし、出てこないものを吐き出そうとしても、意味がなく、沸き上がったものは、体を駆け巡る。
毛布を払い、剣を取り、テントを飛び出す。
走っている間も、声をあげようとしたが、やはり出ない。
開けた場所に出ると、一心不乱に剣を振った。
ここに帝国軍がいたら、斬り刻んで、気が済むまで死体に剣を突き刺すというのに。
いや、味方の兵士がいても、斬りかかっているかもしない。
剣が肉体に突き刺さる感覚。飛び散る血。上がる砂煙。剣と剣がぶつかり合う音。
早く戦場の独特の雰囲気を早く味わいたかった。
「随分、荒れておるな」
声が間近に聞こえ、剣を振るのを止めた。
地響きと共に聞こえる巨大な足音。
剣を下ろし、そちらに視線を向けると、レッドドラゴンがいた。
赤い巨体が月に照らされ、より一層、血を見たくなる。
「どうした?そんなギラついた眼をしおって」
ずっと近くにいたようだ。周りの景色など見る暇などなかった為、目に入っていなかった。
ドラゴンに近づき、堅い鱗に触る。この下にも血が通っているのだと思うと、血の流れが掌に伝わってくるように思えた。
「斬るなよ?」
そんなことはしない。自分も傷ついてしまうのだから。それでも、血を見たい衝動にかられてしまう。
その時、ドラゴンが吼えた。
警告のようだ。
「お主は本当にやりそうだからな」
やらない、と言いつつ、剣を鞘に収め、体を全て預ける。鱗の冷たさが気持ち良い。
「……何かあったのか?」
その声はなぜか、酷く優しい。話せば、少しは楽になるのだろうか。いや、このドラゴンは分かっているのかもしれない。敢えて、聞いているのだろう。
ゆっくりと眼を閉じる。ドラゴンの存在をより感じる為に。
夢を見たのだ。ブラックドラゴンに両親が殺される夢を。その光景は脳に焼き付いている。復讐を忘れない為に、自分を動かす為に。
見慣れた筈だが、いつまでも苦しめられる。
こんな事は、過去に数えきれない程あった。
その度に剣を振ったし、眠れない夜を過ごした。
この夢を見ると、いつも壊れそうになる。体も心も全て。
心臓を鷲掴みされたような苦しさ。苦しくてしょうがない。
衝動が抑えきれないのだ。
温もりを感じて、眼を開けた。背に何かが触れている。見ると、羽で包まれていた。まるで、抱きしめるように。
「我はこれくらいしかしてやれん」
いきなり優しくされ、困惑する。何か裏でもあるのかと、勘繰ってしまう。
「弱っているお主はお主らしくないからな」
それは、お互い様だと思う。人間を見下していたというのに。
「落ち着いたなら、早くテントに戻れ」
ぶっきらぼうに言い、羽が離れ、感じていた温もりが消える。
体を離し、しっかりと立つ。
あの苦しみも衝動もなくなっている。これなら今日は眠れそうだ。
でも、あの温もりは感じていたかった。
アンヘルに届いた言葉は意外なものだった。
「……どういう意味だ?」
返答を求めた男は、もうテントの方へと走り出していた。
戻ったのかと思ったが、走る前に言った言葉が理解できない。
すぐにカイムが戻ってきた。その手には毛布。
「まさか、ここで寝る気か?」
肯定の返事をするやいなや、背を預け、座り込む。毛布にくるまり、小さくなっている姿は、とても幼く見えた。
「風邪をひいても知らんぞ」
羽で包んでやる。人間にしては強靭な体を持つが、病気にならない保証はなく、なられては厄介だ。その負担もこちらにくるのだから。
返答がないのは、無視しているのか、もう寝ているのか。
触れている所から、伝わる小さな温もり。こんな冷徹な男でも、このような温もりを持っている。それは、小さくも生きようとする焔が燃え盛っている証。
しかし、この焔が一番燃え盛るのは、他の焔を奪う時だけだ。復讐に突き動かされ、剣を振る。
それがなくなった時は糸を切られた操り人形になるのだろうか。
生きる意味を無くした者が辿る道は一つ。
「虚しいな」
そんなことはさせはしないが。
道連れなど喰らいたくない。
妙なものが中でざわめいているのが、分かった。それから目を背ける為に目を閉じ、地に体を預ける。
現実から逃げる様は、人間と同じではないかと、自分を笑った。